Nightsmare Before Christmas.
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「これは――――これは……」 天井まであろうかというほどの巨大な窓から差し込む月光が、暗い部屋の中を照らし出す。 生前、故人が数多の名曲を生み出したといわれるグランドピアノの前に、一人の男が居た。 見上げるほどの長身。細い体を包む漆黒のコート。つばの広い帽子から覗く細めた目――――。 「Dr……ジャッカル!?」 は短い悲鳴を上げる。 史上最狂の運び屋の姿に、全身が冷水を浴びたかのように縮み上がった。 何故この男がここにいる。こんなの、話に無かった――――ッ! 「アンタ……なんで……っココ……」 早鐘を打つ心臓が言葉を邪魔する。金魚のように口をパクつかせるに、赤屍は細い眼をさらに細めた。 「実は故人とは生前親しくしていたのですよ。奥様から最近遺品を狙う不貞の輩が出没すると泣きつかれまして。本来なら私の仕事ではないのですが、まぁ依頼料ももらってしまいましたし。なかなか暇つぶしにもなりましたしねぇ」 最近客が来ないので、今日が最後の仕事だったが……と赤屍は笑って続ける。 「まさか、君が来るとは思いませんでした」 (アタシもアンタがいるとは思いませんでした) ……情報は不自然なほど完璧だった。たぶん、今までに頼む前に別の同業者が何度もアタックを繰り返してきたからだろう。 しかし最後の一点。肝心要の存在だけはは知らされていなかった。 おそらく故意に隠されていたのだろう。 裏の世界に住む人間なら"赤屍蔵人"と言う名は知らなくても、"Drジャッカル"という通り名ならたいていは知っている。 曰く、運ぶものはモノではない。この男は――――死を運ぶ。 だって、赤屍の名が出たならこの仕事は引き受けなかった。 ダメだ。相手が悪すぎる。だが逃げようと思っても、足が根をはったかのようにその場を動かない。 開かれた赤屍の目に、愉快そうな色が浮かんだ。 「――――あッ!」 突然、赤屍が何かを放って寄越した。弧を描いたそれは、思わず伸ばしたの手の中にすっぽりと納まる。 それは、何の変哲もない小箱だった。 キチンとリボンと包装紙のかかった、小箱。 「今日はクリスマスイヴですからね。私からのささやかなプレゼントですよ」 赤屍がくすくすと笑いながら言った。 「箱の中身は何て事のないオルゴール。しかし、箱に使われている包装紙とリボンをよく見てください」 音譜が散りばめられたシンプルな包装紙に、赤いリボン。確かになんてことはない、どこにでもある品物だ。 しかし。 「――――これ……並びが曲になってる」 「それが、遺作です」 包装紙の模様が、楽譜になっている。リボンも、リボン自体の色と微妙に違う糸で音譜が刺繍されていた。 「泥棒に困り果てた奥様のアイデアですよ。そうして、ほかのプレゼントに紛れさせておけば、ちょっとやそっとでは分からないでしょう?」 そう言って、部屋の端を指差す。飾り立てられたツリーの足元で、大小さまざまなプレゼントが手渡される日を夢みてまどろんでいる。 は視線をツリーから赤屍に戻した。微笑む赤屍の姿に、困惑がいっそう酷くなる。 「アンタ……いったい……」 「ああ。これは大変だ」 赤屍が、突然芝居がかった声を出した。 頭を振り、肩をすくめ、溜息をつき、体全体で「参った」様子を表す。 「守らなくてはいけない大事な依頼品を賊に奪われてしまった。これは――――」 そう言った赤屍の手には、はやメスが握られている。 根付いていたはずの足の筋肉が、の焦りに応じてピクピクと何度か動く。 「これは何とか取り返さないと」 ――――赤屍が言い切るより先に、の悲鳴が廊下を駆け抜けていった……。 はとにかく走った。 見慣れない路地裏を駆け抜け、高いフェンスも飛び越え、犬に吠えられながら民家の庭を潜り抜け、ときおり背中から迫るメスを何とかかわし、走った。逃げた。逃げ切ろうとした。 猟犬に追われる兎の気持ちがよく理解できた。 足が悲鳴を上げ、肺が苦痛を訴え、耳が寒さに千切れそうになっても、は構わなかった。 生き物にとっての最優先事項。 「生き残る事」だけが、を動かしていた。 逃げた。ちょっと休んだ。逃げた。走った。かわした。逃げた。逃げて、逃げて、逃げて、逃げて……。 いつの間にか、は走ることをやめていた。 背後から迫っているはずの殺気が微塵も感じられない。 は、その時初めて回りを見る余裕ができた。 すでに墨を流したかのような夜の空は西の空に引っ込み、あたりは白い光に包まれている。 さらに見慣れた公園。見慣れた噴水。見慣れたベンチ。見慣れた人――――。 「あれー。、どったの。おはよー」 「帰巣本能バンザイ!!」 もう笛のような音しか出さない喉を震わせ、は呆気にとられる銀次の腰にしがみついた。 習慣と言うか本能とは恐ろしいもの。逃げている間にはいつのまにか新宿へ――――銀次の下へたどり着いていたらしい。 「こわかったよー。シぬかとオモったよー。ぎんじしゃぁーん……」 「んーと。なんだかよくわかんないけど、大変だったねー」 汗と涙と鼻水を一斉に出して腰にしがみつくの頭を、何も知らない銀次はよしよしと撫でてくれた。 「朝っぱらから何やってんだ。テメェは」 隣で歯ブラシを咥えた何も知らない蛮が、銀次の腰にぐりぐりと押し付けていたの頭を叩いてくれた。 はいつものようにつっかかりもせず、ただただ震える腕で世界で一番大事なぬくもりを抱き締めた。 「怖かったよー……怖かったよー……つか、一回精神的に死んだよー……」 「そのまま逝っとけっ!ってか、いい加減離れろ!!」 いつまでたってもしがみ付いたままのに業を煮やしたか。蛮が強引にの体を引っ張りはがす。 瞬間。 「――――ッ!」 今までの頭があった空間を、なにかが突き抜けていった。 噴水の縁に見事突き刺さったもの。それは――――。 「やはり予想通りでしたね」 公園の入り口から、嬉しそうな声を上げて黒衣の医師が登場した。 朝の爽やかな空気が死ぬほど似合わない。廃墟や霊安室の方がまだお似合いな気がする。 は走りすぎて痛む足を懸命に突っ張り、銀次の前に立ちふさがった。 その前を、さらに蛮が立ちふさがる。 たちこもる見えない殺気に脅えたのか。 さきほどまでけたたましかった鳥の声が、ぴたりと止んでいた。 「最近お仕事が忙しかったようですね、銀次君。なかなか会えなくて寂しかったですよ」 剣呑な四つの眼を無視して、赤屍は銀次にだけ話しかけた。 銀次は答えず、の足元で震えながらタレている。 「クンを泳がせておけば、いつか君にたどり着けると思っていましたよ。いや、偶然とはいえこの仕事を引き受けてよかった……」 「ア……んた……。そのため……に、アタシに――――箱を……ッ」 泣きすぎと走りすぎでいまだ満足に声を出せない喉を震わせ、は赤屍を睨み据える。 赤屍は、ただ笑っただけだった。しかし、今はそれが何よりも雄弁な答えに思える。 「疫病神。見たところその箱が原因みたいだから、とっととそれを奴に返して死んでこい。俺らに迷惑かけんな」 「アンタの魔手にかかったままの銀次さん遺して逝けるか、栗ヘビ。つーか、Dr。この箱なら返すから、アンタさっさと帰っ……」 「残念ながら、その箱はもうプレゼントとしてクンに差し上げたものです。返品されるわけにはいきません」 かわりに――――。赤屍は愉悦の笑みを浮かべてメスを握る。 視線の先はもちろん――――。 「そちらにある可愛らしいプレゼントと交換……ということでどうでしょうか?」 「いいわけあるか――――ッ!!」 ――――白く清らかなクリスマスの朝。 公園の一角ではジングルベルの代わりに、悲鳴と怒声が流れ続けた……。 |
あとがき
これにてGB夢初の前後編終了です。 オチがいつもどおりな感じですが、ご容赦ください(汗) 書きたい事を詰め込んだら、こうなりました。 サンタさん。私に文才と構成力をください……。 |