Works
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修羅・悪鬼・羅刹・獄卒の住処、無限城。 おおよそ此の世からは外なる者どもが住み着く悪夢の楽園として有名なこの城ではあるが、当然のように住んでいるのはそれらばかりではない。 人がいれば鬼もいる。悪魔もいれば――――当然、妖怪だっている。 心業堂(ごぎょうどう) 無限城の中でも、知る人ぞ知る薬屋である。 薬屋と言っても、扱っているのはただの薬ではない。 効くか効かぬか。効かぬか効くか。 原料の分からない怪しげな薬を、これまた人間かどうかすら怪しげな店主が、今にも崩れそうな怪しげな店で売っている。 怪しいの三重奏が奏でる果てで会えるのは、観音様か閻魔様か。 「確実に助かりたいなら薬屋ゲンへ。神様と博打が打ちたければ心業堂へ行け」とは、口の悪い無限城の住人の言。 様々な噂が流れているが、つぶれず生き残っているところを見ると、物好きな――あるいはばくち打ちな――客は結構いるようだ。 売られる薬が怪しいのなら、売る店主もこれまた怪しい。 その風貌を一言で言い表すならば、まさに「仙人」 艶を失い雪のようになった惣髪。臍まで届く山羊鬚もまた白。さらには目を覆う長い眉まで見事な白で、じっと見てると目が眩む。 髭の隙間から覗く肌は縦横無尽に線が引かれ、あたかも皺の中に顔があるよう。 背は小柄で、150あるかないか。しかも、相当腰が折れ曲がっているため、杖をつきつき歩いていると、髭がいつの間にか黒く、床がいつの間にか綺麗になっているという始末。通称、人間モップ。 斯様に仙人めいているのだから、きっと霞を食っているような生活をしているのだろうと思われがちだが、それは大間違い。 この爺さん、世間が思うほど高尚なたまではない。 なんせ三度の飯より酒が好きで、酒の肴は人様の醜聞、艶聞。 金にもやかましいけちんぼで、好きな酒すら何とかただで手に入れようとする有様。 他人をからかうのも大好きで、年を聞いても「千を越えたところで数えるのをやめた」などと平気な顔でうそぶく。 そんな店主の名前だが、ご隠居、しらっとした顔で答えて曰く「性は枯花。名は幽庵。俳号は翠瑞翁で戒名はいらん」と、こう来たものだ。 俳号に関しては分からないが、名前は「"幽"霊の正体見たり"枯"れ尾"花"」のもじりであると察しがつく。 まったく、とことん人を食った爺である。 そんな狒々爺とが知り合ったのは全くの偶然。 どこで出会っただの細かい事は覚えていないが、なぜか一目で気に入られ、以来月に何度かは心業堂でバイトをさせられている。 その日も、は店主に呼び出され店へと向かうところであった。 イーストブロックの奥深く。三方を高いビルに挟まれた平屋造り。震度一の地震であえなく倒壊しそうなほどボロい外観。 割れたガラスをテープで補修しただけの引き戸の脇には、ガラスケースに収まった美しい裸婦のマネキン。 台の下には、達筆なのかへたなのか判断つきがたい筆跡で店の名前が彫り込まれている。 このマネキン、黄ばんだガラスケースから察するに相当古い物らしいが、なぜかマネキン自体はいつまで経っても瑞々しさを失わない。 長く濃い影を落す睫毛。肌の色は雪と言うよりミルクのようにまろやかで、思わず手を触れたくなる。唇の色はほんのりとした桜色。 肉置きはどちらかというと豊かで、くびれはそんなにないものの、大きく張り出した乳房は純情な青少年あたりが目にすれば赤面して顔を背けてしまうだろう。 一説に寄れば、己の美貌が年と共に衰えることを怖れた美女が店主に頼んで秘薬を用い、生きたままマネキンにして貰ったのだとか。 店の外観。店主の姿を思えばさもありなんと言った噂である。 もっとも、にとってあまり興味のない話ではあるが。 まったく、こんな物を看板代わりに掲げている点、店主の趣味の悪さが伺える。 いかにも地獄の入り口とも思える此所こそが、知る人ぞ知る名店――冥店の声もあり――薬舗心業堂である。 店主から電話一本で呼び出されたは、常とは違う店の様子に警戒心をあらわにした。 店の前に人がいる。これが客なら諸手を挙げて歓迎するところだが、どうも違うらしい。 黒スーツを身にまとった屈強な男が二、三人。スーツの胸の部分が突っ張って見えるのは、防弾チョッキを仕込んでいるからか。 は、男達からサングラスの奥からでも分かるほど不審気な視線を送られた。 あまり気持ちのいい目ではない。 はそれらを無視して店の中に入ろうとすると、突然黒服の一人がの腕を掴んだ。 「……なによ」 問う声に答えはない。答えはないが――――どうやら入るなと言うことらしい。 「何なのよ、あんた。 アタシはここの関係者よ」 暴れては見るが、男との膂力の差は歴然で、そのまま為す術なく引きずられてゆく。 「ちょ、ちょいまって! マジ離してよ! いーたーいー!!」 人の話も聞かず、引きずり続けるこの無礼なターミネーターもどきに本気で"風"をたたきつけてやろうかとした矢先、 「。お入り」 扉の向こうから聞き慣れたしわがれ声と、少し遅れて「ヒィ」という小さな悲鳴が聞こえた。 男にも向こうの声が聞こえたのだろう。拘束していた手が緩む。 はこれ見よがしに捕まれた腕を振り振り、鼻息荒く男達の間をすり抜け扉を開ける。 閉める瞬間、男共に思い切り舌を出してやったが――――残念ながら反応は見られなかった。 店の中は相変わらず暗かった。 四方をむき出しのコンクリートで覆われ、窓はない。唯一の光源は今にもぶつかりそうなほど低い天井からぶら下がった裸電球二つ。 広さは二十畳ほどだが、照明のせいかそれより狭く感じる。 どうにも息苦しさを感じる造りだ。普通の人間ならば、五分と居たくはないだろう。 数歩ゆけばすぐカウンターにつく。カウンターは一段高くなっていた。 カウンターを囲うように、周りの壁には天井一杯に小さな引き出しのついた箪笥のようなものがある。 薬の原料はこの引き出しに入っていて、注文を受けてから店主自らが調合するシステムになっている。 引き出しには一つ一つ材料の名前が書いてあるらしいが、あいにくには達筆すぎて読めないものばかりだ。 カウンターには置物が――――もとい、店主が座っている。 相変わらずの仙人面だ。 カウンターの前には、客が居た。 高そうで重そうなコートを着て、襟を高く立てている。おまけに帽子を深くかぶっているため顔は分からないが、見たところ中年の男性のようだった。 見たこともない男だ。新参者の客らしい。そして、さっきの悲鳴はこの男らしい。 さもありなん、とは苦笑した。 たぶん、この客は店主が言葉を発したのを聞いて、仰天したのだろう。 何せこの爺さん、普段は客が来ようが何をしようが滅多に動かない。 おまけにこの容姿である。 始めて来た客は、大概店主を置物か何かと勘違いする。店主の容貌を見れば無理もないだろう。挙げ句、動くなり話しかけられるなりして仰天する。 店主もそういった客の反応を好むらしく、わざと息を詰めて置物を演じているようだ。 全く、とんだ名優である。 はこそこそと顔を隠す客を無視して、カウンターに上がった。 カウンターの下には、小さな冷蔵庫がある。はそこに頼まれて買ってきた酒を入れると、改めて客に向かい、 「で、このお客なに?」 客の肩が小さく揺れた。ちらりと見えた瞳が、不服そうに歪んでいる。 (またやった……) は内心舌を打った。 自分でも接客業に向いていないことは知っている。 内面が、とくに不平不満がすぐ表に出てしまうため、客の反感を買いやすいからだ。 営業スマイルの練習など一応の努力はしているが、今のところそれが実る気配はない。 は何となく客に向かいづらくなって、再び冷蔵庫を開いた。 「――――」 チルド室の奥でひからびたチーズを発見した瞬間、店主が声をかけた。 「奥へ行くから、手伝っておくれ」 「えっ……?」 "奥"と聞いて、は瞠目した。今まで通い続けて半年近くになるが、これまで"奥"へ行ったのは二、三度しかない。 滅多なことでは開かない"奥"へ行くなど、いったい何事だろう。 は面を上げ、店主を見た。髭の隙間から、つり上がった口角が覗く。 「このお客、どうやら"例のアレ"をお求めのようじゃ」 |
あとがき
実際こんな店は作中には出てきません。 完全に管理人の創作です。 |