――――――――――――――――――― 『君がため』




 絵を描くのが好きだった。
 その時その時感じたものを、そこにあるものと一緒に表現するのが好きだった。
 ずっと絵を描き続けているのは、小学生の頃の写生大会で先生に褒めてもらえたのが嬉しかったからなのかもしれない。
 綺麗な空が印象的で、空の色を写し取って街を描いた。
『まあ、すごい。きれいね』
 ただそれだけの言葉だったけれど、それが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
 その時の嬉しさを忘れたくなくて、描いているのかもしれない。




 綺麗な絵だな、と思いました。
 初めて見たのは、彼の一番最初に描いたという街の絵。
 町全体が鏡になっているかのように、空一面を映している街。どこにでもあるような都会の街が、とても綺麗なもののように見えました。

―――ああ、この人に会ってみたいなあ。

 こんなに綺麗に街を見ている人だから、とても綺麗なんだろうなと。
 そしてその眼を、一度でいいから見てみたいと思いました。

 小さな小さな会場だったけれど、俺の全てを魅了した、きっと綺麗な目をした、画家。

―――彼に、会いたい。







 街全体を見下ろす事のできる丘。
 風が吹き抜けると、大きく育った木の葉が揺れてがさがさと音をたてる。
 沈みかけた夕日が、丘とその下に見える街を橙色に染め上げていて、とてもきれいだ。
 結構な坂の上にあるその丘には、その大きな木以外には何もないため滅多に人はやってこない。
 この場所は昔から総輝のお気に入りだった。
 一番最初に褒められた絵もここで描いた。
 街を見下ろしながら色々なものを描くのが好きで、もうずっと、この場所で絵を描いている。

 最初に褒められたのが12歳。そして今は16歳。
 何かやりたいことをやりなさいと言われて、絵が描きたくて絵の勉強ができる芸大付属の高校に進んだ。
 芸大付属ではあるけれど、総輝が進んだのは一般クラス。絵の授業は他の学校と比べて多いほうだけれど、それ専門と比べると遥かに少ない。
 高校で専門を選ばなかったのは、単純に金がなかったのと、それ以外の勉強も一応はしておいたほうがいいだろうと尊敬する父に言われたためだ。
 その道に進むために早いうちから学ぶのもいいけれど、それ以外の事への見識を深めるのも良いことだ。そう言った父は、その後
―――まあ、金がないから言い訳なんだけどな。
 と笑っていたけれど、どんな事でも前向きに考えて話をしてくれる父の事を総輝はとても尊敬している。
 そんな父は、海外出張中。母も一緒で、現在総輝は両親と共に暮らしていた家で一人暮らしの状態だ。
「父さん…元気かなあ」
 最近は電話も殆どしていない。
 忙しく走り回っているのも知っているし、何より時差があるから電話をしようにもお互いの時間が合わないのだ。
 それでも毎月一通、かならず近況報告とそっちはどうなのだという手紙をくれる。だから総輝は満足していた。

 ふわりと風が吹いて梢がそよぐ。かさかさという音がきこえて、それから。


 どさ。


「…え? 『どさ』?」
 さわさわと聞こえた音の後に、明らかに何かが落ちた音が聞こえてぎょっとする。
 だってここには誰も居ないはずなのに。
「…っな」
「う…」
 なに、とたった二文字を呟くよりも早く、うめき声のようなものが聞こえて、総輝はあわてて振り返る。
 総輝が背中にしている太い木の反対側、木陰になっている部分に人の頭が見えた。
「えっ…ちょ、何…!?」
 いきなり人が現れたのにも驚いたのだが、それ以上にその人間が『倒れて』いたことの方が総輝を驚かせた。
 それまで抱えていたスケッチブックを地面に置いて立ち上がり、長い雑草に足をとられて少しだけよろめきながら近づいていくと、倒れている人の全身が見えてくる。
「……」
 男だった。
 赤みの強い茶色の髪は少し長めで、肌は白い。きつく閉じられた瞼にある睫は長く、ひとつひとつのパーツだけ見れば女性のようだけれど、全体を見ると精悍な顔立ちに見えた。
 多分年齢は総輝よりも上。二十歳は超えているように見える。
(…生きてるよな…声、聞こえたし)
 死んではいないだろうなと怯えると、それに反応するようにぴくりと眉が動く。
「…よかった、生きてる」
 眉についで手もぴくりと動いて、その後すぐに。
「…っ、げほっげほっ! な、なんだよいきなりもう…!」
 一通り咳き込んだ後、男は悪態をついてきつく閉じていた目を開く。そして総輝と、視線が合った。
「あ…」
 きれい。
 まず最初に思ったのはそんな言葉だった。
 きつく閉じていた瞼。その下にある目は深い深い黒。奥が透けそうなほどに澄んでいて、吸い込まれそうな。
「…え? あー…ええと?」
 ぱちくり。そんな表現が似合うほどに男の目が見開いて、その後視線をうろつかせている。
 よく状況が飲み込めない。それは総輝もこの男も同じようで、何をしていいのかどちらもわからなかった。
「ええと、ごめん。キミ、だれ? そんでここどこ?」
 きょろきょろと周囲を見渡した後、そんな言葉で問いかけられて、まるで漫画か小説のようだと、総輝は思った。
「ええと…お、あ、いや僕は総輝。です」
「…っそ」
 混乱したままなんで名前を聞かれるんだろうとか考えつつも反射で答えると、なぜか妙に驚かれた。目を見開いて驚かれてなんだこの人はと思いながら総輝は首をかしげる。
 そうしてから目の前に倒れたままの男を見て、今更のようにかっこいいなと思った。
(なんだろう? この人なんか―――)
 知っているような、いないような。
 奇妙な既視感に、総輝がさらに首をかしげているとゆっくりと目の前の男が体を起こした。
 具合でも悪いのか、少しよろけて、けれど総輝が手を出すよりも早く上体を起こして地面に座る。
「そう、きって…ええと、確か今…いや別人?」
「え?」
「あ…ああええと…苗字をきいても?」
「苗字? 橘ですけど。橘、総輝」
 フルネームを名乗ると、さらに目の前の男は驚いたように目を見開く。その反応で、どうやら彼が自分を知っているらしいという事は理解できた。理解できたけれどこの状況はまるで飲み込めない。
「あ、あの…?」
「…っはい!」
「へ? あ、いや、あの…ええと」
 首をかしげながら状況を問おうと声をかけたら、何か悪さでもして教師に声をかけられて驚いている生徒のような声が返ってきて、総輝はさらに混乱してしまう。
「あ、ああ…すみません、ちょっと、混乱していて」
 おまけに総輝を相手にしたこの男の態度もどこか目上に対する態度のようで、こちらが明らかに年下なのにと困惑する事しかできなかった。
「あ、あの…どなた、ですか?」
「…えっ…あ! はい、すみません。晴天。羽染晴天と申します…!」
「…え、と…あと…は、羽染、さん?」
「は、はいっ…! い、いやなんか申し訳ない。いきなり…っていうか本当ここどこだ?」
 困惑はどちらも同じようで、羽染晴天と名乗った男はきょろきょろとあたりを見回している。どうやら本気でここがどこだかわかっていないようで、総輝にしてもどうしてこの男がいきなり現れたのか全くわからずにお互い混乱を露わにした表情しか見せられなかった。
「ええと、なんでここに?」
「…いやそれが俺もさっぱり…ここがどこだかもわかってなくて」
「…記憶喪失…?」
「え。違います違います。自分の名前も言えるし、生年月日だって…」
 恐らくその先には『言える』という言葉が続くのだろうけれど、晴天は何かに気がついたような表情をしたままその先を言わなかった。代わりに、おそるおそると言った様子で総輝にむかって問いかけてくる。
「不躾なのは承知の上なんですけど、総輝…さんは、おいくつですか?」
 その妙に丁寧な―――丁寧すぎる物言いがひどいぐらいの違和感を呼ぶ。どうしてこの男は、明らかに年下の、少年とも言える自分に対してそんな謙った態度をとるのだろうか。
「…16、です」
 問いかけに答えると、晴天の目がもう一度驚きに見開かれ、そのあと彼はその答えを「じゅうろく、じゅうろくさい」と何度も呟いて腕を組んだ。
 そしてさらに周囲を見回して「あ」と声を上げる。
「…ここって」
 ぽつりと告げられた声に、さきほどからずっと「ここはどこだ」と口にしていた疑問が解けたのだろうかと思う。
 つぶやいた後に晴天は立ち上がって、丘の一番端まで走っていく。
 一番見晴らしのいいそこまでたどり着くと、感極まったような声が聞こえてきた。
「やっぱり…!」
「やっぱり…?」
 なんのことだ、と首をかしげた瞬間、くるりと振り返った晴天の笑顔にうちのめされたような気がした。
「やっぱりだ。そうだ! 俺神様なんて信じてなかったけど、信じたくなった! やった!」
 まるで子供みたいにはしゃぐ晴天についていけない。
 状況がわからない上に、ここから見る景色は確かに綺麗だけれど、普通の人から見ればそんなにはしゃぐようなものでもないと知っていたからだ。
「あの…?」
 なにがどうなっているんだ。そう首をかしげた総輝の様子にでも気がついたのか、ふっと真顔に戻った晴天が戻ってくる。
 そうして視線を合わせた瞬間に、言った。
「ありがとう、総輝さん」
「…え?」
 訳がわからずにかしげた首が戻らない。そうしていると、また笑顔に戻った晴天が「わからなくていいですよ」と告げてくる。
(…なに、これ)
 言葉を切り取ってつなげてみると、目の前に居る男がやっぱり自分の事を知っているのだと確信する。
 どうしてかこの男はこの場所を知っているようで、別にそれ自体はおかしくないとは思うのだけれど、何か。何かが。
「あ、の…?」
 さっきから「ええと」だの「あの」だのとしか声が出てこないのが恨めしい。元より口下手であるのは自覚していたのだけれど、知りたい事があるのに問う事すらできないのは歯がゆかった。
「あの…あの…!」
「? なんですか?」
「な、っんで、俺のこと!」
 最初のうちは失礼だろうと一人称を「僕」にしたのに、今はもうそんな事にかまっていられる余裕はなかった。
 わけがわからない。こんがらがった糸がほぐれてくれなくて、頭がパンクしてしまいそうだ。
 必死に叫んだ言葉は、けれど問いかけにするにはどうにも言葉が足りなかった。何を問いたいんだという表情をされて、けれど次の瞬間。
「…あ!」
 晴天は何かに気がついたようだった。
「ああ、申し訳ないです。ちょっと興奮しちゃって」
 ハイテンションになりました、すみません。と晴天はぺこりと頭を下げてくる。けれど総輝が知りたいのはそんな事ではない。
「…や、それはいいです、けど」
 ぺこりと頭を下げた晴天が顔を上げると、目が合う。その瞬間、晴天にひどく驚いた顔をされてこっちも驚く。なんでそんなに驚かれてばっかりなんだと思いながら、けれどさっきからなにひとつ知りたいと思う事を教えてくれない晴天に、諦めのようなものも覚えてきている。
 昔からこだわりというものがあまりない総輝は、諦めるのが早い。そこが長所でも短所でもあるのだと小学校の教師にも言われて、きちんと自覚もしている。そして今のこれは。
(悪い傾向だなあ…ちゃんと訊いてもいないのに)
 それでも多分、晴天も悪いのだろう。さっきから問いかけようとする度にはぐらかされているような気がするのだ。
「…あの」
「なんですか?」
 にこり、と返される微笑みが拒絶の証のように見えてしまうのは総輝がフィルターをかけているせいだとはわかっている。昔からそうやって他人との間に壁を作ってしまうのが悪い癖なのはわかっている。
「あの、なんで、敬語? …丁寧語? なんですか?」
 俺のほうがどうみたって年下なのに。そう告げると、考えてもいなかった事を指摘されたように晴天は驚いた。
「…え? ああ…そっか、うーん」
 何を悩む必要があるのだろうか。さっきから自分は首をかしげてばかりいる気がする。
 なんでなんでと頭がそればかりでパンクしそうで、少しでも答えてくれそうな質問を選んだのだけれどやっぱり生返事で、少し凹みかけていたら晴天はその名前の通り晴れやかな笑顔で答えてくる。
「ええと、じゃあ丁寧語やめるんで。総輝さんもやめてね?」
「…へ?」
「俺だけタメだとえらそうだと思わない? だから、総輝さんもタメで」
「えっ、あ…ええと? でもあの」
「はい決定決定。あああと、呼び方困ってるなら晴天て呼んで。さんもくんもいらないから」
「は? ええ?」
 なんでこんなことになってるんだ。真っ先にそう思う。
 けれど低いのに、いや低いからこそ脳天を直撃して響き渡るような晴天の声が、有無を言わさぬ口調で告げてきて、反射でそれに従うしかなかった。
「で、でも…そっちが年上で」
「うーん…年とか、関係ないと思うけど」
 年上、と言った瞬間に晴天は物凄く複雑そうな顔をした。もしかしてその顔で年下とか言うんじゃなかろうな、と思ったのだがさすがにそれは失礼すぎて言えない。
「でも、呼び捨ては」
「きらい?」
「きら…とかじゃなくて! おれ、俺のことはさん付けで呼んでるのに」
「じゃあ、なんて呼べばいい?」
 ああもうなんでこんな話に。ほんの数分前に始めてあったばかりなのに、どうしてこんな名前は呼び捨てで、なんて会話をしているんだ。
「も、なんでもいいよ。呼び捨てでもなんでも。さん付けって、恥ずかしい…!」
 せめて苗字にさん付けだったらまだよかったのだ。橘さん。それならまだ免疫がついている。けれど名前をさん付けでよばれるとたまらなかった。
「うーん、呼び捨てはなんか抵抗あるんだよなあ…じゃあ、総さん」
「…時代劇のあだ名みたい…って言うか『さん』だし」
「ええー?」
「くんでもなんでもつければいいじゃないか! っていうかなんで最初っから名前呼び!?」
 思えばどうしてこの男は最初から下の名前で呼ぶのだろうか。最初こそ総輝、としか名乗らなかったけれど、後からきちんと橘総輝だと名乗ったし、そうすれば大抵の人は橘さんと呼んでくるのに。
「あー…気に食わない? だったら苗字にします」
「…や、それはさん付けやめてもらえればいいですけど」
 後半が丁寧語に戻ってしまった晴天につられて、総輝も丁寧語になってしまう。そうなった互いに気がついて視線が絡み、そして。
「…ぶっ」
 ぱちり、と合ったそれに耐え切れずに笑い出したのは晴天の方だった。
「あーもう、なんかサプライズすぎて脳みそ焼き切れそうだ」
 腹を抱えてひとしきり笑って、そんな訳のわからない事を言うからまたきょとんとしてしまう。サプライズだとか、やっただとか、何をいちいち喜んでいるのだろうか。
「あの、ええと…せ、晴天?」
 さん、とつけようとしてしまって晴天に睨まれてなんとか続きを飲み込んだ。さっきから何を言っているのか訳がわからないんだと問おうとしても、色々に怯えている総輝の口は開こうとしてくれない。
「…総輝、明日もここに来る?」
 問いかけようと口をぱくぱくさせる総輝に、逆に晴天は問いかけてくる。総輝、とさん付けではなく名前を呼ばれたのにどきどきして 、あれ、と思ったのだけれどそんな事を気にしている余裕もなかった。
「え…? あ、ああ…ええと、大体毎日」
 することもないからここにやってきて毎日絵を描いているのだと言えば、なんだかとても嬉しそうに晴天が笑うから困った。
 学校に友達が居ない訳ではない。特になにか問題があるという訳ではないし、時折遊んでくれる友達も居る。けれど、それよりも何よりも総輝にとって存在が大きいのは絵だった。
 だから総輝は毎日絵を描いている。手慰みのラフスケッチから、キャンパスを持ってきて本格的に描き込んだりと様々だけれど、毎日絵を描いている事には変わりがない。
「じゃあ、賭けをしよう」
「賭け?」
「そう。明日も俺が総輝と会えたら、俺にわかること全部話すよ。…まあ、わからない事だらけなんだけど」
「…? どういう」
「んんー、俺もよくこの状況が理解できていないので、とりあえず落ち着いて考えたいと思います。ちゃんと整理できたら説明します。という事。了解?」
   それは賭けにならないのではないだろうか。
 お互いここに来ると宣言している訳だし、会いたいと思うのであればいつでも会える。それは賭けではなく、約束と言うのでは。
「わからないって…」
「本当の事。それについても、まあ、明日」
 よくわからない、と飄々と笑うから、本当は違うんじゃないかと思ってしまう。晴天はなんだかとても余裕の表情をしていて、混乱していたのは最初の方だけだったように思える。
 しかしどうして、こんな事になってしまったのだろうか。
(会ったばっかりなのに)
 溶け込んでくるみたいに自然に、以前からの友人のような空気で晴天は馴染んでいる。どうしてこんなに簡単に、明日会う約束などしているのだろう。
 会ってすぐに次の日の約束など、したことがなかったのに。
 そうこうしているうちに日が暮れて、肌寒くなってきた空気にぶるりと総輝が体を震わせる。
「ああ、もう寒いから…帰る?」
「…え、あ…ああ、どっちでも」
 少しだけ名残惜しそうな声に聞こえて、反射でそんな風に答えた。
 遅くなったからと言って怒る人はいないし、総輝が帰る時間はいつもまちまちだったから、どっちでもよかったのは本当の事だ。
「そう? でも風邪ひくとまずいよね」
 羽織るもの、持ってないでしょうと言われて総輝はうなずいた。
 昼間のうちは暖かいとは言え、まだ夜になると肌寒い。この日の総輝の格好は、薄手の長袖一枚だったから夜の外に居るには少し心もとない。
「でも、晴天、は?」
 思わずさんとつけてしまいそうになりながら、それでも喉の手前でなんとか押しとどめて続けると、んー、と生返事が返ってくる。
「なんとかなるっしょ。いつも似たようなことしてるし」
「…似たような事?」
 首をかしげたけれど、それは笑いひとつで誤魔化されてしまった。
「明日は、学校?」
「え? うん、平日、だし」
「何曜日だっけ?」
「水曜だけど?」
「水曜ね。わかりました。じゃあ、また明日」
 気をつけて、と笑いながら地面に置いたままだったスケッチブックを当たり前のように渡される。
 そうしてそれを受け取って、数秒間固まった後に、総輝は気づいた。
(あれ…むこうにも、スケッチブック)
 地面に落ちていたスケッチブックは総輝のものではない。そこらで売っている安物のスケッチブックではなく、もの凄い値の張りそうなそれは、先ほど晴天が倒れていた場所に落ちていた。
(…じゃあ、この人も…絵、描いてるのかな…?)
 ふっと見上げると首をかしげられて、なんとなく親近感が沸いたおかげで総輝の表情に笑みが浮かんだ。
「じゃあ帰ります。また明日」
 ふっと微笑んだ瞬間、何か驚いたような表情をされた気がしたけれど、それよりも早くくるりと踵を返して総輝は丘を駆け下りていく。
 絵を描く人間として、もしかしたらあの丘を気に入ってくれたのかもしれない。そう思うとなんだか嬉しくて、どきどきしながら丘を駆け下りた。
 明日も会おう。もしかしたら、絵の話ができるかもしれない。
 そんなことを考えながら、笑って。

 だから総輝は晴天のひとことを聞けなかった。
 指折り数え、暗くなった空を見上げて呟いた一言を。

「ええと…? いち、に、さん、し…18年前…かあ?」

 困ったなあ、と頭を掻きながら晴天はへらりと笑う。その表情はとても困っているようには見えないのだけれど、まあ一応、困ってはいるらしい。
 つぶやいた後、晴天はまあなるようになるかと笑って、地面に落ちたままだったスケッチブックを手に取る。

「まあ、楽しみましょうか」

 言って街を見下ろすその視線はとても優しく、そして何より、とても嬉しそうだった。