:燃ゆるgroundless suspicion:
前編
今この瞬間、菊は感動していた。 出来ることなら五体投地で神に感謝したいくらい、感動していた。 ――――こんなにも素敵な縁を結んでくださって、心底ありがとうございます、菊理比売神様!! 胸中で故郷の一柱に向かって万歳三唱の大喝采。ついでのおまけにファンファーレを嵐のように吹き荒らせながら、菊は一人の天使と対峙していた。 天使……。 そう、この汚れなき可憐さは天使と呼ぶほかない。 まさか根性を鍛え直すためにとバッシュに招かれた強制合宿の地でこんなにも素敵な出会いが待っているなんて、数十時間前の自分には想像も出来なかっただろう。 あぁ、よかった。 本当によかった。仮病を使ってずる休みしなくって。 菊はあんちょこ「角の立たない言い訳百選〜お断り編〜」を懐の上から一撫でし、再び天使と向かい合った。 見事に自然と一体化した緑映えるバッシュ宅の門前。そこで彼女は羽毛のごとく柔らかな日の光を浴び静かに佇んでいる。 著名な芸術家が神の手を借りようともけして作り出せぬ美しさが彼女にはあった。 クラシカルなワンピースに包まれた体はひたすらにか細く、腰など掴めば指と指とが触れあってしまいそうなほどで、どこか作り物めいている。 しかし表情を見れば確かに血の通った人間のもの。 少女らしくやや丸みを帯びた輪郭に細い眉、小さな耳、きゅっとすぼまった唇、鼻はけして高すぎず低すぎず、理想的な形で顔の中央に収まっている。 顔を構成するパーツは全体的に小作りなのに、ただ一点、目だけが大きく、かつ生き生きとした輝きに満ちている。 かといって不自然ではなく、あくまでバランスがとれた大きさ。 これ以上大きくても小さくても調和が崩れてしまうだろう。 まさに神の奇跡……というより、神の誤算とでも言った方がいいか。 これほどまでに美しい少女、本来ならば天上にいる神の側に侍っている方が似合いだろう。 もしうっかり地上に使わしてしまったというのなら、神のうっかりに全身全霊を持ってして感謝したい。 菊はそっと目頭を押さえた。 人間は美しすぎるものを見ると、涙腺が緩むものらしい。 ぼんやり滲む目を瞬かせ涙を散らせると、目の前の少女の顔が、先ほどとは一変していた。 ほっそりと綺麗なアーチを描く眉が寄せられ、眉間に皺を作る。 ほんの少し細めた瞳が、まるですべてを見通す魔法使いの水晶のように思えた。 首を傾げた拍子に、ふっくらとした健康的な頬へ髪と結ばれたリボンがかかる。 花のつぼみを思わせる唇が、そっとほころび隣のバッシュを呼んだ。 「兄様……本田様はお疲れなのでしょうか」 兄様! 久しぶりに画面の外で聞いた言葉に菊は打ち震えた。 感動した。まさかふたたび三次元でこんな言葉が聞けるだなんて長生きはして見るものだ。 脳内で何度も何度も、それこそ今自身に掛けられているバッシュの言葉すら追い出さんばかりの勢いで先ほどの言葉を繰り返す。 ゆっくりとした言葉遣いの他にまたこの声がいい。 銀鈴を転がすかのごとくとでも言えばいいのか。 けして高すぎず、淀みのない声はハープの上品な音色を連想させる。 しかも誰とは言わないがツンデレや貧乳キャラを得意とする某女性声優にそっくりなのだ。誰とは言わないが。 まさかこんなに萌え要素盛りだくさんな女性に、しかも三次元で出会えるなど思っても見なかった。 私を生み出してくださって。そして彼女に出会わせていただいて本当にありがとうございます、伊邪那岐命に伊邪那美命。あと天照大御神! 私は一生あなた達を敬い、奉りましょう!! 脳内で柏手を盛大に打ち鳴らし、今は遠い神代の住人に向かって菊は額ずいた。 「……さっきから何を固まっているのだ、貴様は」 リヒテンシュタインを紹介され、たっぷり三分。 立ちすくむ様子をさすがに不審に思ったのか。隣のバッシュが何度も声を掛けてくるが、今の菊にはまったく耳に入らない。 ただひたすらに視線は目の前の天使――リヒテンシュタイン――を一点集中したまま動かない。 リヒテンシュタインが瞳と声音を心配そうに曇らせる。 「本田様。お顔の色が優れませんが……長旅でお疲れなのですか? それでしたら、早くおうちへ入られた方がよろしいと思います」 気遣うように顔をのぞき込み、リヒテンシュタインは菊の袖を引く。 菊の体を再び感動が貫いた。 ああ、止めてください。そんなに近づかないで欲しいと、視線だけで懇願する。 どうしよう。会って数分の人間をここまで心配してくれるなんて、中身まで天使だ。 菊は高鳴る心臓を背広の上からそっと押さえた。 心臓の刻む不協和音が、脳に直接響いてくる。 ああ、ここは本当にスイスなのだろうか。もしかして、自分は知らぬ間に死んでいたのではないだろうか。いや、リヒテンシュタインがいれば例えどんな地獄であろうとたちどころに天国に変わるけれど! 頭の中を心音と一緒にまるでネオンボールのようにグルグル回り続ける妄想と感動。 菊は背広を引き裂かんばかりの強さで掴んだ。 ――――感激が過ぎて呼吸すらままならなくなってきた。 心臓がいっそう、早鐘をたてて鳴り響く。 終末に鳴らされる審判のラッパというのはこんな音をしているのだろうか。 このままだと本当に天に召されてしまいそうだ……! 「――――リヒテンシュタインさん!」 命の危機にさらされた菊は、思わずリヒテンシュタインの手を掴み、叫んだ。 「私と同じお墓に入ってください!」 ――――瞬間、菊の前髪が数センチ、はらはらと掴んだリヒテンシュタインの手の上に落ちる。 「……貴様は何を言っているのだ」 鼻先を駆け抜けた硝煙と烈風の出所に目を向ければ、血が流れそうなほどまなじりをつり上げたバッシュがこちらに銃口を向けていた。 「突然固まったかと思ったら、突然リヒの手を掴み、あげく突然不吉なことを叫ぶなどいったいどういうつもりなのだ、本田菊」 不機嫌なバッシュに、リヒテンシュタインと手を繋いだまま、菊も負けじと言い返す。 「どういうもこういうもありません。これは我が国に伝わるれっきとした告白の言葉で……」 ――――再び、烈風。 今度は頬の横を銃弾が通り過ぎる。 ぴりっとした熱と共に切り裂かれた傷跡から生温い感触がが滑り落ちる。 隣でリヒテンシュタインが可憐な悲鳴を上げた。 「……寝言ならばベッドの中か棺桶の中がほざくがいい」 「よくごらんください。私はちっとも寝ぼけてなどおりません」 一世一代の告白を寝言扱いされるとは心外だ、と菊は眉を顰める。 そしてバッシュに負けぬほど表情を引き締めると、 「私は至って真剣です。真剣にリヒテンシュタインさんとお近づきになりたいのです。そして真剣にリヒテンシュタインさんにセーラー服を着ていただきたいんです!」 「この馬鹿者が――――ッ!!」 台詞を最後まで言い終わる前にバッシュが襲いかかってきた。 菊はとっさにリヒテンシュタインの手を離し、距離を取る。 まだ手に残る絹のごとき手触りは名残惜しいが、致し方あるまい。 それよりも今は 繰り出される銃弾は正確無比に菊を捉えるが、そこは昔取った杵柄。 舞を踊るように軽く、菊は次々いなしてゆく。 意識だけはバッシュに留めたまま、菊は泣き出しそうな顔で戦いを見守るリヒテンシュタインに視線を向ける。 バッシュの腕前は知っているが、今は頭に血が上っている。 弾が彼女に中るのだけは勘弁して貰いたい。 菊は徐々にリヒテンシュタインから距離を取りながら、バッシュの説得を開始した。 「いいですか、ツヴィンクリさん。私はやましい気持ちでリヒテンシュタインさんにあのようなことを申したのではありません。先ほども言いましたが、私は真剣なんです。真剣に、リヒテンシュタインさんに猫耳セーラーを着て欲しいんです」 「それがすでに戯けたことだと言っているのだ、この痴れ者が! と、言うか増えているぞ。セーラー服の他に猫耳が増えているぞ!」 「猫耳白スクセーラー縦笛オプションよりは健全でしょう!?」 「世のため人のためなによりリヒの貞操のため、貴様はここで地獄に堕ちるがよい――――!」 何がいけなかったのか。 バッシュはさらに激昂してしまった。 弾の尽きた拳銃を放り捨て、バッシュは白兵戦へと戦闘スタイルを切り替えた。 肉厚のナイフが驚くほど軽やかに閃き、菊の頸動脈を正確に狙ってくる。 対する菊は素手でギリギリ、それをいなしてゆく。 攻撃ではなく、あくまで防御一辺倒なのは菊には武器も争う意志も何もないためである。 なにより彼はリヒテンシュタインの"兄"なのだ。 傷つけ、彼女が悲しむ様は見たくない。 菊はバッシュの攻撃を避け続けながら、再び説得を開始した。 「突然嫁にくれなどと言って驚かれるのも無理はありません。妹様と離れるのがお寂しいのも分かります」 「問題はそこではないとさっきから……」 「なので、何も嫁いでくれなどと贅沢は申しますまい。我が国には千二百年の昔から"通い婚"と言うものがございます。これは夫となるものが妻の元へ毎晩通うという婚礼形式です。古式ゆかしきこの形式に則り、私がこちらに通いましょう。ええ、それはもう毎日毎晩、許されるなら毎時間でも!」 「馬鹿者! だからそう言う問題ではないわ! だいたい毎晩通うなど不可能に決まっているだろう、我が国と貴様の国とは飛行機を使っても十数時間はかかる。移動だけで半日費やしてしまうではないか、もっと常識をわきまえてから発言しろ!」 「半日の移動がなんだというのですか! そんなものいますぐどこ○もドアを開発し解消してみせますっ。我が国の技術力をもってすればそれくらい造作もないこと。私はリヒテンシュタインさんが望むのであれば太陽を西から昇らせますし、青いキリンだって造ってみせます! 我が萌えたぎる 「ならば今すぐその おかしい。八つ橋に包むのが常な菊には珍しく、これほど率直に情熱を伝えているというのに、バッシュにはいっこうに届かない。 何がいけないのだろう。言い方だろうか。 やはり西洋の人間とは伝わり方が違うのだろうか。 開国して百数年。 いまだ感じる異文化との差に頭を悩める。 だがここで交渉を諦めるつもりはない。 迫るナイフを紙一重で避けながら、菊はさらに話を続ける。 「わかりました。わかりました、ツヴィンクリさん。確かに突然"妹さんをください"などと言われてはお怒りになるのもごもっともでしょう」 「分かっていない! 貴様はさっきからそればかり言っているが、全く分かっていないではないか!!」 「気が急いて重要なことを忘れていました。確かに会って三分で結婚など突然すぎましたね。最近のカップラーメンでももっと時間を取りますからね。だから譲歩します。私の方も譲歩します。――――譲歩して、彼女を"妹"にさせてください!」 「さらに意味が分からんわ――――ッ!」 雄叫び一閃。 空を裂くナイフの鋭さに磨きがかかってきた。 しかもこれほど頭に血が上った状態だというのに、剣先は鈍ることなくますます冴え、正確無比に菊を捉え続ける。 額に滲む冷や汗すら切り裂いてゆくバッシュのナイフ。 まったく傭兵という奴は恐ろしい人種だ。つくづく敵には回したくない。 ――――しかし、ここまで譲歩してもダメなのか……。 菊の表情に苦悶が滲む。 方や極東の目立たぬ小国。かたや隣国からの庇護篤い天使。 バッシュの言うとおり常識的に考えれば、釣り合いがとれるとは思えない。 だが、恋仲になることを諦められても、せめて"兄様"と呼ばれる間柄にだけはなりたい。 これほどまでに萌え要素満載な少女に親愛の情を込めて"兄様"と呼ばれたら、きっとこの上なく幸福な気分にだろう。 妄想の中で、純白の羽に包まれたリヒテンシュタインがにっこりと愛くるしく笑っている。 想像だけで昇天してしまいそうだ。 菊は思わず遠くに佇むリヒテンシュタインに意識を向ける。 バッシュがそんな心の隙を見逃してくれようはずもない。 「づっ!」 突然足に痛みが走り、体が中を浮く。 足を払われたのだ――――。 気がついたときにはすでに遅く、起き上がろうとする間もなくバッシュに馬乗りになられた。 |
あとがき
八周年企画作品。
リヒたんのCVが「釘宮さん」だと知ってとっさに出たネタ。
ヲタ日本による暴走。
無駄に続きます。後編は一応菊総受け要素ありです。
ご注意ください。