■思惑■




 シオンは、沈鬱な面持ちで立ち尽くしていた。
場所は、スターヒル。星々に最も近いこの場所で、シオンは未来を読んでいた。
 星読みは、得意だった。教わるまでもなく、手に取るように読み取れた。それが、最近全く見えなくなってしまった。遠くの青い山々が靄(もや)に包まれ、その姿を隠すかのごとく、星々の囁きが、全く聞き取れない。

 もう、年か。次の聖戦も戦うつもりでいた。だが、我が神はそれを望んでいないのかもしれない。そろそろ代替わりを、すべきなのか。

 それでもシオンの星読みは卓越していた。
通常の神官などとは読み取る情報の桁が違った。だが、問題はそこではない。自分の役割は、聖域を勝利へと導くこと。誰より星が読めたとしても、肝心な部分が掴めないでは教皇の座にいる資格はない。

 アイオロスも、サガも必死に研鑽を積んでいる。
 アイオロスは女神軍を率いる将として理想の男だった。今回の聖戦が、力対力のぶつかり合いになるのならば、彼ほどの適任はいないだろう。聖域にて育ち、この特殊な世界の機微も熟知している。今まで聖域を支えて来た文官たちも軋轢を生むことなく従えるだろう。
 星読みに関しては、サガに分があった。サガは、ほんの些細な兆しも見逃さなかった。シオンとは違う視点から星を見て、深い洞察力をもってその囁きを読み解いた。騙し合いのような情報戦となるのなら、サガを教皇に据えるべきと思われた。
 両者ともに申し分なかった。この二人のいずれかを選ばなければならないことは、シオンにとって最後の、そして最大の試練になるだろう。

 星々は、おぼろげながらに、今度の聖戦は今までに例のない、まったく異なった様相を呈すことを語っていた。
 冥王軍が地上を攻め、それを防衛しつつ撃破してきた今までの聖戦とは全く異なった展開となる。聖域側がおそろしく不利な状況に陥ることも読み取れていた。だが、詳細が分からない。なぜそうなるのか。それを回避するためにはどうすればいいのか。星々はシオンに一切を語らなかった。

 時は刻々と迫っている。
 星は強く輝いた。いくつもの強い輝きは、もうすぐ幾人もの黄金聖闘士が現れることの予兆である。
 彼らは、アイオロス、サガの両将の下で戦列の先頭に立ち、女神軍を鼓舞する役割を果たすだろう。
 黄金聖闘士たちが揃えば、女神の降臨もじきだ。

 ふう、とシオンはため息をついた。事態は、思ったよりも深刻なようだ。自分に残された時間は存外少ないのかもしれない。
 アイオロスとサガに任せれば、女神軍は安泰だとシオンには思われた。そして、もう一人忘れてはならない要がいる。
カノンだ。

 あの認定試合のとき、シオンはサガよりカノンの方が、戦闘能力が高いと思った。カノンを選出すべきが正攻法だろうと思われた。前教皇なら、間違いなくカノンを双子座に選んだだろう。だが、シオンはあのカノンの大胆な思い切りの良さが、どうしても気にかかってならなかった。
 カノンなら、鎧など無くても存分にその能力を発揮するだろう。そして、起こってはならないことだが、もしも女神軍が絶体絶命の窮地に立たされたとき、最後の砦としての役割を果たせるに違いない。

 最後の砦。シオンは、聖域最後の切り札である、女神の聖衣の守り人としての役割をカノンに課そうと考えていた。

 女神の聖衣の存在は、聖域の最高機密である。
教皇以外に知る者は誰一人としていない。次代の教皇は、アイオロスか、カノンの双子の兄、サガのいずれかになるだろう。
 次代の教皇には、もちろんそれを伝える。だが、教皇も聖戦の最中に戦死する例は多々あった。今回もそうならないとは限らない。いや、そうなる可能性が極めて高い。それだけではない。星々は今までに前例のない事態を囁いているのだ。聖戦開始前に教皇が斃れるのやもしれぬ。一体何が起こるのかは想像の域を出なかったが、女神の聖衣の伝承が途絶える事だけは避けねばならなかった。考え得る事態に備え、女神の聖衣の存在とその守護をカノンに託そうと、シオンは考えたのだ。

 カノンはひどく荒れたと聞いた。当然だ。あの気性だ、おとなしく聖域の申し渡しを聞くはずなどない。
 逆に言えば、大人しく言うことを聞くような小物では、そんな大役は務まらないのだ。
 シオンは、カノンはすぐに自分の元へ乗り込んで来るものと思っていた。それを待ってさえ居た。だが、いつまで経ってもカノンは現れなかった。リウテスが、サガが抑えているのだと思われた。そのことは両者の有能ぶりをあらわしていて、頼もしく思えた。
 だが、シオンはいよいよしびれを切らした。星の囁きがどんどん聞き取れなくなっている。カノンにその役割の重要性を理解させられるのは自分しかいない。口で言っただけでカノンが大人しく聞き入れるとは思えなかった。うまいこと言って、俺を丸め込もうとしてるんだろうと自分を罵るカノンの姿が目に浮かぶ。場合によっては、拳を交えることとなるだろう。自分がまだ戦えるうちに、カノンと相対し、その役割を伝えなければならぬ。

 サガよ、わたしを信じよ。
カノンを、我が元へ寄越すのだ。

 シオンは、毎夜それを祈った。

 いや、信ずるべきは、わたしの方か。結局、おいぼれは、見守ることしか出来ないのだ。時は流れ、世代は変わって行く。何がどうなろうと、全てを信じて、時を待つべきはわたしの方なのか。
どのように変わっていくかも、すべては女神の思し召しなのやも知れぬ。

 輝く星辰たちは、女神の降誕がもう間もなくであることを、シオンに伝えていた。




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