或る鑑識課員の事件簿
ここは警視庁にある窓際部署の狭い一室。
「これが新たに発見された物証です。」
そう言いながら、ビニール袋に入った眼鏡を警部に手渡した。
「酒井さん、お忙しいところご協力いただき、ありがとうございました。」
「いやいや、とんでもない。」
「陽一さん、これで犯人に一歩近づきましたね!」
またまたお宮入り寸前だった事件を、このふたりが解決してくれそうだ。
被害者の無念が少しでも晴れるような気がして、鬱積した疲れが幾ばくか軽くなった。
「酒井さん、紅茶でもどうです?」
「あっ、今から課に戻って資料整理などしないといけないので、これで失礼します。」
「え、そうなの?もうすぐカレーもできるのに・・・」
「一旦片付いたらまた伺いますんで。」
「わかった!」
ふたりに一礼して、自分の持ち場へ引き上げるため歩き出した。
廊下に出た途端、何やら大きな話し声が響いていることに気づき、足を止める。
長い廊下の向こうの角から、花形部署「捜査一課」のふたり(「捜一コンビ」と呼ばれている)が何やら喚きながら歩いてくるのが目に入った。
「先輩っ!・・・俺、納得できませんよ!」
「んなもん、俺だってそうだ!でも“上”がそう言うんだから、どうにもなんねぇだろ!」
何やらいつもと様子が違う。
いつもこのふたりが喚くといえば、たいてい目の前に特命係のふたりがいるパターンがほとんどなのだが。
「でも俺には信じられませんっ、あの『仏のタミさん』がっ・・・」
「え、あ、あの・・・『仏のタミさん』が、どうしたんです?」
気になるキーワードが耳に入り、目の前に迫っていたふたりを制止する。
「あ?酒井。何だ?」
「何だ、じゃないです。『仏のタミさん』、どうされたんです?」
「・・・死んだよ。」
「何も証拠が残ってなくて、自殺ってことになるんだって・・・」
「え・・・」
村上と安岡の言葉に、うまい言葉が見つからない。
仏のタミさん―――捜査一課のベテラン刑事。
被疑者をやさしく説得して落とす(自供させる)ことから、そう呼ばれるようになったそうだ。
その温和な性格は職場でも変わらず、警視庁の中の誰からも信頼されていた。
かく言う俺もタミさんに世話になったひとりだ。
昨夜から今朝にかけて銀行強盗事件の現場での鑑識作業に携わっていた俺にとって、仏のタミさんの訃報は寝耳に水だ。
「昨日、いつもどおり俺たちに『また明日・・・あ、明日俺は非番だから、“また明後日”だな。』って言って笑って帰っていったのに・・・
その夜に呆気なく自殺なんて・・・あり得ないよ・・・」
「俺も入署以来、タミさんにはずっと世話になっててな。捜一の父親的な存在だった。
だから何としてでも他殺の証拠を見つけたかったんだけどな・・・(証拠が)何も出なかった・・・」
目に涙を溜めている安岡、唇を噛み締めている村上と同様、俺もタミさんのが自殺を図るなんて信じられないし、信じたくはなかった。