■場面/一■

透がその銀行にやってきたのはまったくの偶然である。







夕飯の買い物に向う前、軽い中身の財布に先ず当面の生活費を食わせてやろうと透は銀行へやってきた。
週末前日の午後二時半。
普段ならば、大事故が起きた直後の緊急指定病院さながらの状況であろうにもかかわらず、銀行の中は閑散としていた。
客は透一人のみ。
手持ち無沙汰そうだった行員は、透の姿を見るなり居住まいを正した。
そして普通だったら列が出来ているはずのキャッシュコーナーにロープが張り巡らされている。
それぞれの機械の前には「故障中」の札。
(変だ)
と、透はとっさに思った。
しかしカウンターへ近づくにつれ、透の中で変だと思う感情はやがて別のものへと姿を変えていった。
(不気味だ……)
週末前の銀行。閑散とした店内。壊れたキャッシュコーナー。
ただそれだけ。
ただ、それだけのはずなのに……。
この背がぞくぞくする感じはなんなのだろう。
それはまるで、災厄という獣が一歩一歩、その鋭い牙を唾液でぬめらせ、足音を忍ばせながら背後から近づいているような――――。
(ま、いっか)
不気味な気持ちはものの五秒と持たず掻き消えた。
元々前向きな性格ゆえ、深刻な状況が長続きしないのだ。
のー天気とも言う。
透は壊れたキャッシュコーナーに眼もくれず(機械おんちゆえ元から使えない)、真っ直ぐカウンターへ向った。
「いらっしゃいませぇ!」
「引き出ししたいんですけど」
年齢に似合わずきゃぴきゃぴした声の女子行員に言われるまま、必要事項を書き出して、呼ばれるまで硬いソファーに座り込んで待つ。
そのままガラス越しの外に眼を向けながら、透はぼんやりしだした。
頭が、今朝見たスーパーの広告をインクのカスレすら正確に思い出す。
(豚肉が安かった)
冷蔵庫の中には確か牛乳と玉子と焼肉のタレ等の調味料。
あとにんにくも半分残ってた。
(この間、氏子さんに自分とこの畑で採れたって言う白菜貰ったっけ)
しかし残っているのはそれくらいで、あとはカップラーメンすら無い状況だ。
(鍋……にしようかなぁ)
貰った白菜と安売りの豚肉を鶏がらスープで煮込んださっぱり風味の鍋。
それだけじゃ寂しいから、同じく安売りされている冷凍モノのえびや野菜も一緒に入れて――――。
(そんなんだったら同じ材料でシチューにしようかなぁ。翌日使いまわせるし、白菜とホワイトソースって案外合うし……。いや、使いまわすならもっと別のものにしようか。翌日のお弁当にも使える奴。たとえば八宝菜とか……)
そんなおおよそ中学生らしくない思考に没頭していた、その時である。
「ッチ」
舌打ちに透は現実へと引き戻された。
見ればすぐ近く―入り口―に一人の少女が居た。
同い年だろうか。
片方の耳上の髪を二本のピンで止めたショートカットは、染めてでもいるのか、赤茶けている。
陽に透かせば色はより鮮やかに、赤くなった。
不機嫌な顔を隠しもせずキャッシュコーナーを見つめていた少女は、足早にカウンターへ向った。
そして行員と二、三言葉を交わすと、そのまま透のナナメ向かいのソファーに座り、ブックスタンドから本を取り出す。
ショートパンツから伸びた足は、右だけ包帯が巻かれていた。
(不良さんか?)
じっと見つめているのも失礼かと思い、透は視線をまた窓の外へ向けた。
昼の強い日差しが、コンクリートで固められた道に照りかえり、眩しさを増す。
道行く人はみな迷惑そうに眼を細めていた。
(野菜炒めもイイかもしれない)
「…サマ、明日葉様ァ!」
「は、はい!!」
再度、夕飯を考えるのに没頭していた透は、行員の呼ぶ声に慌てて立ち上がった。
同時に。
何かが擦れあう鋭い音が店外から聞こえた。
何事か、と入り口に目を向けた瞬間。
――――デパートの屋上が丸々引っ越してきた。
いや、ちがう。
正確には「デパートの屋上で行われるアトラクションに出てくるヌイグルミたち」が入ってきたのだ。
自然界では存在しないであろうピンクのウサギや青いイヌが、どやどやと八匹ほど出揃った。
一挙に店内はメルヘンの世界と化す。
そのメルヘンの筆頭、ピンクウサギがいやに現実的な武器を振りかざし、野太い声で喚いた。
「扉を閉めろ!テメェら全員動くんじゃねぇぞ!!」
透は立ち上がろうとした瞬間の姿のまま、口をぽかんと開けて固まった。
(まさか、これって……)
「おかしな真似した奴は容赦なくぶっ殺す!」











――――かくして、二発の銃声を合図に、透は人生最初で最後であろう、銀行強盗立てこもり事件の当事者となってしまったのであった。

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