:花咲くhallucination:
前編

≫前/戻る/

 今日も今日とて世界会議はまともに進行していなかった。
 いつものようにアルフレッドが無茶な案を出し、それをアーサー各国が却下し、それを受けてアルフレッドが空気を読まずさらに無茶を重ね、結局ルートヴィッヒあたりがキレる。
 どこかで誰かが脚本でも用意しているんじゃないかと思うほどいつもどおりの会議風景。
 その平常運転なグダグダ会議に、一人違和感を感じる者が居た。






「おい、本田」
 会議終了後(結局今回も誰かさんのおかげで収拾が付かなかった)、思い思いに会議室を出て行く他の者に逆らい、アーサーは菊に声を掛ける。
 アルフレッドから手渡された資料を纏めている最中だったらしい。まだ席に着いたままの菊は、不思議そうな顔でアーサーを仰ぐ。
 くるん、とビー玉のように丸くなった目に映る自身の顔は渋い。
 見下ろした菊の顔をまじまじと眺め、アーサーは思い切り眉をしかめると、おもむろにこう切り出した。



「お前、昨日寝てないのか」



 突然の質問にきょとんとさらに丸く見開かれる射干玉の瞳。その下には、童子のような表情に不釣り合いなクマができていた。
 普通ならば気づかないだろう。
 ドーランか何かで誤魔化されているのか、クマはうっすらとしか見えない。
 菊自身も誤魔化すつもりらしい。
 なんのことかと曖昧に笑う菊に、アーサーはさらに突きつける。
「誤魔化すなよ。会議の間中ずっと上の空だったじゃねぇか。しかも欠伸はするは、いつもだったらアルの話に逐一頷いてみせるのにそれもないは……」
 おかげでアルフレッドはふてくされ、ただでさえまともに進まない会議がさらにまとまらなくなった。
 それを事細かに指摘すれば、菊は困ったように眉尻を下げる。
「……みっともないところをお見せしてしまったようですね」
「べ、別に見たくて見てたわけじゃないぞ! ただ会議が進まなくって退屈だったから、なんかないかなーってその辺見回してたところにお前の顔があっただけで……。本当に、たまたまだからな!!」
 焦って、別に訊かれてもいない言い訳をべらべらしゃべくりたてる。



 "心配した"なんて言える訳がない。



 そして心配のあまり会議の間中見ていただとか、万が一倒れたら俺が運んでやろうその時は当然お姫様だっこだよな見た目軽そうだから俺にだって出来るよなそれにしても華奢だな抱きしめたらどんな感触がどんな匂いがするんだろういっそのこと一晩中付き添ってやろうかそうしたら寝顔もみられるしあわよくばキスだって……とずっと妄想していたなど、さらに言えない。言えようはずがない。言うくらいなら舌を噛みちぎる。
「と、とにかくだ! お前、本当に寝てないのか。もしかして、体調でも悪いんじゃ……」
 先ほどまでのやましい考えを押し隠し、今の自分に出来る精一杯の気遣いをみせてみたのだが、とうの本人はと言うと荷物を手早く纏め終え、いつものように感情の伺えないアルカイックスマイルを浮かべて、
「ご心配には及びません。最近の陽気に気が緩んでいただけでしょう」
「ちょっ!」
 私はこれで……。
 会釈してさっさと部屋を出ようとする菊を、アーサーは慌てて追いかける。
 話はまだ終わっていない。
 だいたい"気が緩んでいただけ"なんて、そんな言い訳通用するものか。
 菊の顔色は明らかに悪い。かつて同盟を組んでいたアーサーには分かる。
 脳天気なフェリシアーノや自分に都合のいいことしか見えてない上に鈍感なアルフレッドとは違うのだ。
 もしや本当に何か大変な病なのではないか。
 不安に駆られるアーサーは再び問い詰めようと菊を追いかける。
 だが追いつけない。
 歩幅は完全にこちらの方が勝っているというのに、スピードは相手の方が上。ほとんど小走りの状態だ。
 明らかにアーサーから逃げようとしている。



(っ、この野郎……)



 思わず胸中で、舌打ちする。
 心配してやっているというのにその態度はなんだ。元同盟国じゃないのか。それともかつて敵に回った相手になど心配されたくないのか。
 そんな諸々も一緒に問い詰めてやろうとアーサーはさらに足を速め、菊の背中に手を延ばす。
 だがその手は届かず、代りに胸が届いた。
 菊が突然足を止めたのだ。
 予期せぬ足止めに体がついて行かず、直前に足を速めていたのも悪かったのか急ブレーキも間に合わず、アーサーの体は菊を巻き込みもんどり打った。
 せめて頭は打たぬよう、菊を庇いながら倒れたためか背中を盛大に打ってしまった。
 カフ、と空気の固まりが喉を押し上げる。肺中の空気が一気に押し出され呼吸がままならなくなる。



「カークランドさん!」
 胸の上で菊の悲鳴。
 痛みに痙攣する目を慌てて開くと白い顔をさらに白くさせた菊の顔が間近にある。 
 ――――ちくしょう。何で俺は今涙目なんだ。せっかくの本田の泣き顔がよく見えねぇじゃねぇか。
 誰にするともない不埒な愚痴を一くさり。胸中で零したが、すぐにアーサーは沈痛そうに顔を歪める菊を慰めようと口を開、




「へぐっ!」




 その口から飛び出たのは、慰めの言葉ではなく空気の固まりだった。
 何者かがアーサーの横っ腹を蹴り、はね飛ばしたのだ。
 予想外の強襲と力強さに体は床を転がりながら壁に激突、停止。
 陸に揚げられたマグロのように痙攣するアーサーの目に、菊と菊を抱き起こす少女の後ろ姿が見える。
 強襲の主は、どうやら彼女らしい。



「本田さん、大丈夫!? あ、頭とか打ってない?」
「た、台湾さん……」
 強襲の主の名を呼び、菊はほんの一瞬、ぎくりと体を強ばらせた。
 だがそれもすぐに消え、菊とアーサーの視線が絡む。菊の瞳に浮かぶのは心配そうな色だった。
 腰まで届く艶やかな黒髪を振り乱し、菊の体のあちこちを改める少女に対し、菊はおずおずといった様子でアーサーを指すと、
「私は大丈夫ですよ。あの、それより台湾さん……」
 カークランドさんが……。
 続く菊の言葉に台湾は肩を怒らせ、



「あの眉毛がどこにいるって言うの!?」



 お前の後ろだ、こんにゃろう。
 いっそ清々しいほど菊しか見えていない台湾に向かって盛大につっこんでやりたいのだが、あいにく先ほどのダメージ×2が酷すぎて声をかけることすらままならない。
 あと女性を罵倒するのは好ましくないだろう。紳士的に考えて。
 なので、アーサーは精一杯にして盛大の呪詛を視線に込めて台湾の背中に送る。
 だが菊に夢中の台湾はさっぱり気づこうとしない。
 アーサーは痛む首を捻った。
 おかしい。昔は視線一つで相手は地獄行きだったのに……。
 そんなアーサーの疑問などつゆ知らず、目の前で物語は進んでゆく。




「今日はどうなさったんですか? 台湾さんは今日の会議に出る予定はなかったと思いますが……」
「兄に呼ばれたの」
 きっとまたお説教よ、家に帰れだの何だの……。
 うんざりしているのか。ため息混じりに肩を落す台湾に対し、菊は同情とも何ともつかない笑みを浮かべた。
「でしたらはやくそちらへ行った方がよろしいですよ。遅くなればなるほど、お説教は長引くでしょうから」
 これは経験則です。
 諭す菊に、台湾はでも……と渋る。
「本田さんを放っていけない」
 痛ましげな声で台湾は言う。
「本田さん、なんだか疲れてるみたい。大丈夫?」
 さすがにアーサー同様ある程度蜜月にあった者には分かるらしい。
 病院に行くなら付き添うけれど、とまで言われながらも菊は首を横に振り早く王の元へゆくよう台湾に促す。
 口調や表情が、まるでだだっ子を宥める親のようだ。
 そんな菊に対し、台湾は再び肩を落とすと、
「……そうだよね。本田さんが誰かに本音を言う事なんてないもんね」
「台湾さん……」
 泣いているのか笑っているのか。背を向けられているのでアーサーには分からない。
 少し肩を震わせた台湾だったが、しかしすぐに勢いよく立ち上がると、
「ま、ここは引き下がるけど、本当に具合が悪いんなら無理しないでね! 本田さんはいっつも無茶しがちなんだから!!」
 そう言うと漢方薬らしきものを握らせ、何度も振り返り振り返りしながら台湾は廊下の向こうへ消えていった。



 ――――結局最後まで彼女がアーサーの存在に気づくことはなかった。



 なんなんだ、俺。いったいいつからマシュー並みに影が薄くなったんだろう。
 腹は蹴られるは気づかれぬは忘れられるはで、もういっそこのまま壁に向かってさめざめ泣きたい……。
 蓑虫のようにうずくまり震えるアーサーの肩を誰かが揺する。
「……本田」
 肩を揺する小さな手の先に見えた菊の顔は、痛ましげに歪んでいる。
 瞬間、アーサーはきゅぅ……と胸が切なくなるのを感じた。



 思い出されるのは日英同盟破棄直後。
 菊の元から祖国への帰り際、思わず振り返ってしまった時に見た表情と今とが重なる。
 止めて欲しい。菊にそんな顔は似合わない――――。
 だがいくら胸の中で必死に言いつのっても、現実にはただ背を丸めて菊の表情を伺うくらいしかできなかった。
 固く引き結ばれた唇が綻ぶことはない。
 言葉が出ないのだ。
 それが自分の心に素直であればあるほど、アーサーの口は貝のように閉じる。
 黙ったままのアーサーの態度をどう取ったのだろう。
 菊はおもむろにアーサーの脇に手を差し入れると、ぐっと力を入れた。
 突然の行動。突然の密着にアーサーは慌てふためく。
 さらりと顔の横で黒髪が揺れ、ほのかに薫る。
 一瞬にして血が全身を駆け巡り、その勢いのままに裏返った声が飛び出した。
「ほ、ほんだ!?」
 頓狂な声を気にもとめぬ様子の菊の横顔は、険しく引き締まっていた。
「やはり先ほどの件でお怪我を負ったのですね。手を貸します。医務室へ参りましょう」




 あれ? これ逆じゃね? なんか俺の理想と逆転してね? しかも俺は何で「これはこれでありかな……」とか思っちゃってる訳?




 予想外の展開に首を捻りながらも、アーサーは普段拝めぬ菊のアップに胸をときめかせる。
 ――――腹の痛みとは別の意味で荒む息に、菊が気づくことは幸いにしてなかった。

あとがき

八周年企画作品。
台湾ちゃんが好きなんだよ。
でも不憫紳士も大好きなんだ。
そんな感じのお話です。
愛情空回りまくる紳士をどうぞご堪能ください。

≫前/戻る/