田沼→タキ。名夏風味。














想うということ




「……好きなんだ」

 ものすごく真剣な顔をした田沼が乾いた地面を見つめたまま苦しそうに言って来る。
 本気で苦悩してるような表情に夏目はちょっと遠くを見た。

「誰が、誰を」
「おれが、タキを」

 ああはいはい、と夏目は呆れたように息をついた。袋を開けたばかりの冷たいアイスを頬張ってだらんと身体の力を抜く。ベンチに寄り掛かると、背中に流れる汗がシャツにへばりついて非常に不快ではあったが、しゃんと背を伸ばしていられるほどの気力がない。

「夏目、おれは本気で!」
「はいはい、知ってます。わかってるから落ち着け」

 がばっと顔を上げた田沼の肩をぽんと叩いて、そのままベンチに引き戻した。夏目は呆れ果てたような表情で、田沼はそれを見て少し眉をしかめる。何だか泣きそうな顔だ。

「夏目ー、おれさあ!」
「だから知ってますって。みんな知ってるから」
「へ?」
「お前がタキの事好きなの知らないのって、タキだけじゃないか?」

 ぽかんと口を開けている田沼の間の抜けた顔を見ながら、夏目は更にぐったりした。
 何で誰にも気付かれてないと思っているんだろう。そっちの方が不思議だ。
 もう去年辺りから、二人は相当噂になっている。現に夏目は色んな人に散々問い詰められているのだ。田沼とタキは付き合ってるの、いないの、なら夏目とはどうだ、などなど。数え上げればキリがない。
 それはもう、全く喋ったことのない他の組の女子からクラスメイト、北本西村に至るまで何度聞かれたか解らない。その度にどちらもタキと付き合ったりしてない、と否定しているのだが、何度否定してもしつこく聞かれるのだ。正直に言って、少しうんざりしている。
 それもこれも、元の原因は田沼だろう。恋愛感情に疎い夏目から見たって田沼はタキが好きなんだろうとあからさまに解る。タキだって、きっとそれなりだ。よく一緒に帰るし、喋れば揃って楽しそうだし、嫌いのカテゴリーには入っていないのは確実だ。傍から見ても、田沼がさっさと告白して蹴りを付けてしまえ、と思うくらいだ。
 一年生の秋に夏目を通じて二人が知り合ってから早二年近く。高校三年生になった子どもたちは受験を控えている。推薦が決まった田沼とタキはいいが、成績も授業態度も余りよろしくない夏目は今必死に勉強しないとどこにも引っかからない。瀬戸際なのだ。
 その大事な受験期間に、他人の恋愛ごとに首を突っ込むほど暇ではない。ないのだが。

「嘘だろー!」
「バレバレなんだけど」
「どの辺が、どう!」
「全部。態度に出すぎだ、田沼」

 顔を赤くしてがっくりと俯いた田沼を眺めながら、これはどうしたものかと夏目は息をつく。
 暇はないし、大体恋愛ごとは不得手だ。自分のことだって上手くいかないのに、他人のことに首を突っ込んだってもっと上手くいかないに違いない。
 だが、二年掛けてようやっと夏目に相談する事が出来る田沼ではあと何年経っても先に進まないだろうな、と簡単に予測がついた。これをいつまでも放っておくのは自分自身の精神衛生上も良くない。

「そうなのか……?」
「うん」
「あのさあ、夏目は……その、さ」
「タキの事好きかって? 友達としては好きだけど、それだけだな。付き合いたいとかはない」

 恐る恐るの問い掛けを無駄にするようにあっさり断言すると、田沼はあからさまに安堵したようにほーっと息をついた。
 何とも解り易い。今日呼び出されたのは他でもなく、夏目の気持ちを確かめる為なのだろう。会った当初の深刻そうな表情からして何となく予想はしていたし、夏目と違って田沼とタキは割と解り易いタイプの人間だとは思っていたが、ここまで解り易いと面白いを通り越して気が抜ける。
 だらだらと溶け始めたアイスを齧りながら夏目は空を見上げる。ベンチの上の空は木々の緑に切り取られ、木漏れ日がきらきらした光を零していた。

「そっか……おれ、夏目もタキの事好きなのかなって思ってた」
「それはないから安心しろ」
「じゃあ、夏目は他に好きな奴いるのか?」

 いきなりの質問に夏目はずるっと身体を滑らせ、ベンチの上から落ちそうになった。
 核心を突くなよ、と心中で一人ごちる。

「あー……それは」
「いるのか? いないのか?」

 わくわくした顔で問う田沼をべしっと叩いてみたい衝動に駆られたが何とか耐えた。
 自分のことを何とかしてから言って欲しい質問だ。半分ベンチから落ちたような状態で、夏目は真上の空を見ると眩しい光が差し込んで眼に痛んだ。現実逃避のようにアイスの甘みを味わいながら手で光を遮る。

「……いるよ」
「いるのか?! 誰?」
「言わない。田沼は知らないし」
「え、おれの知らないやつ? 誰だよ」
「言わないって言ってるだろ」

 名前を引き出そうとする田沼に手を振って断固拒否の体勢を取ると、田沼はあっさり諦めたらしく、言いたくないならいいか、などと一人呟いている。
 正確には田沼はその人を知らないわけではない。けれど、余りにも繋がりが薄い。
 夏目にとってもそれは同じだ。繋がりはとても薄く、ごくたまにしか会わないその人に抱いている感情が恋に近いものだと認識したのはつい最近の事だ。まだ混乱した感情を抱えたままでどこに行けばいいのかも解らない。
 人のことは言えないなと思った。二の足を踏み続ける田沼と同じように、いや、それ以上に夏目は踏み出せない。
 息をつくと、夏目は体勢を立て直した。

「まあでも、田沼の敵はおれじゃないな、確実に」

 そうして、ほら、と夏目が指差した先で、それはもう幸せそうな顔でタキがニャンコ先生をぎゅうぎゅう抱き締めている。ニャンコ先生がぐええええと苦しそうな声を上げているのはとりあえず無視だ。
 ものすごく幸せそうだ。夏の陽射しが突き刺さる暑い中、更に暑い猫を抱き締めて汗だくになっているのに絶対に猫を離そうとしないタキの笑顔が輝いている。どこから見ても幸福の絶頂だ。
 その笑顔に反して、田沼がどんよりと暗い顔になった。

「……おれの敵はポン太か……」
「そうみたいだな」

 田沼が沈んでいると、耐え切れなくなったらしいニャンコ先生がタキの腕の中で暴れて逃げ出した。一目散に夏目の所に走って来る。

「な――つめ――――!!」

 この暑いのにブルブル震えた猫が必死の形相でバリバリと夏目の肩に這い登った。今にも泣き出しそうな先生を抱っこし、夏目は立ち上がる。

「なつめえええええ! 死ぬかと思ったぞ!」
「死なないって。じゃあ、おれ帰る」
「え、夏目くん帰るの?」

 走り寄ってきたタキの残念そうな顔に笑いかけ、先生をわしっと掴むと彼女の眼前に突き出す。タキは嬉しそうに猫の頭をがしっと掴んだ。

「うん、勉強しないと本当にやばい。最後に撫でておきなよ、タキ」
「ありがとうー! ニャンコ先生、またね!」

 わっしわっしと力いっぱい撫でてくるタキに硬直した猫を掴んだまま、田沼を振り返る。彼はどこかほっとしたように夏目を見上げて笑った。

「ありがとな、聞いて良かった」
「それはどうも。じゃあ後はがんばれ」

 ひらりと手を振ると、ニャンコ先生を抱え直して夏目は家路に着くべく二人に背を向けた。
 恐怖を拭えないようにブルブル震える重い猫を肩に乗せたまま息をつく。

「先生、そんな震えてると落とすから」
「だって! 怖かったんだもん!」
「だもんじゃない、可愛くないぞ。家帰ったらおれ勉強するから、邪魔するなよ」

 冷たくそう言い放つと、猫は震えたまま小さくなって夏目の肩にがしっとしがみついた。爪が痛かったが、結構ショックを受けているようなので仕方なくそのままにしてやる。
 公園の入口まで歩いてから、ふとベンチを振り返る。そこでは田沼とタキが柔らかく笑っていた。友達としての贔屓目で見なくても、彼らは似合いのカップルだろう。自然な仕草が優しかった。
 彼らのように、普通の恋が出来ればどれほど楽に過ごせるのだろうか。こんな苦しい思いをしなくても済むのだろうか。
 何となく、二人が羨ましかった。




2009/03/26