今日は図書委員による、年に一度の図書室の一掃清掃の日。 掃除はもちろんのこと、本の状態を調べたり、配置を入れ替えたりと半日がかりでするので、休日の土曜日に行われることになっている。 参加は殆ど強制で、余程のことがない限り休むことは出来ない。 特に用事のなかった私は当然のことながら参加なわけで、お昼を過ぎた午後1時の集合時間前には図書室にいた。 1年から3年まで、図書委員が全員集まるのは初顔合わせの時と、この一掃清掃の2回だけ。 だけど、もうそれぞれ個別に何度か一緒に仕事をしたことがある者同士なので、初顔合わせの時よりは、なんとなく雰囲気は和やかだった。 私も、全員が集まり、委員長の指示が出るまで同じ1年生の別のクラスの女の子と、他愛もない話をしながら待っていた。 もちろん、視線の隅っこには大好きな蒼斗先輩が映っている。 先輩は、あの誰もが憧れる爽やかな笑顔を乗せて、同じ3年の先輩や2年の先輩達と男同士集まって何やら楽しそうに話しているのが窺える。 なんか…久し振りに見た気がする、あの爽やかな笑顔。 最近、一緒に委員の仕事をする機会がなかったので、私の頭の中の先輩は完全に意地悪モードになった顔に切り替えられている。 だから、なんとなく違和感を覚えた。先輩っぽくない気がするなぁ、って。 うーん。私、あの笑顔に惹かれたはずなのになぁ。 はぁ。と、ため息を漏らしたのと、隣りの子が話しかけてきたのとが同時だった。 「ねえねえ。桜坂先輩ってさ、やっぱカッコイイよね。優しいし、笑顔が素敵だし…遠くで見てるだけでも満足って感じ。あ〜、私、図書委員になってよかったぁ♪」 そう言って手を組み、ウルウルと瞳を輝かせる彼女。 うん……カッコイイのは激しく頷ける。 でも、先輩って本当は意地悪だし、実はエロ大魔王でムッツリスケベだよ? と、言いたくて口がウズウズした。 だけど、絶対に言っちゃいけないことはわかってる。 私たちの関係は絶対秘密。 だから、委員で一緒の当番になったとしても、必要なこと以外は滅多に言葉を交わさない。 でもね、それが逆にくすぐったくて何となく嬉しかったりする。 先輩と私の共通の秘め事ってところが。 ふふっ。と、小さく笑みを漏らしながら、そうだねぇ。と、彼女に相槌を打ったところで、全員が集まったのか、委員長の声が部屋に響いた。 「んじゃ、そろそろ作業に入りたいと思いますー。まずは本の整理から入って、埃が出たところ最後掃除に取り掛かりたいと思ってるんで、各学年ごと1組から順に2人ずつ組になって作業に入ってください。割り当ては…」 委員長の説明を聞きながら、私のパートナーとなる隣りのクラスの人物を探す。 私は3組だから、4組の子って確か… ウロウロと視線を彷徨わせていると、ある男の子と視線が合う。 向こうも私と同じ行動を取っていたようで、私と目が合うとニッコリと笑って少し手をあげた。 そうそう、彼だ。4組の瀬戸君。 特に秀でてカッコイイわけでも、ブサイクでもなく至って普通の男の子だけど(失礼かな…)とても気さくで話しやすい。 私も彼に笑顔で応えると、そのまま少しだけ別の場所へ視線を飛ばした。 その先には男の先輩と、お前とかよー。なんてふざけあっている蒼斗先輩の姿が映る。 何故かちょっとホッとした。 きっと女の先輩とだったら嫌だなぁって思ってたんだろうなと思う。 私は、ふぅ。と、軽く息を吐いてから、隣りの彼女と一緒に立ち上がり、頑張ろうねぇ。なんて言いあいながら、それぞれのパートナーのところへと足を向けた。 「志筑さん、今日は半日よろしくな!」 瀬戸君と一緒に、割り当てられた場所へ向かいながら並んで歩く。 「うん、こちらこそよろしくー」 「高い場所や重い分は俺がやるから、その他のを頼むよ」 「あ、ホント?それは助かるかも。ありがとう。瀬戸君って優しいねぇ」 「でしょ?顔が劣る分、優しさが俺の売りだから」 「あははっ!なにそれー」 瀬戸君は、私が気楽に話せる数少ない男の子のうちの一人。 蒼斗先輩とは、嬉しさやドキドキが先行しちゃって中々上手く話せないし、まだ男の子に免疫の少ない私は友達と呼べる存在もいない。 そう考えると、私って瀬戸君のことを異性として見てないのかしら? ちょっと首が傾いた。 私たちが、持ち場の背の高い幅広の本棚まで辿り着くと、少し遅れて、通路を挟んで隣りの場所に蒼斗先輩たちがやってきた。 うっ、嘘!蒼斗先輩、隣りの場所なんだっ。 一気に上がる、私のテンション。 だけど、その蒼斗先輩はコチラの様子を気にかけることもなく、視線さえも送ることもなく一緒になった男の先輩と楽しそうに話ながら作業をしはじめた。 いいんだ、気にしてもらえなくても。 先輩の近くにいられるだけで私は幸せだもん! 「じゃあ、志筑さん、とっととやっちゃおうか!」 「うん、やっちゃおう!」 私は楽しくて仕方がなかった。 だって、蒼斗先輩の近くにいられるんだもん。 耳を澄ませば先輩の声が聞こえるんだもん。 それだけでテンション上がっちゃうよ。 私は一人浮かれ気分で、瀬戸君の言葉に笑い声を立て、いつもより多く話していたと思う。 「志筑さん、ごめん!ちょっ…コレ、重いけど下ろしてもらっていいかな」 ちょうど私の腰ほどの高さの脚立に乗って、上段の部分を整理していた瀬戸君が、片手で本棚を掴んで体を支えながら、もう片方の手に分厚い本を持って私に差し出してくる。 その手がプルプルと重みで震えているのを見て、私は慌てて駆け寄った。 「わわわっ。オ、オケ…大丈夫?」 「だいじょぉ〜…おゎっ!?」 「うゎっ!?」 私が両手で本を受け取ったのと、瀬戸君がバランスを崩したのとが同時だった。 彼は咄嗟に私の両肩に手を置き、間一髪のところで体を支える。 私は本を落しちゃダメだ!という思いと、瀬戸君の危機に心臓が高鳴った。 瀬戸君は、私の両肩に手をかけたまま、ふぅ〜。と大きく息を吐く。 「ひえ〜、焦った。落ちるかと思ったよ…ここに志筑さんがいてくれて助かった」 「私も焦ったぁ。心臓がドキドキ言ってるよ…」 両肩に手を置かれている体勢のおかげで、瀬戸君との顔の距離が縮まっている。 そのことには全く気にも留めていなかったけど、焦りのせいで若干頬が紅くなっている気がした。 瀬戸君は、私の支えを借りて元の位置に戻っていく。 二人して深い安堵のため息が漏れた。 「はぁ〜…ごめん。ありがとう、マジ助かったよ」 「はぁ〜…いぃえ〜。無事でなにより」 そう言ってお互いに顔を見合わせ、何故かぷっと吹き出し、声を立てて笑い合った。 その様子を、蒼斗先輩が見ていたとも知らずに。 それから私たちの作業は順調に進んでいた。 瀬戸君と楽しく話しをしながら、近くにいる蒼斗先輩の存在に心躍らせて。 そしてどれくらい時間が経った頃だろうか。 ふと、蒼斗先輩が突然声をあげた。 「委員長!一旦休憩にしないか?ぶっ続けだと、みんな辛いだろ」 「あ〜、そうだな。ここらで一旦休憩にするか?」 「あぁ、そうしようぜ。俺、ジュースか何か買ってくるよ」 「あ、マジで?さっすが気が利くなぁ、お前。じゃあ、桜坂が戻ってきた時点で休憩に入るか。お前一人でいける?」 「あー、どうだろ。全部で何本?」 「ん〜、今日は全員参加だからなぁ…20本くらいあれば足りるんじゃね?」 「20本か…それならペットボトルで買ったほうが良さそうだな。でも、スナック菓子とかも調達するとして、ちょっと一人じゃ無理かな。誰か適当に連れていくか」 そう言いながら、蒼斗先輩はさり気に視線をこちらに向けた。 ………ん? 「あー、じゃあ志筑。一緒に来てもらっていい?」 本当に自然に、君が丁度そこにいたから的に先輩は私にそう告げる。 突然のことでドクン。と高鳴る私の鼓動。 先ほどの瀬戸君の時とは意味合いの違う鼓動に、瞬く間に顔が紅く染まった。 「わっ、わっ、私ですかっ!?」 そして同時に言葉がどもる。 「ごめんね、俺一人じゃ持てないから一緒に来てくれると助かるんだけど」 そう言って、ニッコリベストスマイルを向ける蒼斗先輩。 少し前の私だったら、この瞬間目がハートマークになっただろうけど、何故か顔が若干引き攣った。 ぬおぉっ。なんか、蒼斗先輩気持ち悪いですっ。その喋り方! なんて言ったら間違いなく怒られるだろうね…。 蒼斗先輩のあの姿を知るまでは、極々当たり前の先輩のこの姿だったのに。 今では気持ち悪いほどになんか変だ。 それだけあの意地悪蒼斗先輩が私の中に定着したってことなのかな…なんか、ちょっぴり複雑な気分。 「え、えとえと…でも、作業は…」 「瀬戸、ちょっと志筑借りてもいいかな。作業は男手があったほうが効率がいいだろうし、志筑が残るより瀬戸が残ったほうがいいと思うんだ。だから、一人で頑張る分、お前と俺の相方には特別にお前ら専用のお菓子を別に買ってきてやるから」 「ま〜じっすか?そりゃ、もう全然!一人で頑張っちゃいますよ!!」 「あははっ!じゃあ、交渉成立だな……って、ことで。志筑、頼める?」 「あ、はっ、はいっ!!」 うわーっ。めちゃくちゃ嬉しいかもしれないっ。 本当に誰でもよかったのかもしれないけれど、ちょっとだけ先輩があえて私を選んでくれたような気がして心底嬉しくなった。 これも特権だったりして♪……な、ワケないか。はい、すいません。激しく勘違いです… じゃあ、行こうか。という先輩のあとについて歩き出した私。 途中、先ほど一緒に喋っていた女の子と目が合い、ラッキーじゃん!なんてブイサインを送られた。 うん。ブイブイ!! 「あ、あの…どこまで買いに行くんですか?」 先輩と一緒に出かけられることに超浮かれ気分の私は、締りのない顔を晒しながら、学校を出て先をずんずんと歩く先輩のあとを小走りで追いかける。 「ついてくりゃわかんだろ…」 後ろを振り向こうともせず、突き放すような低く冷めた声。 わぁおうっ!さっそく元に戻ってるぅ〜〜〜っ。 これこそが私の知ってる先輩の真の姿だと思うけれど、先ほどとは180度も違うこの態度に正直ちょっとうろたえてしまう。 ……って、言うか。なんか真の姿ともチト違うような… いつになく冷たく思える先輩の態度に、なんとなく急に不安になる。 ニヤけた顔が引っ込み、眉尻が落ちた。 「あ、あの…先輩、なんか怒って…ます?」 「は?なんで俺が怒んなきゃなんないわけ?」 だって、全然こっちを振り返ってくれないし… 最近は、少しだけ私と歩調をあわせるように歩いてくれていた気がするのに、また先輩のペースでどんどん先へ行ってしまうし。 それよりもなによりもその声。 いつもより数倍低いし、棘がある気がするんだもん。 なんか私、したのかなぁ… 先輩を怒らせるようなこと、なにかしちゃったのかな… 先ほどまでの浮かれた気分が瞬く間になくなって、代わりに言いようのない不安が込み上げてくる。 自然と落ちる歩く速度。 先輩との距離がどんどん遠くなっていく。 「チンタラ歩くな。置いてくぞ」 「あっ、あっ!す、すいませんっ!!」 振り向く事無く放たれた言葉に、私は慌てて小走りに駆けた。 学校から少し離れた場所にあるコンビニエンスストアーに着くまでも、買い物をする間もほぼずっと無言で、益々私の不安は濃くなる一方だった。 笑顔が消え、俯きながらトボトボと先輩のあとを歩く姿は、きっと尻尾を垂らしうな垂れて飼い主のあとをついて歩く、切なげな子犬になっているに違いない。 なんなんだろう、この空気。 まるで先輩との間に壁を立てられてしまったような距離感。 はっ!?まさか、先輩に新しい特別な女の子が現れちゃったとか? 私があまりにも無知すぎるから、呆れて違う子を探しちゃったとか… 嘘ぉ…そうなったら私、もう先輩の特別じゃないってこと? もう、先輩とキスもその他のことも出来ないってこと?? やだぁ。そんなの絶対ヤダよぉ… どんどん急降下していく私の思考回路。 考えれば考えるほど落ちていって、じわっと目頭が熱くなった。 買い物を終え、先輩一人で全ての袋を持ってしまうと、行くぞ。とだけ呟き先に歩きだす。 これじゃ、私の来た意味が… 「あ、あのっ…私も持ちます…」 「いいよ別に」 短い言葉。 視線さえも合わさないその態度に、思わず私の手が先輩の腕を掴んでしまった。 「…なに。俺が許可する以外、こういう場所で気安く触んな」 「そ、んな…」 先輩のその言葉がもの凄くショックだった。 まるで、ドンッ。と、突き放されたような感覚に陥り、思わず掴んでいた腕を離して俯いてしまう。 先輩はそこでようやく私の方を振り返り、今にも泣き出しそうな様子に少し間を置いてため息を漏らした。 そして持っていた袋を地面に置き、徐にポケットから携帯を取り出すと、どこかへ電話をかけはじめる。 話の内容からして、すぐに図書委員長だとわかったんだけど… 「あ、もしもし?俺…うん。いや、悪いんだけど志筑が腹が痛いって言い出してさ…」 へ…一言もそんなこと言ってませんけど… 「…うん。今、コンビニのトイレ借りるようにって中に入っていったんだけど…そうそう…」 ……は?私、ここにいますけど?? 「で、申し訳ないんだけど先に休憩入っといてくれないか?うん、差し入れはあとからってことで…あぁ、悪いな。だし、志筑の状態次第だからちょっと帰るの遅くなるかもしれない。おぉ、なんか風邪気味らしいぞ?眩暈もするとかって言ってたし…」 って、言ってないしっ! 「そうだな…出てきたらちょっと休ませてから戻るよ。うん…いや、大丈夫って言ってたから大丈夫なんじゃないかな。うん。まあ、様子見て帰らせるかどうか決めるよ…おぉ。悪いな…じゃあ、そういうことで」 ピッと小さな電子音が耳に届く。 続けてパコッと軽い音を立てて2つ折の携帯を閉じると、先輩はそれを制服のずぼんのポケットに突っ込み、4つの袋のうちジュースの缶が入っている2つを持って歩きはじめる。 「行くぞ。それ、持って来いよ」 「えっ、えっ!?」 い、行くってどこへ?っていうか…私、風邪気味でもなければ、お腹も痛くないですけどっ?! 全く話の筋道を掴めなかった私は、わけもわからぬままスナック菓子が入った袋を持つと、慌てて先輩のあとを小走りで追った。 先輩がやってきた場所は、学校とは正反対の場所。 コンビニエンスストアーから10分ほど歩いた、うっそうと草木が生い茂る雑木林の中。 そこに佇む今にも崩れ落ちそうな小さな掘っ立て小屋に、先輩は断りもなく中に入っていく。 な、なにココ… こんな場所に入って大丈夫なの? 壊れかけ…っていうか、半分崩れて大変なことになってるんですけどっ?! 私も先輩に続き、恐る恐る中に入ってみる。 そこは、外観の不気味な雰囲気をそのままに、雑草が伸び放題の荒れた状態だった。 「ここ、俺がずっと前に野外プレイをしたくなった時に見つけた穴場」 そう、ボソッと呟き先輩は荷物を地面に置くと、ベンチらしき廃材に腰をおろして後ろの木の壁に背中を預けた。 やっ野外プレイ?…って、なに?! またもや意味不明な言葉に首を傾げながら、少し先輩との距離を縮める。 届きそうで届かない微妙な距離感。でも、私はそれ以上近づくことができなかった。 先輩は、無表情にジッと私を見つめ、私はその視線に耐えられずに俯く。 暫し無言の状態。私の心臓の音だけがうるさいくらいに鳴っていた。 「で…なんでお前は泣きそうになってんの?」 沈黙を破り、ため息混じりに吐き出された先輩の言葉に、私は少しだけ顔をあげる。 でも、視線は地面に張り付いたまま、先輩の顔を見ることができない。 自分の口から出た声も、どこかしら震えているように思えた。 「先輩が…怒ってる…から…」 「は?だから、怒ってねえって言っただろ?」 「だって…全然態度が…違います。声も低いし、冷たいし、振り返ってもくれないし…どんどん先に歩いていっちゃうし…」 ポツリ、ポツリと話す私の言葉を、先輩は無言で聞いている。 俯いているせいで、どんな表情をしているのかはわからないけれど、ジッと見られていることだけはなんとなく感じていた。 「この間は、先輩に触れてもいいって言われたのに、今日は触るなって言われたし…も、もちろんわかってます。外で馴れ馴れしくしちゃダメだって…でも、なんか凄くショックで…」 ダメだ…また泣きそうになってきた。 グッと涙を堪えるように唇を噛み締める。 だけど、その精神は先輩の言葉によっていとも簡単に壊されてしまった。 ――――…ったく、なんなんだよ。 ポツリと零された先輩の言葉に、一気に私の瞳から涙が溢れ出す。 どうしよう…面倒クサイ女だって思われたかもしれない。 先輩が怒ってないって言ってくれてるんだから、素直にそう取ればよかったのに。 私ってばなんで食い下がるみたいに… 最近先輩との距離がちょっと縮んだような気がしていたから、きっと自惚れてたんだ。 2人きりのときは構ってもらえるんだって。いつだって自分が特別なんだって…。 私は先輩の彼女でもなんでもない、ただのマスコットってだけなのに。 「ぅっ…すいません…」 思わず声を詰まらせながらそう告げると、心なしか先輩の気配に動揺の色が混じった気がした。 だけど、頭の中がグチャグチャで、その印象は瞬く間に私の脳内から消え去っていた。 「なんでお前が謝るんだよ…つか、なんで泣くんだって…」 「だって…ぅっく…すっすいません…」 「はぁ…もう。こっち来いよ、里悠」 「でもっ…」 明らかに呆れ声。…に、私は聞こえた。 先ほど零された言葉も、今の言葉も、全部私に向けられての言葉だと思い込んでいた私は、完璧に心が沈みきっていた。 もう…先輩のマスコットにしてもらえないかもしれないって。 そう思ったから渋ったのに、先輩は更に私に声をかけてくる。 「何度も言わせるな。俺が言ったことは絶対だって言っただろ」 その言葉に従うように、私の足が勝手に動きはじめる。 怖ろしい習慣。私は細胞レベルで蒼斗先輩に染まってるんだとこの時実感した。 自分の元までやってきた私の腕を取って、先輩は片腿の上に私を座らせる。 そして親指の腹で私の頬を流れる雫を拭い取ってくれた。 「俺に冷たくされたからって泣いてんのかよ。そんなに好きか、俺のこと」 声が出ず、何度も頷いて答えると、ふーん。と、先輩が気のない返事を返してくる。 それからやや間をおいて、ポツリと言葉を繋いだ。 「だったらなんで…」 「え…」 「なんでお前は俺と話すとき、しどろもどろになってんだよ。もしかしてビビってんの?瀬戸とはあんなに楽しそうに…」 そこまで言いかけて、何を言ってるんだ。という風に、先輩は自分に呆れるようにため息を漏らして口を噤む。 私はそれに気付かずに、その言葉を受けて少し違った解釈をしてしまっていた。 そうか…私の態度がいけなかったんだ。 先輩と話すときはいつもドキドキしていて、上手く言葉を話せないでいたけれど、瀬戸君とはなんにも感じないから今日だってスムーズに話してた。 だからなんだ。 そうだよ、そうだよね。うん、そりゃそうだよ。 誰だって自分と話をするときに、しどろもどろに話されるのって気持ちいいものじゃないもん。 ハッキリ喋れよっ。って感じだもんね。 うん。先輩がそういうのもわかる気がする…。 だったら誤解を解くためにも先輩と話すときは嬉しすぎてきちんと話せないんだってこと、ちゃんと理由を説明しなきゃダメだよね。 「ちっ、違います!」 「は?」 「瀬戸君とは、全然ドキドキしないから普通に話せるんです。でも、先輩は…先輩といるだけで凄く嬉しくて、心臓が痛いくらいにドキドキして…その、言葉を交わすだけでもいっぱいいっぱいで、言葉に詰まっちゃって…だからなんですっ、しどろもどろになっちゃうの」 「……………」 「今日だって楽しそうに見えたのは、先輩の近くにいられたから…先輩の声が聞こえたから…だから嬉しくって楽しくてつい…すいませんっ、ごめんなさいっ!だから、おっ怒らないでくださいっ!!なんでも頑張ってしますから、先輩のマスコットでいさせてくださいっ」 上手く伝わっているだろうかと、頬を紅く染めながら涙目のまま力説する私。 それを聞き終えた先輩は暫く黙り込んでから、フッと鼻で笑い口角をあげた。 それは私がよく知っている、私だけに向けられる意地悪めいた笑みだった。 「……わかってるっつうの」 「え…」 「んなこと力説されなくてもわかってるって言ってんだよ。だから、怒ってねえって何度も言ってんだろ?それと、さっき俺が言った言葉は忘れろ…一時的な気の迷いだから」 先輩の言葉?気の迷い?…ん??どういう意味??? 「あ〜ぁ。なに、血迷ったことしてんだろうな、俺。バッカみてえ…」 って言われても。私にはわけがわかりませんが… でも、なんだかよくわからないけれど、私の力説がきっかけでか、先輩は自分の中で自己解決したようで今まで通りの姿になっていた。 あの、誰もが憧れる先輩の姿…ではなく、私だけに見せる意地悪な蒼斗先輩の姿に。 よかったのかどうなのか。イマイチ腑に落ちないのは私だけ…だろうなぁ。 「ククッ…でも、随分俺も愛されてんだなぁ?頑張ってなんでもしますってか?クククッ。すげえ楽しみ。なにをどう頑張ってくれんだろうな」 ひえぇぇっ。なっ、なんか…すごく怖ろしいその響きっ。 言うんじゃなかったなんて後悔しても遅いわけで…。 慌てて言葉を取り繕っても後の祭りだった。 「あっ、いやっ!そのっ…それは、言葉のあやというもので…」 「自分が吐いた言葉はちゃんと責任持てよ、里悠」 「あぅっ…そんなぁ…」 「クスクス…俺のマスコットでいさせてくださいって?もちろん、いさせてやるよ?地道に育てたチェリーを食わずに放棄するバカがどこにいるよ。いい具合にエロい女に育ちつつあるっつうのになぁ?」 いや、だから…エロい女とか言わないでくださいって!! 「さっき、瀬戸に急接近してカラダ触られてさ、真っ赤な顔してたけど頭ん中じゃ色々変なこと考えてたんじゃねえの?ほんとエロいよなぁ、里悠」 「そ、そんなこと…」 考えるわけないじゃないですかっ! あれはただびっくりして慌ててしまったから顔が紅くなっちゃっただけで…そんなこと頭の中に微塵もなかったですよ。 っていうか、なんでそっち方面に話が向くんですかっ!? というか、この話の流れになんとなく乗れてる自分が怖い…。 そしてもっと怖ろしいのが、元通りになった蒼斗先輩の言葉。 「いいか、里悠。お前を育ててんのは俺だから。最後、お前のチェリーをいただくまで、お前のハジメテを全部俺が食ってやる」 クイっと顎を指先で持ち上げられ、そんな言葉を向けられる。 え…それは、どういう意味… 「キスの仕方を教えてやったのも俺、カラダを舐めたのも初めてイカせてやったのもこの俺だ。この先もそうして一つずつ俺が仕込んでいってやるって言ってるんだ。言ってる意味、わかるよな?」 「あ、は…はい」 そう言ってもらえると私でも理解できます…その一つずつって言うのが何を指すのかはイマイチわかりませんが。 「この俺がこんなに時間をかけてお前を育ててやってんだ。最後、オイシイとこだけ他の男にくれてやるなんて絶対許さない。覚えとけ、里悠。この先のも含め、初めて経験する相手は全てこの俺だ。クスクス…俺マニアのお前にとってはこの上ない幸せだよなぁ?」 「あの、その…」 それはもちろんそうだけど…この上ない幸せには違いないんだけど。 なんとなく、それに関しては手放しで喜べない私がいるのは気のせい? だってそれによってどんどん私が変わってしまうわけだし、知らなくてもいいようなことも知ってしまう気がするんだもん。 いくら先輩命の私だって、戸惑いってもんがあるんですよ。 今回だって、ほら… 「と、いうことで。今日も特権をやるよ」 「え゛っ?!」 こっ、ここで?! いや、待って…ここ、周りは囲まれてるけど基本的に外だし? ほっ本気で言ってるんですかっ、先輩!? 「クククッ。今日の特権なんだっけ?素股…って言ったかな。おまけに野外プレイか…本番はまあ、後々の楽しみにとっとくとして。色々内容盛りだくさんだよなぁ、里悠?」 いっ、言ってる意味がさっぱりわかりませんがっ? 素股に野外プレイに本番って…一体どういう意味? なんで?どうして?どこからこんな展開になっちゃったの?? |