The International
たかだか、東南アジアの数多あるインターナショナルスクールの1つで、ハイスクールの4年間一緒だっただけの関係だ。 今更目の前でこうして出逢っても、――何の感慨もないはずだった。 貴方に逢うよろこび [前] あの頃17歳だった私は、目立つ事のない――どちらかと言うとグループワークでは謙虚すぎて嫌がられるタイプの――人間だった。ハイスクールから編入して1年半が経ち、出入りの多いこのインターナショナルスクールで、どうにか同じ学年の人間を把握できた頃だ。 「シグ!シグヴァルド・フローデ!」 発音しにくい私の名前を、きちんとした発音で呼んでくれる数少ない人間の一人が、ハルドール・イスランシオだった。大仰な名前に似つかわしくない笑顔を持つ彼を、誰もがハルと呼んでいた。それだけ、人気のある奴だった。 誰にも分け隔てなく明るくて、その分友人やとりまきも多いハルドールが、なぜ私の名前を正しく呼べるのかは、奴がアイスランド人で、私がスウェーデン人だからだろう。ノルウェーを挟んだ北欧国同士、名前の綴り方が似ていても何もおかしくはない。 北欧出身者がなぜ2人もこの東南アジアの一国のインターになんて通っているかといえば、理由は親の仕事の都合で、と明解だ。元からアジア方面へ異動する人間は北欧では少ない方だから、自然と周囲は私とハルドールが仲が良いものだと思い込んでいることだろう。私は口数が少ないことで有名だったから、ハルドールが明るく何かを言ってきてそれに一言でも返すこと自体、『仲が良い』証拠にはなったのだ。 それが、私には甚だ遺憾なことだった。 「……何だ?」 流石に当時から無口で通っていた私も、何度も名前を呼ばれれば返事をせざるを得ない。 「ああ、やっと気づいた」 その言葉を聞いて私は気を悪くする。別に聞えなかった訳でも無視した訳でもなかったからだ。呼ばれていることには気づいているし聞く耳を持っているのだが、言葉を発さなければ応えている事にはならないというのが世の常識らしい。耳は正常に働いているのだから、反応を待たずに言いたい事を喋っていけばいいものを、と思う。 「今度のフードフェアのことなんだけど、シグのお母さんってその週暇?」 「ああ、多分」 フードフェアとは、生徒たちの両親がそれぞれの国の自慢の料理を学内で売る日の事だ。広いカフェテリアと講堂を使って、来週の土曜日に行われる。今年は確か40カ国位が参加する予定だ。 全く、インターナショナルと銘打った学校だけあって、他にも民族衣装で登校してきていい日があったりテーマに沿った仮装なら可という日があったりと、お祭り好きな学校だ。 北欧諸国は生徒数が一人ずつ位しか居ないので、一緒に北欧ブースを作ろうという話になっている、という事は、数日前に母から聞いていた。だから多分その日に向けて彼女もスケジュール調整はしてあるはずだ。 「良かった。俺の母さんが連絡取りたがってて。いきなり電話っていうのも失礼だし」 「…話しておくよ」 「有難う!あ、ついでにもう1つ」 すぐに解放されるとばかり思っていた私は、ついで、という言葉に眉根を寄せた。だがハルドールは気にしない。 「…何か」 「生物、実験のペアワーク一緒にやらないか?」 「構わない」 「やった!じゃ、火曜の授業で。引き止めて悪かった、良い週末を!」 「ああ」 ハルドールも、と言おうとしたが、歩き出した途端に他の生徒に話しかけられた彼を、私はただ見つめているだけだった。 後にも先にも、彼と私の距離が縮まったのは、その授業の時だけだ。 それから2人、卒業するまで全く違う行動をしていたのだから。 ――そう、私は記憶している。 ならばなぜ、今彼は目の前に居るのだろうか。 真下に敷かれたレッドカーペットの鮮やかさに眩暈すら覚えながら、私は前よりも更に背の高くなった元クラスメートを見上げていた。 「やっぱり名前を見たときから思ってたんだよな。シグ、久し振り」 「………あ、ああ」 「俺のこと覚えてる?ハル。ハルドール・イスランシオ」 ――忘れるはずがない 思わず出かけた言葉を飲み込むようにして、私は眼鏡に手をやった。 「久し振りだな。…こんな所で会えるとは、ついぞ思わなかったが」 「酷いな、俺こう見えてちゃんと役者してるんだぞ?…眼鏡、掛けるようになったんだな」 傷付いた、と言わんばかりに眉根を寄せるがすぐに明るい笑顔を見せたハルドールは、身長だけでなく心まで成長したようだった。元から心の広い人間だったが、さっきから色々な人に話しかけられても大人な対応を取れている。昔はもう少し子供っぽく冗談を言ったりもしていたのに。 何だかそれが面白くなくて、私は心を落ち着かせるように長い一息を吐いた。 「…年若く見られるものでね」 「まだ27じゃないか。若くして才能溢れる脚本家…いや、作家か、なんてそうは居ない」 ”調べはついてるんだ”と目配せしてきた俳優は、一体どこまで私の事を知っているのだろうか。 よもや私が彼について知っている事柄以上に、私の事を知っているのではあるまいな。 ――ばかばかしい、杞憂にも程がある。 イギリス映画界を牽引する若手人気俳優のハルドールと、難解な筆致で一部にしか熱狂的なファンのいない作家兼脚本家とは、元から世界に広がっている情報量が違う。 本当なら、今だってこんな脚本家と話している暇は彼にはないはずなのに。 今私たちが居る場所は、いわゆる映画祭のレッドカーペットの上だ。 報道陣やありとあらゆるタイプの映画に携わる人間が、所狭しと談笑している。 脚本賞にノミネートはされていても、若輩者の私などにインタビューをする人間はいないだろうからと足早に会場へ入ろうと思っていたのだが、そこに声をかけてきたのがハルドールだった。 その所為で色んなカメラにその姿を収められてしまった気がする。いや、実際フラッシュがあらゆる方面からたかれていたのを覚えている。 あまつさえ2人の関係を『実はインターナショナルスクール時代の同級生で』等とばらされてしまった。こういった方面で無駄に知名度があがることだけは勘弁してもらいたかった。 ――ハルドールが凄い人物であればあるほど。 「…お前だって、そうそうその年で助演男優賞にノミネートされるのは凄いことだろう?」 思わず、そんな言葉が口からでた。あまり簡単に『凄い』という単語を使いたくなかった私は、ついて出てしまっただけの言葉にも眉根を寄せた。 だが、それ以上に驚いているのはハルドールのようだった。 「――すごい、か。はは、驚いたな、まさかシグがそんな風に俺を評してくれるなんて」 「…別に、誰もがそう思っているだろう」 「いいや、そんなものは関係ないね。授業の時だってお前、基本的に技術や表現方法を凄い、だなんて感嘆したことなんてなかったじゃないか」 「…お前と一緒の文系科目なんてあったか?」 「いーや、プレゼンの参考VTRを見せてもらったんだ。あれは非の打ち所のない発表だった」 「昔のことだ。…ほら、人が呼んでいるぞ」 また昔のことに話がもっていかれそうで、私はハルドールに向って歩いてきているのだろう女優の方に目をやった。彼女は確かハルドールと同じ映画に出ていて、主演女優賞にノミネートされているのではなかっただろうか。若手から実力派とうたわれ始めた女優なのに、エスコート役の男性が隣に居ないのは少々気になった。 「あぁ…メイラか」 ハルドールが、やけに重い声音で言う。そんな物言いをする彼を知らない私は、怪訝そうな表情を隠すことなくハルドールに向けた。 彼は、少し気まずそうに口を開く。 「――マークがきつくてね、参ってるんだ」 イギリス女性はこれだから、とアイスランド人は苦笑しながら、艶やかな笑みを浮かべるメイラに手を振った。俄然、カメラの数も増える。 なんていったって、今年の最多賞を飾りそうな映画の、主演女優賞候補と助演男優賞候補の挨拶だ。同年代ということもあってか、ファン層も近いし、これに食いつかないマスコミはない。もしこれで2人で食事に行った事でもあれば、ダブロイドだって放っておかないだろう。 ――早々に引き上げた方が無難だな。 でなければ、また、いやな場面に遭遇する可能性が高い。 私はそう思い、カメラに囲まれ始めたハルドールから距離を置き始めた。 「ハル!貴方も一人で来たのかしら」 しかし、それはどうやらほんの少し遅かったようだ。 ハルドールに背を向ける瞬間、彼に腕を絡ませ頬にキスをする彼女を見てしまったのだから。 先程までとは量の違う、沢山のフラッシュに、眩暈を覚えそうにすらなった。 ハルドールがメイラ・フェルナーとでている映画は、この映画祭には珍しいサスペンス仕立ての「役者が魅せる」タイプの映画だった。特出したCGも映像技術もなく、ただ優れているのはカメラワークと脚本、そして役者の演技力。古典へのオマージュではなく、完全なオリジナル作品でありながらその重厚なテーマには思わず私も唸らされた。こんな脚本を書きたい、とは思わなかったが、映画を観て役者を生かす作りに感嘆した。 その主演女優メイラと、名脇役として賞賛を受けているハルドール。 ――これほどまでに輝く人間を、私は知らない。 「シグヴァルド、そろそろ中に行こう」 逃げ遅れた私をそう言って拾ってくれたのは、作曲家のチェイスだった。今回私が脚本を担当した映画は、脚本と音楽の二部門でノミネートされている。今年は大きな話題作がなかった分、爆発的な人気はなかったものの、ロングランとなった私たちの映画も何とか取り上げてもらえたのだ。無論、私はこういった煌びやかな場所が得意ではないから、いっそ辞退したいと思ったほどだったのだが。 ――それでも来たのは。 …いや、今それについて考えることはよそう。 「シグヴァルド?」 「…いや、なんでもない。人に酔ったみたいだ。中に入って落ち着きたい」 「それならいいんだが…でも、中に入っても余計に緊張するかもしれないぜ」 作曲家なんてナイーブな職業についているチェイスは、なかなか朗らかな人間で、それでいて気難しい私の作品に繊細な曲を乗せてくれる「凄い」人物だ。 映画の脚本は今回が初めてであり、今迄は舞台の脚本を数本書いた私だが、そのどれもが音楽プロデュースをチェイスに一任している。ともかく、相性のいい人間だった。 ――朗らかさが、少しだけハルドールに似ていた。 だからといって選んだわけじゃない、と眉間に皺を寄せた私に、チェイスは目を細めて笑うと肩を押して歩き始める。 何もかもを感じ取っているかのようなチェイスの笑顔に、今は少しだけ頼りたかった。 |