■38話■ リウテスとロヨルの葬儀は滞りなく行われた。聖域のナンバー2として、聖域を今の形にし、権力を欲しいままにしたリウテス。リウテスの後継者であり、若く、後進の育成に精力的に取り組んだロヨル。この二人が惨殺されたというニュースはあっという間に聖域を駆け巡った。 誰もが信じられないという思いと、二人を悼む気持ち、そしてその凶行を行なった犯人がこの聖域に――――自分たちのすぐ身近に潜んでいるという恐怖が複雑に絡み合った思いを抱えていた。 二人の遺体は聖域のはずれの、歴代の聖闘士たちが眠る丘に埋葬された。墓石の前で神官たちはシオンに言った。 「リウテスさまの喪失は聖域にとり、どれほど大きな痛手か知れませぬ。必ずや犯人を突き止めてご覧にいれます。聖域内に我らの手が及ばぬ場所はございません」 「ほう」 その言葉にシオンは目を光らせた。 「リウテスは聖域の者に殺されたと言うか」 「は。それも聖闘士に違いございません」 「………」 シオンは意外にも無言だった。神官たちは続ける。 「リウテスさまもロヨルも聖闘士にございます。不意打ちを食らったとて、何らかの反撃はしたはず。それを微塵の小宇宙を感じさせることなく倒したのです。そのようなことが出来るのは聖闘士をおいてほかにおりますまい」 神官たちはアイオロスが言ったそのままを、さも自分たちが究明したかのようにシオンに語った。ともすれば神官たちは教皇に取り入ろうとする。黄金聖闘士に違いない、というくだりを省いたのは、不確かな情報を伝えて不興を買うのを恐れたからだ。 リウテス亡き今、彼が座していた権力の椅子を我がものにするために、神官はそれこそ死力を尽くしているのだ。それを見ていたアイオロスがサガに向かって肩をすくめてみせた。サガも視線でそれに応える。 シオンはしばらく間を置き、おもむろに語り始めた。 「永らくの平和が、終わろうとしているのだ」 穏やかな口調だったが、その威厳たるやその場に居る者全員を畏(かしこ)まらせずにはおかなかった。 「これは、その兆しであろう。前聖戦から、二百数十年余の時が流れた。次なる聖戦は目前に迫っている。お主らも肝に銘ぜねばならぬ。もはや聖域の中だけに目を向けておれば済む時代は終わった。女神が降臨されたのがなによりのしるし」 「なんと!」 「アテナが!!」 神官たちは腰を抜かさんばかりの勢いで驚いた。 「そうだ、アテナが降臨なされたのだ。くだらぬ権力争いをしている場合ではないぞ。我らの敵は誰なのかを考えよ。この美しい世界を、奪おうと、滅ぼそうとする者らはどこから来る?」 「!!」 200年あまり続いた平和で、聖域の人間たちは完全にその感覚を失っていた。そう、聖域の敵は海の世界の戦士であり、冥界からの死の使徒なのだ。 「では教皇、二人を倒したのは海闘士、もしくは冥闘だと仰るのですか?!」 シオンはそれには答えず、法衣を翻し、神殿へと向かって歩み始めた。 「教皇!」 「猊下、お待ちを!」 神官たちがそのあとを我れ先にと追って行った。その一団を目で追いながら、アイオロスが口を開いた。 「どう思う?」 「………」 「海闘士だと思うか? 或いは、冥闘士だと」 しばらくの沈黙のあと、サガは鎮痛な面持ちのまま答えた。 「可能性としては考えられる。が…、分からぬ、としか言いようがない」 「俺は聖闘士だと思う」 「!」 その言葉に、サガは心底動揺した。その動揺を気取られぬよう、サガは必死の努力をしなければならなかった。 「いや、聖闘士であってもらいたい」 アイオロスはサガの方を向いて言った。サガの動揺に気付いているのか否か、サガには窺い知ることは出来なかった。 「あんな風に、気配一つ感じさせずに事を終える輩が敵だなんて勘弁してくれ。あの気配を消すために使った小宇宙を攻撃に回したらどれだけの技になることか」 アイオロスは肩をすくめ、両手を上げておどけたように言った。 「俺じゃ勝てないかも」 何故彼は、平気で自分では勝てないなどと言えるのだろう。何故相手の実力を、平然と認められるのだろう。そうあるべきだろうとは思う。だが自分なら、口が裂けても言えない台詞だ。サガは唇を噛んだ。 「ん?でもリウテスたちを殺したってことは、聖闘士だからって味方じゃないってことなのか?いやでもリウテスたちに恨みを持ってただけかもしれないし…いやリウテスは分かるけど、ロヨルを恨んでた奴なんていたか?いやいや、そうじゃなくてちょっとでも恨みを買ったら殺されるってことか?」 なんかもう分からなくなって来た、とアイオロスは癖のある暗い色の髪を掻きむしった。二人は一旦自分の宮へ戻ることにした。やることや新たに決めねばならないことは山積みだったが、さすがに今日は無理だ。今後の捜査も、新たな人事も、すべては明日以降になるだろう。 サガが双児宮へ戻ると、カノンは湯を使ったところだった。リウテスとロヨルの葬儀が始まるとき、カノンは着替えを口実に宮へ戻り、サガと入れ替わった。カノンはそれから短い時間だったがぐっすりと眠った。悲惨な死体や飛び散った身体の一部を見ても、何とも思わないのは昔からだった。 「で、どうだった?」 カノンは髪から滴を滴らせながら、サガを迎えた。サガは、これまでの顛末を簡潔にカノンに語って聞かせた。 「傑作だな!」 リウテスとロヨルを殺したのは海闘士か冥闘士かもしれないとシオンが言ったことを説明したくだりで、カノンは吹き出さんばかりの勢いで言った。 「じじい、ボケんのも大概にしろよ!テメエで犯人かばってりゃ世話ねえぜ!前聖戦の生き残りだって偉そうにそっくり返ってるならズバリ犯人当ててくださいよ教皇猊下ぁ〜」 カノンは腹を抱えて笑いながら言った。 「いや、教皇は本当は分かっておいでなのかもしれん」 「はぁ?」 「考えてみろ。たるみにたるんだ今の聖域を引き締めるには最高の機会だとは思わないか」 「………」 「あのリウテスが死に、アイオロスが犯人は黄金聖闘士の中にいると言った。黄金聖闘士でなければこんなことは成し得ぬと。教皇はそれが聖闘士ではなく、敵の手の者やもしれぬと言った。教皇は犯人が黄金だろうということは聞いていない。にも関わらず、敵は黄金聖闘士と同格であると教皇は言ったのだ。それこそ前聖戦の経験がある教皇がそう言ったのだぞ」 サガは神官たちが恐れ慄く様を思い出しながら言った。サガはシオンを恐れていた。シオンはどれほどの力を秘めているのか、サガには想像もつかなかった。 双子座の聖闘士を決める際、カノンに繰り出した技の強大さはサガが今までに見たことのないものだった。あれで衰えたのだとしたら、全盛期であった前聖戦時はどれほど強かったのだろう。そして星見の力。ほんの些細な星の動きから、シオンは未来を語ってみせた。身近なところでは聖域内での生き死にから、果ては世界で起きる大きな事件、事故まで、シオンは恐ろしい程の精度で的中させた。星占いが、これほどの精細度を持っていると知っている者はどれほどいるだろう。 中世欧州で星占いが聖職者の間で大流行したのも実は聖域のせいだった。当時の教皇が金策のために少しだけその手の内を見せたのだ。占いの基本は同じである。問題はその精密さ、厳格さだ。シオンの星占は、予言につきものの何を言っているのか分からない、抽象的な物言いではなかった。そのものをズバリ言い当てる。起こる場所を外したことはない。いつ起こるかも、時には日単位はもちろん、時間、分単位で当てた。 サガとアイオロスは、ずいぶんと核心に迫る部分を習ったが、シオンのレベルには到底達していない。星見だけではない。シオンが聖戦までに、あとどれだけのことを教えようとしているのか、二人には杳(よう)として知れなかった。 「シオン教皇は全てを承知の上で、聖域の今後を考え、そう仰られたのやもしれぬ」 「んなことあるかよ」 カノンはばっさりと斬って捨てた。 「そんな全能の神みたいな力を持ってんなら事前に止められたはずだろ?リウテスを今殺させちまったら、お前に調べさせたことが水の泡じゃねーか」 「………」 そう言えば、そうかもしれない。聖域の財を、正当な理由なく私的に流用しているのがリウテスであることはシオンも察していた節があった。口が上手く、帳簿の操作もお手のものであろうリウテスに、言い逃れを出来ぬよう、動かぬ証拠を突きつけ、その罪を贖わせるべくシオンはサガに白羽の矢を立てた。少なくとも、この込み入った事情を知る者達はそう踏んでいた。 「お前、最近とみにひどくなってるぞ。考え過ぎっての?ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ考えたって、訳わかんなくなるだけだろ?疲れ過ぎなんだよ。リウテスも死んだことだし、少し休ませてもらえよ。お前、頭おかしくなっちまうぞ?」 「………」 サガは俯いて押し黙った。 カノンの言う通りなのかもしれない。疲れ過ぎているせいか、ときどき記憶がないことがある。前はそんなことは無かったのに、どうしても思い出せないことが時折あるのだ。 まさか、このわたしが心を病むなどということはないだろうが、とサガは考えたがまずい兆候であることは間違いない。 そのとき、遠く双児宮の入り口から叫ぶ声が聞こえた。 「サガさま!双子座のサガさま!こちらにおいでであらせられるか!」 「!」 サガとカノンは、同時に声の方へ振り返った。 「ここに!」 サガは通る声で雑兵に応えた。回廊を雑兵の足音が近づいて来る。カノンは音もなく奥へと姿を消していた。サガが部屋の扉を開けると、雑兵は膝を折り、畏まって言った。 「サガさま、シオン教皇のお召しにございます。射手座アイオロスとともに、教皇の間へ来るように。尚、参庁の際は正装のこと、と。」 「!」 聖闘士の正装とは、法衣を着ることではない。聖衣を纏うことだ。『正装』することなどこれまで一度もなかった。聖衣を纏って聖闘士が聖域を闊歩することは、有事の証である。教皇の許可無く聖衣で十二宮に侵入すれば死罪だった。聖域への翻意ありと見做されるのだ。石の壁を隔てたところで、カノンも息を飲むのを、サガは感じた。 ついに、来た――――――。 サガは、教皇庁へと通じる石段を見上げた。雨雲は遥かへと去り、陽が射していた。星はまだ見えず、サガは自分の運命を星に見ることは出来なかった。 |