想うということの続きです
ライカ
「それは災難だねえ」
押さえきれない笑いを零しながら、名取はいつもかぶっている帽子を取った。
本日二本目のアイスを齧って夏目はだらりとベンチの背に身を預ける。
夕方の公園には誰もいない。昼間も同じ公園の同じベンチに座っていたと言うのに、青空が失せただけで全く違う空気が漂っている。とても不思議な感覚だった。
「笑い事じゃないんですけど、まあ笑い事ですね」
「確かに。夏目は大変だろうけど」
くすくすと笑い続ける名取の髪を風が撫でていった。金色に近い薄い色の髪が揺れるのを何となしに眺めて、夏目は空を見た。
夕暮れの空はオレンジ色に染まっていた。白い雲が美しい赤に変わっていて、とてもきれいだと思う。二人だけで眺めていると、その余りの美しさに何か誤った錯覚を起こしてしまいそうな程に。
「それで、どうするつもり?」
「どうしましょうね。人の恋愛ごとに首突っ込んでる場合じゃないんですけどね。おれ、ほんとに今の成績だとどこにも引っかからなくて」
「受験生は辛いねえ。思い出すなー」
「名取さんが受験生とか、想像つきません」
「私だってちゃんと勉強したよ。結構成績良かったけどね」
「ほんとですか」
「ほんとだよ。史学科のある大学って、割とどこもレベル高かったし」
「……そうなんですよね」
はーっとため息をつくと、名取はぽんぽんと慰めるように夏目の頭を撫でた。
夏目は去年は大学に行くつもりはなかった。就職しようと思っていたのだが、藤原夫妻との相談の末、進学を勧められて大学に行こうと決意したのは今年の正月だ。
そして、興味がある、これからの自分に役立ちそうな分野を探した末に史学を学ぼうと考えた。それを名取にぽつりと話した所、考える事は同じだな、と同じ道を少し先で歩いている人はそう言った。
名取も史学を学んで来たと言い、それなら相談に乗ってあげるよと言われて、たまたま時間の合う今日、話をしている。
「私大は嫌なんだろう?」
「はい。お金出して貰うんだし」
そう言うと、名取は少し眉を寄せた。
今まで就職するつもりであまり勉強して来なかった夏目は今苦労している。国公立の大学で史学科のある大学はどこもレベルが高い。私大ならそれなりの所もあるのだが、学費を藤原夫妻に出して貰う以上、無駄なお金を使わせるわけには行かない。夏目の選択は初めから国公立のみだ。
「あの人たちがそれを気にするとは思えないけど。君が気にしてるのか」
「そうですね。受かれば、きっと喜んで出してくれると思いますけど、でも、そこまでは」
「気持ちはわかるけど、今の成績だと厳しそうだね」
「そうなんです。だから、人の恋愛とか気にしてる場合じゃないんですけど」
最初の話題に戻る。名取はふっと笑ってペットボトルの茶を飲んだ。
「結論を言っちゃうと、ほっとけ、なんだけど」
「ですよね」
「気になるよねそれ」
「ですよね」
同じ話題が巡っている。昼間、田沼と話した内容を名取に雑談交じりに話してみたら知らず知らずのうちにそれが話題の中心になってしまった。本来は進路相談をする予定だったのだが、他人の恋愛にどう関与すべきかが主な相談内容になってしまっている。
「気になるけど、勉強しろ、だな。うん」
「はあ、やっぱりそうですか」
「夏目が全部滑っちゃったら元も子もないよ。受験終わってからおせっかい焼きなさい」
「おせっかいってほど焼けないんですけど」
「話聞いてあげるだけで楽になるんじゃないかな、田沼くんも」
柔らかく笑った人の声が脳裏に溶けるように落ちて行く。
アイスを齧りながら、夏目はぼんやりと彼の笑顔を眺めていた。ささやかな幸福と混乱した感情が交じり合う。
例えば、今。
自分のことの方が上手くいかないんです、とか。気になる人がいるんです、とか。おれが好きなのは、とか。
言ってしまったらどうなるだろう。
「……そうですね」
けれど結局は何も言わず、ただ頷いて夏目はアイスを齧った。
空は相変わらず美しい色を垂れ流していて、横にいる男は風にふわりと髪を揺らす。ひどく整った容姿のその人は、そこにいるだけで絵のようにきれいだった。
似合わないなあと夏目は思う。
夕暮れの公園。人気のない、美しい二人だけの世界。こんな時この人の隣に似合うのは誰なんだろう。
少なくとも自分ではないと夏目は知っている。名取と夏目はただ一緒にいるだけで何となく不自然に見える。そしてずっと不自然なまま、他人から見ても当人たちから見ても噛み合わないままで、ずっとそのまま過ぎて行くような気がしていた。
繋がりはいつだって薄い。二人を繋ぐ妖と言う糸は、縋りつくには細過ぎる。
2009/03/28