Workaholic

霧の煙る湖畔。
テラスから望む幻想的な光景。
「静かだ・・・・・・」
リオンは呟きながら、朝摘みのハーブティに舌鼓を打った。




ここはリオンの所有する別荘の一つ。
リオンは一週間ほど前からそこに滞在していた。
彼は騒乱の後、亡きヒューゴの代わりとしてオベロン社の経営者に就任し、多忙な毎日を送っていた。
まず拠点となるダリルシェイドや世間の信頼の復興、レンズルートの新たな確立に、新境地の開発。
この一年、ほとんど仕事に生活を費やしてきたといっても過言ではない。
復興に目処がついた最近、自分に対する褒美があってもいいのではないかと思い、今回の旅行を計画した。
無論、一人ではない。
「んん・・・・・・」
ベッドから寝ぼけた声。
つれてきたスタンはいまだ夢の中で、リオンは微笑をもらした。
やっと手にいれたゆっくりとした時間。
あと一ヶ月くらいはこうしてのんびりしていようと思った。
できれば、の話である。





「社長!」
と、不躾な声が押し入ってきたのは昼ごろである。
確か秘書の一人だ、と記憶を働かせる。
ちょうど起きてきたスタンとブランチを取っていたリオンは、あからさまに嫌な顔をした。
「貴様・・・何の用事だ」
「何の用事ではありません!いきなり置手紙一つおいて姿を消すだなんて・・・・・・」
「後の事は任せてあるだろう。分かったら帰れ」
邪険にシッシと犬でも追い払うように手を振る。
「ですが、実は以前から進めてあるプロジェクトの方に問題が出まして、社長でないと・・・・・・」
「貴様、首になりたいか?」
凄みのある睨みに、秘書はすくみ上がる。
まさに蛇に睨まれた蛙状態。
そんな哀れな蛙を救ったのは、天使のような青年の一声だった。
「リオン、そんなこと言っちゃダメだろ!」
「だが・・・・・・」
「お前じゃなきゃダメだって言ってるじゃないか。社長としての仕事はちゃんとやった方がいいぞ」
「・・・・・・」
「俺なら、待ってるからさ」
微笑まれ、リオンは苦々しく視線をそらすと、無言で秘書に手を突き出した。
「えっ・・・・・・」
「書類だ。もちろん持ってきているんだろうな」
「は、はい!もちろん!!」
秘書が喜色もあらわに鞄の中を探り、書類を手渡す。
リオンは書類を手に、書斎へ篭もった。
手早く、そして乱暴に問題点を直してゆく。
――ドアの外から秘書とスタンの楽しそうな声がして、ペンを走らせるスピードはさらにアップした。





その翌日。
「あ、リオン様!」
出かけようとドアを開けると、側近の一人が泣きそうな顔で立っていた。
「探したんですよ!この一週間ずぅっと・・・・・・」
「手紙を置いていただろう。何の用事だ」
冷たく切り返すと、社員は、
「実は工場の方でトラブルが・・・・・・」
「技術者なり、秘書なりに代わりをさせればいいだろう」
「それがリオン様でなくては分からない点があって」
「ふざけるな!今僕は休暇中なんだぞ」
「リオンってば!」
後ろからひょっこりとスタンが顔を出す。
「あの、その工場の様子ってそんなに大変なんですか?」
「は、はい!本当に、生産ラインがストップしてしまっていて・・・・・・」
「リオン、大変だぞ。早く行かなきゃ!」
「しかし!」
「さぁ、リオン様!飛行竜を待たせておりますのでお早めに!」
「お、おい!?」
ゴリの強い社員に引っ張られて、リオンは思わず振り向く。
「いってらっしゃい。仕事、頑張ってこいよ!」
新妻よろしく見送られ、リオンは重い溜息をついた。
――やっと帰ってこれたのは、それから二日後の事だった。







さらにその三日後。
「リオン社長はいますか!?」
秘書が別荘に乗り込んできた時、リオンはちょうど三時のおやつ時で、スタンと共に用意をしている真っ最中だった。
「今度はいったいなんだと言うんだ・・・・・・」
「あの、前々から技術協力を要請していた会社が、今回やっとうちとの契約を結んでくれることになって・・・・・・」
「その件は全面的にお前に任せる。だからさっさと消えろ」
「それが、その〜」
「社長がいるというのはここかしら」
突然ドアが開き、清涼な風と共に眩暈を覚えそうな香水の匂いが入ってきた。
匂いの元は、派手な服装に身を包んだ女性だった。
若い頃はさぞかし騒がれたろうと思わせる、円熟した色気が服の間から滲み出ている。
驚くほど不安定そうな凝った靴で、よろけることなく一直線にこちらへ向かってきた。
「あ、あのぅ、どちら様で?」
スタンがおずおずと尋ねた。
「人に名前を尋ねる時はまず自分から名乗るものじゃなくって?」
「あ、ス、すみません!」
高圧的な態度にスタンは萎縮して、慌てて頭を下げる。
「まぁ、いいわ。ところで、どっちがオベロンの社長さん?」
「僕がオベロン社のリオン=マグナスだ」
リオンが名乗り出ると、女性はあからさまに驚いた顔をして、
「こんな子供が!?」
「年齢と能力は別物だと思うがな。それにこっちは名乗ったのだからそちらも名乗ってはどうだ。勝手に人の別荘に入ってきて名乗りもしないのか?」
「フフ、言うじゃない。坊や」
女性は口元を笑みに形作った。
秘書が慌てて、
「社長!この方は技術協力していただく会社の社長で・・・・・・」
「まあ、いいわ。早速だけど商談に入りましょうか」
女性はさっさとイスに腰掛けると、組んだ手に顎を乗せにっこりと微笑んだ。
それに対してリオンは仏頂面で、
「ちょっとまってくれ。今僕は休暇中なんだ。その話は秘書の方に回してくれ」
「そんなの関係ないわ。私は大型のビジネスには直接同じ立場の人間と商談するの。あなたも会社を経営する身なら、休暇の一つや二つ潰してごらんなさい」
「もう一つや二つどころか、三つや四つも潰されているんだがな」
「ならもう一つくらいおまけで潰れたってかまわないでしょう?どうせ一月や二月かかる作業じゃあるまいし」
「しかし・・・・・・」
「なんだったら、止めましょうか?契約」
「くっ・・・・・・」
リオンは言葉に詰まった。
横から縋りつくような秘書の視線を感じる。
「どうするの、社長さん。社員の努力を無駄にする気かしら?」
「・・・・・・ちっ」
リオンは乱暴に女性の前の椅子に座った。
「おい、ペンを貸せ」
「は、はい!ただいま!!」
秘書が慌てて鞄を探る。
その様子を見ていた女性が、
「坊や、もう少し人には優しくした方がいいわよ。とくに女性にはね」
「亀の甲より年の功か・・・伊達に年は喰っていないようだな。貴重な御意見感謝する」
「・・・減らない口ね。塞いでやろうかしら」
「できるものならば」
「本当に減らない口」
秘書はハラハラしながら視線を二人の間で行ったり来たりさせた。
商談の場にふさわしくない殺伐とした雰囲気がその場に流れる。
その空気をぶち壊したのは、能天気なスタンの乱入だった。
「みんな!お茶の準備ができたぞ!!」
盆の上に紅茶と甘い香りの焼きたてマドレーヌをもって、入ってくる。
「どこに行っていたのかと思ったら・・・・・・」
リオンが呆れた顔をする。
「仕事の話じゃあ、俺がいたって邪魔なだけだろ?それより、食べよう。焼き立てだからさ。社長さんも!」
スタンはにっこり笑いながら、女性の前にマドレーヌと紅茶を置いた。
「・・・このタイミング、狙ってたの?」
すっかり毒気を抜かれた女性が呟く。
「だったらまだマシなんだが・・・・・・無自覚っていうのは一番性質が悪い」
紅茶をすすりながら、リオンは横目でスタンを見ていた。
恐縮する秘書に菓子を勧めるスタンを見ていたら、甘いはずの紅茶がなぜか苦く感じた。
カップを置いて、視線を前に戻す。
「――さぁ、ビジネスを始めようか」
そう言ったリオンの顔は、すっかり『オベロン社社長』の仮面を被っていた。








商談が成立し、女性が帰る頃、空はもう夕闇に染まっていた。
「――――ふぅ」
「お疲れ様」
リオンはソファに寝転がって、張り詰めていた空気を抜いた。
カップを片付けていたスタンがねぎらいの言葉を掛ける。
「まったく・・・これじゃあ社にいるときと何にも変わらないな」
「そう言うなよ。みんなリオンの事を頼ってるんじゃないか」
「自分の力で何とかしようと思わないのか、奴らは」
リオンは言葉を苦々しく吐き出し、起き上がる。
「まったく・・・・・・」
そのまま、リオンはスタンを手招く。
スタンは素直にリオンの元へ近づいた。
「どした?・・・うわっ!?」
いきなり手を引かれ、そのまま抱きすくめられる。
「おかげでお前と二人だけの時間がとれないな・・・・・・」
「・・・・・・そうだな」
呟いて、スタンはリオンを抱き返す。
しばらく、二人は互いの体を抱きしめあった。
「スタン・・・・・・」
「ん・・・・・・?」
そのまま甘い時間が流れるかと思った、その時。
「社長っ!!」
ドアが激しく鳴る。
「スイマセン、ちょっと社でトラブルが。大至急戻ってください!!」
「・・・・・・」
「あの、リオン?」
黙り込んだリオンに不吉な予感を覚えて、スタンはおずおずと話しかけた。
「リオンー」
「スタン・・・・・・」
やがてリオンは低い声で言った。
「行くぞ。他に移る」
「ええっ?何で!?」
「こう度々邪魔されたんじゃ神経が持たない!今すぐ荷物を纏めろ!」
「ちょ、リオン!」
「社長〜!?」
「――僕が過労死したら、いったい誰が責任を取るって言うんだっ!?」
堪りかねたリオンの叫びが、湖畔のしじまをぶち壊した。

あとがき

本当に過労死したらどうするんですか。
スタン、未亡人になりますよ!(をい)

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