Catch me If you can
第二幕
廊下を何人もの足音が、慌しく通り過ぎていく。 「いたか!?」 「いない!」 「っそ、どこに……」 はよっぽと「ここだよ」と言ってやりたかったが、口を左右から大きな手で覆われているため、それはできなかった。 やがて声も足音も聞こえなくなる。 「――――行ったか……」 ため息と声がの両側から零れた。 「あー、緊張したー」 口を覆っていた桃城の手が外される。 「この馬鹿が」 威嚇するような息を吐いて、海堂がじろりと睨みつけた。 はどちらにも答えなかった。 当然だ。 喉がカラカラに干上がっていて、息をするたび、笛のような音を立てる。 「……ほらよ」 目の前に差し出されたのは冷たいお茶の缶。 はひったくるように手にし、喉を鳴らして飲んだ。 「お前にしちゃ用意がいいじゃねぇの、マムシ」 「っるせぇ」 海堂は舌打ちと共にそっぽを向いた。 全て一気に飲み干してはやっと一息ついた。 「あー、びっくりした。死ぬかとおもったぁ〜」 「それはこっちのセリフだ、ボケ」 「いきなりが飛び込んできたときゃ驚いたぜ」 あの後――――窓から飛び出したは、地面に落ちる寸前、二階の窓枠に手をかけ、ちょうどサーカスの空中ブランコの要領で窓に飛び込んだ。 その際、運悪くその場にいた海堂の頭を思いっきり蹴り上げる羽目になったのだけれども。 人間、死ぬ気になれば案外何でもできるものだ。 そこで、は空の缶を握りながら、ハッとした。 「そうだ!薫ちゃん、頭大丈夫?」 「ついでみたいに聞くな!」 吠える海堂に、桃城はを挟んでニヤニヤと笑う。 「マムシよぉ、よかったじゃねぇか。に蹴られたおかげでちょっとは頭よくなったんじゃねぇ?」 「ああ。テメェだったら悪い頭が余計使い物にならなくなったかもな」 いつもの挑発に、いつもの受け答え。 たちまち、を挟んだ状態で臨戦態勢となる海堂と桃城。 「……喧嘩売ってんなら買うぞ、コラッ」 「……先に売ってきたのはテメェだろぉが」 「んだとぉッ!」 「やんのか、オラァッ!?」 胸倉をつかみ合い、まさしく一触即発の状態で、は、 「あ〜、足痛いなぁ……。明日まともに動けるかなぁ……」 強張ったふくらはぎをせっせとマッサージしていた。 鬼ごっこ開始から、だいぶ時間が経過している。 格別鍛えているわけでも、生まれつき体がバケモノ並みに丈夫でもないの体は、ここに来て悲鳴を訴え始めていた。 こうして座っていると、どんどん足の筋肉が強張ってゆくのを感じる。 この不毛な鬼ごっこはいったいいつまで続くのだろう。 (早く昼休み終わらないかな……) 長くため息をついて、は隣に呆れた視線を送った。 「ねぇ、桃ちゃんたち。そんなに声上げてたらその内誰かに……」 「みっけぇっ!いたよ、ターゲット発見!」 「そーら、みつかったぁっ!」 空き教室の扉が勢いよく開いて現れた少女の後ろから、続々と増援がやってきた。 一人だけでも大変だと言うのに、この人数では勝ち目は無い。 は痛む足でヨロヨロと立ち上がると、 「桃ちゃんたち!」 「だいたいてめぇなぁ!」 「あぁん!?それを言うならお前だって……!」 の足元で、座り込んだ二人はまだ延々と口げんかを繰り広げていた。 「二人とも〜」 「イケルっ!みんな、今のうちに!」 何人かの男子生徒が号令に従い、飛び掛る。 (捕まる――――!?) がとっさに頭をかばった、その時。 「うるっせぇんだよ、テメェらっ!!」 ほぼ同じイントネーションで叫び、立上がる壁があった。 「桃ちゃん……薫ちゃん……」 それは今まで口汚く罵り合っていた桃城と海堂で、額にそろって青筋を浮かんでいる。 「さっきから、なんかごちゃごちゃしてると思ってたら……」 「じゃ、邪魔しないで!」 「うるせぇッ!そっちこそじゃますんなぁっ!!」 「キャアッ!」 見た目も声も怖い海堂の凄みに、最前線の男子生徒も、後方で指揮を取っていた女生徒も震え上がる。 (……い、今のうち……?) は心の中で二人に礼をすると、こそこそともう一つある扉からすっかり人気の少ない廊下へと出た。 バイブに設定していたケータイがポケットの中でかすかに振動する。 「あ、部長。はい、今さっきターゲットは二階の空き教室にいました。……はい、たぶんそっちへ向っていると思います……」 少女はそれだけ告げると、自分もまた廊下へと出る。 空き教室では、まだ桃城たちと新聞部員とのにらみ合いが続いていた……。 「待て――――」 空き教室を出て、はあっさり敵に見つかった。 毎度毎度思うのだが、どうも発見されるのが早すぎる。 それなりの広さを有するこの学園で、この発見率は異常ではないか……? 「あ、部長」 後ろから聞こえてきた会話に、は何気なく振り返る。 と、 「ずッるーい!ケータイで指示を仰ぐなんてぇっ!」 「これも戦略のうちさ!さあ、さっさと捕まれ!」 「なお嫌なこったっ!!」 高い発見率のカラクリが分かったは、俄然やる気を出して速度を増した。 だが、いくら走っても距離は広がらない。 それどころか逆に狭まっているようだ。 (なんだよ。あの子、足速すぎっ!!) 見事なフォームで追いかける少年は、陸上部員も真っ青な走りっぷりを見せている。 たいしてのほうは、さっきから走り通しでそろそろ体がつらい。 足もだんだんと重くなってきた。今はもう、慣性の法則にしたがって辛うじて動いているといった感じだ。 (ヤバイ、このまんまじゃっ!) 捕まる。 そう頭に浮かんだ時。 「あっ……」 グィッと、肩をつかまれた。 (――――ゲームオーバー……?) がぎゅっと目を瞑って覚悟を決めた、そのとき。 「うおぉぉぉぉ――――っ!!」 はるか前方から舞い上がるはずのない埃と共に、一人の生徒が弾丸のごとくこちらに向ってきた。 「――――河村せんぱ、ぐあっ!?」 名前を最後まで呼ぶことなく、はラリアットの要領で河村に抱えられ、爆走のお供とされた。 「せん、パイ……っ?」 「いよッしゃあっ!!俺がきたからには心配ナッシーングッ!」 「あ、いや、それはありがたいんですが、なんかさっきの生徒跳ね飛ばしたような気が……」 「ノープロブレム!死んでさえなきゃOKッ!!」 「んな訳あるかいっ!」 (誰だぁ、河村先輩に校内でラケット持たせたすっとこどっこいはぁぁっ!!) 脳内で血涙振り絞って見えない相手を罵っても、バーニング状態となった河村を止める術などどこにもなかった……。 「お邪魔します」 きちんとノックをし、応対があってから扉を開く。 現れたのは、いっけん真面目そうな女生徒だった。 フレームレスの眼鏡の奥から、鋭い目つきでそれなりの広さを有する生徒会室の中を見つめる。 「なにかあったのか」 「こちらにという生徒が来ていないかしら」 窓を背にした椅子に腰掛け、迷惑そうに眉を顰める生徒会長に対し、女生徒は臆する様子なく声をかけた。 「ご覧の通り、この部屋には僕らと君を合わせて四人しかいないけれど……。ちゃんがどうしたんだい?」 「あなたには関係ないわ」 横から声を割り入らせた不二に対し、彼女はいっそ物理的な冷たさを感じるほどそっけなく答える。 「私は手塚君に質問しているの」 「さんなら本当に来ていないよ」 つんけんとした態度の女生徒に、それでも大石はいつもの様に穏やかに話しかけた。 女生徒は睨むでもなく大石に視線を移すと、 「でも、うちの部員がここにさんを抱きかかえた河村君が飛び込むのを目撃しているのよ」 「そうは言ってもね、タカさんもちゃんも、本当に来ていないよ?」 「隠すとためにならないわよ」 「それで脅迫のつもり?」 不二の眼が薄く開く。 それを女生徒は鼻で笑うと、 「まさか。脅迫ではなく事実を述べているだけだわ」 「あの、さんが何かやったのかい?」 穏やかでない空気を出す二人に、大石がおずおずと割り込んだ。 女生徒は大石を一瞥し、 「ただの取材協力よ」 「その割にはずいぶんと騒々しかったな」 「――――ッ」 バッと、女生徒が振り向く。 手塚は組んだ指の上に仏頂面を乗せ、女生徒を睨んだ。 「さっきから校内放送とテニス部員たちのケータイからの報告を使って全て聴いていた。学園内の規律を乱しておいて、それで"ただの取材協力"か?」 「それは……」 女生徒が唇を噛み締める。 たちまち唇は朱を引いたように赤くなった。 「部員総出で一人を人間狩り……。感心しない趣味だな」 大石が眉を顰め、悩ましげに女生徒を見る。 「申し開きがあるなら聞くが――――。こんな事を続けているようなら、部長の人間性のみならず部そのものの存在も考え直さなければならないな」 「――――ッ!脅迫のつもり!?」 「まさか」 不二がにっこり笑った。 「ただ事実を述べているだけだよ」 「くっ……」 先ほど自分が言った言葉をそっくり返され、女生徒は怯み、その場には痛いほどの沈黙が横たわる。 女生徒はひとしきり奥歯を噛み鳴らすと、 「とにかく、ここにはいないのね」 「さっきからそう言ってるよ」 大石に苦笑され、女生徒は声を失った。 ――――勝負はついた。 「不二、お帰り願え」 「かしこまりました、生徒会長」 不二がにっこり笑って、忠実な執事のように恭しく扉を開く。 手塚に目で退却を訴えられた女生徒は、こちらも射抜くような視線を置き土産に踵を返す。 廊下に出かけたとき、不二が囁きかけた。 「あれだけ足が速いなら、陸上部に転向した方がいいんじゃない?」 「大きなお世話よ!!」 扉にはめ込まれた擦りガラスが、閉めるときの衝撃に耐えられずびりびりと震えた。 ――――女生徒が去ってきっかり三分後。 「……行ったよ」 不二の声を合図に、部屋に満ちていた緊張は解かれた。 「ああ……よかったぁ……」 思わずへたり込みそうな大石の肩を支え、不二は、 「凄いね。アカデミー賞級の演技だったよ」 「心臓が破裂するかと思ったよ。それよりさんは?」 「」 手塚が声をかける。 本棚に隠れて入り口から見えない資料室の扉から、現れたのはではなく河村だった。 「タカさん、さんは?」 「それが、その〜……」 ラケットを手放して通常に戻った河村は、困ったように眉を八の字にしながらみんなを手招いた。 全員が覗いたそこには、僅かな光に埃が踊る部屋の中で、大量の資料を詰め込んだダンボールに凭れかかり太平楽に眠るがいた。 「……呑気な奴だ」 「きっと疲れてるんだよ。精神的にも、体力的にも」 呆れる手塚にフォローを入れる大石。 河村も苦笑しながら、顔色はどこかホッとしている。 「あっ……」 クスリと笑みをこぼした不二が何かに気づいて声をあげた。 ――――逃走劇の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。 「……ゲームオーバー」 「俺たちの勝ちだな!」 「そうだね、タカさん。ああ、乾たちにもう大丈夫って連絡入れないと」 「あ、俺が入れるよ」 大石がケータイを取り出し、ボタンを押した。 「まったく……人騒がせにもほどがある」 ずれた眼鏡を直しながら、手塚が呆れるような、それでいてどこかホッとしたような視線をに送る。 「でもどうする?今回は俺たちが守り通せたけど、新聞部は諦めた様子ないし……」 「愚問だな。こんな茶番、二度と起こさせるものか」 全員に連絡し終えた大石の心配そうな言葉に、手塚はきっぱり言い切る。 不二がそれを見て微笑をこぼした。 「手塚ならそう言うと思ってたよ。でもさしあたって今の問題は……」 つかつかと資料室に入っていった不二が、眠るの横に片膝をついて、 「この眠り姫をどうするかだよね。ねぇ、手塚?」 伺うというより試すような不二の言葉に、手塚は無表情のまま近づくと、 「保健室へ連れて行く。お前たちは教室へ戻れ」 「言うと思ったよ」 だが言われて帰る気など毛頭ない不二は、を抱き上げた手塚の後を楽しげに追った。 大石と河村の二人も、顔を見合わせてからそれに続く。 静かな廊下に響く足音。 手塚の腕の中で、はいとも安らかな寝顔を見せていた。 ――――かくして長い長い昼休みの攻防は、テニス部のサポートにより側の勝利で幕を下ろした。 以後、新聞部がにちょっかいを出したという話は、一度も聞いていない。 これでめでたし、ハッピーエンド。 ならよかったのに。 「いい加減にしてくれェ――――!!」 ――――昼休みの攻防を見た陸上部と体操部のスカウトにが追っかけられる羽目になるのは、実に翌日の事……。 HappyOrBadEnd? 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あとがき
後半終了。 目指したのはレギュラー陣総登場。 やっぱり青学が一番書きやすいです♪ |