:ヒーローレポート:
Case1緊急指令・連続通り魔事件を追え!
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ジャスティスタワー――善良な住民には慈愛の、平穏掻き乱す悪漢には怒りの眼差し向けるシュテルンビルトの物言わぬ女神、正義の象徴――内部の一室は物々しい雰囲気に包まれていた。 本来ならば重量など感じないはずの空気が重油塗れさせたかに重く伸し掛かってくるのは、昼日中にもかかわらず窓に全てブラインドがかけられ、電燈さえつけられていないため――――だけではない。 部屋の中央、半円形に設置されたソファに人の影。 そろい踏んだのは街の平和を守るため、その身にロゴとして背負うスポンサーの期待に応えるため、日夜シュテルンビルトを駆ける戦う広告塔、異能の英雄達の姿。 誰も彼も、その面に真剣な、あるいは沈痛な心を沈め眼前の壁を食い入るように見つめている。 彼らの背後でプロジェクターを操るのはHEROTVの敏腕鬼プロデューサー、視聴率の魔女、アニエス・ジュベール。 美しく整えられた面は 腕利きのプロデューサーらしく冷静そのもので、ヒーロー達ほどの揺らぎはなく。 「これが――――いま警察が躍起になって追っている連続通り魔に関する最新の資料よ」 告げた声は淡々と、部屋を満たす憂鬱の泥に万鈞の重みを添えて沈んだ。 ――――スクリーンには直視できぬほど散々たる光景が広がっていた。 事実、感受性の強いブルーローズには刺激が過ぎたようだ。 画像が映った瞬間、目を背けこそしなかったものの、スクリーンから返されるおぼろな光に照らされた貌が我がことのように痛ましく歪み、あえかな悲鳴が引き結んだ花唇からこぼれる。 そんな彼女を慰めるように、隣に座ったファイヤーエンブレムが膝の上で震えている拳をそっと握りしめ、あやす。 常ならば心と受け止められるかれの慰めも、いまのブルーローズには届かず膝の上の拳も冷たく堅く、真冬降り注ぐ雪の重みに華奢な茎を項垂れる可憐な薔薇のつぼみのごとく、ほころぶことはない。 ブルーローズを挟んで反対側に座る、普段磊落なスカイハイの相に現れた変化も目に見やすく物狂おしい。 人も通わぬ深い森の、更に奥。もはや生き物はおろか神々の足も絶えて久しい湖の静寂。瞬きすらせず画面を見つめる、蝋人形のように固まった表情と姿勢がかえって怒りの甚大さを想像させ、隣で打ち見た折紙サイクロンはその恐ろしさにそっと青い顔を俯かせた。 だがスカイハイより更に見やすい怒りをあらわにするのが二名。 ヒーロー達の中では古参に位置するワイルドタイガーとロックバイソン、この両名の怒りもやはり尋常ではない。 滲みでるのは気の弱い者が近づけば心臓を破裂させかねないほどの激烈な瞋恚。 我を忘れて怒りを噴出させる分別のなさこそないが、それでも賽の河原にて亡者どもに恐れられ、暴虐の限りを尽す牛頭馬頭も、いまの彼らの前に引きだされれば為す術なく恐怖に駆られ、泣き叫び命乞いすることだろう。 もとより鬼をも素手でひしぎそうな容貌魁偉のロックバイソンの、名が表すとおり巌のごとき額に浮かんだ血の管が、生き物のようにひくりひくりと蠕動を繰り返しているさまは画面と別ベクトルで恐ろしいの一言に尽きる。 彼らに反して唯一、表も裏も沈着なのがルーキー、バーナビー・ブルックスJr。 スクリーンに映し出される光景に、向けた眼差しは街の守り手としてよりも怒りや哀れみの情を廃した捜査官や探偵のそれに近い。 眇めた緑眼その奥で巡るのは、映像からいかにして犯人へ至る道筋をつけるかの算段。 しかし冷静な観察者も進む場面に平静さを削り取られてゆき、何度か喉の奥であがりそうになる声をすり潰す。 かつて産業革命の恩恵大いに受けた国で起こった、娼婦ばかりを執拗に狙い世界中に震撼と恐怖の種を撒き散らした切り裂き魔の犯行現場を思わせる陰惨な狂気が画面から漏れいでているようである。 撮る者の心が現れているのか。画面は小刻みにぶれ、どこかか黒いもやがかかって忌まわしい。 記録されていたのは、凶行が終わり警察の手がはいったまさにその現場である。 薄暗い路地裏。 散らばるゴミの山。 すでに黒ずんだ血痕。 倒れ臥す被害者。 そのまわりを飛び交う蝿。 屍肉貪り蠢く蛆。 被害者の頭に突き刺さるカジキマグロ。 沈痛な面持ちの捜査官達。 担架で運ばれてゆく被害者。 血糊ついたカジキマグロの死骸。 最後にカジキマグロに齧り付く野良猫のアップが写り、映像は途切れる。 ――――弾けるような音が天井で数度。部屋に灯りは戻ったが、ヒーロー達の面に光は戻らない。 映像から抜け出た凶行の残骸がいまだ部屋の中に腐った粥と偏み、ヒーロー達の両肩へ粘膜ぬらつかせたガマガエルのごとくいやらしくのしかかっては呪縛する。 誰も彼も、身じろぎ一つしなかった。 だが、沈黙は長く続かず、数拍後。密にして滅なる空気に耐えかねたか。 項垂れたまま唇薄く震わせタイガーは呟く。 まるで感情のままに吐き出してしまえば身の裡からあふれる怒りで引き裂かれてしまうとでも言うかのように、そっと、細く。 「むごいな……」 「あぁ……」 「いやいや普通に考えてナシでしょう! なぜこれを凶器にチョイス!? カジキマグロのいったい何が犯人の琴線に触れたんです!?」 タイガー、バイソン両名の沈痛な呟きを引き金に、叫ぶバーナビーの声が場の空気に風穴を開けた。 人間は自分のキャパシティを越える事態に遭遇した場合、多くの者はいっさいを拒絶して、それまで築きあげてきた常識の砦に逃げこむか、あるいは現実は現実と受け止め自分が納得できるよう良識とすりあわせ、新たな価値観とするかに分かれる。 今回のバーナビーは完全に前者だった。 常ならばタイガー以外の目がある場所でこれほど取り乱したりはしないのだが、そんな矜持など目の当たりにした不可解の前では、嵐の前のチリとばかりに吹き飛ばされた。 己の信ずる常識の枠外にある事件のあらましに困惑する年下の相棒へ、しかし向けたタイガーの言葉はいっそあどけないほど無情で。 「知らねぇよ。俺、犯人じゃねぇし」 「正論ですね! おじさんのくせに一点の曇りもないほどの正論だ!」 きょとんと小首傾げて答えられた意見は、暴力的なまでにシンプルだった。 予想外に鋭い言葉のジャブへ言い返すこともできず、頭抱えて歯ぎしりするバーナビーなど関せずとばかりに一瞥もなく、アニエスは淡々と手元の資料を開く。 「事件が始まったのは先月の十五日から。現場はブロンズステージからシルバーステージの人気ない路地裏が主。被害者は今見せた男性で五人目。被害者同士に繋がりはないわ。ついでにそれぞれ心当たりもね。あえて言うなら、全員凶器に魚介類――ヤリイカ、タコ、冷凍サンマなど――が使われている。――――全部死亡事件にまで発展していないのが幸いかしら」 「……分からない」 アニエスは最後に幸いと結んだが、新たにもたらされた情報はバーナビーの頭頂に雷神の鎚と振り下ろされ、さらなる混乱と頭痛を植えつけるに終わった。 「―――ナイフの代わりに魚介類を持つ本当の意味が僕には分からないッ」 「おお、バニーちゃんが半信半疑であっちこっちしてら」 「落ち着いて、バーナビー。どうもこの事件はココデオワルハズガナイみたいなの」 犯人の意図を計りかねていまだ懊悩の沼から這い上がれないバーナビーに一声だけ掛けて、着々と進行を続けるアニエスが全員に配った資料、その最後の一枚に印刷されていた写真には壁に血文字で"NEXT→"の文字。そして矢印の先には壁にナイフで貫かれた――――、 ダツ。 「予告状……」 「あぁら、ずいぶんふざけた真似してくれるじゃなァい」 穴が開くかと思うほどの強い眼力で写真を見つめるスカイハイ、ファイヤーエンブレム両名の瞳には、犯人への怒りがかぎろう。 ダツに向けた二人の表情は、冷たく硬い。 その二人に向けるバーナビーの表情は、熱く険しい。 「アリですか!? みなさん的に動物界脊索動物門脊椎動物亜門条鰭綱ダツ目ダツ亜目ダツ上科ダツ科ダツ属は予告状として成立するんですか!」 「……すげーなバニーちゃん。いまのワンブレスで言い切ったぞ」 「ええ、おじさんの油がきれた滑舌じゃア半分も言い切れなかったでしょうね……ッ」 的の外れた相棒の賞賛に、やけくそ気味の邪揄を返すバーナビー。 まなじり決し、今にも穴の空いたホースのように血を噴き出させそうなほどこめかみの血管を浮かびあがらせるバーナビーを不憫に思ったか、 「タイガーさん、バーナビーさんが言いたかったのはそういうことじゃないかと……」 「折紙先輩――――」 控えめな折紙の援護に、憤りで歪んでいたバーナビーの表情も元の秀麗さを、 「もっとバーナビーさんの海産物に対する知識の深さを褒めてあげましょうよ!」 「優しさが超次元を向いているッ! 折紙先輩、あなたもか!?」 銀河彼方に投げ捨てた。 「ちなみにダツって食べられるッ!?」 「あなたの食欲は古今無双かドラゴンキッド!?」 横から突如差しこまれた少女の言葉は音色だけ聞けば牛の首さえ斬り落とす青竜刀の鋭きにも似て、しかし内容ときたら母親に夕飯のメニューを問う子供の無邪気さ。 口角に光るのは汗かヨダレか。 痛み伴う緊張感さえ食い尽くすドラゴンキッドを前に、バーナビーは思わず目頭を押さえた。 極彩色の悪夢をさまようがごとき目眩が視界を歪ませ、脳髄を軋らせる。 しかしバーナビーは分かっていた。 いまこの場で間違っているのは分別なく喚いている自分の方だと、よく分かっていたのだ。 なにせ自分達が普段相手にしている犯罪者はそれまで培っていた現実だとか法則だとか仕組みだとかを超越した存在、NEXTであることが多い。 いまさら凶器に海産物を用いる人間がいたぐらい、市井を流れる川にセイウチが現れたほどの物珍しさしかないのだ。 証拠に、ちらちらと我が身をかすめるヒーロー達の視線に憐れみの色はあっても同感の意はない。 この中では比較的自分に近いタイプの常識観を持っているであろうブルーローズでさえも、だ。 "ヒーローが最初に捨てるべきは己の命ではなくそれまで育てあげてきた常識である"、とバーナビーはヒーロー活動を始めてからまっさきに学んだことを思い出した。 だがそれでも、いままでおのれの影と同じく人生を共にしてきたものをそうそう変えられるわけもなく――――。 「バニー……」 しおれた花のように頭を垂れてソファに座り込むバーナビーの肩へ、触れる優しい熱。 面を上げて熱源を辿れば、そこには仁愛の相浮かべたタイガーがいる。 取り乱すさまがよほど不憫に見えたか。 タイガーは力なく落とされた相棒の肩を慰撫して、 「戻ってこい、バニー。アルダス・ハクスリーだって言ってんだろ」 優しく、優しく。 慈愛深き天使の羽根で包むかのように声音優しく。 「――――"事実に目をつぶったところで、事実が無くなるわけじゃない"」 「ええ、だからこそ逃げたくなるんですよ、この馬鹿げた現実から――――ッ!!」 トドメを刺した。 タイガーからすれば慰めの助言も、いまのすり減ったバーナビーの精神には玉の緒刈り取る死神の鎌。 なにが悪いのか分からない、とでも言うようにおろおろするタイガーを視界の端に捕らえたまま、バーナビーはふたたびうなだれる。 真面目になればなるほどまるで自分が出来の悪いカートゥーンの登場人物にでもなったかのように滑稽な虚しさが止まらなかった。 しかもこの場でふざけている者などいない、理不尽も滑稽さも感じているのは自分一人ときている。 うなだれた身の上を撫でるヒーロー達の憐憫の眼差しが、いまは深夜悪夢にうなされる我が子をあやす母親の指先と言うより、迷子の子供をねぐらに引っ立てる魔女の鞭に感じられ、痛い。 しかし疼痛誘う視線の慰撫はすぐさま別の――――話を再開したアニエスへと向き直る。 葛藤に沈むルーキーより、いまは市民の平穏脅かす通り魔のほうが優先されるのは、当然と言えば当然だった。 「さて今回の被害者の傷の程度だけれど幸いにして被害者はヅラで、カジキマグロは頭とヅラの間に刺さっていたためヅラの留め具が壊れたくらいで、当人はヅラほど重傷じゃなくかすり傷程度ですんだそうよ。被害者がヅラでよかったわ、本当に、ヅラで。重ねて言うけれど、ヅラで」 「……ヅラヅラ言い過ぎです、アニエスさん。"一度の会話に何回ヅラを登場させられるか?"の世界記録でも目指しているんですか?」 資料をめくりながらの説明に、疲労困憊のバーナビー、それでもツッコミを入れてしまうのは性分か条件反射か。 しかしアニエスはバーナビーの茶々などいっさい気にした様子なく、まるで天気の話題でも出すかのように軽やかに、 「ちなみにこの情報、HEROTV内の特番で流したところ瞬間視聴率40%を越えたわ」 「被害者セカンド大惨事!!」 とんでもない爆弾を落とした。 さすがに氏名までは流れていなかろうが、それでも勘の良い関係者が視ていたら確実に「誰々のことだ」と気づく程度の情報流出。 今頃被害者男性は病院のベッドで生き残ったことを悔いて号泣しているかもしれない――――と思えばあまりに哀れで忍びなくて、バーナビー他一同、写真でしか見たことのない被害者男性のため、これから彼が歩む人生に平穏あれと、一時黙祷を捧げた。 |
あとがき
ヒーローしているみんなが書きたかった。