あの瞬間から、心がざわめきつづけている。
押さえつけても尚、零れだす想い。
さわりと頬をなぜる夜風。 それに乗り、運ばれてくる近くの海の匂い。 焚火のおかげで周囲は明るい。 夜はまだ、更けたばかりである。
(まったく・・・) さっきからやいのやいのと不満の声がする。 落ち着いて読書も出来ない。 「暇ったら暇。すっげー暇・・・」 「さっきからうるさいぞ、リッド」 たまりかね、声だけで注意する。 「でもさぁ・・・あ〜ぁ、なんで見張りなんかやんなきゃいけないんだぁ?」 「くじで決まったものをとやかく言うな。そう決めただろう?」 「わかってるけどさぁ・・・」 きっぱり撥ね付けると、まだぶつぶつ言っていたが、それでもいくらか静かになった。 昼間は戦闘やらなんやらで滅多に出来ない読書がゆっくりとできる貴重な時間。 こんな言い争いで浪費するのもばかばかしい。 最後の一文字まできっちり読んで、キールはページをめくった。
風の音。 薪の音。 ページをめくる音。 遠くで吼える獣の声。 静かな分、普段気にならないそんな音までがやけにはっきり耳に届く。 ミンツとはまったく違う―――夜の声。 ふと、こめかみにぴりりとした視線を感じた。 本を読むふりをして視線の行方を探る。 視線の主はリッドだった。 (なんなんだ、こいつは) さっきは声で、今度は視線で。 徹底的に読書を邪魔する気なのか。 (・・・見るなよ) 本の内容が頭に入らない。 ざわめく心。 蘇える―――記憶。
十年間という時は、リッドの容姿を変えていた。 しなやかな体躯。 無駄なくついた筋肉が猫科の肉食獣を思わせる。 唐紅の髪は空気を含んだように柔らかそう。 なにより目を奪われたのが、目。 清涼な雨上がりの六月の空を写し取ったような目は、見る者を惹きつけて止まない。 変わったのは容姿だけ。 中身は―――内面から溢れるような光は変わっていない。 いや、実際は変わっているのかもしれない。 なにせ十年も離れていたのだ。 この時間は人を変えるのに十分すぎる。
―――自分はどうだ? 変わっているか。 ちゃんと、『弱い』自分から変われているのか。 リッドやファラの背に隠れ、守られていたあの頃から。 傷つくリッドを見ながら、ただ唇を噛締め、拳を握り締める事しか出来なかったあの頃から、自分は変わったのだろうか。 ・・・・・・わからない。 今でも『弱いまま』なのかもしれない。 けれど。 守られていたあの頃には―――もう戻りたくない。
ようやくこめかみから痛みが消える。 訳もなくほっとする。 ざわめき続けていた心が落ち着きを取り戻す。
それでもまだ、得体の知れない感覚は胸の奥底でわだかまっていた。
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