―――――――――――――――あなたの顔を見られない。 4





 目を覚ました悠は、目の前に麻隆の顔がある事に大変驚いていた。
 目を見開いたままかちりと固まり、その場から動けなくなってしまう。
 ……いや、そうでなくても麻隆がしっかりと両腕で悠の事を抱きしめていたから、動くに動けなかった訳なのだけれど。
(……ど、うしよ)
 目の前に麻隆のドアップというのは大変心臓に悪い。
 どくどくと鳴る音がうるさくてしょうがない上に、頭がのぼせ上がってしまいそうだ。
 しずまれしずまれと目を閉じて念じているうちに、くすくすと笑う声が聞こえてくる。まさかと思って悠が目を開ければ、見事に麻隆が起きて笑っていた。
「……っ!!」
「おはよう」
 にっこりと笑って言われて、言葉が出ない。
 なんでこの人はこう、余裕そうに見えるのだか知りたい。
 面の皮を厚くする方法を誰か教えてくれないだろうか。
「お、はよ……ござい、ます」
 どんどん尻すぼみになっていく声にもまた、麻隆は笑っている。
 大人ってずるいなどと考えながら、悠はずず、と布団の中に顔を隠した。
「こら」
「わっ!」
 寝るなと布団をはがれてあわてて手を伸ばすが、もう届かない。
 まだ麻隆の顔を見るには刺激が強すぎて、脳みそが持たないというのに、これじゃあ。
「……うわぁー」
「なんだそれは」
 顔を真っ赤にして両手で覆った悠は、頼むからこっち見るなと麻隆の顔を押しやる。だが元々の体格差もある麻隆をいつまでも押しやっていられるはずもなく、すぐに力負けして両手をはがされてしまった。
「だから、なんで隠す?」
「だっ……は、恥ずかしいって言ったじゃないかぁ……!」
 情けない事この上ない声で叫んで、悠は涙目になりながら麻隆を見上げる。涙で歪む視界のおかげでなんとか顔が見られるような状況なのに、素面で向き合えと言われても無理な話だ。そんな事をしたら頭が爆発してしまう。
「だから、何がそんなに恥ずかしいんだ?」
「……っ、だから! あ、麻隆さん、カッコイイからっ……!」
「は?」
「お、俺が見ると絶対、見返してくるし……そんなんされたら……うあああ!」
 もうだめだと呟いた悠は、目を閉じて麻隆から顔を背けてしまう。
 耳まで真っ赤になっているのはひと目みればわかってしまう。見られるのも見るのも頭がおかしくなってしまいそうで耐えられなかった。
 ぎゅっと目をつぶっていた悠だったが、麻隆が何もしかけてこない事が気になってうっすらと目を開く。
 そこに映ったのは、なんだか驚いているような麻隆の表情で、何をそんなに驚いているんだと思って首をかしげれば、麻隆は何を考えたのか、急に悠を引き寄せて抱きしめてくる。
「……え!?」
 肩口に額を寄せた麻隆の肩が震えていた。
 笑い声も聞こえてきて、なんだなんだとうろたえていると、こつんと額を合わせて視線を合わせられてしまった。
「……っ!」
 離れようとする悠の頬を両手で押さえて逃げられなくして、麻隆は笑いながら軽く口付けてくる。ほんの僅かなそれにさえ悲鳴をあげそうになるが、なんとか寸でのところで押さえて、悠は声の出てこない口をぱくぱくと動かした。
「恥ずかしいのはわかったけどな。慣れないといつまで経っても恥ずかしいままだぞ?」
 くすくす笑いながら麻隆はそんな事を言って、再度軽くキスをしてくる。
 やかんが沸騰するような勢いで顔の熱が上がっていき、悠の頭の中はもうパニックだ。
「……っ、あ、あさ、あさたかさ」
「慣れておかないとまずいだろう?」
 さっきから麻隆は笑いっぱなしで、からかっているのは間違いない。それが悔しくて睨み上げると、満足そうに彼は笑った。それすらも癪だ。自分は平静な状態で顔もまともに見られないぐらいにパニックだと言うのに。
 また目を伏せようとする悠に、こらと笑って麻隆は額を叩いてくる。痛いと文句を言いながら見上げればよくできましたと頭をくしゃくしゃ撫でられて、どこをどうしたらいいのかわからなくなる。
「……うう」
「ん?」
「もうやだ……」
「なにが」
「あ、あさたかさん全然平気そうだし、な、なんか俺ばっかりだし、か、帰る……!」
 逃げるようにしてベッドから出ようとすれば、こらこらと叫びながら腕を引かれて連れ戻される。
 ぐいと引かれた先、抱き込まれた腕が強くてどきりとする。
「逃げるな」
 笑いながらしっかりと捕まえて言われて、ほんの少しだけ抵抗していた体から力が抜け落ちる。もとより本気ではなかったから、ほんの少しふりをしてみたかっただけなのだ。
「……謝るから、逃げるなよ」
 言いながら耳の裏に口付けられてびくりと悠は肩を竦めた。
(なんか……そんな、誤魔化すみたいな……)
 ずっと前から感じる麻隆の『慣れ』に、どうしようもなく頭の中で色々が渦をまく瞬間がある。これを嫉妬と言うのだろうかと思いながら、そんなのはいやだと悠は首を振った。
「どうした?」
「……キス、とかじゃ、いやだ。謝るのも、なんか本気じゃない」
「本気なんだけどな」
 くすくすと笑うその声に、ほらまたと悠は指摘する。
 さっきから麻隆は笑ってばかりで、一度もすまなそうな顔など見せていないのだ。
「そうやってずっと笑ってばっかりで、信憑性がちっともない」
「……ああ、悪い悪い」
「だか……っああ、もう」
 何か言ってやろうと思って、だがその笑顔の壁を崩す方法がわからず悠は叫び、それからはっと気がついた。
「だから、悪かったって」
 未だ笑いのぬけない表情のまま言われて、だったらと悠は振り返る。その表情に何を読み取ったのか麻隆はほんの一瞬だけ口元を引きつらせたが、すぐにまたあの笑顔に戻ってしまう。
「ん?」
 首をかげる麻隆を見上げながら、悠は今までの人生の中で一番の笑みを浮かべて言ってやった。
「麻隆さんが『好きだ』って言ったら許します」
「……っ!?」
 悠の言葉を聞いた瞬間、麻隆の表情が変わった。
 やっぱりそうかと悠は満足そうな笑みを浮かべ、今度は逆に麻隆が視線をそらしてくる。
(……案外シャイなのかな)
 アキラもヘタレと表現したことだし、もしかしたらこの人は自分以上の恥ずかしがりやなのかもしれないと思ったのは、昨夜の事を思い出したからだ。
(絶対言わなかったし)
 ベッドの上で、手馴れた男なら言ってきそうな一言を、終ぞ麻隆は口にしなかった。それは恥ずかしいからではないかと言う悠の推測はどうやら間違っていなかったらしい。
「言わなきゃ帰る」
 麻隆の腕の力が弱くなったところで抜け出して、悠は床に落ちた服を取り上げる。
「昼だぞ」
「ちょっとの間なら外歩いても平気だから」
 紫外線に弱いから対策をしないままだとひどいことになるというだけであって、全く外を歩けないという訳ではないのだ。出ないに越した事はないけれど、家に帰るぐらいならなんとかなるだろうと思う。
 止めて欲しいというのが、本音だけれど。
「明日からは麻隆さんじゃなくて先生って呼ぶから。レッスン、よろしくお願いします」
「……っ!」
 それじゃ、と手早く服を着た悠は出て行こうとする。
 その腕を引かれて、自然、悠の口は笑みの形に上がる。そうされる事が嬉しくてたまらなかった。
「……大人をからかうもんじゃないぞ」
「先にからかったのは麻隆さんの癖に」
「からかってない」
「うそだ」
「嘘じゃないって」
 また笑いながらキスをされそうになって、慌てて悠は麻隆の口を塞ぐ。口を塞がれた麻隆は何事か言おうとしてだが口を塞がれているためくぐもった声しかでない。
「キスもセックスも好きだけど、今は誤魔化されてるみたいだから嫌だ」
 しないと告げて首を振り、真っ向から麻隆を見る。
 聞くまでは絶対に恥ずかしがったりしないと決意して見据えていると、なかなかに面白いものが見られた。
 うろたえる麻隆を見ているのはなんだか気持ちがいい。
 あまり表情を変えない人が、自分のことでうろたえているという事に、言いかたは悪いかもしれないけれど、優越感すら覚えた。
(……言ったら怒りそうだけど、なんかかわいいな)
 右手で顔の上半分を覆った麻隆は、しばらくそうしていた後に大きく息を吐き出して悠に視線を向けてくる。そして。
「……え」
 物凄く何か企んでいるような顔で笑い、触れるか触れないかぎりぎりのところまで顔を近づけてきた麻隆が言った。
「――――…だ」
 本当に小さな声で言った後、固まっている悠に口付けて麻隆が押し倒してくる。そのまま首筋にキスをされて、悠は慌てた。
「わ……まっ、待った待った!」
「待たない。言わせて煽ったのは悠だからな」
「し、しばらくしないって……!」
「あれで終わったと思ったと? いやいや」
 にやにやと笑う麻隆は軽々と悠の服を脱がせてその肌に唇を寄せていく。
「……っだ、なん……っあ!?」
「今日いちにち終わるまでは離してやらないから覚悟しろ?」
「ちょっ……ええっ!?」
「それで次からは我慢してやる」
「ちょっ……うわ、や……あ、あっ!」
 もうちょっと話とか、と悠はじったんばったん抵抗したけれど、そんな抵抗はないも同然で、結局またベッドの上で散々なことをされて、ベッド以外でも散々な事をされてしまった。


「ほら、こっち向いて」
「や……無理、無理……!」
 最中に無理やり視線を合わせようとする麻隆に必死で対抗するようにして悠は首を振り、けれど最後は結局根負けして目を開くしかなかった。
 涙を流しながら麻隆の名を呼んで、名前を呼ばれて、しがみついたそこには安心と不安と快楽とが渦巻いていてどうしたらいいのかわからない。
 慣れる日が本当に来るだろうかと悠は思う。
 今日一日で散々、耐えられずに泣くほど麻隆の顔を見たというのにちっとも慣れなくて、この先本当にどうしたらいいのだろうか。
 少しぐらい麻隆の能面っぷりをわけてもらいたいものだと思う。


 とりあえず今の悠には、麻隆の元に辿り着いても平然としていられる自身がない。
 なんとかしないといけないのに、麻隆が送り込んでくるものは気持ちがよすぎて何も考えられなくなる。
 こんな事に、本当に慣れる日はくるだろうか。
 とりあえず今は、麻隆の顔を平然と見られるだけの精神力はない。
「……さたか、さ……っ、すき……」
「……っ、悠」
 小さな声で呟くと麻隆が焦るのがおかしくて、何度も何度も言った気がする。


 慣れなくてもいいかな、なんてその時は思ってしまった。







END




とりあえず一区切りです。
図太いのだか恥ずかしがりやなのか。