――――――――――――――― キミと俺との再会劇::前編::
浅生貴裕はぽかんと口を開けていた。
そこに向かい合って立っている男も、似たような表情で口をぽかんと開けて突っ立っているから、貴裕が驚いた内容は間違っていないのだろう。
「……あー、ええと、『TAKA』さん?」
目の前の男が告げたのは、自分が使っている芸名だった。
芸名と言っても、テレビに出ているような芸能人とは違う。
貴裕が居る場所は、いかにもなダブルベッドの鎮座しているラブホテルの一室だ。
貴裕の仕事は所謂AV男優。しかも、ゲイ専門。『TAKA』というのはその仕事で使っている名前だった。
そして目の前に居るこの男が、本日のお相手、という訳なのだが。
「ええと、浅生貴裕?」
決して仕事場で呼ばれる事のない本名を呼ばれて、ああやっぱり、と貴裕は思ったのだった。
そして貴裕も問いかける。
「……ヒロイ、さん?」
「うん」
「で、浅生浩隆?」
「うんそう」
こっくりと頷かれて、貴裕は右手で顔を覆った。
「で、そっちもやっぱ吾桑だよな? 吾桑貴裕」
「……ああ、うん」
疲れきった声でうなずいた貴裕は、なんでこんなところでと小さな声で呟きながらベッドに腰掛ける。
今日の仕事はふたりきりで――要するにハメ撮り――の仕事だったから、今の会話は誰にも聞かれていないのが幸いだった。
何もこんなところで昔の同級生と再会させる必要がどこにあるんだよと、どこに居るかもわからない神様に恨み言を心の中で吐き出した貴裕は、目の前に立っている浩隆を見上げた。
「なんでこんな事してんだよ……」
「いやそれこっちの台詞っしょ。お前こそなんでこんな事してんのさ? AVなんて興味ありませーんて感じだったのに」
猥談にも乗ってこなかった奴がどうしてこんな事してるんだと言われて、うっと貴裕は言葉に詰まる。
実は昔から身売をしていて、猥談に乗っていかなかったのは気まずかったからで、高校卒業と同時にこの道に入りましたなどとはとても言えなかった。
色々複雑な事情も絡んでくるし、何より今のこの時代では確実に捕まるような過去は、なるべくなら誰にも言わずに伏せておきたかったのだ。
「……」
どうしようかと悩んでいたのはほんの数秒。
だがその沈黙で何かを悟ったのか、浩隆は頭を掻いてから気まずそうに隣に座ってくる。
「あー……悪い、言いたくなければ言わなくていい」
「……ああ、そ」
「気分悪くした?」
「いや、別に……大丈夫だけど」
「そ。ならよかった」
にっと笑った浩隆は、そのままぼすりと背中をベッドにうずめた。
横目でちらりとその姿を見ながら、今度は貴裕が問う番だ。
「……それで? 浩隆は?」
浩隆、と呼んだのは昔懐かしい記憶が蘇ったからだ。
浅生と吾桑で読みが同じだったために、高校の時は苗字で呼ばれるとどちらも振り返ってしまっていた。そのため親しい友人からは名前で呼ばれ、お互いもそうだったので、その時のクセが出たのだ。
「俺? んー、俺はなんとなく、ね」
くすくすと笑って言うから、なんとなくで飛び込んでくる世界じゃないだろうと言えば、まあいいんじゃないと浩隆は笑う。
小さく笑っている彼の声と言葉に、ああそういえばこいつはこんな奴だったと貴裕は思い出した。
昔から面白そうなものには首を突っ込んでくるし、危ないところへ行っても勘と運のよさでけろりと帰ってくるような奴だった。
だからと言って今回もそれが通用するかどうかはわからないが。
「……身内とかにバレたらどうする気だよ」
「ん? 別にいんじゃない? 俺がこんな奴だってことは全員知ってるし別に今更何も言ってきやしねえって」
からからと笑う男の表情には悪いものは感じなかった。
それでもほんの少しの苦いものが感じられて、貴裕はふっと視線を下へとずらしながら皮肉ったように唇に笑みを浮かべて見せた。
「……それはそれで問題のような気がするんだけどな」
けれど笑いはしたものの、声にはそれが含まれておらず、貴裕が感じた苦味を浩隆はきちんと拾ってしまったらしい。ふっと笑った気配がして、その後すぐにやさしい声がした。
「んん、まあそれは俺の問題だし、貴裕が気にする事ないだろ。っつーか、さっさとはじめないと時間なくなるけどどうするよ?」
そして「すんの? しないの?」と枕元に用意されているビデオカメラを示しながら言われて、貴裕はやるよと答える。
仕事は仕事だ。それは浩隆も同じで、それじゃあさっさと終わらせようと彼は笑って答えた。
* * *
やばい、と思ったのは始まってしばらくしてからだった。
どうも撮影中の浩隆の役作りは「優しい男」のようだった。
俺でいいのだとか本当に大丈夫かとか、そんな事ばかり訊かれて、それが役作りだとわかっていながらほんの少しだけ貴裕はひるんだ。
仕事上での知り合いなら当たり前の事だが、昔の知人……しかもそれなりに仲のよかった友人と言うのはどうにも気が引けた。というか気まずかった。
まあそれも内心の話で、表面上は「いつも通り」だった訳なのだが。
(……っ、なんか、やば……っ)
本格的に焦り始めたのは、散々弄られた後に突っ込まれた瞬間だった。
入れていい? と問われてがくがくと頷き、ずるりと入り込まれた瞬間には何だこれと頭の中で絶叫していた。
「……っあ!」
ぐっと押し込まれたそれを感じた瞬間、それまでには出る事もなかった、自分でも驚くほど高い声が出て貴裕は焦った。
(……っなん、なんだコレ、なんだコレ!?)
何か違う。今までとは決定的に違う何かが来る。そう思った瞬間、ひゅっと息を飲み込み目を見開いて、そして。
「……っ!」
自分を見ている浩隆を見つけた瞬間、貴裕はなぜか泣きそうになって両腕で目を覆った。
「どうしたの」
耳元で囁かれたその声に、ひっと息を呑んだ。
カメラをベッド脇に置いて腰を使いながら抱きしめてくる浩隆に、得体の知れない何かを感じて、今更のように貴裕は怖くなった。
「……っあ、あ、あ……んん!」
どうしたらいいのかもわからず、けれどそれでも仕事だからと、カメラを意識すれば体は勝手に動いた。
筋がいいわねぇと事務所の所長に言われたのはこの所為だ。
誰かに買われていた時も、この仕事に移ってからも、セックスをする時は勝手に体がそれのために動いてくれる。だから何も考えなければうまくできた。
喘ぐ声も、動く腰も、何も考えなくても相手が望むように、または『見せる』ために動いてくれるのだ。この業界向きだと褒められてもちっとも嬉しくなどなかったけれど、金が稼げるならそれもありかと、その言葉で色々ふっきれたのも事実だった。
がくがくと揺さぶられ、自らも腰を動かしながら喘いで、つかまれた腕をベッドに押さえつけられた貴裕が目を開けば天井が見える。
ぐちゅぐちゅと耳に届く水音が、なぜか貴裕を落ち着かせた。
大丈夫。いつも通り。
そんな事を言い聞かせている時点でもう『いつも通り』などではないのだけれど、そんな事がわかるのならそんな風には言い聞かせないだろう。
「あっ、ああ……あん、あっ!」
それでも自分のペースを取り戻した貴裕は、ベッドの端に置かれたカメラへと視線を流しながら声を上げる。カメラがあれば勝手に動いてくれるから色々楽だった。だから意識して視線をカメラに送る。
中で動く硬い性器の感触は、慣れた体には快楽しかもたらさず、ただひたすらその感覚だけを追いかけて後は何も考えないようにした。
気持ちいい。気持ちいい。それだけを考えて、他の事は頭の中から追い出す。
体をひっくり返して後ろから疲れて、力の抜けた体をシーツに押し付け、腰だけ支えた男に思いっきり疲れた時は色々な意味で死ぬかと思った。
横にされて上にされてと、カメラの前でそれらしく散々な格好をされた後、結局また元の正常位に戻されて抉られて、貴裕は首を左右に振った。
「……んん! あっ、いくいく、いきそ……おっきぃ、かた……」
「なにが?」
何が大きくて硬いのと問われて、簡単に貴裕は口にした。
なんかかわいいなと笑いながら言われて、怯えたように首を振ればまた穏やかに笑われる。こんな場所でする顔じゃない、卑怯だ。何が卑怯だと思うのかわからないまま貴裕はそんな事を思って、最後を暗示させる男の動きにもうだめだと訴えた。
「……も、もっ……う、ぁ……いく、いっちゃ……ああ!」
「ん。あと少し待って」
「や……やだ、やー……あ! あ……っく!」
「だめ。まだ早いよ」
いっちゃだめ、と笑って前を押さえながら動きを止められて貴裕は泣いた。
ぜぇはぁと荒い息を繰り返しながら、口の中にたまった唾液を飲み込んで貴裕はなんでと問いかける。
「……なんっ……ん、なん、でっ……?」
問いかけた声と同時に中がきゅうっと窄まった。それに感じたのか浩隆は目を眇めながら応える。
「んん? もうちょっと、こうしてたくない?」
ねえ気持ちいいでしょと耳を舐めながら言われてぞくぞくした。
んぁ、と声を上げながら腕を背中に回して誘う。痛いぐらいの自分の性器を浩隆にこすりつけ、背中から唇にむかって指先をなぞるように移動させていく。浩隆がぞくりと体を震わせたのを知って笑い、次いで体の中で膨れ上がったものを感じて貴裕は小さく声をあげた。
「……っはや、はやく……んン!」
もういかせてと泣いてせがんでも浩隆は笑うだけで、望む事をしてくれない。
乳首を指先で擦るみたいに転がされて悲鳴をあげて、その後にぐりぐりと中を抉るように回されてああ、と声を上げていた。
「……っ、こう? こっち?」
「あ!」
ぐいっと奥まで入り込んだ後、先端をその奥に擦りつけるようにして動かれ、卑猥としか言いようのない声と動きになる。
どっちがいい? と耳を噛んで舌を入れながらきいてくる動きはしつこく、奥に手前にと浩隆はその腰を卑猥に動かした。
ぐちゃぐちゃと聞こえる水音と、ベッドのスプリングの音が響く部屋の中で、キスの音と喘ぎが混じる。
ぎしりとベッドの軋みが聞こえるのと同じだけ中を抉られて悲鳴を上げ、体中を撫でられて、たったそれだけでも感じて貴裕は手を伸ばした。
普通だったらこんなに感じない。一体なんだと言うのだろう。
「んぁ! あ……っ、あんン! ああ……あ!」
ぐちゃぐちゃと音を立てながら、浩隆は指先を噛んでくる。
その唇から時折漏れる呻き声が、貴裕を煽ってやまない。
「あ、あ……あ、そこ、そ……っ、ぐりぐり……しなっ」
「いや? ここ、しちゃいや?」
「……んんん! あ! あっあっ! や、だっ」
「ん? なにが?」
笑いながら浩隆に問いかけられて、涙を浮かべながら貴裕は首を振った。
感じすぎて声がでなかった。しゃくりあげるように息を吸い込むばかりでどうにもならず、ひっと息を吸い込みながらやめてくれと視線でせがむのに、浩隆はやめようとしない。
それどころか動きをさらに複雑にされて、貴裕の堪えていた涙はぼろぼろとこぼれた。
「……っ、く……ぁ」
「息、ちゃんとして」
吐かないと苦しいよと言いながら浩隆はキスをしてくる。
人工呼吸をするようにふうと息を吹き込まれ、離れた瞬間に貴裕は息の仕方を思い出した。ぜぇはぁと胸を上下させながら、もう許してと請うようになるまで、そんなに時間はかからない。
「あ……あ! も、だ……めっ……いっ……ああ、いく、いく……!」
我慢できないと泣いて、助けてと背中に指を立てれば、もうむこうも限界だったようで、浩隆も切羽詰ったような動きへと変わった。
ぐいぐいと奥を擦って、微妙にずらして一番イイ場所をぐりぐりとかき回して、キスをして頬の涙をぬぐって最後の追い上げにかかってくる。
「あ! ああっ……あ、あ、ああ!」
いくいくいく、と貴裕が叫んだのと同時、ぐっと中に入った浩隆が膨れて突き上げられた。
貴裕の体はそれを嬉しそうに締め付けて、びくびくと震えながら射精する。
「あ……っ……おく、なか……だっ……だめ、だっ……ああ……っ」
中に出さないでと抵抗する間もなく、ばっと広がる熱を感じてああ出されたと思った。
もとよりその予定だったのだ。今撮影しているAVの予定タイトルが「中○し美男子」などと言うクソくだらないタイトルであるからして。自分のどこが美男子なんだと言うつっこみはまぁとりあえず横に追いやって、クソくだらないタイトルを思い出しつつ貴裕はぐっと体の中で存在を訴えるそれを感じた。
「……ん、んん! あ、やだ……やめ……やめっ……!」
出し切るまで動き続ける浩隆のそれに、目を瞠りながら貴裕は首を振った。
絶頂感の去らないまま動かれ続けて、もう一度それがやってくる。助けてと浩隆の肩に縋りながら、貴裕は怯えて首を振った。
「いっ……やだっ……それやだ、やめっ……んんぁあ!」
「これいい? ねぇ? これいいんだよね?」
そんな事を言いながら出し切った後にも浩隆はぐちゅぐちゅと腰を回した。
中で形を変えるその変化をつぶさに感じ取りながら、貴裕はやめてくれと懇願しながらもう一度。
「……あ、あ! ああああっ! いやだ、いく……あ!」
とどめとばかりに脚の間を指先で遊ばれて、びくびくと痙攣しながら貴裕は果てた。
そのまま震え続ける貴裕は、自分ではもう指一本動かす事ができず、力を失ってベッドへと落ちる。
「……は……はぁ……っん!」
抜き取られる動きにも体は震えた。
腹部を痙攣させながら咳き込んで貴裕は目を閉じる。
どろりと中からあふれ出していくものを感じながら、ああ終わったと思った。
気だるい感覚はいつもより酷く、息を整えながら軽く腹の辺りに触れてみる。
指先にぬるりと感じるそれは自分が吐き出したもので、べたべたするそれを指先で感じた。これを汚いと思っていた事もあった。だがもうそんな事もどうでもよくなっていて。
(……なんと言うか……染まったって感じ)
全身もうこの世界の中にどっぷり漬かってしまって、今更他の生き方がわからない。
自嘲気味に笑いを浮かべた貴裕はカメラの録画が止められたのを知って息を吐き出し、ゆっくりと起き上がる。
体の上にある、自分の精液を含む粘液を適当に始末してお疲れ、と言うと浩隆が目を瞠った。
「……シャワーあびてかないのか?」
「ああ、うん。いっつも家で浴びてる」
「いつも? 今日みたいなのでも?」
「……? うん」
そうだけど、とうなずくと何かよくわからない表情を浩隆は見せた。
どう言う意味だと眉を寄せつつ、貴裕は慣れた様子で内線をかける。
ワンコールで出たのは、フレンドリーな声など一切出す事のない事務所の所員。このホテルは事務所の系列なので、撮影時にはスタッフルームに所員が待機している。
「終わりました。カメラ回収よろしく」
一言それを告げただけで、向こうからの返事も待たずに通話を切った。それで充分で、身支度を済ませた貴裕がドアをあければ、その前に人が立っていた。
「おつかれさまー!」
電話相手とは真逆の、満面の笑みでねぎらいの言葉をくれたのも、これまた所員。
雑務専門のアルバイトくんはいつもにこにこ笑いながら現場を和ませてくれる。その彼にはいこれとカメラを渡して今日の仕事はおしまい。
あとは現場を離れて編集のお仕事だ。審査を通って半年もすればこれが世に出回る事になる。
よくもまあ他人のセックスを見て興奮できるもんだと思うが、それがなければ今の自分はのたれ死んでいる訳だから声に出してなど言えない。
撮影の後には妙に冷めた気分になるのが常で、さっさと帰ろうとしたのだが。
「あ、ちょちょちょちょっと待った」
突然腕をつかまれて立ち止まる。振り返れば何故か焦った様子の浩隆が見えて、貴裕はただ首をかしげた。
なんだろうと思っていると手首の辺りがじんじんしてきて、痛いと呟いた。
「あ、わり」
ぱっと手を離されて、貴裕はつかまれていた手首をさすった。
あまりに痛かったので痕がついてやしないかと思ったのだが、そこまででもなかったらしい。
「あのさ、この後なんか予定ある?」
「……? いや、かえって寝るだけだけど」
シャワーも浴びたいし、と呟けば浩隆はううんと腕を組んで唸った後に言う。
「えーと、遊びに行ったらだめ?」
首をかしげながら言われて、なんで、と返した。
仕事仲間を家に入れた経験など、貴裕には殆どない。唯一の例外は、お世話になりっぱなしの事務所の所長ぐらいで、他は単なる現場の仲間と言うだけだった。
自分の領域の中に踏み込んで欲しくないと言うのもあって、貴裕は撮影の時以外は殆どしゃべる事はない。冷たいとも思われがちで、あまり踏み込んで接してくる人は、これまでに所長以外にはいなかった。
浩隆にしても、単に昔のクラスメートだったというただそれだけだ。
今現在にある関係は仕事仲間。ついでに言えば再会した場所が場所だから、だいぶ気まずい気もする。
そしてただそれだけの関係で、どうして家に遊びにとか言う話になるんだと、貴裕には意味がわからない。のだが、どうにも浩隆にはその言葉が過去の関係と繋がっていたらしい。
「いや、だってせっかく再会したんだし。積もる話とか?」
「クエスチョンマークつけながら言うな。と言うか、こんな所で再会しといて積もる話もなにも」
ないだろう、と言いかけた口は大きな手でふさがれた。
悔しいが浩隆の手は貴裕の手よりもひとまわり以上大きい。力のある掌をおしつけられて、もが、と変な声を出しつつ貴裕は黙った。黙るしかなかった。
「んーと、気まずい?」
ならやめるけど、と言われて貴裕は特に何も感じていないと首を振る。
自分は別に何も感じていない。驚きはしたけれど傷つくほどかわいげがある訳でもないし、そこで何か後ろめたいものを感じてしまうほど柔らかくもない。
かと言ってがちがちに凝り固まっているわけでもなく―――多分これは、怠惰と言う表現が一番合うのだろうなと、そんな風にぼんやりと貴裕は考えた。
「……じゃ、行ってもいい?」
首をかしげて口に当てた手をはずして問われて、なんでそんなに来たいんだと思いながら、別にいいと答えた。
その答えに浩隆は笑ってよかったと告げた後に、帰り支度を始める。
五分もしないうちに身支度を整えた男に促されて、部屋を出ていくのはなんだかおかしな気分だ。と言うよりも、絶対おかしい。
(……なんでこんな事になったんだ?)
なんだか流されるまま、とんでもない方向へ向かっている気がする。
不安なのか期待なのかよくわからない、もどかしさに近いものを感じつつ、貴裕は浩隆の前を歩く。
自分の中の何か脆いものが崩れ去っていく気がして、貴裕は一瞬背中をぶるりと震わせる。
それがちょうど外に出た時と重なって、まだ春になったばかりの空気に寒さを感じたと思ったらしい浩隆に、上着をかけられた。
「あ……いや大丈夫だけど」
「そ? でもま、着ておいて損はないんじゃないの?」
笑いながら言われて、ふっと昔の記憶が蘇る。
懐かしい、とても懐かしい、彼とまだ笑っていた頃の記憶だ。
襟に縁取りの入った濃紺のブレザーを着て、おはようと笑いながら登校したあの頃の話。
あの頃の浩隆からは、こんな事になる想像など全く予測していなかった。
一体どうしてこの男は今ここにいるのだろう?
疑問は尽きず、部屋についたらとりあえず訊いてみようと貴裕は思った。