白馬の微笑
09
「…………………」 掠れた語尾は明確な意味を成す言葉にはならなくて、ただキシリとも鳴らず静かになってしまったベッドの上の空間に消えていった。どこに消えたのか探せば簡単に尻尾が掴めてしまいそうな位に他の音が消えてしまったのは、目の前の男が微動だにせず川西を見つめているからだろうか。 ――何で、何も言わないんだよ。 呆気にとられているとも違う、瞠目したような、信じられないといったような表情のまま固まっている吉浦を見て、川西は段々と胃の辺りが熱くなってきたのを感じた。指先は冷たいのに、中心だけが熱いこの感覚。 ――…くそ、殴ってやりたい 殴れば何かのレスポンスは返ってくるだろう。うんともすんとも言わなくなったパソコンを叩いて壊してしまったという人の気持ちが少し解ったような気がした。今までは、いくらなんでも叩くだなんて無機物がかわいそうだと思っていたのに。 涙と視力の悪さで歪んだ視界、それに吉浦の重みでそう簡単に起き上がれそうにないが、腕を上げて一発お見舞いするくらいはできるだろう。たとえそれが全く効果のないものであっても。 ふっと右腕を上げる。 慣れない拳をつくって相手の頬へと、それなりのスピードで持っていく。 「…あんた、今何て言った?」 がし、と力強く手首を掴まれるのと、ほぼ同時に吉浦は顔を再び川西の方へ近づけて口を開いた。 「………」 どこかで彼が反応を返してくれればと期待していたが、こうもテンポよく事が進むと今度はこっちの反応が遅くなる。 「遊び、っつったか、今」 顔が近づいてくる事で、吉浦の眉間に深い皺が寄せられていることが解った。割り切られてはまずいのだろうか、と思う。こちらとしては遊びなんて願い下げだから、早くどいてくれと思っているのに。 「………違わないのか。どけよ」 「どかねえ。…言っただろ、悪かったって」 「い、言いたかったのはそれだけか!」 ――ああもう、泣いて損したんじゃないのか俺 目の前の男が何を言いたいのかさっぱり解らなくて、それでも退く事はできない。 こんな半裸状態で喧嘩まがいのことをしてるだなんて傍から見たらおかしくてたまらないのかもしれないが、それでも川西はなんとか言い返す。 その大きな声に驚いたのか、少しだけ吉浦は身を引いた。若干動きやすくなって、起き上がろうと身を捩る。結局力じゃ敵わないのだ、それは今身をもって知った。それでもつかまれてた腕がそう簡単に放される訳は無く、がっちりと握られては片手の力だけでの抵抗は難しくなってしまった。 「…あんたが、ここじゃない場所で話をって言や、俺ももっと喋ることがあった」 「………なんで、そういう話になるんだ」 「聞けよ」 「聞いてるだろ!」 「口を挟むな」 「…じ、じゃあ腕を離せ」 「……」 しぶしぶ、といった風に腕を解放する吉浦をぼやける視界で睨みながら、川西は手首をさする。一歩間違えたら手が紫色になるところだっただろう。明日、跡にならなければいいのだが。 そんな川西の心配とは別に、吉浦は強い視線を俯かせることなく言葉を紡ぎ始めた。 「…確かに、忘れて貰った方が有難い、とは言った。…だがよ、遊びだなんて一言も言ってねえだろう?」 「…覚えてない。そんな、些細なことまで」 「じゃ何を覚えてるってんだ。教えてやっただろ」 「あ、れは…男が好きってだけじゃないのか…」 瞬間、ふ、と吉浦の顔が翳る。自嘲気に吊り上げられた口角を、同じ様な状況で見たことがあるなと川西は感覚的に思った。 「あんたは、女が好きだって理由だけで食事に何度も誘ったり、部屋に連れ込んでどうのこうのしようって考えんのか。あ?女が好きだから、じゃなくて、それが好きな奴だからだ、だろうよ」 ――…一々労力を使ってまで女を捕まえようとはしないって訳か。 聞いている途中はもてる男の自慢だろうかと鼻白む所だったが、最後の言葉を聞いて思わず瞠目する。当たり前だといえば当たり前の事なのだが、それはこの関係に当てはめることができるものなのだろうか。 「全然、伝わってねえってのかよ…」 さっきまで川西を掴んでいた手で髪の毛を掻くような仕草を見せる吉浦の顔は、さっきよりももっと悲しそうだ。 ――そんな、だって。 こいつは何も言わなかったじゃないか。川西は加速していく心拍音を身体全体で感じながら、ただただ吉浦を見上げていた。さっきまでの怒りは、心臓を激しく働かせる為の血液の中に紛れ込んでしまったらしい。 「…よ、吉浦、だって…」 ――そんな、都合のいい、失礼な話があってたまるもんじゃない。 だったら遊ばれるほうがまだ考えられ得る関係のあり方なのか、そんなことまでは考える事ができず、それでもまとまっていない頭のまま口を開いてしまう。 吉浦は微かに笑んだ。 それを見てずきん、と胸が痛む。 「お前は、俺を、餌付けして、それで舞い上がってる俺を見て笑ってたんじゃないのか…」 相手の目を見続けられる自信がなくて、俯いたまま早口で言う。 「違う」 「じゃあ、じゃあ何で俺なんか…お前だったらもっと美人で、もっと優しい人を選べるだろ」 「あんたは優しいよ」 どんどん即答される答えを未だに素直に受け止められなくて、それでも聞くことは止められなくて自分の浅ましさに反吐がでそうだった。 「あんたは…」 そこだけで止まってしまった言葉の先が気になって、思わず顔を上げる。 「あんたは、俺がどれだけ好きだって言ってやれば信じるんだ?言葉の方が良いってのか…?」 「……え…」 ――待て ――何を言ってるんだ? 吉浦の言った言葉が信じられず、目の前がチカチカしてきたような気すらした。 「初めてあんたと会った時から、首筋に噛み付きたくてたまらなかった」 「そ、それは…」 確かに自分の首は人より細くてちょっとだけ長いけれど、その言い草じゃまるっきり変態じゃないか、と川西は驚きに驚きを重ねた。 心臓の音は、さっきよりも高くなっている。このままだと脈打ちすぎて血管が切れてしまうのではないかと思うくらいだ。 「おっかしいよな。俺もこんな地味な奴に欲情するなんてよっぽどたまってんのかと思ったよ。でも、あんた素材はいいし、何より触りてえって思っちまうんだからしょうがねえし」 「ちょ…」 顔を近づけて頬にキスをしてくる吉浦を、未だ信じられずに見上げる。 「あの事を、忘れてないって言う事は、だ。俺の気持ちも解ってるってことだと思ってた」 「…た、単純そうに言うなよ」 「そうだな、あんたはそんな単純なデキじゃなかったらしい…でも」 鼻と鼻がくっつきそうなくらいの近さで、吉浦が微笑む。今迄見たこともないようなその優しげで楽しそうな表情に、川西は何か夢でも見ているんじゃないかと錯覚しそうになった。 「あんたを好きだ、って直接口に出して言わなきゃ解らないんだったら、それはそれで単純なんじゃねえのか?」 “おかげですっかり遠回りだ”と少し眉間に皺を寄せて、それから吉浦はじっと川西を見詰めた。さっきよりも真摯に、熱の篭った瞳で。 「……嘘だろ?」 「嘘じゃない。あんただって大方、それが聞きたくてここに来たんだろ」 考えなしにな、だとかなんだとか言う吉浦の言葉が続いたが、もうそんな言葉は川西の頭にきちんと入ってはいかなかった。 「…好きって、お前…」 「好きだから忘れて欲しかったんだ。あんたが、俺なんかに興味を持つように思えなかったからな」 「そん、なの…」 ――俺の台詞だ 自分の方こそ、住む世界が違いすぎると思っていた。職場はもとより、その性格で。 それなのに近づいてこようとする吉浦を理解できないと、ステレオタイプな嫌悪感でつっぱねてはみたものの、惹かれるものにはどうしようもなかった。餌付けだと言ってしまえばそれまでの気もしたが、彼の事を考えると食欲なんて本気でなくなってしまったのだからむしろ逆効果だったのかもしれないとすら思う。 「…なあ、川西。これで解っただろ?」 川西の目尻に溜まった涙を舐めとりながら、吉浦は言い切ったとでも言わんばかりにやれやれと片眉を上げて聞いてきた。 「………泣き損だ、こんなの」 ――解ってないのは一体どっちだったのか、なんて そんな無粋なことはもう考えないようにしよう、ただ今の流れに任せよう。 そう思って、川西は吉浦のキスをたどたどしくも受け入れた。 「…ふ…っぁ…」 「…んだ、しっかり反応してるじゃねえか」 嬉しいな、と耳元で囁かれ、背筋がぞくっとする。 相思相愛――この四字熟語を連想した瞬間川西の頭は沸騰しそうになってしまったが――になり初めてのキスをしてからというもの、吉浦の情熱的ながら焦らすような指と舌の動きに翻弄され、声を押し殺すことですら難しくなっていた。川西自身が不慣れで過敏だというのもあるのだろうが、吉浦の手練も相当のものだ、と浅い呼吸を繰り返しながら川西は思う。 胸の突起を舐められ、腰骨から脇腹を自分の性感帯だと確認させられ、脱がされた衣服が全て床に投げられる頃には、川西の股間はすっかりぬれそぼってしまっていた。そこに、吉浦の長い指が絡められる。 「…んっ…う」 ゆるゆるとした動きで根元と先端の括れまでを刺激される。以前された時よりもずっとソフトな快感に、ついつい先を期待して腰が揺らめいた。吉浦が情欲に濡れた黒い眼で笑う。 「…もっと、てやつか。あんただって言葉じゃ言ってこないんじゃねえか」 「ぅぁっ…そ、んなことは…」 親指の腹で下から強く亀頭の筋を扱かれ、思わず腰が浮く。 「まぁいいか。あんたがねだらずに居られない状況をつくりゃいいだけだ」 「何……ぁぁっ、は…っ!」 吉浦の言っていることを聞き返そうとして口を開けば、不意に後孔にドロっとした感触が与えられてそれ所ではなくなる。それが何かでぬめりを帯びた吉浦の指だと言う事に気づいたのは、男らしい指の節を驚きのあまり締め付けた時だった。 ずぶずぶ、と一気に奥まで入り込んできた指の形が、相手が動かないおかげかよく解ってしまい羞恥で目元が赤く染まる。さっきから上記したままの頬で悟られないだろうと思えば、すかさず唇に音をたててキスをされた。安心しろとでもいいたげな、優しいキス。 「…狭いから結構時間が要るかもしれねえけど、我慢して慣れてくれ。…声が増えたら俺もきっと我慢できねえ」 ――今迄ずっと我慢してたってことか、それは。 ついさっき好きだと言われた時にも思ったことだが、こんなに川西に欲情していた癖に今迄一度しか襲い掛からなかった方が不思議だ。少しでも隙があれば襲い掛かり全てを奪ってしまうのが日常茶飯事のシナリオばかりなエロゲー業界出身者としては、一般的に言ったらそれでも倫理的にまずいだろうと思われる事にも無駄に同情してしまう。 だが、同情と余裕は別だ。 「んん……っぁ…よ、しうら…」 2本だか3本だか入った指が、一定の速度で抜き差しを繰り返しながらも着実に奥の方まで入っていく。時たま思わず嬌声をあげてしまうような場所を擦られるのだが、意図的なのかそうでないのかそのタイミングはランダムで快感をコントロールできない。 そして何よりもどかしかった。達くことのできない、それでいて体の深くから絶え間なく湧き上がる気持ちよさに声が駄々もれになる。くちゃくちゃと響く音と共に、部屋はすっかりと濡れた雰囲気をまとっていた。 「っぅん…ん…っあ…ああ…っ」 「…欲しいか?川西」 ピタリ、と指の動きを止めて、吉浦が聞いてくる。 「ん…欲し、って…?」 「締め付けるなよ。…もっと欲しいか?」 何が、なんて聞かなくても、それが吉浦の股間で存在を主張しているものだというのが直に解って、川西は思わず顔を背けた。代わりにというように乳首を舌先で愛撫され、またビクビクと肩で反応してしまう。 ――欲しくないわけじゃ… ないのだ。あれだけ立派なものを突っ込まれるのには流石に恐怖を覚えるが、指よりも強くさっきの快感のポイントを突いてくれるのではないかと思うと、期待にぞくぞくと震えがあがる。 どうしても言わせたいのか、吉浦は挿れたままの指をゆっくりと動かしながら答えを待った。ぐちゅ、とまた音がする。ここまでのことをされておいて、今更何かに恥らうのもどうだろうかなんて内心で考える。だが、深く考えを練るよりも、自分の身体が切羽詰っていた。 「……欲しい、よ。吉浦…」 ――もう我慢する必要なんて、ないんだ。 それよりも今は、目の前の男の笑顔が見たい。そんな思いで吉浦の顔を見た。一緒になって、だなんて陳腐な言葉が出てくる位、今は2人で笑いあいたい。勿論、そんな余裕は川西にはないのだが。 「川西…」 掠れた声が己を呼ぶ。耐え切れない、というような吉浦の顔に見惚れそうになっていると、ずるりと指が抜かれて川西はまた力の抜けた声をあげた。 「…あんたの中、俺で溢れさせてやるよ」 「え……ぁあっ」 言うが早いか、そそり立つペニスが広げられた後孔に入り込んできた。メリ、ともグリ、とも違う音がしながらも、ジェルか何かで濡れている吉浦のものは、順調に川西の奥へと埋められていく。 「んぁ…ふ…っ、うぅん…!」 「…川西…っ」 指とは全く違うフォルムを持つ吉浦の熱量が、その体積を増幅させながら根元まで埋まる。 「…っ!」 「…と、平気か?」 「…んと、か…」 何とか大丈夫そうだ、と言いたいのに呂律が回らない。それでも伝わったらしく、汗で額にへばりついた前髪を後ろに流してくれながら、吉浦はゆっくりと腰を動かし始めた。 引き戻すようにずず、と動き始めた吉浦のペニスの先端が、調度よく川西の感じる部分を突いてくる。少し痛くてムズ痒くて、それでも動かれると反応せずにはいられない。シーツを掴み、自然と揺れてくる腰を抑えようと試みる。 「っぁぁ、あっ、んう…!」 「っ…こら、もっと動かせよ…」 「…む、りだって…あ、ぁん…」 眉根を寄せて、それでも気持ち良さそうに吉浦が顔をまた近づけてくる。舌と舌を出して外気に触れさせながら絡め合わせれば、どちらともつかない唾液が流れ込んできた。そんなことですら酷くいやらしく、また感じてしまう。 「くっ、ぅん…んん…ん…!」 段々と抽挿が激しいものになるにつれ、川西のペニスからは先走りの汁が溢れてきていた。初めてなのにこんなに感じるものなのか、と思ったのも一瞬、先端付近まで抜かれてからまた一気に捲り上げられるように挿れられて、今までになく強い快感が背筋を駆け上った。 「あ…――…っ」 川西の絶頂を見計らったように吉浦のものもズルッと抜かれ、入ったときと抜かれた時の感触で内股がビクリと震える。 「……っ」 ほぼ同じタイミングで吉浦も達したらしく、ボタボタと自分の下腹部に落ちてくる二人分の白い液体の熱さを感じる。しかしそれをどうすることもできず、川西は頭を仰け反らせたまま荒い呼吸を続けた。 「…川西…」 「…ん……」 初めての男相手にまさか続けて何かをしてくることはないだろうと、川西は徐々にクールダウンしていく体を思いながら吉浦の顔を見た。 そのまま、触れるだけのキスが額と頬と唇に降ってくる。こんなに大事に触れられていいものかと、ひとしきりの事をしてしまったのにそう思う。 「…川西、好きだ…」 酷く精悍な顔で告げられてしまい、息が止まる。これからきっと何度聞いたって、慣れることはないようにすら感じた。 「…俺、も…」 「そうか…じゃ、初めのわがままを聞いてくれ」 「…は?!」 「首筋もう一回攻めたい」 「……は?」 眼をいくら瞬かせても、至近距離にいるこの男前は相変わらずの険しい表情で、その真剣さに言われていることすら違って聞こえてきそうだった。 「すまん……朝は俺が作るから」 「ちょっ、え、待て吉……っあ、は…」 首筋に甘噛みされて、そこを舌先で舐められ更にキスマークを付けられる頃には、川西の体は直にまた熱を取り戻していってしまった。 ――結局、次の日の朝会社に異例の病欠を連絡した川西は、直後有坂からメールで『動けないほど殴られたの?!』と見当違いも甚だしい心配をされてしまい、言い訳を考えるハメになってしまった。 その代わり、というのとも少し違ったが、朝吉浦が作ってくれたご飯と味噌汁は、涙が出るほど美味しくて温かかったのだが。 End. |