スタンは台所を出ると、重い足取りで客間に向かった。 
彼が――コングマンがノイシュタッドから出て来たのは、興行のためだという。 
      先の混乱でめっきり客足の落ちた闘技場が巻き返しを図ろうと、スター選手を各地に派遣し、その場で宣伝を含めた簡易リーグを催すことになった。 
第一弾として抜擢されたのは、もっとも復興のめざましいダリルシェイド。 
当代随一の人気選手である自分はその先発隊である――――という話を、スタンはコングマンの肩の上で聞いた。 
暴漢から救われたあと、歩いていけるというのを強引にさえぎられ、荷物よろしく担がれた状態で、スタンはオベロン邸への帰路に着いた。 
あきれたことに、この男はスタンが本物の女であると信じきっているようだった。 
確かに、いつも伸ばし放題の髪は頭の高いところで結い詰められているし、服装だってフリフリ付きのエプロンスカートではある。 
しかし、何も化粧をしているというわけではないスッピンの状態だ。 
身長もある。肩幅もある。歩き方も、男のそれだ。 
なのになぜ分からない。なぜ気づかない。 
それとも、ちょっと服装を変えただけで別人に思われてしまうほど、自分は印象がなかったのだろうか。 
オベロン邸につくまでの間、スタンはコングマンの肩の上で、延々と自分の影の薄さについて思い悩んだ。 
       
       
       
       
       
       
「――――スタン様」 
「うわぉあ!?」 
 
       
       
       
       
       
       
       
       
      再び回想の海に迷い込みそうになっていたスタンは、横から聞こえた冷静な声に、ワゴンを押す手を止めた。 
コングマンのいる客間まで、歩いて数歩の廊下。 
いつの間に現れたのか、屋敷のメイドを一切取り仕切るメイド長が隣に立っていた。 
「ど、どうしたんですか。めいどちょ……」 
「そちらのお茶は私がお出しいたします」 
「はい?」 
      突然の申し出――というよりは少々断定的な口調だった。 
表情はいつもどおりにこやかだが、目が笑っていない。 
一体全体どうしたのかと聞き返そうとしたスタンだったが、メイド長は答えを聞く前にさっさとワゴンを奪っていってしまった。 
静々と去ってゆく背中に、問い掛けるはずの言葉は喉の入り口で消滅してしまう。 
コンコンとドアをノックする音を聞きながら、スタンは小首をかしげた。 
「あー。メイド長やっぱりぃー」 
「うわあああっ!?」 
いきなり、感心するような響きをまとわせた少女の声が背後から聞こえた。 
どうしてこの家の住人は、こんなに気配を消すのがうまいのだろう。 
雇う際に、アクアヴェイルでひそかに伝わるとされる"NINJUTSU"の習得が条件になっているのだろうか。 
慌てて間合いを取って振り返ると、そこには同じ下っ端メイドの一人が、口元をにやつかせ立っていた。 
「やっぱりメイド長、ご自分であのお客様の相手をしたかったみたいですねぇー」 
おかしそうに細まる目が、メイド長の消えた客間のドアを見つめている。 
スタンは困惑に眉をしかめた。 
「何、どういうこと?」 
「ご存じないんですかぁ?」 
さっぱり話が見えず、問い返すスタンにそのメイドはくくく、と吹き出すと、 
「実はですねぇ、メイド長……」 
――――少女の言葉は最後まで続くことなく、野太い叫びにかき消された。 
「何だ!?」 
ただ事ではない叫びに、メイドを押しのけスタンは声のする方へと走った。 
途中何度か階段を飛び越えたりとショートカットを駆使して屋敷の誰より早く駆けつけたスタンの目に、玄関にあふれかえる男たちの姿が飛び込んだ。 
いずれもどす黒い怒りが顔面を染めあげている。 
男たちの中に、ついさっきであった暴漢の姿を見て、スタンは悟った。 
これはおそらくコングマンに対するお礼参りだ。 
スタンと共に屋敷へ入るのを暴漢の一人が見ていたのだろう。 
大所帯なのは、数で押せば何とかなると考えているから。 
そしてこれだけ大騒ぎしているのに警備の人間が誰も出てこないところを見ると、最初の時点で不意をつかれたか多勢に無勢かでやられたに違いない。 
家の中にはまだメイド達がいたが、彼女らは包丁は握った事はあっても剣を手にした事は無いだろう。 
執事も同様だ。 
      リオンも、出張とやらで夜にならないと帰ってこない。 
      助けが来る確率は、ほぼ絶望的にゼロに近い。 
      用意された選択肢は二つ。 
      このまま屋敷が蹂躙されるのを指を咥えてみているか。あるいは、女装姿を晒す事を覚悟で戦うか。 
      (――――いったん引き返して剣を持ってくる時間はなさそうだ) 
      瞬きする間に決意は固まった。 
      スタンは邪魔にならないよう、スカートの裾は一つに絞り、胸元のリボンをはずすと弾みそうな息を整える。 
       
やるしかない。今この家を守れるのは自分しかいない。 
       
      スタンは覚悟を決めると、暴漢達の前へ躍り出―――― 
「待ちな、嬢ちゃん」 
ようとしたが、肩を誰かにつかまれ止められる。 
振り返ると、案の定一匹の野獣が玄関を厳しい目で睨みつけていた。 
      コングマンはあきれたように肩をすくめると、 
「あんたみたいなか弱い女があれだけの男達に勝てると思ってんのか?まったくオテンバもいい加減にしとけよ」 
まだ言うか、この男。 
もしや知っていてからかっているのかとも思ったが、表情を見ているとどうも真剣にスタンを女だと思っているらしい。 
ここまできっぱりはっきり間違えられると、もういっそそのままでいいですと思ってしまう。 
好きなだけ思い違いをしていてくれ。そして、あとで真相を知って度肝を抜かれるがいい。 
      「ここは俺様に任せて、あんたは後ろに下がってな」 
      「お、ちょっ!?」 
      止めようとするスタンを振り切り、コングマンは咆哮を上げ侵入者の群へと突貫した。 
      たちまち巻き起こる野獣VS人間の大乱闘。 
ちぎっては投げ、張り倒しては踏み倒すコングマンの戦いぶりを、スタンはただボーっと眺めていた。 
本来なら、スタンも助太刀に入るべきなのだろう。 
だが、相手はコングマンだ。 
下手に介入してつまみ出されるならまだしも、敵と間違われぶちのめされたらかなわない。 
      それに、コングマンの実力は闘技場で打ち立てられた脅威の記録がすべてを物語っている。 
スタンにできることといえば、小声で応援するばかり。 
「がんばれー。でも手加減してやれー」 
「……コングマン様……」 
「――――ッ!」 
スタンは危うくでそうになった驚愕の叫びを何とか喉の奥に押しとどめた。 
――――本当に、この家の使用人は気配を消すのがお上手だ。 
「め、めいどちょう……」 
一体いつの間に現れたのやら、スタンの隣にメイド長が忽然と立っていた。 
その顔からはいつものアルカイックスマイルが消え、どことなくうつろな感じがする。 
視線は玄関を向いたまま一点集中。 
招かれざる客達(コングマン含む)によって破壊され、どんどん原形を失いつつある玄関を見つめながら、やがて一言ポツリと、 
「素敵……」 
「えっ?」 
聞いてはならない一言を聞いた気がして、スタンは思わずメイド長の顔を覗き込んだ。 
そこには、赤らめた頬に手を当てうっとりと嘆息する乙女の顔があった。 
見たこともないメイド長の表情に、スタンは何度も玄関とメイド長を見比べる。 
何度も何度も、首が痛くなるほど見比べ、そして出た結論は。 
「メイド長……玄関をこんな風にリフォームしたかったのか……」 
「じゃ、なくて」 
突然横からつっこみを入れられる。 
一体誰かと思ったら、さっき廊下で話していた同僚だった。 
今度はなんとなく気配を察知してたので、驚かない。 
同僚はケタケタとおかしそうに笑うと、 
「もぅ、スタン様ぁ。強引にボケないでくださいよー。メイド長はコングマン様を見てうっとりなさってるんです」 
「はぁ?」 
それこそ強引な話に思えた。 
スタンは再び視線を玄関とメイド長の交互に向ける。 
      玄関では、ちょうど暴漢の一人がコングマンのパンチを受け、シャンデリアに激突していた。 
      「昔、リオン様に仰せつかってイレーヌ様のもとへ用事に出かけられたことがあるんですよ。その時、闘技場にも寄られて」 
それ以来大ファンになったのだとそのメイドは言う。 
スタンはまたしても玄関とメイド長を見比べた。 
人の心とは分からぬもの。確かに熱く潤んだメイド長の目は、(元)玄関で暴れまくるコングマンをロックオンして放さない。 
スタンの脳裏で、唐突に昔読んだ"美女と野獣"が思い返される。 
やがて視線の往復運動の果て、スタンは自分の中で一つの結論を出した。 
人の恋路にとやかく口を出すのはよそう。 
何せ――――。 
      (俺も、男に女装させて喜んでるような性格悪いのに惚れてるんだもんなぁ……) 
 
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
――――スタンは蹂躙され元の形を失いつつある玄関を見つめながら、この惨状をそのうち帰ってくる家主にどうやって説明しようかと、今から頭を悩ませた。 
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