隠れた名所
「はぁ?『隠れた名所』だぁ?」
ある日の正午、本社ビルの上層階のワンフロア全体を使って設けられた社員食堂の片隅。
「ミックスフライ定食」のさかなフライにタルタルソースをからめる手を止めた村上が聞き返した。
「うん、何かで見たんだよね。何かで。」
手に持ったカレースプーンを空中に止めたままそう答えた黒沢は、そのスプーンの先端を「本日のカレー:チキンカレー(サラダつき)」の皿の中へと沈めた。
「おつかれさまです。」
「おぅ、北山。おつかれ。」
ふたりが座る席に現れた北山が、手にしていた「焼魚定食」をテーブルの上に静かに置き、目の前にあるイスに腰をかける。
「ふたりで何の話してたの?」
「黒沢がさぁ、桜の『隠れた名所』とやらを見つけたとよ。」
「『隠れた名所』?」
「うん、何かで見たんだよ、何かで。」
黒沢が同じような返答を繰り返していた時、酒井も席へと到着し、「おつかれ〜っす!」と言いながらストンと着席した。
そしてすぐさまパチンといい音を鳴らして箸を割り、早速「きつねうどん」をズズズイッとすすり始めた。
「おめぇ、ホント落語家みたいにうどん食うなぁ〜。」
「ちまちま食って伸びちゃあうどんに対して失礼でしょうが〜。
うどんをね、途中でぶちって噛んで切っちゃう人いるでしょ?あれはいただけない。
歯で切るんじゃなくて、箸で1回でつまみ上げた分は、責任持って最後まですすってやらないと。ね?わかります?」
「はいはい、わかったから。ノウハウ語ってる間に伸びるよ?」
ようやく焼き魚定食に箸をつけ始めた北山が制すと、酒井は「おっと、そうだった。」と呟き、再びうどんを口へと運ぶ。
「で?どこなんだよ、その桜。」
「ん〜、それがさぁ、テレビで見たか雑誌で見たか覚えてないんだけど・・・
その時まとめていろんな桜の情報をいっぱい見たからな〜?いろいろとゴッチャになっちゃってねぇ〜。」
「ダメじゃん!っていうかそれって何もかも覚えてないってことじゃないの?」
北山の問いに、黒沢が今になってようやくカレーとごはんを混ぜながら「ん〜」と唸った。
「でも、たぶん『ここかな〜?』ってカンジではあるんだよ?」
「何だそのあやふやすぎる情報はよぉ・・・」
「もちろん、みんなもつき合ってくれるよねぇ〜?」
「何を?」
「『隠れた名所』行くのに決まってんじゃん。今日仕事終わってから決行ね。はい、決定〜!」
黒沢の提案に、焼き魚定食についていたきんぴらごぼうの小鉢を持ち上げようとしていた北山が、表情を強張らせる。
「ちょ、ちょっと待ってよ、それ『行く』っていうんじゃなくて、『探す』っていう方が正しいんじゃ・・・」
「ほら、お前らがいたら不確かなものでもなんとか見つかりそうだろ〜?」
「コロッケカレー、買ってくる!」
話に加わることなくきつねうどんをペロリと完食した酒井が、ガタッと音を立て席を離れる。
それは他の3人にとって見慣れた光景らしく、そのことに触れる者は誰ひとりいない。