■ともだち■ カノンに、話さなければ。 教皇がカノンとの会見を求めていることを、未だサガはカノンに話せずにいた。 これでは悪循環だということは、サガは十分すぎるほど分かっていた。だが、どうしたら良いのか分からない。 カノンはその時々によってころころと態度を変えた。驚くほど朗らかにサガに他愛ない話を聞かせたかと思えば、もう聖域との一切の縁を切りたいと怒鳴り散らした。サガがその話を、恐る恐る持ち出そうとすると、カノンは必ず悪態をついた。サガはカノンに己の心を見透かされているのではないかと思った。 サガの気持ちは不安定に揺れ続けた。 カノンが例えどんな態度を取っても、怒ってはだめだ。まごころをもって、平らかな気持ちで、粘り強く語りかけるしかない。だが、その下手に出ているとも取れる己の態度が、カノンを増長させているのではないだろうかとも思えた。黄金聖闘士として、そして兄として毅然たる態度でぴしゃりと言うべきだろうか。 そして、タイミングだ。 二の足を踏んで、機会を逃してはならない。だが、急いて機会を見誤るのは尚禁物だ。 十分に見極めて、切り出さなければ。いや、そんな風に頭で考えているから現状を打開できないのかもしれない。その時が来れば、衝動的にその話が口をついて出るはずだ。焦るな、焦るな。自分を、信じるのだ。 そこまで考えると、決まってサガは教皇の眼差しを思い出した。 じっと自分を射抜くような瞳。あの眼差しで見据えられると、サガは居ても立ってもいられない気持ちになった。 もう、話したのだろうな。 そう語りかけているように思えてならなかった。 素直に、まだ話せる状況になっていないことを報告すべきかとも思った。相談、という形を取るべきなのか。だが、こんな相談をしたら、シオンは黄金聖闘士としての資質を疑うかもしれない。シオンはため息をつき、諦めの眼差しを自分に向けたら――――。そう考えると、サガは恐ろしくてならなかった。 事実、リウテスには自分の所作や、聖域に対する解釈を咎められた。聖域とは、そういうものではない、と何度も言われた。 何が違っているのか、サガには分からなかった。聖域で生まれ育った者にはない目を自分は持っているから、独自の解釈をしてしまうのだ。リウテスには、それが理解出来ないに違いない。そう思わないこともなかった。異なるというだけで、誤りということではないのではないか。ひとつところに長く居て、それに慣れてしまうと、人は違う価値観を次第に受け入れられなくなる。その最たる例が、教皇に次ぐ第二の在位期間を誇り、神官たちを取りまとめているリウテスなのだ。 いや、そうではない。視野が狭いのは自分の方なのかもしれない。兄弟二人だけで生活し、長く他人との交流を持たなかったのだから。 迷いのないアイオロスが、羨ましかった。リウテスに咎められるたび、アイオロスなら何と答えるかと考えた。 自由奔放なカノンが、妬ましかった。もしもカノンが黄金聖闘士に選ばれていたら、どうふるまっただろうかと考えずにいられなかった。ひょっとすると、カノンが双子座の黄金聖闘士になった方が良かったのかもしれない。自分を双子座に据えたのが、教皇の判断ミスだったら―――――。サガの思考は、恐ろしい結論を次々に紡ぎ出した。次第に心が潰れてれてしまいそうになった。 「……ガ…」 サガは、ふと自分を呼ぶ声に気付いた。どこからだろう。周囲を見回しても、人影はない。 「やっぱりやめようよ。まずいって」 「なんだよ、ここまで来て、何言ってんだよ!」 「だって来ちゃいけないんだぜ?ここ」 「大丈夫だよ、怒るわけないだろ!」 「ちがうよ、迷惑がかかったら悪いだろ!」 「もうここまで来たんだから、さっさと済ませて帰る方がいいだろ!」 初めはぼそぼそとした小声のやりとりは、次第に大きくなった。 延々と続く石段の脇に立つ、一本の円柱の影からその声は聞こえて来た。 「誰だ」 サガは円柱へと声を掛けた。 「おい!ちょっと……」 円柱の影から、一人、少年が横から押し出される形で姿を現した。聖闘士候補生だろうか。候補生の多くが着ている、簡素な訓練着を着ていた。黒髪の、ひょろりと背の高い少年だった。 「聖闘士なんだから、お前が先に出るのが当たり前だろ!」 もう一人はまだ柱の影に姿を隠したままだった、 「いつまでも隠れてんな!お前がさっさと済ませようって言ったんだからな!」 黒髪の少年は、柱の影にいたもう一人の腕を掴んで乱暴に引っ張り出した。 「うわ!」 勢い余って、潜んでいた一人が転がり出た。癖の強い赤毛の少年だった。 サガの目の前に転がり出て、慌てて膝の埃を払って立ち上がり、取り繕うように言った。 「やあカ……、サガ……様!久しぶり!」 サガは突然のことに、目を丸くして立っていた。 「ごめんよ、ここまで入っちゃいけないってことは知ってたんだけど、どうしても会いたくてさ。すぐ帰るから堪忍な!」 黒髪の少年が、赤毛の訓練着に付いた砂をはたき落としながら言った。 「どう?元気だったか?カ……サガ様」 状況がつかめず、立ち尽くすサガに赤毛の少年が続けて語りかけた。 「カ…サガは、サガ様って名乗ることにしたんだろ!安心してくれよ、俺たち、間違えたりしないよ!」 黒髪と、赤毛の癖っ毛。ああ、カノンがいつも話していた二人か。黒髪がオルコス。赤毛がヨランド、だったな。 「リウテスは意地が悪いからさ!いろいろとやられると思うけど気にしちゃダメだよ!」 「でも教皇さまより聖域のことを握ってるって言うからさ、とりあえず言うこと聞いとけよ!はいはいって言っとけば良いんだ!」 「カノンはすぐにブチ切れるから心配で……」 「おい!」 ヨランドが言い終わる前に、オルコスが横から肘鉄を食らわせた。 「なんだよ!」 「カノンじゃないだろ!」 「カノンなんて言ってないよ!」 「今言った!」 「言ってない!」 「言ったよ!お前、だから心配なんだよ!」 二人は、双子座の黄金聖闘士が選出されたことを聞いた。式典をこっそり覗きに行き、その顔を仰ぐと、予想通り彼は友人の顔をしていた。だが、名前が違う。二人はしばらく混乱したが、神官の友人から聖域では着任するとともにその座にふさわしい名を名乗ることがしばしばあるのだという話を聞かされた。そして、カノンはサガと名乗ることにしたのだと思ったのだった。 黄金聖闘士として選出されることは、聖闘士を目指す者にとってこれ以上ない誉れではあるが、同時に多難に晒されることを意味していた。すぐに聖戦が起これば良い。己の持つ小宇宙を爆発させて、目の前の敵を屠れば良いのだ。それだけで、聖域の面々は破格の力量にひれ伏すだろう。 だが、ゆるゆるとした平時は逆に難儀だった。さまざまな習慣が、こなさなくてはならない儀式が山のようにあった。 長い歴史の間に、作法も実に煩雑に指定されていた。黄金聖闘士は、洗練された振る舞いも要求された。戦闘の場面がほとんど無いため、大衆の面前で行われる式典における所作で判断されてしまうのだ。 「オルコス!久しぶりだな!、ヨランド、良く来てくれた!」 サガは、カノンの表情を作って二人に語りかけた。 二人はまだ言った言わないと小競り合いを続けていたが、サガの声を聞いてこちらへと顔を向けた。 「心配して来てくれたのか」 サガは、嬉しげなカノンの顔をして見せた。 「ほんと、いろいろあると思うけど、めげずに頑張って!」 オルコスが頷きながら言った。 「たまには、俺たちのとこにも顔出してくれよな!カ……サガは、見つからないように来るの、前から得意だっただろ!」 「うんうん、俺たちで良ければ、相談に乗るし、愚痴も聞けるよ!誰にも言わないから、安心して!」 サガの心に、二人の優しさが沁みた。 「ありがとう」 サガは、二人の手を握って言った。目の奥がじんと熱くなった。 「なんか……変わったな、カ……、サガ」 「え」 「落ち着いた、というか……、なんか、違う人みたいだ」 ヨランドが、じっとサガの顔を見つめて言った。横から、またしてもオルコスがヨランドに肘鉄を食らわせながら言った。 「立場が人を作るって言うだろ!それだけ大変な立場なんだよ!黄金聖闘士って言うのは!」 「ってえ……、でもお前は全然立場に作られない人だよね、オルコス」 「なんだと?!」 「お気楽極楽青銅聖闘士〜!」 「お前!!」 サガは、軽口を叩きあう二人の仲の良さに目を細めた。自分も、カノンとこんな風だったのに。そう思うと、胸が苦しくなった。 「つかさ、早く行かないとまずくね?!」 首に腕を回され、ぎゅうぎゅうと締め上げられていたヨランドが声を上げた。 「見つかったらまずいし!」 うまい言い訳を良く思いつくもんだ、と言いながらオルコスは腕をほどいた。 ほんと、また俺たちのところにも遊びに来てくれよな! いつでも良いよ!待ってるからな! 二人は、何度も振り返ると、その言葉を繰り返しながら帰って行った。 サガは、石段の彼方へと小さくなる二人の背中を見守りながら思った。 カノンは、この友人二人をも失ったのだ。 自分たちが双子であることを隠し、カノンが自分になりすまして二人に会いに行くことも出来るが、カノンはそんなことはしないだろう。聖闘士になる前からの友人である二人に、すべてを奪った兄に成りすまして会いに行くことなど、きっと、耐えられない。 カノンのつらさの一端を、サガは身を以て知った。カノンのために、早く活路を見出さなくては、とサガは思った。 そのひたむきな決意が、少しずつ、少しずつ、自分を追いつめていることに、サガは気付かなかった。 |