:燃ゆるgroundless suspicion:
後編
背中に当たる小石が痛い。膝で横隔膜を圧迫され息が苦しい。 あえぐのど仏にナイフが当てられた。 「チェックメイトだ」 これ以上の抵抗は本当に死を意味する。 静かな声で告げられた終了の合図に菊は体の力を抜いた。 「……正気に戻ったか?」 バッシュが問う。 「私は元々正気ですよ?」 何を言い出すのかと問い返せば、帰ってくるのはこれ見よがしなため息。 「……貴様の国では錯乱状態のことを正気というのか」 「ですから、私は元々正気です」 さらに言い返せば、バッシュの顔が奇妙に歪んだ。 「リヒをくれだの、セーラーがどうのだの、あれが正気だとでも言うのか?」 「限りなく正気の本気です」 「――――よし、死ぬがよい」 「えー!? なぜ――――!?」 何かのスイッチを押してしまったらしい。 冷徹な傭兵の顔のまま、バッシュは首から離されたナイフを一気に振り下ろそうとする。 菊は何が何だか分からないままに潰れた悲鳴を上げ頭を庇った。 脳内を走馬燈が駆け巡る。 あぁ、短……くはないが、しかし未練の残る人生だった。 まだ読んでいない漫画もあるし、目をつけておいた来期のアニメもみたい。 ゲームなんて、発売前の奴から積んだままの奴までたんまり残っているのだ。 この世の未知なる料理にも舌鼓を打ちたい。 人間の欲望とは底知れぬものだ。いちいち数え上げればきりがない。 だがなによりも未練なのは、リヒテンシュタインの事だ。 本当に一度でいいから彼女のセーラー服姿が見たかった。きっと清楚な彼女にはよく似合うだろう。 いや、ブレネリ繋がりでハイジのコスもいいかもしれない。 物語から抜け出てきたかのようなあどけない笑顔。シンプルなワンピースに包まれた少女らしいシルエット。太陽の下で翻るスカートから伸びたカモシカのような脚……。 残念だ。もっと長生きできたら見られたかも知れないと思うとつくづく残念だ。うっかり化けて出てきたくなるくらいきわめて残念だ。 だがそれよりも残念なのは彼女に"兄様"と呼ばれなかったことだろう。 あぁ、本当にたった一度でいい。 「兄様ッ」 こんな風に呼ばれてみたかったものだ……。 菊は幻聴まで聞き始めた自分の未練がましさに、鼻の奥がツンと熱くなるのを感じた。 ……それにしても遅い。本来ならとっくに菊の首なり胸なりを切り裂いているはずの痛みが全く感じられないのだ。 一体何をしているのだろう。 菊は頭を庇う腕を解き、恐る恐るバッシュに目を向ける。 「……ッ、離せ、リヒ……!」 「落ち着いてください、兄様!!」 なんとリヒテンシュタインがナイフを持ったバッシュの腕にしがみつき、菊に振り下ろされるのを阻止している。 眉をしかめた必死の形相も美しい。 菊は修羅場の真っ最中だというのに思わず見とれてしまった。 「ナイフなんて物騒なものはお仕舞いください。本田様が怪我をなさってしまいます!」 「怪我だけではすまさん! この腐った考えは一度生まれ変わらねば直らんのだ!」 「仰っている意味はよく分かりませんが、落ち着いてください! ……本田様!!」 「は、はい!」 我を忘れてリヒテンシュタインに見惚れていた菊は御本尊の鋭い声に反射的に返事をした。 「ほ、本田様は、私を妹になさりたいのですよね」 一緒の墓に入りたい。と言うのをリヒテンシュタインなりに解釈したのだろう。 ある意味間違ってはいないので(そしてある意味本望なので)、菊は首がねじ切れんばかりの勢いで頷いた。 冷たい頬に再び血が巡りはじめる。 もしかして、これはフラグが立ったのだろうか。 次に来る言葉にいやがおうにも期待が高まる。 だがそんな菊の期待は、続いたリヒテンシュタインの言葉の前に脆くも崩れ去る。 「でしたら、兄様とご結婚なされてはいかがでしょう」 リヒテンシュタインの提案に、菊もバッシュも石化する。 まさしく爆弾発言だった。 期待も感動も、彼女の一言にすべて吹っ飛ぶ。 今、彼女は一体何を言ったのだろう。とっさに意識がリヒテンシュタインの言葉をシャットダウンしようとするが、遅かった。 もはや害はないと判断したのか。 バッシュから身を離したリヒテンシュタインが菊の方を見つめながら、小鳥のように小首を傾げる。 「だって、兄様と本田様がご結婚なされたら、兄様の伴侶である本田様は私にとって兄も同然となります」 良い考えではないでしょうか? 無邪気に微笑む少女とは対照的に菊の顔からはさっきまでの感動は消え去っていた。 「むー、む、無理です!」 すっかり力の抜けきったバッシュの下から菊は跳ね起き、リヒテンシュタインに取りすがる。 「わ、私とツヴィンクリさんとではお家が遠すぎます!」 「でもたしか、先ほどどこ……"どこ○もドア"と言うものを作ると叫んでおいででしたが……」 「あれは漫画の中での話です! もっと未来の話なんです。第一、私とツヴィンクリさんは男同士です。同性なんです! 我が国では法的に同性婚は認められていないのです!」 「あら、でしたら大丈夫ですわ」 必死に言いつのる菊に向かってリヒテンシュタインは再び天使の笑顔で、 「そちらで認められていなくても、兄様の国では認められておりますから」 何も問題はないですよとあどけなく言い放つリヒテンシュタインに菊は頭を抱えた。 どうしよう。そんな無邪気な笑顔で言い切られたのでは、「私が二十二世紀の技術を先取りしてまでお近づきになりたいと思ったのはあなたなんです」など言えようはずもない。 リヒテンシュタインのこの世のやましさからは隔絶された視線に晒された途端、菊の中の邪念が昇華してゆく。 さらに下手なことを言えば、再びバッシュとのDeadOrAliveが始まるとも限らない。 正直それは勘弁して欲しい。 菊は思い倦ねたあげくバッシュに救いを求めた。 いつの間にかバッシュは石化を解き、なにやら思案気な顔で明後日の方を向いている。 ぶつぶつ呟く様は、一種言い難い異様さに包まれていた。 ……あのう、ツヴィンクリさん? 思い切って声を掛けようと菊が口を開いた、矢先。 「……その考え、採用しよう」 「はっ……?」 ぽつん、と零れた声を思わず聞き返す菊。 いつものように真剣な表情をしたバッシュが、こちらに視線を向ける。 「結婚するぞ、本田」 「ふぼぅッ!?」 驚きのあまり肺から一気に空気を吹き出した。 むせかえってけほけほやっている菊の肩を、バッシュが力強く掴む。 その瞳には、こちらを貫かんばかりの力強さがあった。 「我が輩の伴侶となれ、本田。そうすれば、リヒは晴れて貴様の妹だ」 「いやいやいやいや! よく考えてください、ツヴィンクリさん! しっかりしてください、ツヴィンクリさん! 正気に戻ってください、ツヴィンクリさん!!」 先ほどまでの争いとは逆転。 今度は菊がバッシュの正気を疑う事となる。 「一体どうなさったんですか!? 仕返しですか? さっき私があんなこと言ったから、その仕返しなんですか!?」 「我が輩はきわめて正気だし仕返しなどでもない。熟考した上での答えだ」 願いを込めてバッシュの肩をがくがく揺すってみるが、バッシュは考えを改めるどころか顔色一つ変えない。 さらに「一体何が不満なのだ」と逆に訊かれる始末だ。 「貴様はリヒに"兄様"と呼ばれたいのだろう。我が輩はリヒの"兄"だ。我が輩の伴侶となればリヒにとっては貴様は兄も同然」 「お家が遠すぎますよ!?」 「今時別居婚など珍しくない。それにさっき貴様も言っていただろう。"通い婚"と言うものがある、と。毎日は無理だが、週末くらいはリヒを連れて通ってやる」 「同性婚は我が国では……」 「うちで認めているので問題ないのである」 自信満々胸を反らせ、他に一体どんな不満があるのかとバッシュは菊を睨み付ける。 さっきまで自分がさんざん叫いていた言葉を次々返され、菊は閉口した。 不満というか不安というか、バッシュに好意を抱いているのは確かだが、それは同性愛的な意味ではない。 あくまで菊はリヒテンシュタインに"兄様"と呼ばれて慕われたりしたいだけなのだ。 一体どこでどうねじ曲がってしまったのだろう……。 バッシュから手を離し、頭を抱える菊の肩を何者かが叩く。 一体何だと涙目で振り返った先には、リヒテンシュタインが心配そうな顔でこちらをのぞき込んでいる。 「あの、本田様。兄様は本当によい方なのです。すこし強引なところもありますけれど、きっと私の時のように本田様を幸せにしてくださると思います。私も、至らぬ所はあると思いますが、精一杯がんばりますので、あの、どうか……」 嫌いにならないであげてください……とうっすら涙の浮かぶ瞳で見つめられた日には理性も吹っ飛ぶというもの。 「……前向きに検討させていただきます」 気がついたら菊は、そんな答えと一緒にリヒテンシュタインの手を握りしめていた。 話は飛んでそれから数日後。事は菊の思いも寄らぬ方向に転がっていた。 「ヴェ〜、菊〜!」 謎の声を上げて、おなじみフェリシアーノが菊に泣きついてきた。 自宅の居間でぽちくんと共に寛いでいた菊は、慣れた調子で抱きついてくるフェリシアーノをあやす。 (あぁ、土足は止めてくださいと言っておいたのに……) 靴を脱ぐことすら忘れていたらしいフェリシアーノのおかげで、廊下はおろか畳の上まで泥で汚れてしまっている。 その廊下をきしませながら、息を切らせた巨体が部屋に飛び込むなりフェリシアーノの首根っこをひっつかんだ。 「お前は、すこし落ち着かないか!」 「どうなさったのですか、お二人とも。そんなに慌てたご様子で」 フェリシアーノの靴を脱がせてやりながら、菊は二人を見上げる。 視線に気づいたらしいルートヴィッヒが複雑そうな顔で見下ろしてくる。 そんなルートヴィッヒに襟をつかまれブランコのように揺れながら、フェリシアーノは涙乍らに訴えた。 「菊、菊〜。バッシュのとこにお嫁になんか行っちゃやだ〜」 「はっ?」 ……思わず靴を取り落としてしまった。 ぎしぎしと油の切れた機械のように首を傾げ、一体どういうことかと問いかけようとした、 「やぁ、本田くん」 そこへ、やってくる大柄な外国人。 故あって菊とは相性の悪い、イヴァンの登場である。 「ツヴィンクリと婚約したんだってね。どういうこと?」 どういうこととはどういうことだ。 いつも通りとらえどころのない表情に若干苛立ちが混じっているのは気のせいか。 イヴァンの背後から吹きすさぶ冷気に脅え、フェリシアーノはおなじみの声を上げながらルートヴィッヒの影に隠れた。 菊も出来るならばルートヴィッヒの恩恵にあずかりたいが、今は真相究明が先である。 「あの、さっきから一体何を仰っておいでかよく分からないのですが……」 「……今日、噂なんだがツヴィンクリとお前が婚約しているという話を聞いてな」 訊いた途端駆け出したフェリシアーノを捕まえようとしたら結局ここまでたどり着いてしまったと若干情けなさそうにルートヴィッヒは説明した。 「ええと、もしかしてブラギンスキさんも……」 「うん。ものすごく不愉快な噂を聞いて、居ても立ってもいられなくなったよ」 あんなのデマだよね、だって君はブラギンスキになるんだから。 にっこり笑顔でとんでもないことをのたまうイヴァンの言葉に菊はこめかみを押さえる。 イヴァンの言うとおり完全にデマ……と言う訳ではないのだ。 あのあと、一応この話は保留と言うことで落ち着いた。正直、リヒテンシュタインの存在は大きく、心揺らいでいるのが現状だ。だが、答えはまだ出していない。 さて、いったいどう説明すべきかと三種の視線を感じながら頭を悩ませる菊。 そこへ。 「ほ、本田――――! おま、お前ツヴィンクリとけけけけけけ、結婚……ッ!?」 なだれ込んでくるアーサー。さらにその後ろから続々やってくる足音に、菊は本当に本気で鎖国したい……と思った。 ――――結局いろいろと誤魔化して全員に説明を終えたのが三時間後。 だったらうちには 「だったらうちには |
あとがき
本田菊の暴走はバッシュ=ツヴィンクリの暴走によって終了しました。
とりあえずこれで菊受けって言えるかな……?