ルッスーリアが『ベルちゃんが呼んでるわよ、おほほほ!』なんていうもんだから、わざわざ仕事を休んで、あまり期待しないで行ったらこれだ。風邪引いた挙句高熱でダウン中なので看病しろ、だそうです。というかカーテン閉めっぱなしだし、なんとなく悪そうな湿気を含んだ空気が部屋に充満してて、不健康極まりないこの環境はどうだ。こっちまで体調が悪くなりそう。 「あたまいたいのおまえのせい。ぜったい……しね……」 よく分からない侮辱と減らず口は相変わらずだけれど、言葉一つ一つに覇気が感じられないベルなんてちょっとレアだ。 「はいはい。熱はかった?」 「ん……つめた……」 ベッドの中で死にかけの魚みたいにぐったりしているベルのおでこを触る。手のひらは明らかに通常の体温より熱く感じられた。いつもだったらこんなことをする前に『うざい』とか言って手をはたかれてそうだけど、ベルは私の手が冷たくて気持ちいいのかなんなのか、大人しくしている。 「薬は?」 「にがい……」 「んー、じゃあ救急病院行ったらいいじゃん。診察代タダだし。解熱剤打ってくれるよ」 「出たくない……出ない……」 とんだワガママだ。けど、単語喋りになってきてるところを見ると、外に出るのは本当に辛いのかもしれない。 「もう……! じゃ、しっかり寝て。しっかり寝たら治るから。じゃあ邪魔し過ぎないうちに行くね。 Ciao.」 出て行くついでにベッドを直していると、ベッドの中からスローモーションのような緩慢な動きで手が伸びてくる。 「みず……」 「わかったから手、離して」 やや体温が高めのベルの手を触ってそう言うと、私の腕を掴んでいた手があっさりと離れて、ベッドの上に力なくぽとりと落ちる。本当にこんなベルを見るのはレアで、いちいちびっくりしそうになる。 「お水でいいの?」 「……あまいの……」 思わず耳を疑った。よく体調崩すと幼児化する人っているらしいけど、今まで生きてきた中で、初めて見た気がする。ベルがちっちゃい子にしか見えない。いや、元々から年齢の割に性格が幼い気がするけど、今はそれ以上だ。 「分かった」 ワガママは変わらないし、なんだか気持ち悪いぐらいだけど、ここで邪険にしても後が恐いので、素直にワガママを聞いてあげようと、私の足はキッチンへと向けられた。 ********* ミルクパンにミルクを入れて、泡がふつふつと出るぐらいまで温まったら火を止めてブランデーを少々垂らす。お好みではちみつを入れて出来上がり。今回は甘いのがいいというリクエストにお答えしてはちみつを普通よりちょっと多めに入れた。私がこっちに来て風邪を引いたときに、ルッスーリアが作ってくれたブランデー入りのミルクだ。これのお陰で治ったせいか、熱を出したり風邪を引いたりすると必ずこれ、と私の中で定番になっている。 出来上がって、ほかほかと白い湯気を立てるそれを少し大きめのマグカップに注ぐ。使わせてもらった食器は後で洗うとして、とりあえずベッドでぐったりしているベルに飲ませるのが先だ。 ベッドの方へ戻ってくると、ベルは体を横たえたまま静かに息をしていた。こぼさないように慎重にゆっくりと歩く。 「ん……」 近づいたあたりで気づくあたりはさすがヴァリアーだとは思う。けど、今ぐらいは安心できないのかな、なんて思いながら声をかける。 「飲める?」 「む……り……」 喋るだけでも相当辛そうで、肩で息をしながら、やっぱり死にかけの魚みたいにぐったりしている。仕方なしにサイドテーブルにブランデーミルクの入ったマグカップを置くと、ベルの背中を手で支えながら起き上がらせる。私の片手にずっしりと体重がかかって痛いぐらいだけど、この際病人だから我慢。 「はい、熱いから気をつけてね」 「ん〜……」 マグカップを差し出すと、ゆっくりと、ベルは力の無さそうな両手を伸ばして私の手ごとカップを包む。それを確認しながらそのまま口元に持っていってあげる。と、口にマグカップが触れてすぐにベルは肩をびくりとさせて身を引いた。マグカップが落ちないようになんとか片手で支えながらベルを見ると、両手で口元を押さえて俯いていた。 「平気?」 返事どころではないらしく、ベルは動かないまま、まだ両手で口元を押さえて俯いている。どうやら思っていたより熱かったらしい。 「ごめんごめん、ちょっと冷ますね」 「……っとだよ……ばか……あちー……」 少し赤くなった舌を口の端にのぞかせて、ベルは文句を言ってきた。正直ワガママを聞いてあげているのにこの言い草はムカつくけれど、文句を言う余裕があるのなら大丈夫なのかもしれない。少し安心しながらふーふーと冷ましてあげると、私の頭がふらふらしてきたあたりで、ベルが勝手にマグカップを奪っていった。そしてベル自身も何回かふーふーと息を吹きつけた後に、マグカップを口に付けた。 「――――あま……にが……」 そうぽつりと漏らしたかと思うと、べっ、と舌を出して、いらないという意思表示をする。そしてそのまま私につき返してきた。 「え、ちょ……」 「チョコラータ……」 思わずマグカップを受け取ったけれど、これは、えーと、チョコラータが飲みたいということだろうか。 「チョコラータが飲みたいの?」 私の言葉に力なさげに振られる頭を見て少々呆れてしまう。飲みたいものがあるなら先に言って欲しかった。 キッチンでチョコラータを作りながら、少しぬるくなってしまったブランデーミルクに少し口をつけてみる。舌の上に残ったブランデーミルクはベルの言ったとおり確かに甘い、そして苦い。でも、だからといって気にするほど苦いわけでもない。風邪を引いているから苦味に敏感になっているのか、なんて思ったけれど、そんな話聞いた事ない。とりあえずこのまま捨ててしまうのは勿体無いので、まだまだたっぷり残っているブランデーミルクは作り途中だったチョコラータにこっそりと使わせてもらった。 ********** 「チョコラータ、できたよ」 「ん……」 私の声に布団がもぞもぞと動く。 「おこして」 ベルはかすかに首を動かしただけで、こっちを見ている。自分では何もせずに、私がベッドに来るのを傍観して、待っているあたりがベルらしい。 「ちょっと待って」 してもらうのが当たり前、とでも言わんばかりのベルに呆れながら、先ほどと同じように背中を支えて起こす。 「のまして……」 「はいはい」 口元にマグカップを持っていってあげると、一瞬ためらうようにベルの動きが止まった。そしてベルはそろりと手をマグカップにくっつけると、引っ込める。それを何度か繰り返して安心したのか、今度はしっかりとマグカップを両手で包んで口をつけた。 「ん、のめる……」 ベルはこくこくと小さく喉を鳴らして飲み始める。王子様の判定は合格らしい。『のめる』という言葉が引っ掛かるけど、つき返されるよりはマシだ。さっきは温めすぎてしまったので、温度は人肌、味見もばっちりした。(めちゃめちゃ甘いのを確認した) 「どうかな?」 「へいき……」 「そう」 「トイレ……」 今度はトイレかよ! とも思うけれど、生理現象なので仕方がない。ベッドから立ち上がろうとしているベルを見つめていたら、いきなり私の手にベルが手を重ねてきた。そして言葉も発さずに私の顔を見る。どうやら引っ張れ、という事らしい。 「肩かして」 「はいはい」 全体重に近い重さを容赦なくかけてくるベルを、引きずるようにトイレまで連れて行く。ある種いじめだ。二人分の体重を足で支えながら、どうにかこうにかトイレまで連れてきて中にベルを座らせる。重さから開放されたはずなのに、体を動かすのが酷くだるい。 「後できる?」 「……ったりまえ……でてけ……」 「ん。じゃ、終わったら呼んで」 歩けもしないようだから肩をかしてなんとか連れて来たというのにひどい文句だ。けど、今に始まったことじゃないと、しっかりとドアを閉めた後で、私はため息を一つ吐いた。 その後、なんだかんだでベッドまで戻ってきたベルは、残ったチョコラータを全部飲んで、驚くほど素直に眠りについた。ワガママを言いながらも風邪を引いて寝込んでいるベルはさながら高いところで身動きの取れなくなった情けない猫、といったところだろうか。内部でも外部でもトラブルを起こされなくていいし、このままずっと体調悪くてもいいかな……なんて不謹慎なことを思ったのは秘密だ。 つづき→ |