さて、恋と言うものを自覚して知った司狼は、さりとて何ができると言うわけでもなく。
まさかあの場で告白なんて事ができるはずもなく、その日は自分がぎこちなくなっていないかとそればかりを気にしながら永居の前で食事した。
正直あの後からは味もよくわからないまま、それでも残すことはなく完食した。
それからどうにか笑って過ごした後、後日お礼がしたいからと言う永居と連絡先まで交換してしまった。
お礼のつもりの品にまたお礼なんていいですと断ったけれど、それならちゃんと友達になりましょうとまで言われてはどうしようもない。
それに。
(連絡先ゲットとか、出来過ぎだろ)
これはなんだ。棚から牡丹餅二階から目薬ってやつか。
運がいいにもほどがある。それとも人生十数年で運を使い果たしてしまったのだろうか。
帰宅してからベッドに伏した司狼は、悶々とそんな事を考えて、静かになったり暴れ出したり、真顔になったり満面の笑みを浮かべたりとひとり忙しない。
そして携帯のアドレス帳の永居八月朔日と言う文字を見ては、にへら、としまりのない顔をする。そしてその後、誰も居るはずもないのに周囲を見渡してから、またベッドに突っ伏す、を繰り返した。
(あー……なんだよもう、外歩けないじゃん)
浮かれすぎている自分が気持ち悪い。そう思いながらも止められない。
そうかこれが恋ってやつか。
初めて知ったそれに、ばたばたと足をばたつかせながら悶え、だがふと、考える。
(いや待て。俺男だ)
そして永居さんも男だ。
音楽に限らず、芸術に携わる者に同性愛者は少なくない。
では司狼はどうなのかと問われれば、返答に困る。
これまで恋なんてしたことなかったから、よくわからないと言うのが実のところ。
同性どころか異性ともなんの経験もないから、自身の性癖などよくわからない。
合コンなどに出ても正直つまらない事が多く、だが男に興味があるかと訊かれてもそうではないと答える。
総じて司狼は、人間と言うものに興味がないのだ。
司狼の興味はすべからく音楽に注がれていて、それに符号するように個人に対して興味が湧くことはある。だが、そこに在る『人』を認識するのがものすごく遅い。
まあその分、大器晩成とでもいえばいいのか、覚えれば仲も良くなるし懐に入れる度合いも大きいのだけれど。
だから多分、同性愛だの異性愛だのなんだのと言う感覚が司狼にはないのだ。
……いや、自分がゲイかどうかなんて事は今はいい。
問題は、永居だ。
(……ダメな人だったらどうしよう)
世の中には、ゲイを毛嫌いする人も多く居る。
永居はそうではないと思いたいけれど、可能性は確かめるまで存在しているのだ。
お付き合いしたいとかそんな事はとりあえず望まないから。
嫌われたくないなあ、とぽつりとつぶやいた後に、想像してしまって茫然とする。
あの優しい永居が冷たい目をして、気持ち悪いだとか、近寄るなとか。
そんな事されたら、大泣きどころの話ではない。
「……それは、やだなぁ」
永居がセクシャリティなどで態度を変えるような人ではないと思うけれど、何せ出会ってから間もない。
短い時間ですべてをわかったような気になるなんて傲慢だ。
腕を組みながら考えて、今度は顔を青くしたり、いやいやと首を振って持ち直したり。
とにかくその夜の司狼は百面相だった。
そしてそのまま疲れて眠った司狼は、翌朝ぎゃーーーと叫ぶ事になる。
* * *
「うっわ、司狼こえぇ」
大学で司狼の顔を見るなり、なにそれと声をかけてきたのは、新屋だ。
携帯の画面を凄い顔で睨みつける司狼に対して、やだーこわーい、なんてお化け屋敷に入るか弱い女の子みたいな口調で言ってくるから、ほっとけと言うしかない。
自分の眉間に深い皺が刻まれているのはとっくに自覚済みだ。
ついでに言えばそれは、ともすれば再び百面相してしまいそうな自分への戒めだったりもする。
「なに、どったのシロー?」
そんな怖い顔して、ともう一度問いかけられて、なんでもないと司狼は言う。
そんな司狼の持つ携帯の画面には、一通のメール。
『土曜日にお店に来ませんか?』
こんにちは、から始まるメールには、そんな一文が含まれていた。
送信者の名前は永居。その誘いの言葉に今朝悲鳴を上げて、それから司狼はずっとこんな表情をしていた。
もちろんそれは嫌なものに対する表情ではなく、思わずにやけてしまいそうな自分に対する戒めだ。
そしてなにより。
「んん? あららぁ?」
目の前に居る友人の、勘の良さに対する対策だったりもしたのだけれど、あまり功を奏さなかったようだ。
「シローくん、なんかいつもと違うみたいですけどどうしちゃったのかなぁ?」
にやにやと笑う新屋に携帯を覗き込まれそうになって、慌てて隠す。
それに対し、新屋は携帯を奪い取ろうとするのではなく、さらに笑みを深くして問いかけてきた。
「あっやしーーー、なになに? 恋でもしちゃいましたかぁ?」
完璧に確信を持った言葉にぎくりとしつつ、そっぽを向く。
勝手にしろと言う意思表示を受け取った新屋は、満足そうに笑った後何も言う事なく、ただ隣の席に座った。
新屋がそれ以上を追求してくる人間だったら、多分友人の位置に彼を据える事はなかっただろう。
「新屋」
「んー?」
「俺お前の事好きだわ」
ふと思った事を伝えてみる。
それはもちろん永居に向けるものとは全く違う感情から来る『好き』なのだけれど、それを正しく、新屋は受け取ったようだ。
それでも司狼のそんな言葉は意外なものだったようで、大きく目を見開いた後に、見たこともないような満面の笑みを返された。
「うん知ってた。そんで実はオレもなの」
「俺は知らなかった」
「それひどくね? 俺こんなにシローの事かまってるのにぃ」
「ありがた迷惑って知ってるか?」
「ひっでー」
げらげらと笑う声に、周囲が煩そうな目をしたけれどどうでもよかった。
こいつにだけはいつか話してもいいかな、なんて思いながら司狼はさっきまで見ていたメールに想いを馳せていた。