―――――――――――――――あなたの顔を見られない。 1





 先天性白皮性、あるいはアルビノと呼ばれる症状を持つ悠を見た人が抱く印象は『白い』だろう。
 髪は真っ白で、唯一色がついている部分と言えば、目の色の赤。
 よく綺麗だと言われるけれど、これは目に色がついている訳ではなくて、その向こうにある血管の色が透けて見えているらしい。
 そう考えるとなんとなく血生臭く感じられるような気がして、この色が悠はあまり好きではなかった。
 紫外線に弱く、当たればすぐに日焼けを起こして真っ赤になる。長時間外に居るとすぐに倒れてしまうため、いつの間にか昼の間に出かける事は殆どなくなってしまった。
 長袖ばかりで、外に出る時は日焼けを気にする女の子よりも重装備で出かけなくてはならない。そんな自分があまり好きではなくて、もしかしたら歌がなければ死のうと考えたかもしれない。

 そう、歌だ。歌が悠の全部を支えてくれていた。

 そして見つけた小さな自分の居場所が、いつも歌っていた高架下。
 そこで出会った男が、自分の人生を大きく変えてしまうだなんて、考えもしていなかった。
 下手くそと笑った彼の腕の中に居場所を見つけて、大きく変えられた人生を、それでもまだ足りないと、その男が変えようとしている事に、悠はまだ気付いていない。
 


 好きだ、と言われて数日経った。
 あの後その場の勢いとは言えあんな場所で麻隆と寝てしまって、その後目を覚まして散々いたたまれない想いをした。
 あの部屋の主であるアキラは終始にやにやと笑ってからかってくるから、いたたまれないどころではなく、さすがの麻隆も気まずそうにしていたのをよく覚えている。


 目を覚ましてから、悠は様々な事を知った。
 水城麻隆と言う名前の彼が、一体どんな人であるのか。
 数年前まではオリコンヒットチャートの上位に名を連ねるアーティストで、今はオリコン上位に名を連ねる歌手を育て上げるプロデューサー。
 その歌唱力は、であった時に聞かされたそれだけでも十分わかっている。
 今現在はアキラのバンド【SignA】のプロデューサーであり、所属する事務所の社長でもあるらしい。
 年齢は結局教えてもらえなかったが、結構離れている事はその見た目や経歴でもわかっている。
 どちらかと言うと甥であるアキラの方が悠に近く、アキラ曰く、そんな年の差を気にしているから、麻隆は年齢を教えてくれなかったらしい。
 年は教えてくれなかったけれど、誕生日は教えてくれた。10月30日の蠍座で、血液型はAB型。
『んでもって性格は自由奔放傲岸不遜自信満々天上天下唯我独尊。あとそれなのに肝心なところでヘタレ』
 そう言って笑ったのはアキラで、その後麻隆に軽く殴られていた。
 叱るとき、書き溜めたスコアを使うのが麻隆の癖らしい。ばしばし叩くなよ傷つくなあと呟くアキラを見て、やめてあげてと訴えると、ぐっと息をつめた麻隆は、何か言いたげな目をしながら引き下がっていた。
 それからアキラの話も聞いた。
 高校生の頃からバンドをやっていること、悠と同じように歌うのが大好きな事、鬼軍曹麻隆に扱かれまくった話。
 友達になろうと言ってくれて、携帯の番号とアドレスも交換した。
 アキラと先に交換したから、麻隆は大変複雑そうな表情を見せていて、それに気がついたアキラに笑ってからかわれていたりもした。
 そして麻隆とも番号とアドレスの交換をして、日が暮れてから麻隆に送ってもらって家に帰った。



 携帯の画面を見ながら、悠はそわそわと落ち着かず、何度も溜息をついてフリップをあけたり開いたりしている。
 家の中にいる間はずっとそんな感じで、それがどうしてかなんて言うまでもない。
「……ああもう」
 人生初と言える事が沢山起きた。
 芸能人のトモダチができた。同じく恋人と呼ぶべき存在もできてしまった。
 相手が男の人だと言うのは自分でも驚きだけれど、もうとっくの昔に馴染んでしまっている。
 あやふやだった気持ちが言葉になって形になった。
 伸ばした腕をしっかりと受け止められて、ぐちゃぐちゃになるまで泣いて感じて―――…。
「って、何思い出して……」
 そこはいいからと、茹でダコのように顔を赤くしながらばしばしと悠は傍の枕を叩く。
 ここ数日はずっとこんな感じで、思い出しては身悶えるという珍妙な行動を繰り返していた。
「……あああ」
 もうこんな調子では頭の中がおかしくなる。
 そう思いながら転げまわっていたら、携帯の着メロが鳴りだした。
「わぁっ!!」
 携帯からはギターとドラムの音が鳴り響いて、次いで麻隆の歌声が聞こえてくる。
 デフォルとのそれではつまらないよとアキラに笑われた。わかりやすいようにと、登録したふたりぶんはそれぞれの出している歌へとアキラの手で変更され、そんなところで有名人なんだなあと実感したりして、なんとなく嬉しくなったような、寂しくなったような。
「あわわわ、もしもし?」
 そんな事を考えている場合ではないと思いながら、通話ボタンを押して携帯を耳に当てると、いつも聞いているよりも少し低い声が聞こえてきた。
『おはよう』
「え、あっ……と、おはよ、ございます」
 今日はもう夕方と呼べる時間帯なのだけれどと考えて、ああそう言えばその手の業界の人の挨拶は『おはよう』だったかなとおもい至る。
 聞こえてきた麻隆の声にどぎまぎしながらこたえると、なんだか電話の向こう側で顔を顰められたような気がした。気がした、だけだけれど。
「……あの?」
『なんでもない。それより、今日は空いてるか?』
「あ、えと、はい! 今日明日はバイト休みで、えと」
『迎えに行ってもいいか?』
「は、はい。あ、でも俺の家……」
『後で住所メールしておいてくれれば大丈夫だ』
「わかりました」
『じゃ、夜に行くから』
「あ、はい。待ってます」
 返事の後、じゃあなと言って電話は切れた。
 つーつーと鳴る電話口から耳を離すことができず、そのまま悠の顔は真っ赤に染まる。
(うわぁぁぁ)
 待ってます。とその言葉が異様なまでに恥ずかしく感じられてしまったからだ。
「迎え、来るって……あ、住所」
 メールしなくちゃ、と口に出してわざわざ言ったのは、何か言っていないとまた変なことを思い出しそうだったからだ。
 携帯にはあまり慣れていないおかげで、自分の住所を打つのにも十分近くかかってしまい、間違いがないかと見直しを繰り返したおかげでさらに時間がかかった。
「……よ、よし」
 送るぞ、と言ってから約数分固まって、やっと送信できた頃には電話が終わってから三十分近く経っていた。
「ふぅ……疲れたぁ」
 メールってこんなに緊張するものなのか、と嘆息しながらベッドに背中を預けて目を閉じる。
 口が勝手ににやけるのに気がついてあわてて口を塞いで、誰もいないのに辺りを見回してみたりして。
 とにかく、世界がめまぐるしく動いているような気がしてならなかった。





 そして翌日。
 生活スタイルが深夜型で、眠りに入る時間が朝の8時という悠だったが、今日はどうしてかまだ昼間に目が覚めてしまった。
「……まだ1時」
 ぼそっと呟いた後、二時間後にセットしてある目覚ましのタイマーを止めてのそりと起き上がる。
「ふぁあ……顔、洗う。朝飯」
 ぼそぼそと呟きながらベッドを降りて洗面所に向かった。
 遮光カーテンのひかれた窓からは、殆ど光が差し込むことはない。暗い部屋の電気をつけながら洗面所に辿り着き、歯を磨いて顔を洗う。
 そうしてやっと目が覚めた悠は、目の前の鏡でどこもおかしくないかと自分の顔をしげしげと眺めた。
 そうしてから、何をやっているんだと心の中で自分につっこんでそそくさと洗面所を後にする。
「……心臓、もつかな」
 今でさえこんなにばくばくと音を立てている心臓が、あの人を目の前にして爆発しないかと心配にすらなってくる。
 自覚すれば、その感情は持て余すほどに大きくなって困る。
 先日は勢いでどうにかなったけれど、時間を置いて落ち着いてからはもうだめだった。考えるだけでどうにかなりそうだと思う。
「……あ、あさごはん」
 もう考えるのはやめようと思って、呟きながら台所に向かう。
 設置されている小さな冷蔵庫には一人暮らしとは思えないぐらい豊富の材料が入っていて、それを眺めながら必死に何を作ろうかと悠は考えた。
 何度も開け閉めしては溜息をついて、結局朝食を作り始めたのは台所に辿り着いてから二十分は経っていた。






 麻隆が車を止めたのは、送られてきた住所近くにあるコインパーキングだった。
 電話の後、しばらく経って送られてきた住所のメールの後に、車で来るなら近くの駐車場に停めて下さいと追記のメールが届いていたから、駐車場に困る事もなく済んだ。
 そこから歩いて一分もしないアパートが、送られてきた住所の場所だった。
 オートロックで、壁もしっかりとしたそのアパートには少々面食らった。
 一人暮らしの若者には正直不釣合いな場所だと思う。
 壁もしっかりしているようだし、なかなかに家賃は高そうだ。
 中に入って、ドアの前で部屋番号を入力して呼び出せば、3秒も待たないうちに声が聞こえた。
『はいっ』
「迎えに来た」
 向こうからは麻隆の顔が見えているのだろう。その声は明るく、自然麻隆の口元には笑みが浮かぶ。
『は、はい。用意できてますけど、中、来ますか?』
 お茶ぐらいは出せます、と言われ、悠が暮らしている場所を見てみたいという気持ちもあったのだが、時間を見て断念する。
「いや、店を予約してあるから」
『え……あ、はいすぐ行きます! すみません』
「急がなくていいから」
『はい』
 その声の後にがちゃんと音がして、通話は切れたようだった。
 少し待っていれば、向かいのエレベーターから鞄を提げて帽子をかぶった悠の姿が現れる。
「お待たせしました!」
 麻隆の顔をみるなり、たった数歩の距離を小走りに近づいてくる。
 それを見た麻隆は、数日前にアキラがぽつりと呟いた「ウサギみたいだよね」という言葉に納得してしまった。
『悠ってさぁ、ウサギみたいだよねー』
『……へっ?』
『まっしろでさぁ、目赤くてちっちゃくて』
『や、ちっちゃくは、ないかと』
『いやいやちっちゃいって。あと抱き心地よさそうだよね』
 でもぎゅーってしたら後ろの伯父さんに殴られそう、とかなんとか、そんな会話をしていたのを、麻隆も聞いていた。
(まあ、確かに)
 ちょこちょこと小走りに寄ってくる悠は、麻隆から見れば顔ひとつぶんに近いぐらいに身長差がある。
 言われて見ればたしかに、そんな感じがしなくもないような。
「……? どうかしました?」
 ちょこんと首をかしげる姿さえ今まで以上に愛らしく見えてしまって、なんだかなあと麻隆は思う。
「いや、行こうか」
「はい」
 一緒に夕食を食べに行こうと話したら、ほんの少し驚いたような顔をした後に、悠は笑った。
 驚く必要がどこにあるんだと思ったのだが、そう言えば自分たちは会えば部屋に連れ込んでセックスばかりだったと思い出して麻隆は軽く落ち込む。
 多分ここに彼の甥っ子が居たら、がっくりと肩を落とした伯父にむかって思いっきりげらげら笑ったに違いない。



 予約をしておいたのは気張ったレストランではなく、麻隆の知り合いが経営する小ぢんまりとした居酒屋『東屋』だ。
 居酒屋と言っても、酒だけではなく食事にできる料理も出している。
 店長の藍霧将彦は麻隆と高校時代の同期で、大人になった今も、なぜか微妙に付き合いが続いていた。
「こりゃまた可愛い子連れてきたなぁ。どうも、店長の藍霧です」
 カウンター席しかないその店を、悠はほんの少し見回した後に着席する。
 清潔に保たれては居るが、長年使い込まれて傷だらけのカウンターを、穏やかな表情で見て触った後に、頭を下げた。
「白井悠です。こんばんは」
 丁寧に頭を下げた悠の様子に、藍霧はほんの少し口元に笑みを浮かべた後に、ゆっくりしていって下さいと告げる。
 隣に座った麻隆の顔を見るなり意地悪く笑ったのを見て、麻隆は小さく舌打ちする。
(アキラか)
 どうにもこの男にはふたりの関係はバレているらしい。
 数日前にやたらとうきうきしていたアキラの口が堅いとは決して思えず、バラしたなと臍を噛む。
 だが藍霧はそれ以上は何も言わなかったので、自分から話題を振る必要もあるまいと麻隆は黙った。
 元々麻隆はあまり喋るタイプではないから、自然、藍霧との会話相手は悠になる。
 出される食事を綺麗に食べながら、楽しそうに話をする悠を見ているのはほほえましい。
「はい次はこれ。カニ玉変わりあんかけ」
「……赤い。トマト?」
「そうそう。ちょっと洋風にな」
 ことん、とカウンターに出されたのは、カニ玉と言うより洋風オムレツ。
 あんかけにはふわふわのメレンゲに火を通したものにトマトを加え、味をつけてとろとろに仕上げたものだ。
「おいしい……」
 おそるおそる口に入れた悠の感想はたった一言。そして最上級の褒め言葉だった。
 聞いた藍霧も嬉しそうに微笑んで、じゃあ次、小鉢をと差し出してくる。
「これは?」
「青菜とオクラの胡麻和え。オクラだめなら別の出しますよ」
「大丈夫です。好き嫌い、ありません」
 いただきますと呟いた悠は、嬉しそうに箸を伸ばす。
 そんな悠を見ていた麻隆には、中身の違う小鉢が差し出された。
「お前はこっち」
 マグロのぶつ切りにとろろを和えただけのものだが、下手な料理などより断然こちらの方がうまい。
 白飯にも合うし、何より酒にも合う。
「なあ、本当に酒飲んでかないのか?」
「ああ、明日用事があるからな」
「酒出す店貸切にしといてそれかよ」
「金は払った」
「相変わらずクールだねぇ……悠くんはかーわいいのに」
 つまらんつまらんと首を振った男の手は動きを止めず、出てきたものは鳥の竜田揚げ。甘辛いたれの上には白髪葱がたっぷり乗っている。
「……用事があると言っただろ」
「んーなもん、あとでブレスケアのひとつふたつでも放りこんどきゃなんとかなる。こっちのがうまいんだから四の五の言わずに食え」
「これもおいしい……」
「そりゃあよかった」
「俺、家で料理するんですけど、鶏肉こんな風にやわらかくならないです」
「火、通しすぎるとぱさぱさになるからね。完全に火が通るよりも少し前に止めて余熱でやるのがいいんだ」
「今度やってみます」
 ぱくぱくと竜田揚げを食べる悠を見て、気にしている自分がばからしくなって麻隆も食べ始める。
 甘すぎずしょっぱすぎずな味付けはいつも見事だと思う。肉とたれの絡み具合も絶妙で、噛んだ瞬間のかりっという音と溢れる肉汁がたまらなかった。
「がさつ男だとばっかり思ってたんだけどなあ」
「俺は繊細ですよ。お前は思ってたより『気にしい』だったなぁ」
「煩い」
「こーんな奴相手で疲れない? 疲れちゃったらおじさんのトコにおいで。いい嫁さん紹介してやっから」
「おいこら」
 微妙なナンパをするなと睨めば、にやりとした笑みで返される。
 そのやりとりについていけない悠は首をかしげ、だが食事の誘惑に耐えられずにぱくぱくと竜田揚げを食べてから、しっかりと藍霧を見る。
「あの、食事おいしいです」
「ん? そりゃよかった」
「だけど俺、お嫁さんもらう気は昔からないです。ごめんなさい」
 深々と頭を下げた悠は、ほんの少し悲しげな表情をしていた。
 昔から、と言うのがいつのことなのかはわからないが、少なくとも麻隆と出会う以前の事であるのはわかる。
 そしてそれがどういった理由なのかも、ほんの少し考えてみれば想像がつく事だった。
「悠」
「あの、別に卑屈になってる訳じゃないので勘違いしないで下さいね」
 その言い訳は麻隆に向かってのものだった。
 多分痛ましそうな顔でもしてしまったのだろう。それに対して、気にするなと悠は笑った。そしてまた食事に戻る。
「うーん、俺としちゃあ是非とも婿に欲しいんだけどなあ……残念だ」
「藍霧さんがお父さんだったら、美味しいものいっぱい食べられますね」
「うんそうですよー。気が変わったらおいで。歓迎するから」
「あはは」
 否定も肯定もせず、ただ悠は笑うだけだった。
 その頭をひとつ撫でて、首をかしげた悠に向かって笑うだけで麻隆は食事に戻る。
 色々な事を見せて、教えてやろうと思った。
 楽しいことは沢山あるのだと。




 食事を終えて『東屋』を出ると、星空が綺麗に見えた。
 思わずうわ、と悠が呟くと、横に立った麻隆が言う。
「ここらは十時過ぎると電気が殆ど消えるから、空が綺麗に見えるんだ」
 確かに、道の脇にある電灯がついているぐらいで、建物の電気は殆ど消えている。
 繁華街にあるような光る看板も見当たらない町の空は、綺麗だった。
「俺、こんな空を見るのは初めてかもしれない」
「そうか」
「あの、麻隆、さん」
 きちんと話をしたあの日から悠は言葉遣いを戸惑っているようで、ところどころつっかえるような話し方をしている。
 それに気付いていながら、どう対応していいのかわかっていなかった麻隆だったが、何故か今は考えるよりも言葉が出た。
「麻隆でいい。呼びにくいなら今みたいにさん付けでも。話し方も、楽でいいから」
「で、も」
 戸惑ったような表情で悠は麻隆に視線を向けて、何度か拳を握ったり開いたりを繰り返した。
「なれない言葉は話にくいだろう?」
「そうじゃ、なくて……あの」
「……好きな、子に」
「えっ?」
「好きな子に、距離を取られるというのは、複雑だな」
 どうしていいのかわからないのは麻隆も同じだった。
 腫れ物に触れるようにすればいいのか、それとも強引に手を引いてしまえばいいのか、それとも別の方法がいいのか。
 今更のように悠への接し方がよくわからない。
 それでも、大事にしたいと思う気持ちは本物だから、自分にできる精一杯の方法で、これは今更だけれど、誠実に接したいと思った。
 水城麻隆という人物を知って、ほんの少し悠が気後れしているのもわかっているつもりだ。だがそれで、それだけの理由で麻隆から遠ざかるのだけはやめて欲しいと思う。
 きっと世間で言われているほどに、麻隆は大きくもないし、偉大な人物でもない。
 アキラにもよく笑われるし、さっき藍霧にも言われたとおりだが、きっと世間の評判というものを引き剥がしてしまえば『気にしいでヘタレ』だ。
「……あの、俺、麻隆、さんが……どういう人なのか、よくわかんなくて」
「見たとおりだし、多分聞いたとおりだと思うんだけどな」
「……なんか、聞いたのと、見たのが一致しなくて。あと」
「あと?」
「お、俺……あの、考えると、心臓、壊れそうで……なんて言うか、その」
 そこまで言うと、悠は俯いてしまった。
 心臓が壊れそうというのは例えではないのだろう。
 悠の左手が、服の左胸のあたりをきつく掴んでいて、言葉の間に苦しそうな息も混じる。
「落ち着いて。息して」
 ぽんと肩に手を置くと、びくりと悠が跳ね上がるようにして驚く。
 その顔がみるみるうちに赤く染まっていき、酸素が足りていない魚のように口をぱくぱくさせながら、泣きそうな顔になった。
「や……やっぱりだめだ……し、死にそう……!」
「え、おい!?」
 へなへなとしゃがみこんでいく悠に手を伸ばして受け止めながら、一体なんだと麻隆は慌てる。
「どうした?」
「……っごめ、なさ……あの、あの手、大丈夫だから離して」
 必死に言われたので麻隆は手を離したのだが、またへなへなとしゃがみこみそうになるから、大丈夫じゃないだろうと言いながら悠の体を抱きかかえる。
「……う、うう」
「だから、どうした?」
「……あ、の、ほんと、やばいから……助けて」
「……?」
 がたがたと震えだした悠は、首まで真っ赤で、一体何が起きたんだと麻隆は首をかしげるしかできない。
 とりあえずこんなところではどうしようもないと、車の助手席に座らせて、麻隆は車を出した。