Works
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心業堂の"奥"
それは、滅多なことでは店に出さない、特別高価で特別怪しい薬ばかりが納められた地下室のことである。
店主の座っていた座布団の下から隠し扉を使って、長い階段を下ってゆく。
普通に歩いているだけで肩が当たりそうなほど狭い道は、じめっとこそしていないが、相当暗いので注意が必要だ。
今にも転びそうなほど腰を折り曲げ店主が。次にお客が階段を下る。
はと言うと、足下を懐中電灯で照らしながら先頭を行く。運悪く店主が転げ落ちた時用のストッパーも兼ねている。
長い長い階段を、うんざりするほど降り続けると、やがて鋼と鋲で防御した重厚な木の扉が見えてくる。
は手にした鍵を錠前に差すと、錠前に施された飾りを次々動かしてゆく。
地下室の鍵はからくり錠になっているため、鍵を差しただけでは開かないのだ。
まったく面倒くさいことこの上ない。電子ロックにすればもっと簡単に、そして安全になると思うのだが、店主はそういった科学技術をたいそう不信している。
今の時代、家の中にある電化製品は冷蔵庫とラジオだけというのは、正直やり過ぎかと思うのだが。
久しぶりにいじったせいか、何度か間違えながらやっとの思いで扉を開く。
木の軋む音と、冷たい空気、そして薬品の臭いが顔の横をすり抜けた。
「えーっと。電気、電気……」
電気のスイッチを求めて部屋の中を彷徨う懐中電灯の光がある一点を掠めたとき、客が突然歓喜の声を上げた。
「アレだ!」
「うわっ!?」
飛び出した客に押され、思わず転ぶ。拍子に、指が電気のスイッチに触れた。
カチカチと何度か瞬いて、部屋の中がぼんやり明るくなる。
部屋の中は、下手なお化け屋敷よりよっぽど恐ろしいもので溢れていた。
頭からキノコらしい物をはやした幼虫に、人の形をした草の根っこ。
目玉らしき物が液体の中でぷかぷか浮かぶ横で、とぐろを巻いた白い蛔虫が同じように浸かっている。
戸棚の奥で半分削り取られて収まっているのは、いったい誰の脳みそなのだろう。
気の弱い人間が入ったら、確実に息の根が止まるほど不気味な部屋である。
客は、部屋のもっと奥。白い布のかぶせられたガラスケースにべったりと張り付いていた。
勝手に布を半分剥いでいる。
ガラスケースの奥にあるのは、褐色の固まり。
よりも若干小柄に見えるのは、胡座をかいているのと水分を無くし、からっからに干上がっているためだろうか。
心業堂で最高峰。最価格のこの一品。
その正体は――――。
「見事なものじゃろう、そのミイラ」
の後ろから、杖をつきつき店主がやってきた。
「那須の山奥から取り出されたものじゃ。地元の話じゃ、そうとう徳の高い高僧らしい。埃及エジプト産のように妙な薬なぞ塗っとらん。正真正銘、掛け値無しの天然モノじゃて」
(天然物って……マグロやウナギじゃあるまいし)
「あぁ……これさえあれば……」
呆れるをよそに、客は恍惚といった様子でガラスケースに跪いている。
気持ち悪いとしか言いようのない人間の干物にかぶりつくその様は、あたかも仙女に魅入られたがごとく。
もっとも、だいたいの男はこんな干涸らびた仙女より、柔らかい生身の女を選ぶだろう。
まったく理解できないし、したくもない。
はむっつりと客の背中をにらみ続けていた。
そのうちしびれを切らしたのだろう。いまだ陶然としたままの客の肩を店主が叩く。
「いかがですかな。お買い上げ、いただけますかな?」
「はっ。それは、もう……」
うっとりした顔を隠そうともせず客は振り返り、何度も頷く。拍子に帽子がずれた。
一瞬あらわになった顔に、は首を捻った。どこかで見た気がしたからだ。

「あっ、はいはい」
さらに深く記憶の底を浚おうとしていたは、店主の声に現実へと引き戻された。
は店主に言われるまま、ガラスケースの中からミイラを取り出す。
かさかさに干上がった体は少しの衝撃でたやすく崩壊してしまいそうだ。慎重の上に慎重を重ね、店主の前へともってゆく。
取り出されたミイラは、店主が勿体ぶった様子で少しずつ少しずつ削ってゆく。
あの一欠片が、の月収入の軽く三月分にはなるのだと思うと、なんだかやるせなくなった。
たかが人間の乾物。さらに小指の先ほどのかけらが三ヶ月分――――。
いっそこの場から本体を奪い去って、売り払ってしまおうかなどと、邪な思いが頭を擡げる。
もっとも、盗んで逃げたところで捌くルートを知らないのだから、すぐに捕まるか、もしくは朔羅からまた妙なものを拾って!と怒られ捨てられるかのどちらかだろう。
客は削り出すときの粉すら見逃すまいと、食いつかんばかりに店主の一挙一動をじっと睨み付けている。
ぎらぎらと血走るその目はどこか飢えた野犬にも似ていて。
は客が本気で食いつかないよう、そっとミイラと店主を背にかばった。




















客がターミネーターもどき達と帰って一時間。
「――――あっ。思い出した!」
店内の掃除をしていたは、唐突に声を上げた。
ちびちび酒を傾けていた店主が、驚いて杯を落とす。
「なんじゃ、いきなり!せっかくの酒がこぼれてしまったわい」
「あのお客!あれよ、あの客、アタシ知ってる!!」
落ちた杯に残った酒のしずくを舐め舐め愚痴る店主などお構いなしに、はまくし立てる。
「こないだテレビで見たの。アレよ、確か、新興宗教の教祖!」
それは、いわゆる聖書根本主義(ファンダメンタリズム)に分類されるもので、近い将来世界を巻き込む大戦争が起こり人類のすべては死滅するが、入信したものだけは死した後も救世主に連れられ楽園へゆけるという結構ありがちな設定の宗教であった。
先頃強引な寄付の徴収と有名芸能人の入信、信者の集団自殺などが明るみとなり、三日ほどワイドショーを騒がせていた。
教祖は、現在警察の追及を逃れるため逃亡中であるとか。
「ぜったいアレ教祖だって。あーんな変な眉毛、ほかじゃ見たこと無いもん!」
「そうかい」
興奮してはたきをばたばた振るに、店主は素っ気なく応じる。
は全く相手にしない店主をよそに、ふたたびぶつぶつ呟き続ける。
「でも変よねぇ。あんなもん買ってどうすんのかしら。だってアレ――――不老不死の薬よね」





薬舗心業堂の知られざる名品。一欠片口にすれば十年は、三つも口にすれば永劫の生を得られると言われる薬の正体。それこそが、何を隠そうあのミイラであった。
古来よりミイラには不思議な力が――――中でも特に不老不死に関連する力が籠もるとされ東西問わず珍重されてきた。
人が月に行くようになり、科学技術が発展しても、いまだその迷信を信じる者は多い。
だからこそ、心業堂のような商売が成り立って居るとも言えるのだが。




「"死んだら天国に行けますよー"とか言ってる癖に、自分は人間の乾物でちょっとでも生き延びようって?ばっかみたい。だいたい、アレを買った金だって、どうせ信者から巻き上げたもんでしょ。あー、やだやだ。だから宗教家とか霊能力者って信用できない」
一人で憤慨しながら乱暴にはたきがけを続ける。電球の光の中で激しく埃が舞い踊るが、気にもとめない。
今はもう居ない客に向かって、ばーかばーかと罵り続けるに向かって、店主はぽつりと、
「それが人じゃて」
と呟いた。
は思わず振り返って店主を見る。
店主は、再び満たされた杯をちびちび傾けながらため息にも近い口調で、
「人間、いつかは死ぬときが来る。それを出来るだけ引き延ばしたいのは人間の本能。口ではどうとでも取り繕えるが、根っこの部分はみんな一緒じゃ。 "死ぬのが恐いのは人間として当たり前"。そんな "当たり前" をそう扱き下ろされたんじゃ、あの客がかわいそうじゃろう。のぉ」
「……」
器用に片眉を上げ笑う店主。は顔を逸らせるとむっつりと黙り込んだ。
――――店主の言うことももっともと感じたからだ。
確かに、だって死ぬのは恐い。
明確な理由はないが、とにかく恐ろしい。
なぜ、死というモノはこんなにも人を戦かせるのだろう。
今まで誰も経験したことがないからかもしれない。そして経験すれば、そこですべて"終わる"。
自分という存在が終わると言うことが、は血も凍るほど怖い。
もしも目の前に老いることなく、死ぬことも無くなる薬がぶら下がっていたらとっさに手に取ってしまうかも知れない。
そして、あの客は取ったのだ。目の前にぶら下がった不老不死の薬を、金という力を持って。
――――は、ほんの少しだけあの客の気持ちが理解できた気がした。
だが、それを肯定するのはなんだか浅ましいような気がして、はとっさに話の方向転換をはかる。
「あ、アタシは、あんな薬より別のがいいな。 十兵衛さんのくだらないダジャレが寒く無くなるような薬。無いの?」
「それこそ不老不死より難しい」
言って、店主は呵々と笑う。
――――同じ頃、サウスブロックを巡回中であった十兵衛が大きくくしゃみしたとかしなかったとか。





夕闇迫る無限城。その片隅での一幕、これにてお開きお開き――――。

あとがき

ドリー夢と呼ぶのもおこがましいほどオリキャラオンリー。
書きたかったのは、主人公のバイト風景。
当初は朔羅やMAKUBEXも登場予定でした。
店主のモデルは、あれです。
PSゲーム、アークザラッドに登場するゴーゲン。
(知ってる人何人いるんだろう?)

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