le soleil

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 扉を開くと、隅々まで夕日に照らし出された部屋に出た。
 部屋の窓際。安宿の簡素なベッドの上で、見慣れた男が見慣れない姿で横たわっている。
 身じろぎ一つしないその姿からは、いつもの騒がしく図々しい様子など微塵も感じ取れない。
 静かなその姿は血の通った生き物というより鉱物でできた置物を思わせる。
 ただ静かで、白くて、冷たくて、本当に、まるで――――、




「……」




 リオンはベッドの側まで近づき屈むと、そっと横たわるスタンの顔面に掌を翳す。
 掌に弱々しく、だが確かに感じる呼吸に、知らず詰めていた息をほっと零した。
 窓から差し込む茜に照らされた頬は、昨日より血色がいい。が、やはり常よりも青ざめているように思える。
 リオンはこれほど近づいても気づく様子無く眠り続けるスタンの姿に、言いしれぬ焦燥のようなものを感じて、その場に膝をついた。





 ――――スタンが熱を出して倒れたのは、わずか二日前のことである。




 予兆はあった。
 それはほんの一瞬の、本当に些細な予兆だった。 
 おそらくその変化に気づいたのはリオンだけだったろう。
 道中、常と変わらぬ騒々しくも賑やかな様子に、ふと陰りを見たような気がして首を傾げたのを覚えている。
 だがリオンはその事を誰にも――――当の本人にすら確認することはしなかった。
 リオンがスタン達一行を神の眼奪還の旅に同行させてそれなりに経つが、いまだリオンは彼らを仲間と認めず、一貫して壁を作り続けている。
 意地、と言ってもいい。
 人から見れば下らぬ、ちっぽけなプライドかも知れないが、今更その壁を自分から崩すのに躊躇いがあった。
 いや、本当はただ単に壁の壊し方が分からないだけかも知れない。
 結局気づいた変化を誰にも言わぬまま記憶の隅に押しやり、騒々しい同行人にいつも通り一つ嫌みをくれてやり先を急ぐ。
 追いかけてくるルーティの怒声やフィリアとスタンの宥めるような声に、やはりアレは気のせいだったかと密かに胸をなで下ろす。 



 ――――だからこそ、夜中にスタンが高熱を発した時は驚いた。



 宿に呼びつけた医者の見立てでは旅の疲れが溜まっての一時的なものらしいが、この能天気が服を着て歩いているような男がそれほど繊細な質とは思えない。
 あるいは、能天気だからこそこんなになるまで気づかなかったのだろうか。
 いずれにせよ旅は中断。再開はスタンの回復を待ってからとなった。
 リオンはその決定に異議を申し立てなかった。
 いつもなら真っ先に「放っておけ」と言うと思ったのにとルーティに皮肉を言われたときも、ただ黙って受け流すだけに終わった。
 張り合いがないと思われたのか、それとも別に思うところがあったのか、ルーティもそれ以上突っかかってくることはなく、スタンの看病に戻った。
 その背を見送るリオンの口中に苦みがこみ上げてくる。
 胸をじくじくと焼く痛みの正体は後悔。
 普段から縁遠からぬ痛みの生まれが、マリアンやシャルティエではなくいつも煩わしく思っている男にあると気づき、リオンは少なからず驚いた。



 何故。
 自身に問う。



 何故、こんな思いを抱く。
 命令で同行しているとは言え出会って少ししか経たない人間が一人倒れたところで旅を中断する必要はない。
 一刻も早くグレバムを捕らえ神の眼を奪還することの方が大事であるはずだ。
 他の面々がこの場に留まると言うならば、自分一人でも奴を追えばいい。
 元々、そのつもりだった。
 いつものように、一人で行動した方が遙かに身軽で効率がいいはずだ。
 だが――――リオンは想像する。
 もしも万が一、グレバムを追っている間に、スタンに何かあったら?
 寝不足のようなものなのでしばらく寝ていれば治ると医者は言っていたが、その見立てが外れていたとしたら?
 戻ってきた自分を出迎えるのが、あの笑顔ではなく、真実「物」となってしまったスタン自身だとしたら? 



 想像に、唇から憂いが零れる。音がしそうなほど固く、祈るように指を組む。
 跪き、ベッドに肘をつく姿は、まるで神に祈りを捧げているようであった。


 消える。
 消えてしまう。


 あの笑顔が。暖かくて、眩しくて、あまりの眩しさにいつも目を背けてしまうあの笑顔が、消えてしまう。
 想像した瞬間、脊髄に冷たい衝撃が走った。
 浮かび上がった妄想を追い払うように力なく頭を振る。
 固く結んだ手と指が汗でぬめった。




 たかが想像。にもかかわらず、その想像にあり得ないくらい恐怖を覚えている自分がいる。
 単なる旅の同行人に、これほど執着している自分がいる。
 想像とはいえ、マリアン以外の人間の末路に涙しそうになっている自分がいる。
 こんな自分がいることなど、旅に出る前ならば想像すら出来なかった。
 信じられない。
 この胸に、マリアン以外の人間が入り込む余地があるだなんて、信じられなかった。
 胸の内に生まれた奇妙な苛立ちは、そんなことを考えてしまう自分に向けたものか。あるいは、勝手に心の中に立ち入ってきたスタンに向けたものか。
 いずれにせよ、生まれてしまった、そして抱いてしまったものを無かったことには出来ない。
 だが、リオンはそれを受け入れることは出来なかった。
 受け入れてしまえば確実に何かが変わる。
 変わった先には何が待っているのか。
 その変化が恐ろしくて、不安で、生まれた感情に目を背ける。
 急激に変わりつつあるおのれの心に、それまでの自分がついて行けない。
 いまだ名も知らぬその感情に戸惑い振り回される自分が惨めで滑稽で、リオンは我知らず小さなため息をついた。




 ――――意識が昨晩から戻ってくる。
 知らず閉じていた目を開けば、そこには相変わらず青白い顔をして眠り続けるスタンがいる。
 窓から差し込む夕日はいつしか陰り、明かりをともしていない部屋の中はずいぶんと暗くなってきていた。
 先ほどまで聞こえていた町の喧噪が、陽の赤みと共にだんだんと遠ざかってゆく。
 眠るスタンの姿も日没が作り出す影に隠され、よく見えない。
 リオンは霞むスタンの姿を捕らえようと眼を細める。
 闇の中、金の髪ばかりが消え始めた光の中で輝いた。
 ――――黄昏の物憂げな空気がこれほどそぐわぬ人間もいないだろう。
 この男にはこんな薄暗い夕暮れの中よりも、まばゆい陽光の下がよく似合う。
 闇も影も何もかも、照らし、晒し、暴くお節介な太陽。
 我が身を焼き滅ぼすと知っていても、手を伸ばさずにはいられない。
 その太陽と、いつものスタンとが重なる。
 以前は疎ましく思っていた姿も、今となっては懐かしいばかり。
 そこまで考えて、リオンはスタンが倒れてまだ三日と経っていないことに気づく。
 たったこれだけの間に我を見失いそうになるなど、ずいぶんらしくなく執着しているものだと零れた自嘲は、思っていたよりも空しく大気を揺らす。
 こちらの葛藤に気づく様子もなく眠り続けるスタンの手を取り、リオンは再び瞼を伏せた。




 目を覚ませ。早く、速く目を覚ませ。
 祈るように重い手を両手で握りしめる。
 木漏れ日のように柔らかなその温もりに自然瞼の裏が熱くなる。
 リオンは唇から零れた吐息を噛み殺した。
 もう一度あの光をみれるのならば、この目など焼けていい。溶けていい。爛れていい。
 だから――――。
「……――タン」
 初めて呼んだその名に返ってくる声はなく、口づけた手の甲へと、苦く溶けて消えた。

あとがき

 ツンデレ坊ちゃん誰も見てないところでデレるの巻。
 初めて身近な人達(マリアンやシャル)以外に心開きかけてて、そんな自分に戸惑ってるよ!
 でもまだ恋じゃないよ!(これだけは譲れない)

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