Valentineday Rhapsody
・sweet・

「どうしたの、ちゃん」
放課後。部活を終えていち早く着替え終わった不二は、の顔を見るなり疑問をぶつけた。
「クリスマスは、もう過ぎてるよ?」
「や。神職の家に生まれ育った私としてはそこは西洋の聖人ではなく、七福神の一人、布袋を推したいのですが……って、それはそれで複雑かァ」
アハハハ……とは力なく笑う。
虚しい笑い声が夕空に消えるのを待ってから、は背負ったビニール袋を地面に下ろした。
「どこかで見た光景だね」
「ええ。限りなく、いつぞやで見た光景ですね」

ただし、今回は紙ではなく食べ物な上、念の籠め方が半端ではない。
耳を澄ませば、袋の中から姦しい声が聞こえてきそうな気さえする。
また二人は笑い会った。
の笑い声はやがてゆっくり乾いてゆき、次第には溜息にとってかわられた。
「――――そういう訳なので、今回の年貢は乙女の煩悩詰りまくりのチョコレートです。お納めください。お代官様」
「お断りします。お百姓様」
平身低頭のお願いは、一秒の間もなく却下された。
思わずガバッと頭を上げ、は不二に詰め寄る。
「せ、先輩、それは困ります!こればっかりは受け取ってもらわないと困るんです!私だって未熟ですが女です。"乙女の想い"と言う源氏名を被った"女の執念"がいかに恐ろしいものか知ってますか!?筆舌し難いとはこの事です!もしこの場で受け取ってくださらなかったら、私、明日の朝日が拝めないかもしれないんですよッ。日本って、呪殺は罪に問われないんですよ――――!!
コートのエリを掴んでがっくんがっくん不二の頭を揺らす
うっかり目に熱いものがたまってきた。
けれども、不二はまったく微笑を崩さない。
不二は己のエリを掴んだままのの手を、優しく包んだ。
「……あのね、ちゃん。君の置かれた境遇にはとても同情するよ」
「だったらっ!」
「けど。チョコは受け取れない」
はっきり、不二は言い切る。は言葉をなくした。
優しい目の奥に、自分と同じ。いや、それ以上の決意を見て取ったからだ。
「ねぇ、ちゃん。僕は今のところ恋人よりも強い自分。デートの時間より練習の時間が欲しいんだ。たぶん、ほかのみんなも同じだと思うよ。僕が、もしこのチョコを受け取ったら、きっと希望を持つ女の子が出てきちゃうよね。それは凄くひどい事だと思うんだ。僕は、僕のせいで傷つく女の子を見たくない」
辛そうに首を振る不二のエリを掴んでいたの手から、力が抜けてゆく。
不二は困ったように笑った。
「……ねぇ、ちゃん。はじめから希望を持たないのと、持っていた希望を裏切られるの。どっちも残酷だけど……より残酷なのはどちらかな」
は答えようとした。しかし、開いた口からはあぁだの、うぅだの、形にならない声が漏れるだけ。
はそのまま項垂れた。
もしかして自分は、とても酷い事をしたのではないか。
相手が傷つく事も考えず、ただ自分が精神的に楽になりたかっただけではないのか。
"真摯な願い"という重荷を、そのまま不二達に科せようとしていた。
これは、真剣な想いでチョコを渡そうとした少女達にも、その想いを受け止めきれないと悟った不二にも失礼な話だ。
「……ご、ごめんなさい」
今までの身勝手な自分を恥じ入り、は唇を噛む。
はじめに不二に会ってよかった。
これが河村や大石なら、優しい彼らのこと。重荷ごと、チョコを総て受け取っていたに違いない。
けれど、彼らが受け取ってくれないなら、いったいこのチョコはどうすればいいのだろうか。
考え込むに、不二が光明を指し示してくれた。
「英二にあげるといいよ。英二の家、家族が多いしおやつ代が浮いたって、かえって喜ぶんじゃないかな?」
「ほんとうですか!?」
パァっと顔を明るくするの肩を、不二は頷きながら優しく叩く。
そうこうしている間に、ほかのテニス部員が集まり始めた。
不二の言葉どおり、チョコの山を前に歓声を上げる菊丸。
大漁、なんておどける菊丸に、の顔も綻ぶ。
しかし、よかったぁとほのぼのな空気に包まれながらも、の内心は少し複雑だった……。


























「――――で、このありさま」
口の中で蕩けてゆくトリュフに舌鼓を打ちながら、杏は呆れた視線を向けた。
視線の先には、縮こまりながらココアを飲むがいる。
ちなみにここは夕暮れに染まる放課後の不動峰。
殆どの生徒は帰路についている。残っているのは、男子テニス部と杏。それと、予告もなく訪れたくらいのものだ。
「……自分の意気地の無さは重々承知だよ。けど、あんな話された後でどうやって渡せって言うのさ」
一瞬だけ視線を交わらせ、はすぐに下を向く。
机の上には、博覧会でも催しているのかと思うほど、多様なチョコが広げられていた。
「でも、昨日、一生懸命作ったんでしょ?日ごろの感謝を返す絶好の機会だーって」
昨日一日、チョコ作りに付き合わされた杏は、溜息をつく。
攻めるわけではないが、昨日の楽しそうな様子を知っているぶん今日のの有様には納得が出来ない。
はますます縮こまった。
「そのくらいにしておけ。杏」
「……いーじゃん。そのおかげで美味しいチョコにありつけたんだし……」
また口を開こうとする杏を止める橘と伊武。伊武の手には、しっかりとガトーショコラの突き刺さったフォークが握られている。
ほかの部員も、神尾以外みな一様に寄りらしい。
なにせ不動峰中学の中で男子テニス部は、鬼門と言うか、いまだ問題児の集団と言う心象が強い。
当然のように、甘ったるい今日の行事とは縁遠い場所にいた。
そこへ、女の子がチョコを携えやってきた。
沈んだ表情も相まって、どうしても肩を持ちたくなってしまったのだろう。
何となく想像のつく部員たちの心境に、杏はそれ以上の追及を止めた。
そのうち首を傾けるのにも疲れてきたのか、はおずおずと顔を上げると、
「それに……その、いいんだよ。別に今日じゃなくたって、くーちゃん達はおんなじ学校だから、いつでも会えるし。それなら、やっぱり学校が違う橘さん達に渡した方が……」
「……なんかそれ、青学の連中に渡せなかったから仕方なく俺たちに……って感じがする……」
「違うッ!」
伊武のボヤキに、は顔を真っ赤にして立ち上がった。
「た、確かにトリュフやブラウニーはくーちゃんたちに渡そうと思っていたものだけど!でも、ガトーショコラやチョコチップクッキーなんかはみんなに食べてもらおうと思って作ったんだよ!!ガトーショコラなんて、橘さん用に甘さは控えめ、クッキーもチョコチップをたっぷり使って……ッ!」
「……って、ホント橘さん好きだよねェ」
再び零れた深司のボヤキに、はこれ以上ないほど顔に朱を昇らせると、千切れそうなほど首を横に振る。
すっ!いや、好きといわれれば好きだが……き、君の言い方にはたぶんに含みが……。や。含もうが含むまいがそれは個人の自由であり、また受け取り方一つで印象を変え――――だあぁ!国語教師か、私は!!……でも、誤解なき様に言いたいんだが……あの、ね、し、しんじくんっ!
。必死すぎ」
桜井が意地悪く笑いながら冷やかすと、はまるで酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせながら、再び着席した。
隣の石田が、あやすように俯いたの頭をポンポンとたたく。
部屋の中に、チョコの香りとささやかな笑い声が満ちる。
――――甘いな……と、ひたすら傍観していた杏は声に出さずぼやいた。
チョコも甘ければ、も、それに兄たちも甘い。
そしてもちろん、この空気に頬が緩み始めている自分も甘い。
それがチョコのためなのか。バレンタインと言う記念日のせいなのか。それともあるいは、目の前で縋るように救いを求める少女のせいなのか。
それは杏にも分からないが……。
(ま、いいよね。いつも青学の人たちが独り占めしてるんだもの。バレンタインくらい、いいわよね)
、今日ウチにチョコ渡しに来た事、青学の人たちには言わないでね」
「はェッ?なんで」
じんわりと目に涙を溜めたに向って、杏は一言。
「だって、あたしの口から直接自慢したいもの」
笑い声一つ零して、また一つトリュフを口に放り込んだ。

あとがき

オチはほのぼの不動峰。
これにてバレンタイン終了にございます。
なんていうのかは、最初は、
不二「ところで君からのチョコは〜」→主人公「えっ?チョコ?」→他「ヌケガケすんなー!」
的な。
いつもどおりといえばいつもどおりなオチを用意していたんですが、
あんまりにもマンネリ化してきたので強引に軌道修正。
今回は青学陣、ちょっと身を引いていただきました。

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