:ズルイ人:
前編

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 言った瞬間、相手は唖然とした。
 言った瞬間、自分も呆然とした。
 








 トレーニングセンターの地下駐車場へ続く廊下。
 人口の明かり皎々と点る中、イワンは虎徹と対峙していた。
 向かい合う表情はどちらも同じ、驚きに満ちている。

「あの、さ……折紙?」
 しばらく固まっていた二人だったが、先に虎徹の表情が崩れた。
 眉をハの字にし、困惑を前面に押し出したその顔に、イワンは自分が何を言ってしまったか思い返し視線から逃げるように俯く。
 頭の内側で、先ほどの言葉が虫の羽音のごとくうなりを上げて反響した。 
 手汗を吸って湿った映画のチケットが拳の中でくしゃりと潰れる。
 映画の内容は彼好みのヒーローもので、もう何日も前から用意していたものだ。
 潰れたチケットをもったいないと思うことはなかった。
 チケットに求めた"役割"は、虎徹と同じ時間を過ごすための橋渡し。
 だが、誘いを断られた今もうチケットに価値はない。
 それどころか……。
「タイガー、さん、は……」
 途切れ途切れに、イワンの唇は先ほど投げかけた疑問を繰り返す。



「タイガーさんは、僕、とドラゴンキッドを、く、くっつけたいんですか?」



 ――――イワンが誘いを断られるのはこれが最初ではない。
 一度目は夕食の誘い。二度目は今回のように映画。
 三度目、四度目、五度目――――いづれも、今のような申し訳なさそうに顔をくしゃりと歪めた微苦笑をもってして断りを入れてきた。
 そしていつも最後、虎徹はこう付け加えるのだ。



『俺なんかより、ドラゴンキッドとでも行ってこいよ』



 言って、そこに彼女がいれば直接、代わりに誘いをかける。
 本当の目的を告白することもできず、虎徹に言われたとおりイワンは何度かパオリンと食事を共にしたりした。
 しかし虎徹が期待しているであろう進展は二人の間には生まれなかった。
 当然だ。
 二人とも、同じ感情のベクトルを、同じ相手に向けているのだから。
 見当違いの仲介を何度も受け、とうとうイワンの口から普段溜め込んでいた鬱憤が滑り落ちてしまった結果が先ほどの台詞。



『タイガーさんは、僕とドラゴンキッドをくっつけたいんですか?』




 案の定、虎徹は困ったような顔で首を傾げる。
「あのさー、なんでいきなりそんなこと言い出したの?」
「いきなりじゃありません。ずっと考えていました」
 イワンは背筋をしゃんと伸ばすと、虎徹に視線を定めた。
 虎徹の前になると特に覚束なくなる舌が今日ばかりはよく回る。
 言語中枢の一部が焼き切れたようだ。口が止まらない。

「僕の誘いを断るとき、いつも最後にドラゴンキッドを持ってきますよね」
 指摘すれば、虎徹は目に見えて動揺した。
 あまり当たって欲しくなかったが、自覚した上での行動だったらしい。
「アレは、ほら。俺みたいなオッサンと一緒よりあー言う可愛い子の方がお前も……」
「僕に他に好きな人がいるって、思わないんですか?」
 問いかけというよりは詰問と言えるほど鋭いイワンの声に、虎徹は瞠目した。
 ぐるり、と丸くなった目がこちらを映す。イワンを映す。
 あの強い意志の宿る琥珀色に自分だけを映してくれればいいのにと幾度も思った。
 願いは叶ったが嬉しくない。
 虎徹が再び、見当違いなことを言い出した。

「え−、まさかお前ブルーローズを……」
 ――――彼女はたしかに美しい。
 美貌は時に"力"を持つ。
 人の上に君臨することを当然とし、また誰もそれに異を唱えられない"力"が彼女には宿っている。
 だがそれはあくまでTVの中でのこと。
 スーツを脱いだ彼女は周囲への思いやりを持った年相応の少女であり――――自分と同じ相手に恋しているライバルでもある。
 イワンは首を振った。

「あ、まさかアニエス!?」
「違います」
 即座にイワンは否定した。
 虎徹が目に見えて安堵する。
「あー良かったー。あいつ美人だけど性格きっついからなぁ……。たぶんつきあったらお前ノイローゼでどうにかなってるわー」
 あぁ、良かった。
 大げさに額の汗を拭いながら、しかし虎徹ははたと気づく。
「ん? あれ? お前の好きな子ってHEROTV関係者じゃねぇの?」
 再度否定。
「いいえ。思いっきり関係しています」
「えー、誰よー。ヒーローじゃないとすると、スタッフの――――」
「あなたです」
 にやにやと明後日の方向を向いて関係者の顔を思い返していたらしい虎徹が、イワンの言葉に固まる。
 首だけ上を向いたまま、こちらに戻った視線を確認してから、



「僕が好きなのは、タイガーさんです」




 虎徹の戸惑う視線を真っ向から受け止め、イワンは己の気持ちを突きつけた。
 同じ想いを持つパオリン達への後ろめたさが一瞬胸を去来したが、なかったことにする。
 ある意味これはチャンスだった。
 自分の気持ちを虎徹に伝えるチャンス。
 この期を逃せば優柔不断な自分のこと。いったいいつ次が回ってくるか分からない。
 例えどんな結果が待っていようと、逃げたくはなかった。
 予想通りというかなんというか、虎徹は信じ切れていないようだ。
 こちらを向いた顔が心なしか青ざめている。
 引きつる口元が一言。

「ジョーク?」

 懇願の混じる言葉を、イワンは首を振って一刀両断した。
「冗談じゃないです」
「あー! ヒーローとしてって意味ね! ありがとー! 俺も折紙のこと−」
「それもありますけど、恋愛でって意味の方が強いです」
 いったい自分のどこにこんな度胸が眠っていたのか。
 ヒーロースーツを纏っていないにもかかわらず、すらすらと気持ちが言葉に変わって吐き出される。
 虎徹の引いた表情を見ても追求を止めない。
 気分は合戦に赴くサムライだ。

「お、おいおい。気ィしっかりもてよ、折紙ィ。俺、男で、さらにオッサンだぜ?」
「知ってます」
「あと妻帯者だし……」
「それも知ってます。知った上で、好きになりました」
 強気に言ってはみるが、虎徹が左薬指を指したとき思わず視線を外した。
 虎徹の妻が五年前に他界していることは、市長の赤ん坊を預かったとき知った。
 その時はまだこんな気持ち芽生えておらず何とも思わなかったが、今になって指輪の存在が重くのしかかってくる。
 はたして彼が指輪を外さないのは今でも妻を愛しているからか、それとも単なる虫除けか。


 ――――後者であれと思った自分の浅ましさに、イワンは拳をさらに強く握りしめた。


 もう手の中のチケットは、形を成していないかもしれない。
 イワンは虎徹に視線を向け直す。
 一瞬虎徹がたじろいだ。少なくとも、意識はされている。
 イワンはたたみかけるように言葉を続けた。

「タイガーさんは僕をどう思っていますか?」
「いや、どうって……」
 近づけば、その分虎徹は下がる。
 両手のひらを胸の前でこちらに向けているのは、来るなというジェスチャーか。
 しかしイワンは構わず足を踏み出す。
「あなたにとって僕は単なる仕事仲間ですか。それともただの暗い子供ですか」
「いやいや、俺はちゃんとお前をヒーローとして認め……」
「あなたにヒーローとして認めて貰うのは、何より嬉しいです。ありがとうございます」
 言葉尻に率直な喜びを重ねる。すると、虎徹はくしゃりと相好を崩した。
 一瞬心臓が跳ねて、空唾を飲み込む。
 癖でうつむきかけた顔を何とかそのままの位置に固定する
 不意打ちの笑みが、心臓と言葉にエンジンをかけた。

「僕はタイガーさんをヒーローとして尊敬しています。いつかあなたを支えられるだけの力が欲しいと思っています」

 そうだ。ジェイクとの死闘に傷つき意識を失った彼を目の当たりにしてからずっと、イワンは力を欲していた。
 彼が倒れそうになったとき、支えられるだけの腕が。彼が窮地に陥ったとき救えるだけの知恵が。彼が苦難に直面したときためらいなく楯になれるだけの勇気が。
 欲しくて欲しくてたまらない。
 だがどれも今のイワンには足りなく、そして一朝一夕で得られるものではない。
 さらに、彼のそばには全てを満たしているバーナビーというバディがいた。
 バーナビーもまた、虎徹に惹かれた者の一人だ。
 彼の存在が今まで以上にイワンの胸中に焦りを生む。
 虎徹とイワンは所属している会社が違う。年齢にも差がある。日常での接点すら薄い。
 断崖のような差が、二人の間には横たわる。
 だがここで諦めたくはなかった。
 何よりも誰よりも彼が好きだから、敵前逃亡なんてしたくはなかった。
 話に聞く運命の女神には前髪しかないという。
 今までのようにうじうじと悩み、うつむいてばかりではチャンスはつかめない。
 ――――自分は今、女神の前髪をつかんだのだ。
 イワンは当惑に身を退く虎徹にたたみかける。


「僕はまだ未熟ですけれど、きっとあなたを助けられるような、そんな男になって見せます。だから――――」
 イワンは言葉を切った。己を鼓舞するように臍下丹田に力を込める。
 そして、自分の中にある思いを全て言葉に乗せ、



「僕と、つきあってください」



 地下駐車場へと続く狭い廊下に、イワンの言葉が思った以上に反響した。
 首筋からすぅ……と汗が流れたのを合図に地下特有の薄寒さがイワンを包んだ。
 眼前の虎徹は固まっている。
 琥珀の瞳は揺らぎもせずイワンを見つめ続けている。唇は薄く開いたまま、ただ呼吸を零すだけ。
 言った。言ってしまった。
 今さらになって後悔とも何ともつかぬ苦いものが胸中に溢れ出す。
 本当はもっときちんとしたシチュエーションで言うつもりだった。
 もう少し時が経ってから。望んだだけ強くなってから。自分に自信が生まれてから。
 けれど勢いという怪物が全ての計画をぶちこわした。

 It is no use crying over spilt milk(溢れたミルクを嘆いても仕方ない)

 イワンは今、このことわざを脳髄が灼け切れるほど噛みしめている。

 ――――無言の見つめあいはどれほど続いたか。
 
 イワンの視界で、虎徹の表情が変わる。
 誘いを断るときの、あの申し訳なさの滲む微苦笑で、

「お前の気持ちは嬉しいけれど、ごめん、それは無理だ」
 よく通るその声を、イワンの耳は脳に届けまいと拒絶した。
 だが、重ねて言われた「本当に、ごめん」の言葉にストは終わる。
 正直言って、これまで何度も思い描いていた答えだった。
 十回考えたら、そのうち八回くらいはこういう終わり方をするだろうと思っていた。
 残りの一回は了承してくれる虎徹の笑顔で、最後の一回は保留という結末だったが。
 想像の中でのイワンは断られたと同時に素直に恋が終わったと諦めているはずなのだが、現実は違った。

「……理由を聞いてもいいですか?」
 まだ、しがみついている。
『お前の気持ちは嬉しい』という言葉にしがみついている。例えそれが社交辞令で、蜘蛛の網だったとしても手放す気など毛頭なかった。
 案の定、虎徹は後ろ頭を書きながら、困ったように、
「いやだってさ。俺ら男同士だし……」
「僕が嫌いですか」
 まるで三文ドラマでよくある、別れを渋る面倒くさい女のような台詞が口をつく。
 女々しい、とイワンは内心自分を蔑んだが、虎徹は逆に気遣うように笑みをかけた。
「いやいや、そんなわけないでしょ。ただ」
「他につきあってる人がいるんですか。それはバーナビーさんですか」
「……なんでそこでバニーちゃんが出てくるの?」
 虎徹は唖然としていた。本気で分かっていないらしい。
 あんなにも露骨なバーナビーの好意を受けても全く気づいていないとは、彼らしい救えない鈍感さだ。
 それすらも愛おしいと思える自分はもっと救えない。



「あのねー、なにをどう勘違いしてるか知らんが、バニーは関係ねーよ」
「じゃあ――――」
 イワンはいったん言葉を切った。
 ためらいが言葉をぶつ切らせた。
 これから言うことは、ある意味"彼ら"を侮辱するに等しい言葉だ。
 言ってしまえば、虎徹の自分に対する印象は変わってしまうかも知れない。
 どうしようもない邪推をするような、そんな男に。
 だが……言わずには、問わずにはいられなかった。
 何度も、何度も、聞こうと思って結局口も開けずにいた"疑惑"


「タイガーさんがつきあってるのは、ロックバイソンさんですか」


 ――――しん、とその場は水を打ったように静まりかえった。
 世界から音が失われ、沈黙がイワン達を押しつぶそうとしているかのようだ。
 イワンはさすがにうつむいた。
 言わなければ良かったと思う反面、聞いておいた方がいいと背反する思いがイワンの胸中に生まれる。
 ロックバイソンことアントニオは虎徹の親友だ。
 そのつきあいは古く、ヒーローになる前、学生の時分かららしい。
 ヒーロー達の中で、唯一虎徹の私生活事情を知っていたのが彼だ。
 実は、これまで誘いを断られたとき、いつも理由にアントニオの名前が上がった。


 曰く、彼と飲みに行く約束をしている。
 曰く、その映画は先週彼と見に行った。


 断る文面にはバリエーションがあれど、必ず中にはアントニオが盛り込まれていた。
 これでは疑うなと言う方が無理だ。
 けれど普段の二人の様子と言ったら親密ではあるがイワンが想像しているような"色"はなく、いたって普通の親友同士に見えた。
 人の心の機敏に聡いファイアーエムブレムですらも太鼓判を押すほどの健全な仲。
 そこに、イワンは邪な妄想を持ち込んだ。
 二人の友情を汚したに等しい。
 とんでもない邪推野郎と軽蔑されるかも知れない。
 イワンはそれ以上なにも言えず、黙して判決の時を待った。
 しかし、イワンが想像したような罵倒も罵声も落ちてこない。
 恐る恐る面を上げる。
 すると、

あとがき

長いので分けます。
次回、おじさんの逆襲?

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