The International
外観が派手なら内装も派手な会場内の、それでもそれとなくシックな色合いのランプの場所に、私達の映画の席が用意されていた。『会場自体のコンセプトを損なわずに、各映画のイメージを若干のエッセンス的に使われているのが洗練されたお洒落感』だと、前評判の載っていた雑誌で書かれていた気がする。お洒落感とは何ぞや、とその言い回しのセンスに眉根を寄せたのは記憶に新しい。 ――言葉を気にするあまりに、誰と話すにも硬い口調になってしまった。 喋り方がなってない人間はその考え方自体もしっかりしてないように思えた。だから高校の頃、初めて言葉遣いを酷く気にした時、周りの人間とは極力少ない言葉で会話するようにしたのだ。でなければ、彼らの喋り方が移ってしまうのではないかと思っていた。 ――我ながら、馬鹿な事をした。 そう、思う。 だが、その癖はまだ抜けきれていない。 貴方に逢うよろこび [後] 大きな拍手。光の洪水。 ステージの上で輝かんばかりの笑顔を見せて喋る人々。 それら全てがハルには似合っていて、自分には似合わない。 それが私が下す、私の評価だ。 「…楽しくない?」 密やかに私の耳に口を寄せ、チェイスがそう訊ねてきた。 私は首を横に振る。 「人の笑顔を観たり、圧倒されるようなパフォーマンスを観るのは好きだ」 例えそれが意味のない、ヴァニティ・フェア…虚栄心から来るものであっても、その一夜の輝きは賞賛に値するものがある。それを魅せて輝く人を、批判する気はない。 チェイスは上半身を元の位置に戻し、へえ、と眉を上げた。 「お前は意外と人間好きだしね、納得」 「人間が嫌いなら、脚本なんて書かない」 「そりゃそうだ。…なぁ、受賞後のコメント考えてる?」 「まさか。私が受賞できる可能性が万に一つもあるか?ないだろう、そんなもの」 脚本賞は、下馬評でも私の作品は良いことは書かれていない。候補にあげるにふさわしい作品ではあるが、いかんせん地味すぎるのではないか、と評されている。今年の脚本賞最有力候補は多分感動巨作のファンタジー映画だろうというのが目下の予想だ。壮大な世界観を二時間半で纏め上げた監督と脚本は見事なものだ、と言われている。私も、それが一番この賞に合っていると思っている。私の作品はヨーロッパや日本の映画シーンで高く評価されることがあっても、派手さに欠ける所為でか大きな話題になることはない。 やれやれ、とチェイスは溜息をつく。 「処女作を、撮って貰えば良かったのにね。それだったら絶対他の作品に負けない艶がある」 「無駄に社会的な今作は、今しか作れやしない。だから了承したのにそういう事を言うな」 「社会的って…最近作風が意固地じゃないのか?脱皮してないまま何年も眠ってる蝉みたいな」 「そこをお前が軽くしてくれるんだろう?まるで年中春の園に居る蝶みたいに」 はは、と司会のコメディアンに合わせるようにして私のコメントに笑ったチェイスは、それから肩を竦めた。 「じゃあいつになったらアレを撮るんだ?もしかして、お前さん自身が監督までしようとか目論んでないよな?」 「いや…それもない」 「だったら」 「静かにしてくれ、賞も貰えないのに無駄話をするなんて無礼にも程がある」 「…けち、だな」 そんな言葉を意に介すこともなく、私はただ、チェイスの言った『処女作』の話を思い出していた。 ――広い荒野に立つ1人の男が、空を舞う鷹を見詰めている。 そんな情景から始まる、未来予想的な話だった。 湿気のない乾いた、熱い大地は未来の地球のほぼ全土を覆い、海岸線は汚染され赤く濁っていて、各都市は地下か地上にドームを作って生活していた。 彼らの最たる娯楽は音楽。満足に体を動かせる土地のないごちゃごちゃした空間では、絶えずひっきりなしにありとあらゆるジャンルの曲が流れている。流石の汚染された空気も、電波までは汚染できなかったようだった。 鷹を眺めている男は、1人のリュート弾きだ。多種多様な人種が一緒くたになって生活している空間では、民族楽器はさして珍しがられるものでもなかった。 そんな彼が、各ドーム・シェルター間での一大音楽祭に呼ばれる。 ――その祭の真意も知らずに。 「…あの作品になら、って曲をもういくつかストックしてある」 ストーリーの引き出しを開けたのもチェイスならば、その回顧を遮ったのも彼だった。 親しい人間の数人にしか、その話を読ませていない。編集者には本にするべきだ、と何度も薦められたが、あれを紙媒体にして出す気はなかった。 出版してしまったら、ばれるかもしれなかったからだ。 ――誰をモデルにしているか、とか、誰がこれを書いたのか、とかを、…彼に。 そこで、今まですっかり忘れてしまっていた、10年前の出来事を思い出した。 『…あれ、シグだ』 常にどこか騒がしい学校の中で、唯一静寂を守る図書館に、一つ通る声が響いた。 普段の彼の声量からすれば小さい方だと思われるそれは、しかし確実に館内全体に通った。 軽く、咳き込む。 『…もう少し静かに』 『ああ、ごめん』 悪びれない様子でそういうと、私の向かいに彼、ハルドールは座った。 『今の時間授業ないの?』 『ああ』 『俺も。だけどこんな時間まで勉強しなくてもいいじゃん、シグ、勉強できるんだし』 司書の先生の視線が少し気になったが、私が積極的に話しているのではないという事は解ってもらえるはずだった。何より、ハルドールの声だけしかしていないようなものだったのだ。 『勉強はしてないさ』 『じゃあ何を?そんなに熱心にノート取って。アウトラインだろ、それ』 『ああ』 『ああ、って。それだけじゃ解らないよ』 『………』 『…ん?』 無視をしようとしても、こちらを覗き込んでくるハルドールからは逃げられなかった。元々私は人に意地悪をしたり、嘘をついたりするのが酷く苦手な性質だった。だから、何か複雑な人間関係に巻き込まれる前に、自分を他人から遠ざけていたのだ。 『…話を、書いていた』 『話って、小説?』 『…散文、みたいなものだ』 『へえ、俺、エッセイやコメンタリー以外で長い文章書いたことないよ』 すごいな、とでも言いたげな彼の表情を見て、胸の奥がむず痒くなった。 何だか長く見ていたら体温が上がってしまいそうで、慌てて視線をノートに戻す。 別にパソコンに向って書いていてもよかったのに、そうすれば直にファイルを閉じてしまえば済んだ話だったのに。 今更ノートを閉じるだなんて子供じみた真似もできず、私は書き散らしたプロットを軽く見せた。 『これは、まだ長くなる前の段階だけどな』 『へえ……いいね、音楽がテーマか。ファンタジー?』 『…ジャンルを意識して書いた事はないよ』 『音楽がテーマなら、笑顔で溢れる作品になるんだろうな』 『…そうか?』 思わず聞き返してしまった私に、ハルドールはきょとんとした顔を見せた。 『だって、音楽は人を救わなきゃならないよ』 『…そういうものか』 『そういうの、書きたいんじゃないの?』 『…………』 こんなに、誰か他人と見詰め合うなんて初めてのことだった。 図書館の入口の方から、ハルと呼ぶ声が聞こえる。 それでも、彼は視線を外さない。 ――ああ、彼は、役者になるべきだ。 直感的にそう思った。 そして、この話の主役は、彼にすべきなのだと思った。 それから、私はその話を書き上げた。書くのに何年も掛かったが、それでも書き上げた。 自分の中では1、2を争うハッピーエンドの話になった。 ――男は、笑顔をテーマに様々な曲を作る。 自らの笑顔と共に。 「…っ!」 ――大歓声が、私を思い出から拾い上げてまた現実に戻した。 スクリーンには、優美なフォントで大きく「ハルドール・イスランシオ」とある。 ああ、彼が助演男優賞を見事獲得したのだな、と、ふっと溜息が出た。 安堵とも、諦めにも似たやりきれなさとも違う、微妙な溜息だった。 チェイスの視線がこちらに注がれているのが解ったが、私は何の弁解もしなかった。いや、自分でも説明がつかなかったのだ。 ハルドールは、周りの人から祝福を受け、信じられないといった顔でステージにあがる。 前評判から彼か、もしくは前回主演男優賞を獲った役者かと言われていたのだ。そんな風に驚いてみせているとわざとらしいと思われるぞ、と内心そっと毒づく。だがそれが彼の本当の感情で、本当に驚いていると知っているのは一体あの中に何人いるのだろうか。 ――いや、包み隠すことなく生きてきた彼だから、きっと穿った考えをする輩の方が少ないに違いない。 とりとめもなく、そんなことを考えながら、彼が司会と握手を交わし、像を貰い、そしてスピーチを始めるのを見ていた。 ああ、ここで映画が終わったのならば、本当にハッピーエンドだ、と思う。 私の書いた話にこんな風に賞を獲ったりするシーンはないが、それでもこんなに煌びやかな舞台に立てたならば、それ以上に成功と幸せを象徴できるものなんてないのではないだろうか。幸せな家族の姿も、それなりに魅力的ではあるが。 彼の話は、月並みといったら聞こえが悪いかもしれないが、沢山の人への謝辞から始まった。 はきはきとした喋り口のそれは、感動していてもさっぱりとした印象を受ける。それでもアイスランド鈍りが消えているはずの彼の英語が少し鈍っていて、そういう所に思わず笑みが零れた。 もし、私がこの後に彼が告げる言葉を知っていたなら、こんな表情はしなかっただろうに。 ――それは、そろそろ、謝辞も終わるかと思ったその時。 「それと、あああと、勿論、今日10年振りに出会えた友人シグヴァルド・フローデにも感謝します!彼は僕に役者になる切欠を与えてくれた」 「…………っ」 カメラがこっちの方を向いたのが、スクリーンに写された私の顔でわかる。瞬間的に微笑が残っていた状態で撮られてしまったらしく、おお、と若干の歓声が上がった。 「シグ?」 チェイスが肩をポン、と叩いてくれて、それで私の硬直は解かれた。 「……」 しかし、私は声も満足に出す事ができなかった。悪癖の所為だけではない。 ――まさかこんな桧舞台で彼と私の昔の縁が曝け出されてしまうだなんて、という驚きよりも、 ――彼が言った事に対する驚きが、多すぎて。 …信じられない。 こんな言葉しか出てこないが、それ以外に何を言ったらいいか解らなかった。 私が彼を主役に話を書き、そこから書くことの楽しさを知ったのと同じように、 彼も、私のおかげで役者への道を? そんな厳しく大変な進路へ、私が切欠を? とてもではないが信じられなかった。 しかし、混乱する思考とは別に、胸の奥が熱くなるのを感じた。 ――ああこれは、10年前感じたものと同じだ。 10年前から、私は変わらぬ思いを持っていたのだ。 そう認めると、ふっと心が軽くなった。 「…チェイス」 「うん?」 ステージから降りる前に、プレゼンテーターに捕まったハルドールを見ながら呟く。 「……どうしたらいいんだろうな、これは」 「これって?」 「……あの脚本、どうしても彼に演ってもらいたくて仕方ない」 「うん」 「今すぐそれを言いに行きたくてたまらない」 チェイスは少しだけ間を置いた。訳もない、私がこんな直接的に映画に関わる事を言うなんて今までなかったのだから。 だが、彼の口から出た言葉は、驚きともまた違ったものだった。 「行きなよ。…あぁ、でも、その前に彼が来る」 「…何だって?」 ほんの少しだけ目を離した隙に、もうハルドールは解放されたらしく、ステージから降りてくるのが見えた。チェイスが目配せする。 「言っちゃいなよ、いわないと、多分俺のかいた曲もゴミ箱いきだ」 “それだけは勘弁して欲しいからな”という彼の言葉が、少し寂しげな笑顔で飾られる。その笑顔の理由を半ば解りながらも、私はやがて来る彼の毅然とした立ち振る舞いから目が離せずに居た。 今やっと解ったのだ。 本当に、ただ一人見つめていたい人間が誰なのか。 彼や彼の周りをみて、輝きに目を眩ませているだけではなかったのだ。 それが例え醜い嫉妬からきたものであっても、それを認めることで私はあの話を世に出せる気がしてきた。 殻に篭りきりだった世界が、外へ広がるような、そんな爽快感。 大きな拍手と共に、ハルドールが近づいてくる。 多分これは、歩くルートから来る偶然なのだろう。別に、深い意味なんてないはずだ。 ――そこで、 そこでもし、私が彼を捕まえて、 言葉を、伝えられたのならば、彼はどんな顔をするのだろう。 『私も君と、同じ理由で話を書き続けている』 と。 『会えて、嬉しかった』 と、言えたのならば。 煌く光の洪水の中、あふれ出てきた記憶の波を、 少しでも彼に伝えられるのならば。 それ以上の幸いなどないと、私は強く信じて口を開いた。 …彼の顔が真っ赤になったのは、それから約10秒後程の事だったと、私は記憶している。 |