チャペル式   

   

重厚な扉の向こうから、幻想的なパイプオルガンの音が漏れてくる。

いよいよ…

美菜は、最高潮に高ぶる鼓動を抑えるように、そっとブーケを握る手に力を込める。

   

『美菜?俺のところまで真っ直ぐにおいで。それまでは転んじゃダメだからね?』

   

なんて。修吾から最大のプレッシャーを与えられた美菜。

緊張してはダメダメ。余計に足が縺れて転んじゃう。と、思えば思うほど、余計に自分にプレッシャーとなって返ってくる。

もうっ。修吾君が変なことを言うから、余計に意識しちゃうじゃないぃっ!!

こんな大舞台ですっころんで、醜態晒しちゃったらどうしようっっ

はぁ。と、震える息を吐き出すと、それが二重に重なって美菜の耳に届く。

……………?私のじゃないため息も混じってたような気がする。

そう思って、ふと見上げた視線の先。

自分が今、腕を組んでいる人物――――美菜の父…戸田源蔵(とだげんぞう)。

「お父さん…?」

そう、源蔵に声をかけてみるものの、彼には美菜の声が届いていないようで、重ねてその口から、頼りないため息が吐き出された。

「お父さんってばっ」

「んぉっ!?なっ、なんだ、美菜…」

美菜の少し大きめの声に心底びっくりしたようで、素っ頓狂な声と共に源蔵が美菜の方を向く。

「ねぇ…もしかして、緊張してる?」

「なっ、なにを…バカ言っちゃいかんよ。お父さんが緊張するわけないだろう?」

そう言って、変に高笑いをする源蔵の腕が、心なしか震えているようで。

「なんか…腕が震えてる気がする…」

「ふっ振るえとらんっ!」

そんなに大きな声で否定しなくても、隣りにいるのだから聞こえるって…

「もう。そんな大きな声を出さなくても聞こえるってば。それに…唇が、真っ青な気もする…」

「お父さんは低血圧だからな…朝は弱いんだっ!」

そんな話は一度も聞いたことがない…

現に、家族の中でも一番の早起きは、他でもないあんただろう。

「なに怒ってるのよ」

「おっ怒るわけないだろう?美菜…頼むから暫くお父さんに話しかけんでくれんか?」

集中できん!と、唸る源蔵に、やっぱり緊張してるんじゃないか。と、心の中でツッコミを入れる。

   

「ねえ、お父さん。ちゃんと歩ける?」

超ドジな我が娘から、そんな心配をされるとは思ってもいなかった。

源蔵は、少々心外に思いつつも、歩けるに決まってるだろう。と、数歩、美菜と一緒にその場を歩いてみる。

ほら、見てみろ。ちゃんと前に歩けてるじゃないか…

「………お父さん」

「なっ、なんだ…」

「手と足が一緒に出てる…」

「げっ…そっ、そういうお前だって…同じじゃないかっ」

「げげっ…」

美菜も美菜なら源蔵も源蔵…蛙の子は蛙かな。そんな気がした今日この頃。

   

源蔵のおかげか随分と気分的に楽になった美菜。ほんの少し、余裕も出来た気がする。

もうすぐですよ。との係員の声に、グッと表情を引き締めた。

係員の合図でゆっくりと開かれる、目の前の大きな扉。

それまでくぐもっていたパイプオルガンの音が、鮮明に美菜の耳に心地よく響く。

   

扉が開かれたと同時に、視界に飛び込んでくる中の様子。

先ほど段取りを説明された時には明るかった室内が、今は少し照明が落とされ、幻想的な雰囲気を醸し出している。

ヴァージンロードを挟んだ両脇には、仲のよい友人の顔やお世話になっている方々の顔がずらりと並び、自分の姿を見て、おぉ。と、声が漏れてくるのに、思わず照れ笑いを浮かべたりして。

そのまま視線を流していくと、新郎側の両親の席の後ろの列には、手前から、恵子、直人、新一、姫子の順に顔が見える。

まあ、姫子に至っては、身長の加減で美菜の場所からその姿が見れるはずもなく、新一の隣りには当然いるだろうとの結論から。

この2人は、美菜たちよりも随分と早くに結婚をしていた。

その2人の間には、3年前に男の子が生まれ、今現在姫子のお腹には3ヶ月になる第二子がいるんだとか。

新一の職業柄、単身で海外に行く事が多い為、一人で子育ては大変やわぁ。と、嘆いている姫子の顔はすっかり母親そのもので。

新一だけが、姫子離れが出来ていないようだった。

美菜の一番の親友である恵子は美菜と目が会うと、千切れんばかりに胸の辺りで手を振り、おめでとう!と、声には出さずに大きく口を開いてから、感極まってか隣りにいる直人の胸に泣きついた。

新郎側の列の中で、頭一つ分飛び出ている直人。

彼は、突然恵子に泣きつかれ、困ったような表情を浮かべて彼女の背中を優しく撫でる。

このカップルも、行く行くは結婚をする予定らしい。

しかし、目下(もっか)司法試験に挑戦中の彼らには、まだまだ遠い予定だそうだ。

そこから視線を新婦側の列に移すと、母親の隣りに弟の幸太郎の姿と、彼の彼女である、いづみの姿も見受けられる。

幸太郎も、今ではすっかり社会人の仲間入り。

有名な車の販売会社に勤めている彼は、その甘いマスクと饒舌さが功を奏してか、営業成績も上々で、給料も中々のものらしい。

勤め始めてからというもの、幸太郎はいづみのマンションに入り浸りだと両親が毎日のように零している。

幸太郎曰く、結婚したら一緒に住んでやるんだから、今ぐらい好きにさせろ。ということで。

めでたく来月から両親と一緒に住むことが決まっている。

そう…待っていたらしい。姉が先に嫁いでいくのを。

なにも待ってなくていいと言った美菜の言葉に、やっぱお前が幸せになる姿を見てからじゃねえと安心できねえからな。なんて。弟のクセに、兄貴風を吹かせた幸太郎。

…どっちが年上なんだ。

と、なんとなしに、嬉しくも複雑な心境の美菜だった。

そして、最奥の祭壇の前には、スッと背筋を伸ばし、温かな眼差しを向けて、自分を待っている愛しい人の姿がベール越しに視界に映る。

   

修吾君…

   

美菜は、一歩ずつゆっくりと、源蔵と共にヴァージンロードを歩き、修吾の元へと歩く。

ゆっくり、ゆっくり…一歩ずつ確かに。

その愛しい彼の姿に近づく度に、感情が溢れ出し、涙までが溢れ出してきそうになる。

ずっと憧れていたこの場面(シーン)。

ずっとずっと待ち望んでいたこの瞬間。

今にも溢れ出しそうなそれを、美菜は、グッと堪え、あと一歩のところまで辿り着く。

   

夢のようだった。

   

幻想的な音楽が流れ、みんなが見守る中、修吾が一歩踏み出し美菜を迎え出る。

そこまで一緒にヴァージンロードを腕を組んで歩いてきた源蔵が、修吾に向かって軽く一礼する。

それを受けて修吾が一礼し、源蔵の腕から美菜の手を自分の腕へと迎え入れる。

   

源蔵にとって、それはずっと大切に育ててきた娘が自分の元から旅立つ瞬間で。

寂しいような、嬉しいような…それでも、やはり寂しさが上回る。

この一瞬の間にも、源蔵の脳裏には美菜が生まれた瞬間から今までの思い出が、走馬灯のように思い出されていた。

…美菜。幸せに…な。

感慨に耽りながら、源蔵は込み上げてくる熱いものを、ぐずっと小さく鼻をすすることで押さえ、そっと我が娘の後姿に視線を送った。

   

この一連の流れが、美菜にとってはまるで夢のようだった。

もしかしてこれは全て夢で、目覚めたときには幻と化してるのではないか、と、不安になるくらい。

「美菜?真っ直ぐ俺のところまで来てくれたね」

小さく、囁くように聞こえた修吾の優しい声。

ベール越しでも分かる、温かく自分に向けられた優しい視線と綺麗な笑顔。

それを見て感じ取れただけで、ツーっと、美菜の頬を一粒の雫が伝い落ちた。

「クスクス。美菜?泣くのはまだ早いよ?」

「ん……うん…」

そういって、優しく目元を拭ってくれる修吾に微笑み返し、すぅっと小さく息を吸い、愛しい彼と共に祭壇の前へと立った。

   

いつしかパイプオルガンの音も止み、厳かな雰囲気の中、祭壇に立つ神父の神聖な声が静かにチャペル内に響く。

   

『長瀬家・戸田家の皆さま、そして両親族の皆さま、この度はおめでとうございます…これより、2人の結婚式を執り行いたいと思います…――――』

   

   

   

式は静寂の中、滞りなく進められていた。

神父は、それでは。と、改めると、自分の前に立つ2人に交互に視線を送った。

『誓いの言葉を…』

そこで一旦言葉を区切り、神父は一呼吸置く。

   

『新郎、長瀬修吾…あなたは健やかなる時も病める時も、妻である美菜を愛し続ける事を誓いますか?』

神父が修吾に視線を向けると、彼は逸らすことなく神父に視線を返した。

「はい。誓います」

と、しっかりとしたハリのある声が、意志を持って強く響く。

『新婦、戸田美菜…あなたは健やかなる時も病める時も、夫である修吾を愛し続ける事を誓いますか?』

次に、美菜に視線を向けると、彼女はベールの中から真っ直ぐに神父に視線を向けた。

「はい…誓います」

と、少し小さいけれど、ハッキリとした声が優しく響く。

   

『よろしい。それでは、2人の誓約の交換として、指輪を交換してください…』

   

その、神父の穏やかな声と共に、会場にパイプオルガンの音が静かに流れる。

2人は向かい合い、祭壇の上に用意された、2人で一緒に選んだ指輪を修吾が先に手にする。

   

「愛と忠実の印として、この指輪を受け取ってください」

   

先ほど、挙式前に教わった言葉。

修吾はそれに気持ちを込めて言葉にし、愛しい美菜の手をとり左の薬指にそっと滑らせる。

修吾にはめてもらった指輪が美菜の薬指で光り、それを見た彼女が嬉しそうにはにかむ。

そして次に美菜の番。

彼女も同じように指輪を手にとり、

「愛と忠実の印として、この指輪を受け取ってください」

そう、優しい声で囁き、修吾の薬指にそれを通す。

通し終わったあと、2人は互いに視線を交わし、幸せそうに微笑んだ。

   

『それでは、誓いのキスを――――』

   

結婚証明書にサインをし終わったあと、神父の声を合図にゆっくりと2人は向かいあう。

修吾は、美菜の顔を覆っているベールをそっと持ち上げて頭の後ろにまわすと、彼女の両肩にそっと手を添える。

そして、美菜にしか聞こえないような、小さな声で囁いた。

   

「美菜?ずっと…ずっとこの先も変わらず君を愛していく。だから美菜は、この先もずっと俺の隣りで笑ってて?」

「…っ…うん…うん…」

この瞬間、美菜の堪えていた感情が、一気に雫となって瞳から溢れ出す。

それを優しく指先で拭い取りながら、修吾はそっと頬を寄せた。

   

短いけれど、2人にとって深く重みのある誓いのキス。

2人はこの瞬間、固い絆で結びつく。

この先も永遠に、永久(とわ)の愛を誓って――――。

   

   

――――愛してる…美菜。この先もずっと君だけを…

   

――――私も…愛してる。この先もずっとあなただけを…

   

――――ずっとずっとこの先も永遠に、愛し続けることを誓います――――

  

  

大きくて温かい、祝福の拍手に見送られながら、ゆっくりと2人は開かれた扉に向かって歩き出す。

そう。それは、これから始まる新たな人生の扉に向かって歩くように。

  

これから先、時に辛い事や悲しい事があるかもしれない。

それでも2人一緒なら、その先に待つ笑顔にきっとたどり着く事が出来るはず。

  

この先に続く真っ白な人生(みち)が、どんな道かはまだわからないけれど。

美菜と…

修吾君と…

共に歩んでいけるなら、どんな道だろうと乗り越えていける。

  

2人は共に寄り添いながら、微笑みあいながら、ゆっくりとその扉の向こうへと踏み出した――――。

  

『Love Fight』 (完)

   

  

  

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