Welcome To Hard Luck!

戻る/

 人生は幸福よりも不幸の方が二倍多い。
                     ホメロス





 都会に潜むエアポケットのようにひっそりとたたずむ喫茶ホンキートンクの店内では、人待ち顔の店主とバイトが今日も並んで食器磨きに精を出していた。


 昼食時とも八つ時ともつかない中途半端な時間帯のためか、店内に客の姿は見えない。
 いつもなら何をするでもなくたむろしているはずのGetBackersの両名も、珍しく仕事とかで店にはいなかった。
 窓から差し込む麗らかな昼下がりの日差しに、食器磨きにも飽き始めていた夏実が一つ。欠伸をこぼしたその時。

 愛らしい音を立ててドアベルが客の来訪を告げる。

 半開きになった口をあわてて閉じた夏実が、愛想笑いを浮かべてドアの方を向く。
 波児もつられるようにドアの方を向き――――目を見開いて絶句した。




 ドア先に立っていたのは、ぼろ雑巾だった。




 ぼろ雑巾は荒々しい足音を立て店内に入り込んできた。
 入り込むと同時に、むっと部屋の中に異臭が漂い、歩を進めるごとに、全身からしたたる汚水が床を汚した。
 ぼろ雑巾がカウンターの前までやってきたとき、夏実は漂う異臭のものすごさに思わず手近にあった布巾で鼻を覆った。
 覆っていながらもまだ侵入しようとする臭いに鼻の奥がつんと痛み、目に涙が溜まってゆく。

「あ、あの゛……ちゃん?」
 夏実がおずおずとぼろ雑巾の正体を呼ぶ。
 ぼろ雑巾=は夏実の声に答えず、まるで隣近所が死滅したかのように不機嫌な仏頂面のまま、おもむろに手にした鞄を静かにカウンターの上に置いた。
 そのままきびすを返し、店の奥へと向かう。


「お、おい」
「マスター、シャワー借りる。それまでの間、絶対アタシの荷物には触らないで」


 あわてて止める波児の声に耳を貸そうともせず、言いたいことだけ短く言い捨てたの姿が奥へと消える。
 残された波児と夏実は視線をが消えた奥からカウンターの上に戻す。
 カウンターに鎮座する大きなショルダーバッグは、持ち主の姿とは裏腹に不気味なほど綺麗なままであった……。












 ――――指定されたコインロッカーの中身を見て、は目を丸くした。


 通勤、通学途中の人々でごった返す新宿駅の中。
 はロッカーの扉をつかんだまま、瞬きを繰り返した。
「ええっと……」
 戸惑いながらポケットからケータイを取り出し、仕事の依頼メールを開く。
 今回の仕事は、最近よく利用している仕事紹介サイトから受けたものだった。




 ――――の現在の職業は簡単に説明するなら「ニートと紙一重のフリーター」である。
 本人としては「何でも屋」を名乗りたいのだが、いかんせん名乗れるだけの実績がない。
 まだ年若く開業したばかりのは仲介屋からの信頼も薄く、滅多に仕事を回してもらえないためだ。
 よしんば回ってきたとしても、他の者が受けないようなごくごく簡単で安い仕事か、さもなくば他の者がサジを投げるほど難関でやっぱり安い仕事ばかり。
 その為、は仲介屋よりも仕事紹介サイトをよく利用している。


 こういったサイトのメリットは、多数の仕事の中から自分で好きなモノを選べることや、いちいち仲介料について相手と揉める事がないといった点だろう。
 今利用しているサイトは、掲示板に書き込みされた仕事内容と報酬から自分の好きなモノを選び、一緒に書かれた依頼者のメールアドレスに依頼を受けたいという趣旨のメールを送るというもの。
 それから依頼人に直接会って話を聞くもよし。メールのやりとりだけで話がすむならそれもよし。
 手軽さが受けているのか、なかなかに利用者の多いサイトであった。


 依頼人の種類も様々だ。
 ベビーシッターや失せ物探しというごく平和的なモノも多いが、中にはどう考えても手が後にまわるような話も混ざっている。おまけに、冗談で書き込んだとしか思えない内容のモノも多々あった。
 玉石混合とはよく言ったもの。
 そしてが受けた今回の件は、明らかに玉石混合で言うならば「石」に分類されるようなモノだった。




「――――新宿駅にあるコインロッカーの中身を届けてほしい」




 声に出して読んだ文の続きには、依頼品のあるロッカーの場所と鍵の隠し場所が書かれている。
 依頼品を確認したら、依頼主にメールを送り次の指示を待つ手はずになっている。
 依頼人とはメール上でしかやりとりしていない。
 メールの文面は非常にシンプルかつ素っ気なくて、そこから向こうの人物像を読み取ることはできなかった。
 はもう一度じっくりと文面を読み直す。
 一体どんな人物なのだろう。こんなモノをご大層に隠してあげく、さらにわざわざもってこいと人に頼むだなんて――――。
「……娘の誕生日にサプライズも一緒にプレゼントしようと考えた、お茶目なおとーさん?」





 推測を口にして小首をかしげたの視線の先で、愛くるしいフランス人形が真っ青な目でこちらを見つめ返していた。

あとがき

説明文が大半を占める冒頭。
ずっとこんな調子で話は続いてゆきます。

戻る/