ツンデレーション

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 気がついたら隣にリオンの姿はなかった。





 人でごった返す昼下がりの市場。
 スタンは共に買い出しに来ていたはずの仲間の姿が見えないことに今更気がついた。
 本当に、一体いつから居なくなっていたのだろう。
 雑踏の中、目を凝らしてもそれらしい姿は影も形も見あたらない。
 スタンは商店の軒先で途方に暮れて立ち尽くした。
 手にした紙袋を抱え直し、ため息をつく。
「……逃げたな、あいつ」
 そこまで嫌われていたのか。
 雑踏の中を歩み出したスタンは、落胆と同時に覚えた妙な納得感を苦笑に代えて外へと吐き出した。






 元々、リオンがスタンと一緒に行動することを嫌がっていたのは普段の態度を見て分かっていた。
 なにせ一緒に旅をするようになってしばらく経つが、スタンはいまだにリオンから名前で呼ばれたことがない。
 せいぜい「おい」とか「お前」とかで、酷いときになると「そこの」とまるでもの扱いだ。
 もっとも、こういう扱いを受けるのは他の仲間達も一緒で、唯一の例外が相棒とも言えるシャルティエぐらい。
 他の仲間達はこれもリオンの性格と半分諦めているような節があるが、スタンは納得いかない。
 神の眼を奪還するまでの間とは言え、リオンは生死を預け合う仲間だ。
 もっと相手を知りたい。もっと相手と仲良くなりたい。もっと相手に頼られたいと思うのは当然のことではないか。
 だがそんなことは考えることすらリオンにとって甚だ迷惑なことらしく、ことある事に「邪魔だ」「どけ」「足手まといだ」と突き放す。
 時にはティアラによる実力行使すらも辞さない拒絶っぷりだが、スタンは諦めなかった。
 今はまだ頑ななリオンの心の扉も、誠意と根性と友情を持ってすればいつか開いてくれるはず。
(ジョナサンだってそうだったじゃないか……)
 スタンは空を見上げると、故郷の親友に向かい思いをはせた。





 ジョナサンも最初のころは近づくだけで回し蹴り。触れようとすれば噛みつき、声をかければ吠え返し、家に近づくだけで威嚇の声を上げていた。
 しかし諦めず何度も何度も彼の元へ通ううちジョナサンはいつしか心を開いてくれ、ついには毛刈りの時も暴れず身を任せてくれた。
 あの時の感動は今も忘れられない。
 だから、リオンと接するときもけして怯まずにやってこれた。
 今はどれほどつれなくとも諦めない限り道はあると、ジョナサンは教えてくれたのだ。
 ジョナサンとリオンの間には羊と人間という差はあるものの、同じ動物なのだから根本的なところは違わないはず。
 その自信を糧に今日までやってきたのだが――――今は傍らにいないリオンの姿にすべての答えを見た気がして、スタンは深々肩を落とした。


「――――リオンはやっぱり、俺のこと嫌いなのかな」


 ぽつんと漏れた言葉は、立ち上る砂埃の中に紛れて聞き留める者も居ないままかき消える。
 スタンは自分が“やっぱり”と言う言葉を使ったことに少なからず驚き、そして納得した。
 あぁ、自分も他のみんなと同じようにこの試みが無謀だと心のどこかで思っていたのだろうか。
 近づこうとすればさっさと逃げられ、話しかけても無視をされ、助太刀にゆけば拒絶され、笑いかけても帰ってくるのは仏頂面と冷たい言葉のみ。
 確かにこれで好かれていると思うほど、スタンは阿呆ではない。
 しかし、だからこそ今日荷物持ちの為一緒に買い出しにゆくと申し出たとき拒絶されず無視もされず「勝手にしろ」と言われたときは本当に嬉しかったのだが……。
 あの言葉を“ついてきてもいい”と解釈したのは自分の勝手な思い込みだったのだろうか。
 考えれば考えるほど悲しい気持ちになってゆく。気持ちが沈むにつれ歩みもまた、重くなる。



 ――――高望み、なのだろうか。



 スタンは反芻する。
 ほんの少しでも笑って欲しいと思うのは。ほんの少しでも頼って欲しいと思うのは。ほんの少しでも自分を、いや自分たちを信じて欲しいと思うのは。
 すべて、望んではいけないことなのだろうか。


 スタンはリオンが好きだ。


 自分より遙かに上回る剣の腕には素直に尊敬の念を抱くし、椿事にも慌てることのない冷静さにも頼もしさと信頼を覚える。
 目的のために邁進する姿には何度勇気づけられ発憤させられたかしれない。
 けれどもその気持ちを素直にリオンに伝えても、帰ってくるのは決まって素っ気ない、時にはトゲトゲしい言葉のみ。
 言葉でダメなら態度でと、今日のようにスキンシップを取ってきたのだが……。
 結果はこのとおり。
 知らぬ間に姿を消されるほど疎ましがられていたようだ。
(ま、そうだよなー。嫌いな奴に付きまとわれて気分いい人間いないよなー……)
 普段から「締まりのない」とよくリオンから怒られる笑顔で自嘲を零すスタン。
 喉から漏れた声は、思った以上に情けない響きをしていた。
 人に流され足を進めるが、歩みは牛のごとく遅く、時折人にぶつかることもあったがスタンのことを気に留める者は居なかった。
 誰もが皆、ただ足早にスタンの視界から消えてゆく。
 それはまるで、人と言うよりはただの風景のように思えた。


「……」


 ふっと。
 突然スタンは歩みを止め、その場に立ち尽くした。
 視界に映るものは相変わらず人の波。波。波。
 多種多様な人の群れの中、だがどれほど目を凝らしても、そこに先ほどから思い描いている少年の姿はない。
 乾いた風が一陣、スタンの髪と体を吹き抜ける。



 ――――なんだか無性に寂しくなった。



 周囲にはこんなにも人がいるというのに、なんだか海のただ中に一人取り残されてしまったかのような錯覚を覚えた。
 人で出来た波に呑まれ、食われ、放られ、自分を見失いそうになる。
 寂しくて寂しくて、誰か自分を知っている人に会いたくなった。
 スタンは駆け出した。群れる人の姿が帯状に流れては視界から消えてゆく。
 早く宿に帰ろう。宿に帰れば誰かしら仲間がいるはずだ。
 早く。早く。早く。早く。

 急く心のままに足を進める。

 早く。早く。早く。早く。早く。

 時折人にぶつかりそうになりながら、それでも足を緩めない。

 早く。早く。早く。早く。早く。早く速く疾く捷くはやく……、



「おい!」



 ――――その足が、鋭い一喝と衝撃と共に止まった。



 唐突だった。
 今まで人混みしか映していなかった目に青空が、前に前に突き出されていた首が後ろに引き倒される。
 首から脳天へと貫かれる鈍痛に後ろを向けば、そこにはスタンの髪をひっつかみ息も荒くこちらを睨む探し人がいた。
 リオン……?
 呼ぼうとした名は痛みと驚きのために掠れ、声にならない。
 代りに、見つめる視線に問いを込めた。



“なんでここにいるんだ?”
 そして、
“もしかして、怒ってる?”



 涙に遮られよく見えないが、なんだかリオンの機嫌はあまりよろしくないように見えた。
 きつくつり上がった目の奥には、こちらに対する鋭く刺すような怒りが見て取れる。
 髪を掴む手にはますます力が込められ、痛みから視界を邪魔する水の膜はいっそう厚くなる。
 ――――怒っている。
 何故かはよくわからないが相当怒っている。
 けれど、こう言うときいつもなら端的に、だがすぐに飛ぶはずの叱責が今日にかぎってはなかなか飛んでこない。
 それもそのはず、リオンの呼吸はずいぶん乱れていた。
 全身が、ただ息をするためとスタンを逃がさないようにするためだけに集中している。
 髪を掴んでいない方の手が硬く拳を握っていた。
 息の固まりが薄く開いた唇の隙間を縫ってでる。その度、肩が大きく上下し額に滲む汗が頬を伝い落ちてゆく。
 汗の滲む頬と乾いた唇を舐める舌がやけに赤くて、スタンはこんなことをしている場合ではないと知りながらも、思わずぼぅっと見とれてしまった。


 お互い真逆の顔で見つめ合うこと数秒。
 立ち止まったままのリオンの肩に誰かがぶつかり、一瞬緊張が解けた。
 遠くからゆっくりと町中特有の雑音が甦ってくる。
 止まったままだった二人の時間は、リオンの視線がぶれたのをきっかけに再び動き始めた。
 リオンがスタンの髪からギクシャクと手を解く。だらりと力を無くした腕と同時に視線も鋭さを失ってゆく。
 顔を伏せるリオンに対し、スタンは髪を捕まれていた当初からずっと視線を外さなかった。
 リオンはいつだって余計なことは言わない。だからこうして、表情や雰囲気からいろいろとくみ取ろうとしているのだが、顔を俯けられていてはどうしようもない。
 どうにか身に纏う空気とさっきの状況から得られたモノと言えば“なんだかよくわからないけれど自分がリオンを怒らせた”と言う非常に身に覚えのない、かつ日常的な答えだった。



 なんだろう。
 なにが、だろう。
 俺、何した?



 問おうとする前に、くるり。リオンは踵を返す。
 無言のまま立ち去ろうとするリオンをスタンは慌てて追いかける。
 隣に並んだリオンの表情は無に近かった。
 キッと唇を引結び前を向いたまま、隣のスタンを一顧だにしない。
 スタンも合わせて黙った。
 ただ歩きながら時折、ちらちらと横目に見るがリオンのほうはというとスタンの存在を完全に黙殺している。
 スタンは泣きたくなった。
 今朝、少し縮んだと思っていた(思い込んでいた)距離がここに来てまた開いた。
 今、二人の距離は小指も触れそうなほど近いというのに、間には地獄に続くほどの深い谷が横たわっている。
 スタンは歩きながら何度かリオンの不機嫌の理由を、自分を厭う訳を問いただしてやろうかと思ったが、この泥のような空気の中では口を開くことさえままならない。
 気分はほとんど刑執行の前に街中を引き回される死刑囚だ。
 このまま死の行進を続けるよりも、いっそ今この場で首をはねてくれた方がまだ救われる。
 だがそんな戯けた願いが叶うはずもなく、結局魚も溺死してしまうほどの重苦しい空気の中、二人は無言で歩き続ける。



 ――――宿の姿が見えた時、スタンにはそれが真実自分を救う神聖な教会堂にすら見えた。



「あの、俺、先行くな」
 言葉少なにスタンはこの場から逃れようと駆け出す。
 だが、その行く手を阻んだのは、またしてもリオンだった。
 髪の次は荷物を持っていない方の手。
 たまに小突かれることはあってもそれ以外肉体的接触をしたことのないスタンはぎょっとして思わず振り向く。
 リオンはいつも通りの仏頂面だ。
 ただ、先ほどの身を貫くような眼光は姿を消していた。
「り、リオ……」
「どこにいた」
 短い問い。意味が分からず小首を傾げるスタンに、リオンは忌々しげに舌打ちした。
「今まで、どこで何をしていたかと訊いているんだ」



 ……買い物に決まっている。



 スタンは声に出さずに答えた。
 何故リオンはそんなことを訊くのだろうか。
 そもそも、はぐれたのはリオンの方ではなかったろうか。
 諸々の疑問符がグルグル、脳みその中を回り出す。
 すると、黙っているのをどう捉えたのか、リオンが大きくため息をついた。
「まったくお前は……。荷物持ちに来たくせにどうして僕から離れて迷子になる。だいたいお前は注意力散漫なんだ。こっちの店を見ていたかと思ったら向こうの店。それが終わったかと思ったらまたあちら……。女じゃないんだからもう少し落ち着いて買い物をしろ。そもそもあんなに人が多いんだ。動き回ったらすぐにはぐれるくらい子供でも分かる!」
 一息に言って気が済んだのか、リオンは大きく息を吐いて視線をそらせた。
 スタンはぽかんとしたまま目を瞬かせている。
 いつも通り、流麗で流暢で饒舌な台詞だ。だが、いつもと違うところもある。



「リオン……心配してくれたのか?」



 感じたままを素直に口に出してみる。
 リオンの口調にはいつものような刺々しさがなかった。
 言葉こそ怒り、こちらを咎めるようなものばかりだが裏に暖かみを感じる。
 昔、無茶をやって祖父に叱られたときとよく似ていた。
 そういえば、リオンは再会したとき荷物を持っていなかった。
 糅てて加えてあの全力疾走した後のような呼吸の乱れ方。汗の掻き方……。
 もしかして、リオンはずっと自分を探してくれていたのではないだろうか?
 だがそんな希望を、リオンは睥睨することで粉砕した。
「バカなことを言うな。どうして僕がお前なんかの心配をしなくちゃいけない? だいたいお前は荷物持ちのためについてきたんだろう。仕事を放り出すなんて無責任すぎる」
 今後こんなことがあれば躊躇いなくティアラを発動するぞ。
 忘れずに脅しをかけてから、リオンは再び歩き出した。
 スタンも手を引っ張られる形で大人しく歩みを進める。



(……どうしよう)
 リオンに捕まれた手がジンと熱くなるのを感じる。
(……どうしよう)
 自然に頬がにやける。
(……どうしよう)
 前をゆくリオンの耳がほんのり赤らんでいるのを発見してしまう。
(……どうしよう)



 嬉しい。



 体の奥から何かむず痒いモノがこみ上げてきて自然に頬がゆるんでしまう。
 さっきリオン自身の言葉によって粉砕された希望が、またリオンの言葉によって輝いてゆく。
 真っ暗闇だと思っていた二人の関係ににわかに明かりが差し込んできた。
 少なくとも、嫌われてはいない。たぶん、きっと。絶対、じゃないけど。
 それが嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて、しょうがなくて。
 スタンは足早にリオンに並ぶと、リオンの手をぎゅっと握り替えした。
 驚いたようにこちらを見るリオンに向かって満面の笑みを向ける。
「また、買い物一緒に行こうな!」
「――――今度は迷子になるんじゃないぞ」
 再び外方を向くリオンに対して、スタンは力強く頷いた。

あとがき

puppyloveとどっちにしようか悩んだけど、こっちで<タイトル。
リオン→←←←スタン(ただしどちらも恋一歩前)な感じ。

クーデレデロドロ(壊れ気味&エロティカ)坊ちゃんも大好きだけど、
ツンツンツンデレ(青春ど真ん中)坊ちゃんも大好きなんです。
スタンはツッコミデレ(つっこむところはつっこむ。でもデレデレ)もいいけれど、
ここではボケデレ(恋愛感情? おかんの腹の中においてきましたが?)でお願いします。

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