チャイルドバードの声
11
――全く、計画なんてアテになった試しがない。 目の前で呆けたような顔をしている年下の大男を笑顔で見つめながら、登己は脳裏で今まで考えていた計画が全て崩れていくのを感じた。 ――でもまあ、それでいいか、もう 隠し事が出来ない自分を認め、さっき歓人が言ってくれた言葉が心全部を支配しそうな勢いでぐるぐる回っているのをそのままに、笑みを深くした。 尚志が帰ってから、登己とアルバートが真面目に計画を練ろうとしたのはものの5分かそこらだった。 折角アルバートが登己のスケジュールと歓人のスケジュールを照らし合わせながらあれこれ考えてくれていたのに、登己の口からは欠伸がひっきりなしに出てしまい、どうにも集中していないのがバレてしまった。 「計画、って言ったのは確かに俺だけどさ」 「そうだ。それにお前にもう勝手な行動をとられたらマネージャーとして立つ瀬がない」 「やっぱタイミングに任せたりしちゃ駄目か…」 ぼそりとそう言えば、「当然だ」とアルバートは鼻を鳴らして言った。 「迂闊に向こうにアドバンテージをやってしまうような展開をしてしまいそうだからな。出来るなら俺がいる所で言ってもらえれば、と思うんだが」 「それ無理、絶対無理」 パラパラ、とスケジュール帳を捲るアルバートに、ぶんぶんと登己は首を横に振った。 「あ〜、やっぱりアルに言わないで勝手に言っちまえばよかったかな」 「どうやって」 「貴文経由でアイツをここに呼んでさ、そんでここで言っちまうの」 「中庭に来るな、と言ったのに?」 「〜〜〜…そうだった」 この敏腕マネージャーには洗いざらいなんでも話してしまう癖がある自分を恨めしく思う。だが同時に、それでも自分のプライドを守ってくれようとしているらしいアルバートには感謝してもしきれない、と思う。 自分の意地の所為で彼には色々と苦労をさせているのだ。それこそ出会って間もない昔から。 「…アル」 「何だ、やっぱり言うのを止めるのか?そっちの方が俺には都合がいいが」 「いや…これでお前に我侭言うの最後にする」 「…………そうか」 「何、今の間」 淹れなおしてもらった紅茶にミルクを垂らしながらつっこむと、アルバートは少し気まずげにネクタイを直しながら口を開いた。 「…残念だ、と思ってな」 「我侭言われた方がいいっつの?」 「そうじゃない。巣立ちだ、巣立ち」 「…俺は鳥じゃねーっての」 歓人に出会ってからの数日間と言うもの、母親とアルバートに次々と巣立ちとか何とか言われてしまうと流石に恥ずかしい。機嫌を損ねたのを隠すように紅茶を飲む。 「まぁそういうな。簡単なスケジュール作ってみたから、ザっと目を通しておいてくれ」 「おいてくれって、アル、もう時間か?」 「実はこっちの会社の方にも用事があるんだ、今夜の便で帰ろうとは思っている」 登己が契約しているCDレーベルはイギリスに本社を置いているが、日本にも支社のようなものがある。本社から出向いておいて何の仕事も無いのはおかしいと思っていたのだが、やっぱりあるようで登己はため息をついた。 「いつになったらまた遊べるんだか」 「その台詞、そのまま返すぞ。これからお前の時間はどんどん削られるだろうからな」 「何だよ、その言い方」 紅茶を飲み干して立ち上がるアルバートを見上げながら言うと、彼はクスリと笑って登己の折角セットした頭を撫でる。 「生嶋歓人との時間が増えるんだろうが。俺が面倒みないで済む様になるのは、いいのか悪いのか」 「…んだよ、兄貴面して」 「はは。じゃ、また後で連絡する。眠いからってここで寝ないように」 「……おう」 ぶすっとした顔を隠さずに言えば、アルバートは笑みを深くして店を後にした。どうやら登己の分も清算してくれたらしいというのが、ドアベルが鳴るまでの時間で解ってしまい余計にイライラする。嬉しくて、申し訳なくて背中がむず痒くなるような感覚。 『兄貴面』、何て改めて声に出さなくても、アルバートは登己にとって兄のようなものだった。 物心ついて初めて海外に住んだ時、近くに住んでいたのがアルバートだったのだ。年も離れていたし、親同士も子供同士を仲良くさせようとする気はなかったようだが、言葉以外のコミュニケーションで色んな事を教えてくれたのを、今でも覚えている。親友というより、家族と言ったほうがピンとくる人間だ。 そんな昔の思い出をつらつらと思い出していたら、本当に眠くなってきたようだ。 段々と瞼が閉じている間が長くなる。 「アルバートさんはああは仰ってましたけど、眠たかったら転寝していってもいいですよ」 「…由麻…」 クルクルと綺麗な銀のスプーンでミルクティーをかき回していると、楽しげな中前の声が届いた。 「お風邪を召されたら大変ですから、後でブランケットでも持ってきます」 「そんな、家近いんだし眠くなったら帰るよ」 「オーナーが間もなく来られるとの事ですから、どうぞそれまで居らしてくださいな」 「たかふ…冷清水さんが?」 「はい。先程連絡がありまして、登己さんがいらっしゃいますと言ったら直来るって。私はもうそろそろ出て行かないとならないんですけど、すれ違いになると思います」 カチャカチャとアルバートのティーカップを持っていく中前は、そう言って綺麗な後姿を見せたまま店の奥へと食器を片付けに行った。 ――何の用だよ、一体。 何となく予想はつくのだが、浮かんでくる質問の殆どが答えたくない事柄で登己は頭が痛くなった。このまま逃げるように家に帰ろうか、とも思ったのだが、下手をすると家にまで押しかけられそうな気もする。 あまり考えないようにしよう、と紅茶の最後の一口を飲みながら決めれば、またさっきの睡魔が舞い戻ってきて、登己の頭に靄をかけはじめた。 ――どうせ貴文が起こしてくれるし…。 寝ぼけた頭で適当に答えていけば、きっと何とかなるだろう。 思考能力よりも睡眠欲の方が勝った頭でそう考えて、登己はついに長いソファに横になって目を閉じてしまった。 ややあって、中前がブランケットを掛けに来てくれた記憶がぼんやりとあったが、それからの事は登己は全然覚えていなかった。 目が覚めたのは、すっかり日も暮れ真っ暗だった店内に、仄かにだが暖かな明りが点された頃だった。 ――……誰だ? 覚醒しきってない頭でぼんやりと考える。一体どれくらいの間寝ていたのだろう。すぐ来る、と言っていたのに店内はもう真っ暗で、秋と言ってもこんなに暗いのだったらもう既に夜と言ってもいい時間なのではないかと思う。 もしかしたらバーテンダーの常かもしれない、と体を起こそうとして、その直後聞えた声に思わず体を強張らせた。 「登己?」 ――歓人…! 一度聞けば誰の声だか直に覚えてしまう自分の耳を恨めしく思いながら、歓人の足音がどんどんこちらへ近づいてくるのを感じ取って、慌てて目を閉じた。 計画が、なんて事がよぎったのはほんの一瞬。 とにかくここは寝たフリしかない。 「…いた」 しかし、あっという間に気づかれてしまって、登己は自分の心音があからさまに跳ね上がるのが判った。 ――どうしようどうしようどうしよう。 ――ていうか、何でここに来てるんだこいつ?! 「…俺から見つけるの、3回目だな」 ぐっと声が近くで聞えた。 キシ、と床が鳴る音も聞えたから、きっとしゃがんだか立膝をつくかしたのだろう。 確かに、登己を探しに来るのだったら、この店は格好のポイントだ。だが、登己の勘が正しければ今はカフェタイムとバータイムの丁度中間で、ドアには鍵が掛けられているはずだ。 一体誰が、歓人にここまで来れる権利を与えたっていうのだろう。 チャンスを与えるのは、自分でありたいと思っていたのに。 「――登己…」 そう、ちょっと悔しく思っていた所を、不意打ちで歓人が髪を梳いてこられて内心飛び上がりそうになる。 ――わーわーわーわー!ちょ、ちょっと何だこれ! 母親にされるのともアルバートにされるのとも全然違う感覚に、思わず目を見開きそうになって慌てて落ち着かせる。 しかし、更に追い討ちともいえるような言葉が、頭上から響いてきた。 「…好きだ」 ――………………………!! ゴオオン、と鈍器か何かで強かに頭を叩かれたような感覚すら覚えて、目を閉じているのに、横になっているのに、何故だか眩暈でもしたような感じがした。 「…好きだ、登己…好きだ」 まだまだ歓人の告白が続く中、突然胸の中にカっとした感情が生まれたのに気がついた。 ――ああ、もう、どうしようもねぇな ――お前も、…俺も。 そして、照れ隠しに「うるさい」とか「馬鹿」とか言いながら。 登己は思わず歓人の頬にキスをしていたのである。 「登己…」 「なんつー顔してんだ、お前」 呆けた、という表現がよく似合う歓人の顔を見て尚も笑い続けながら、登己は体をしっかりと起こした。両足の間に歓人の体を入れるような形になって、それでもあまり身長差がないということに気づいてちょっとだけ驚く。 だがそれも、歓人の驚きに比べたら可愛いものだっただろう。 「…え、えええええ、だって」 「デカイ図体して『だって』とか言うなよ、男前が台無しだろが」 そういえば、キスしたのはさっき叩いた側の頬だったかな、と今更ながらに思う。 会ったときから自信満々といった風だった男がこんなにうろたえるのが面白くて、こらえきれないと登己は歓人の首に腕を回した。 この男を振り回せたのが、楽しい。 そのまま大型犬でも抱きしめるかのようにぎゅうっと体を密着させると、思った以上の暖かさが伝わってくるのが判った。 これはきっと、歓人の体温だけが原因じゃないだろう。 もっと、心から暖かくなるのは、きっと、気持ちの所為だ。 「な、なんでキス…」 なおも食い下がるように聞いてくる歓人の手が、おずおずと登己の背中に回される。 どうやらこのギタリストは、はっきり言ってやらないと解らないらしい。 ――だけど、それを簡単に言っちゃそれこそ駄目だ 自分の最後のプライドは、そこに賭けなきゃ心ごと溶けてしまうと思った。 だから、言えない。 ――ヒントだけなら、くれてやってもいいけど 普通の人間から見たらバレバレのヒントだけど、この男にはそれでやっとヒントになるのだろう。 だから、もう一度唇を顔に寄せた。 今度は、頬ではなくて唇に。 「…お前のキスと一緒」 至近距離でにんまり笑ってやれば、歓人の瞳の色が変わったのに気がついた。 やっと気づいたのか、と片眉を上げると、一瞬にして歓人の自分を抱きしめる腕の力が強くなった。 「…つっ、痛ぇ」 「あ、ごめん!」 思わず搾り出すような声で言うと、慌ててパっと腕を離される。その両極端さが何だか面白くて、でもどこか気に食わなくて登己は自分の額と相手の額とを近づけた。 自分でも思った以上に甘い雰囲気に、耐えられないと目を瞑った。 「…登己」 「ん?」 うっすらと目をあけると、優しそうな目とかち合う。しかしその瞳の奥にただならぬ激しい炎がかいま見れて、ゾクリと背筋が撫でられた感覚を覚えた。 「好き。死ぬほど好きだ」 「…ん」 それでも甘い言葉を言ってくる歓人の、吐息が微かに顎を撫でるように過ぎていく。 「登己は?言ってくれないの?」 「………」 イヤだとは言えない。いつか、なんて言ってしまったら直にでも言わされてしまいそうな気がする。 だから、2人の口を塞ぐためにもう一度キスを仕掛けた。 「………ん………」 でも、先に声を出してしまったのは登己の方で、鼻を抜ける甘い吐息交じりの声に気が狂いそうになった。初めてキスをしたその日に、歯列を割られるディープキスまでされるだなんて誰が考えるだろう。 ――こいつ、慣れてんのか? 上唇を吸われ、その刺激に目をチカチカさせながら登己はそんな事を思った。 疑問が表情に出ていたのか、唇を離して歓人が笑う。 「俺、初めてだから下手かな?」 眉尻を下げて笑う歓人が、どうにもこうにも愛おしい。 「…俺だって」 「え?」 「俺だって初めてだっつの」 こいつの可愛さに負けた、と自身に言い訳をしながら、吐き捨てるように言う。 その後に歓人が見せた溶けそうな笑顔に、もう一度キスしたくなってしまったのは言うまでもない。 ――それから2人は、数え切れないほど何度もキスをしたが、 いざ歓人が服を脱がせようとした瞬間、登己の膝蹴りが鳩尾に直撃したおかげで その日はキス止まりという事になってしまった。 流石に、自分の気持ちを自覚して即行為へと移るのは気が引けた。 大体今日のキスだって、初心な登己には強すぎる刺激だったのだ。 それでも、しょぼくれる歓人にはやっぱり勝てなくて、 「…今日、家泊まるか?」 なんて言葉が出てしまうほどには、登己も歓人の事を好きだったのだが。 ――駄目だな、本当に溺れそうだ そんな心の声を、お互いが奏でているなんて知らずに。 |