Catch me If you can
第一幕

お昼休みの校舎内を、縦横無尽に駆け巡り、右へ左へ大奔走。
タイムリミットはチャイムが鳴るまで。
どちらも必死の鬼ごっこ。
追われる側が勝つか、鬼が勝つか?
複数対一+αの真剣勝負。
本日これより勝負開始!














「ここっ!?」
走る勢いそのままに理科室の扉を開くと、そこにいたのは背の高い男子生徒ただ一人だった。
「あ……あれ?」
「どうしたんだ、いったい?」
きょろきょろと教室を見回せば、逆光で奥が見えない眼鏡をずり直して、少年は突然の珍客に問う。
少女は、思い切って訊いてみた。
「あ、あの。ここに髪の長い――――二年のって言う女の子、来ませんでしたか?」
「来てないなぁ……。が何かやったのか」
「いえ、そういう訳では……」
少女はしばし思案した後、おもむろに、
「あの、この部屋探させてもらっていいですか?」
訊けば、少年は片眉を器用に上げて見せて、
「いいけど……。だいぶ喉が渇いてるみたいだね」
「え、ええ。まぁ……」
言われて、少女は喉に手をやる。
自覚した途端、体全体が乾きに襲われた。
何度か咳き込んでいると、少年が楽しそうに弾んだ声で、
「ちょうど新作ができたところなんだ。試飲してみてくれないか」
そう言いながら、少年はミキサーから正体の知れない液体をコップに注いだ。
コップから溢れんばかりに注がれた"新作"とやらは、いわく言いがたい色をしていて、少女の危険中枢が本能的に警告を発した。
「あ、あの……」
目の前に突きつけられた液体は、瘴気と共に不気味な泡を吐き出した。
「さぁ、どうぞ?」
「っ!!おお、お邪魔しました――――!!
少女は脂汗を大量に流しつつ、その場から退散した。















「……行ったぞ」
ことり、とコップを置くと、すこし離れたテーブルの影から、一人の少女がゆっくり姿を現した。
「……行きましたね」
よかったぁ〜、とは胸をなでおろす。
「助かりました、乾先輩!……あの、驚かせちゃいました?」
「部屋に飛び込んでくるなり"匿って!"だからなぁ……。いったい何があったんだ」
「実は……」
は情け無さそうな顔でゆっくり語りだした。











その時。
は昼食を屋上で食べようと廊下を歩いていた。
その後ろを、ぴったりと一人の少女がくっついてきている。
「ねぇ、一回だけでいいの!頼んでもらえないかなぁ……」
「しつこいですね。そういう事はくー……手塚先輩に頼めばいいでしょう」
「それができないから言ってるんじゃない!」
「知るか!」
先ほどからくっついてきているこの少女は報道部員で、今度の学校新聞にぜひともテニス部を特集したいのだと言う。
だが、頼んでテニス部がおいそれと了承してくれないのは、過去の経験から学習済み。
それでも諦めきれない新聞部は、という搦手を使う事にしたらしい。
常日頃がテニス部員たちと仲がいい事は結構有名な話で、が頼めばあの頑固な部長も頷いてくれるのではないか。
そんな期待から頼み込んでいるらしいが、自身も頑固なもので朝からずっとこの調子。
だが彼女も粘り強いものだった。
「ねぇん、おねがぁ〜いン」
「甘えた声出してもだめ」
「うっ、お、おねがいよぅ……。本当に困ってるのよぅ……」
「泣いても無駄」
「わしゃぁ、ネタが無くてこまっとるんじゃあ。協力せんかい、ワレェ!」
「エセ広島弁で脅しても却下」
「ほんっとお願い!せめて写真だけでもいいから〜」
行く手を遮り拝み倒す少女に、は呆れて溜息を吐いた。
「まったく……。写真なんてどうするんです」
「売る」
「――――っ!ますます出来ん!!
一声吠えると、は少女を脇にどけ、これ以上話す事はないと無言で歩き出した。






スタスタスタスタ。
が歩けば、
スタスタスタスタ。
と、少女も続く。




トタトタトタトタ。
がすこし早足になれば、
トタトタトタトタ。
と少女も続く。




タッタッタッタ。
が小走りになれば、
タッタッタッタ。
と少女も続く。




そしてとうとう……




「ついてくるなぁぁ〜〜〜〜っ!!」
の絶叫と猛ダッシュを皮切りに、幕は切って落とされた。














「まぁ、発端はそういうことでして……」
その後、どういう事かがつかまればテニス部へのパイプ役を引き受けると言う話になったらしく、今では新聞部総勢十二名が探索に加わっているそうだ。
一対十二の追いかけっこはかなり分が悪い。
「だからって、捕まるわけには行きませんからね」
全てを話し終わった後、はふっとため息をついて扉に手をかけた。
「待て、。どこに行くつもりだ」
「ずっとここにいれば今度は乾先輩に迷惑がかかります。大丈夫ですよ、小さい頃から鬼ごっこは得意だったんです」
にっこり笑ってガッツポーズをしてから、は部屋を出た。
走り去る音が消えると、途端にシン……っと理科室のなかが静まり返る。
「まったく……」
乾はの出て行った扉を見ながら苦笑した。
「迷惑だと思っていたら誰が助けるもんか」
それからケータイの短縮を押して、
「ああ、俺だ。ちょっとが困った事になってな……」















人の決して少なくない廊下を、は風となって走りぬけた。
生徒の間を巧みにすり抜け、ただひたすら走る、走る、走る。
その後ろを、一人の男子生徒が必死の態で追いかけてきていた。
「いい加減諦めてください!」
「そうはいかない!拒否されればされるほど追いかけたくなるのがジャーナリスト魂だ!」
「ストーカー魂の間違いじゃないですか!?」
「かも知れない!」
「そんな腐った魂捨ててしまえっ!!」
吠えながら、の頭はこれからのことをめまぐるしく考えていた。
このまま、目的無く走っていてもそのうち捕まってしまう。
チャイムが鳴るまで逃げ切っても、彼らが素直に負けを認めるとは思わない。
だとしたら、誰か。誰か味方の所に逃げ込めば――――。
廊下の角を芸術的なコーナリングでクリアし、さらに加速をつけようとしただったが、
「ぐっ!?」
何者かに口を塞がれ、使われていない教室に飛び込まされる。
(捕まった――――!?)
先ほど追いかけられていた少年の足音がどんどんと遠ざかっていって、は自分の口を塞いでいた手を強く払いのけた。
「誰だっ!?」
「俺だよ〜ん」
「っ、菊丸先輩!?
手の主は、払われた腕を痛そうにぷらぷらさせながら笑っている菊丸だった。
襲撃の主の意外な正体に、は唖然とした。
「何で、こんな事……」
「乾から聞いたんだー。ちゃん、大変だったにゃあ」
菊丸は慰めるようにの頭を胸に抱いた。
「菊丸先輩……。ありがとうございます」
しばらくしてから、ぎゅっと抱かれた頭をゆっくり離し、は笑顔を見せた。
「じゃ、私もう行きますね」
「え、もう?」
「ずっとここにいたら、すぐ見つかります。それに、菊丸先輩にこれ以上ご迷惑をかけるわけにはいきませんから……」
廊下にさっきの生徒がいない事を確認してから、ひらひらと手を振って、は部屋を出た。

の出て行った空き教室の中。
遠くに聞こえる騒々しい追いかけっこの声に耳を済ませながら、菊丸はおもむろにケータイを取り出した。
「――――ちゃんにだったら、メーワクかけられてもいいんだけどニャー」
払われた手を見つめながら、慣れた手つきで短縮を押した。
















「――――っ!?」
少女が声もなく図書室のドアを開けると、そこには同年代の当番らしき整った容姿の少年が一人だけ、手持ち無沙汰そうにカウンターに座っていた。
大きな金色の瞳に見つめられ、少女はドアノブを掴んだまま見とれた。
「……何やってんの。なんかよーじ?」
「え、あ、はいっ!あの……失礼しました!!
見つめられたまま言われた冷たい言葉に、少女はびくりと震えると、そのまま脱兎のごとく図書室を出て行ってしまった。






「……言うに事欠いて"なんかよーじ"は無いんじゃない?」
先輩、どこから顔出してるんスか」
「君の股の間から」
「0.3秒以内にどいて」
睨みつけられ、カウンターの下から、はのそのそと這い出した。
走り通しでそろそろ痛くなってきたふくらはぎを軽くマッサージしながら、
「可哀想に……あの子脅えてなかった?」
「敵の心配すんの?」
「しょうがないでしょ、あの子半分泣きながら追いかけてきたんだから……」
言いながら、閉まった扉を見つめる。
逃げながら背後から聞こえる消え去りそうな制止の言葉に、意味も無く罪悪感に駆られ、何度頭を下げたくなったことか……。
じっと扉を見つめていると、突然強引に腕を引かれた。
後輩が、ムッとした顔でこちらを睨んでいる。
覆いかぶさるような体勢のまま、は意味を図りかねきょとんと、
「何?リョーマ君」
「昼休み終わるまでここにいれば?」
「そりゃあ、無理な相談だね」
首を横に振ると、越前はまたムッとした顔で、
「何で」
「それはね……」
と、が口を開きかけた時。
「いたっスー!!」
野太い叫びと共に、一人の少年がドアを破かんばかりの勢いで部屋に転がり込んできた。
「――――猟犬の鼻を甘く見ちゃいけないからさ!」
プロレスよろしくタックルしてきた少年をひらりとかわし、は越前に向って持っていた荷物を投げた。
「なんだよ。コレ?」
「私の今日のお弁当。どうせ今日は新聞部相手にしてて食べれないだろうし、持ってたらハンデになるしね。部活終わったら取りに行くから、それまでその辺に放置しといてー」
ぽかんとしている越前を置き去りに、少年とは来た時と同じように慌しく図書室を後にした。














越前の手の中には、の弁当とさっきまで手に感じていたぬくもりだけが残された。
「……ま、いいけど」
にっと口の端を吊り上げて笑ったとき、ふいにケータイが鳴った。
「はい……。ああ、先輩ならさっき来たました。……いや、教室のほうじゃなくて、俺、今図書室っす」













「センパイ、いい加減捕まってください!」
追いすがるのは縦も横も確実により年下に見えない男子生徒。
やっぱりお昼は食べていないのだろうか。何度か腹から鳴き声が聞こえた。
しかし今のに同情している余裕は無い。
「嫌です!みんなが嫌がることを強要なんてできません!だいたい私なんかとッ捕まえるよりも、テニス部の人たちに取材協力してもらえるように人道的努力を費やしたらどう!?」
「これまで取材協力を申し出て五十八戦五十八敗、うち最後の十七敗は門前払いなんです!
「何故にカウントされてるんですかっ!?」
「ネタになるかもしれないからと部長が……」
「せ、せつないっ!」
血を吐くような告白に、目の端から堪えきれない涙が零れる。






『あーっと、選手追いすがる新聞部の内情に同情しつつ今、三階西側階段前を通過した――――!!』






「そしてどっから見てるかは知らんが、人が肺破けそうになりつつ必死こいて逃げてるのをまるで日曜に僅かな夢を見るお父さんたちがたむろする競馬場の実況アナウンスみたいにお昼の放送ネタとして使うな、放送部うぅゥ〜〜〜〜っ!!」
怒りに叫ぶの声が、廊下の端から端までか細くフェードアウトしていった……。













少年はその体格に似合わず案外鈍足らしかった。
追いすがる声が、徐々に頼りないものに代わってゆく。
(――――逃げ切れるッ!)
確信と共に、上履きの底のゴムが悲鳴を上げるほど乱暴に角を曲がった、瞬間。
「いたぞッ!」
後ろの後輩より遥かに大柄な男子生徒が、さぁ来いとばかりに両手を広げて待ち構えていた。
姿を確認したは一瞬心臓が止まるかと思ったが、足の方は止まらなかった。
「さあ、止まれ!」
「車も人も急に止まらない!」
このまま止まれば目の前の生徒につかまるし、突っ込んでいっても体格差で抱きとめられる。
かといって踵を返せばさっきの後輩がお待ちかね。
一瞬のうちに以上の内容が頭に浮かんで、はザッと青ざめた。
(ヤバイ、マズイ、ドウシヨウッ)
男子生徒までの距離は後僅か。
相手が勝利に笑みをこぼす。
(万事休すか――――!?)
覚悟を決めかけたの横目に、飛び込んできたもの。の体は吸い寄せられるようにそっちへ向った。
「あっ!?」
「なにっ!?」

短い悲鳴がそこかしこで聞こえる。
――――の体は爽やかな風通す窓の外へと躍り出ていた。

あとがき

お題四つ目はハイテンションなスラップスチックコメディーでお送りしたいと思います。
ちなみにスラップスチックコメディーとは『ドタバタ喜劇』と言う意味だそうです。
こういうノリの奴って書くのも読むのも大好きです!!
果たして主人公は逃げ切れるのか!?
では、続いて後半、第二幕をお楽しみください。

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