dandelion
| あるところに、小さな動物園がありました。 そこにはたくさんの動物とそれを世話する人達がいました。 これから話すのはそんな動物園に入ったばかりの、一人の青年のお話です。 「おーい、餌だぞー」 言いながら、ライオンの檻の中に入ってきたのは一人の青年。 名前はスタン。 今年入ったばかりの新米飼育員である。 スタンはライオンの前に栄養剤の入った生肉を置いた。 寝ていたライオンはちらりと肉を見ると、のっそりと億劫そうな動きで食事に取り掛かった。 ライオンの名前はダイ。 年は十歳。 ライオンの寿命がだいたい十五年というから、ダイは中年か老年に差し掛かった頃という事になる。 ダイは元々この動物園出身ではなく、潰れたよその動物園から引き取られてきた。 性格はこのとおりのんびり屋で、めったに自分で動こうとしない。 「お前、最近喰う量減ってるなぁ。もうちょっと食べなきゃだめだぞ」 スタンの言葉にダイはちょっと片目で見上げただけで、また食事に戻る。 「やれやれ・・・・・・」 スタンはふっと呆れた溜息をこぼした。 その時、ほかの檻が激しく鳴って、まだ餌をやり終わってないことを思い出す。 「あー!ゴメン、ゴメン!」 スタンは慌てて他の檻へ飛んでいった。 「ただいま戻りましたー」 スタンが事務所のドアを開けると、事務員のフィリアとルーティがデスクに向かっていた。 「お帰りなさい」 「ちょっと遅かったわね」 「うーん。なかなかセキが離してくれなくて・・・・・・」 スタンがもう一頭のライオンの事を話すと、ルーティは感心したように、 「相変わらず毛皮着込んだ奴らには人気ねー」 ルーティの言葉が示すとおり、スタンはなぜか動物に人気がある。 それこそ哺乳類、爬虫類、両生類、鳥類何でもござれだ。 とくに猛獣関係には園内でも絶大な人気を誇る。 おかげで新人ながらライオンの世話を一挙に引き受ける身となってしまった。 「人間の女にはもてないくせにねぇ」 「余計なお世話だよ」 「そーだ!アンタいっそのこと動物と結婚したら?相思相愛でばっちりじゃないっ」 「止めてくれよぉっ」 ルーティの茶化しに、スタンは苦笑しながら、自分のデスクへ腰を下ろした。 飼育員といっても、別に動物の世話だけが仕事ではない。 動物の健康管理について纏めたり、飼育日記をつけたり、案外大変なのだ。 ちなみに今日は休園日だが、生ものである動物相手に、そんな事は関係ない。 (そういや、ダイの奴ちょっと風邪気味だったなぁ・・・・・・。先生に見てもらったほうがいいかな?) 考えながら、スタンは飼育日記を開いた。 デスクワークを終えて、園内の見回りをしていると、豹の檻の前で見知った顔に出会った。 「ウッドロウ先生!」 それはこの動物園の獣医、ウッドロウだった。 ただ服はいつもの白衣姿でなく、だいぶラフな格好をしている。 「今日、休みですか?」 「ああ、そうだよ。本当だったら家でゆっくりしていようかと思っていたんだが・・・・・・」 ウッドロウは苦笑して一旦言葉を切ると、 「自然に足がこっちに向いてしまってね。職業病かな?」 「それ、分かります」 スタンも笑いながら言った。 「俺も休みの日、何となく動物園の前まできちゃう事があって。足が覚えちゃったみたいだ」 「スタン君は本当に動物が好きなんだな」 「はい。大好きです」 ウッドロウの微笑ましそうな言葉に、スタンもにっこり笑って答える。 「俺、すっごくちっちゃい頃から動物が大好きで、大きくなったら絶対動物園の人になるんだって小学校の作文にも書いたくらいなんです。今、夢が叶ってすごく嬉しいです!」 「でも怖くないのかい。今、ライオンの世話をしているんだろう?」 「何で怖いなんて思うんですか?」 スタンは不思議そうに質問を返す。 「猛獣・・・って言っても別に向こうが腹が減ってたり、こっちが何もしなきゃ襲われないし、第一むやみやたらに怖がったら相手に失礼だと思いませんか?俺も人間って言う動物なんだし。頑張れば、意思疎通できない相手じゃないですしね」 まっすぐな言葉に、ウッドロウは少し目を見張った。 だが、すぐに口元を綻ばせると、 「・・・そうか。何となく君が動物に好かれる理由が分かった気がするよ」 「どういう意味です?」 スタンがきょとんと分からない顔をする。 ウッドロウは相変わらず微笑したまま、 「動物は人の心を敏感に読み取る。君の心には何の作意もないから、動物たちも安心するんだろうね」 「それ、俺が単純ってことですか?」 「純粋って言いたいんだよ」 「本当かな・・・・・・」 ついさっきルーティにからかわれたばかりなので少し疑い深くなっている。 「君は動物なら信用するのに、人間は信用しないのかい?」 少し傷ついたようなウッドロウの言い方に、スタンは慌てて、 「そ、そういうわけじゃあ・・・・・・!」 「スタン!」 背後から、声がして振り返る。 「どうしたんだ、ルーティ」 走りよってきたルーティは、息を整える間ももどかしそうに、 「ウッドロウ先生もちょうどいいわ。早く!急いでっ!」 説明もないまま、二人はルーティの後に続く。 いくつもの檻を通り過ぎ、目的地に近づくたびスタンの中で嫌な予感が膨らんでいった。 やってきたのはダイの檻だった。 「ダイ!」 ダイは藁のベッドの中でぐったりしている。 あちこちに、嘔吐と下痢の跡があった。 駆け寄り、体を撫でると燃えそうなほど熱い。 「先生!」 スタンの悲痛な声に、ウッドロウは冷静に診察を始めた。 「ルーティ君、病院に連絡を。至急運んだほうがいい」 「ダイ、ダイ・・・・・・」 スタンは泣きそうな顔でダイのたてがみや腹、体のいたるところを撫で続けた。 ダイは薄目を開けてされるまま、スタンを見ている。 荒い息が、咽喉の奥で笛のような音を立てた。 「ダイ・・・死ぬなよ、ダイ・・・・・・」 声に反応したのか、ダイはスタンの手を肉厚の舌で舐めた。 まるで慰めているように。 やがて腹の動きが鈍くなる。 息はもう無い。 「ダイ・・・ダイ・・・」 電話で指示を終えたウッドロウが戻ってきた。 持っていたペンシルライトでダイの眼球を覗く。 ウッドロウは軽い溜息をついた。 ――スタンの腕の中で、ダイは急に重みを増した。 空は濃い紫と茜のグラデーションに染まっており、もう星が見え始めている。 スタンは園の中心にある噴水でぼんやり空を見上げていた。 生き物の気配の無い動物園は静かで、迷宮にでも迷い込んだ気になる。 「スタン君」 名前を呼ばれて、スタンはのろのろとそちらを向いた。 そこには歩いてくるウッドロウの姿があった。 「こんな所にいたのかい」 ウッドロウが隣に腰掛けた。 二つ持っていた缶コーヒーのうちの一つを手渡されたが、スタンは缶を開けようとしない。 「ルーティ君が探していたよ」 「すみません・・・・・・」 スタンは小さく首だけで礼をし、そのまま俯く。 「――ダイの解剖結果が出たよ」 スタンの手がぴくりと震えた。 「結果から言うと、病死だ。病名は猫伝染性腸炎。本来猫のかかる伝染病だが、ライオンにもかかる恐ろしいものだよ。潜伏期間は二日から十日。発熱・クシャミ・食欲減退・鼻汁・目ヤニ・下痢・脱水・多渇症・白血球減少などの症状が現われ、子猫だと死亡率は90%。現在でも発生が見られるので、生後六十〜九十日目に、予防ワクチンの接種が必要だ。だが、どうやらダイは前の動物園でワクチンを受けていなかったらしい」 「そうですか・・・・・・」 スタンは呟くように言って、それからまた黙り込んだ。 ウッドロウも、あわせて黙る。 しばらく夕闇の園内で、二人は何も言わなかった。 ウッドロウが飲み干した缶をゴミ箱に投げ入れる。 金属のかち当たる音が、辺りに響いた。 「・・・俺の、せいですよね」 スタンがぽつんと言った。 「俺がもっと早くダイの異変に気づいていれば、あいつ死なずにすんだのに・・・・・・」 指が白くなるほどきつく缶を握る。 「俺、いい気になってたのかもしれない。動物すきだって言っておきながら、ダイが病気なのにも気づかす、むざむざ死なせるだなんて・・・・・・飼育員失格だ・・・・・・」 ぽたりと、落ちた雫がズボンにしみを作る。 スタンは肩を震わせしゃっくり上げた。 ウッドロウは静かにスタンの背を撫でる。 何度も何度も、落ち着かせるように。 それでもスタンの涙は止まらない。 ウッドロウは静かな声で言った。 「泣いて、ダイが戻ってくると思うかい?」 スタンの肩がびくりと震えた。 「遅かれ早かれ命というものは尽きる日が来る。病気にしろ、老衰にしろ、それは自然の摂理だ。我々がどうあがいたってそれは変わらない」 「でもっ!」 スタンは始めて顔を上げた。 涙で顔はぼろぼろだった。 「もう少し俺が気をつけてれば!何か変わったかもしれない!ダイは死ななかったかもしれない!俺が・・・俺が・・・・・・」 「スタン君・・・・・・」 ウッドロウはスタン背を抱いた。 そのまま子供にするように、耳元でゆっくり話し始める。 「自分ひとりを責めないでくれ。それを言うなら私も同じだ。私が、ワクチンを打たれていない事に気づいていればもう少し違った結果に終わったかもしれない。けれど、後悔してもダイは戻らない。だが詫びる方法はある」 「・・・・・・?」 「もう二度と、こんな事が無いようにする事だ。二度と彼のような被害者を出さないようにする。それが我々命を預かる者の務めじゃないかい?」 スタンの涙は止まらなかった。 だが言葉が、痛む心に沁みこんでくる。 「それに野生動物は自分の死に際を何者にも見せる事を嫌うという。それでも、ダイは君の腕の中を死に場所に選んだ。きっと、君が好きだったから。それは、彼が死んでも変わらないよ」 「うっ・・・く・・・」 「今は泣いてもいい。だが明日からは、ちゃんと普段どおりに戻らないとな。君は、大小沢山の命を預かっている身なのだから」 「――――ッ!」 スタンはウッドロウの腕の中で思いっきり声を上げて泣いた。 けれどその声は、まったく外に漏れる事無く、ウッドロウの胸の中に涙ごと吸い込まれていった。 ――――その後、ダイは園内にある墓の中で眠っています。 その周りには、毎年春になると大量のタンポポ―ダンデライオン―が咲きました。 |
あとがき
一番苦労した話。
動物園の飼育員さんの一日ってネットで調べても分からないから捏造。
微妙にウドスタちっく。
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