:秋空に思い流るる:
九角・九桐

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「よかった……のか?」






 場所は青海街道と甲州街道の追分近く。
 道行く人々の中に旅装束の者が多く入り交じる中、低く呟かれた声に、龍斗は立ち止まり振り返った。
 龍斗の後ろを、少し遅れて歩む九角がいる。
 見つめる目に気づいたのか、隣に並んだ九角は再び本当に良かったのかと問うた。
「蓬莱寺や美里藍達と行かず、俺達についてきて」
 九角の疑問に龍斗は首を振って答える。
「ええん。京梧達やったら大丈夫や」
 蓬莱寺達の実力は同じ龍閃組である龍斗がよく知っている。
 柳生達の刺客が突然襲ってこようとも、ただでやられるわけがない。
 自信たっぷりに返せば、九角がにやりと笑った。
「お前は、奴らを信用しているのだな」
「……つまり、こちらについてきたのは、俺達の実力を信用していないからか?」
 割りいってきた言葉の主は、龍斗と九角の間を歩いていた九桐だった。
 そり上げた頭を撫で、心外だとぼやく。
 だが、言葉の割にその声に刺々しさはなく、どこかおもしろがっているように思える。
 龍斗は九桐の言葉に、頭を振った。
「そんなわけ無い。お前らんことも信用しとる」
 ただ、なぜこちら側についたかは、自分でもよく分からない。何となく、こうしているのが自然なような気がしたのだ。



 龍閃組の龍斗と、鬼道衆の九角達。
 本来ならば相反するはずなのに、なぜかこうして並んでいるとしっくり来る。
 まるで空の杯に酒が満たされてゆくような、そんな心持ちになるのだと説明する龍斗に返ってきた九角の答えは、はにかんだような笑みだった。
「……おかしいものだな。普通ならば一笑に付する言葉も、お前が言うのではなぜか信用してしまう」
 実は、俺もさっきからそんな気がしていたのだと告白されて龍斗も微笑んだ。



 幕府転覆を狙う鬼、という言葉からは想像もできないほど九角という男はよい人間だ。
 落ち着きもあるし、ここぞという時の采配も見事なもので、穏やかな笑みには人を引きつける魅力がある。
 九角がどれほど鬼道衆の面々や村の人々に好かれ、尊敬されているか、これまでの短い間で山ほど見てきた。
 もしも龍閃組に拾われる前に九角と出会っていたら、自分は鬼道衆として蓬莱寺達と敵対していたかも知れない。
 そんな愚にも付かぬ妄想をしてしまうほど、九角という人間は魅力的だった。
 この事件をきっかけに龍閃組と鬼道衆、ひいては幕府と鬼哭村が真の和解にいたればいいと、龍斗は夢想する……と、そこで九角に向けた視界の中に、いつもいるはずの九桐の姿がないことに気がつく。
 もしやはぐれたのかと周囲に視線をやれば、見慣れた禿頭が人混みの中でぼんやり突っ立っていた。



「どうした、尚雲」
 同じように気づいたらしい九角が近づき声を掛けるが、九桐の目は一点を集中したまま揺らがない。
 いったい九桐は熱心に何を見ているのだろう。
 龍斗は九桐の興味の先に目を滑らせ――――顔をしかめた。



 どこかの大店の娘と手代だろうか。
 上等な着物を着た、いかにもお嬢様然とした娘にやくざ者が突っかかっている。
 やくざ者の後ろには脂っ気のない蓬髪をひっつめ、ぼろぼろの単衣に袴を身につけた浪人もいる。
 日焼けした肌と痩せた体に染めたかのごとく汚れた服を身につけた姿が、とんとゴボウの煮付けのよう。
 そこに手代らしき下ぶくれの男が娘とやくざ者の間に割ってはいったが浪人に足を掬われそのまま蹴り飛ばされる。
 おおかた、強請たかりの一種だろう。
 周囲の人間はただ浪人達の様子を遠巻きに見ているだけで、助けに入ろうという者は――――。



「お坊!?」



 突然視界に槍を担いだ坊主が割ってはいる。
 後ろを向かれているので九桐の表情は見えないが、対峙したやくざ者や浪人の表情からだいたい何を言っているのか分かる。
 ゴボウ侍の真っ黒な顔が、瞬時に赤へと色を変えた。



「なんしとんな、お坊……」
 呆れて呟けば、隣で九角も全くだと頷く。
 九桐の後ろ姿を見送る視線には呆れが、表情には苦みがにじんでいた。
「江戸を転覆せんとする鬼の一人が、江戸の民を助けるか……。とんだお笑いぐさだな」



「――――それはちゃうんちゃうか?」



 鼻で自嘲う九角を、龍斗はうっすら睨む。
 振り向いた九角の目が、同じように細まった。
 伏せた瞼の隙間から覗く視線には、訝しげなものが混じっている。
「困っとる人間に江戸のもんも鬼もないやろ」
「ならばお前は、目の前で敵に助けを求められても助けるのか?」
 試すように口元を歪ませ問う。
 龍斗は九角から視線を外す。
 目線はまっすぐ、泰然と構えた九桐と匕首を抜いたやくざ者を射貫く。
「それが柳生やったら分からん。でも」




 ――――その敵がお前達鬼道衆なら、俺は迷わず助ける。




 唖然とする九角を置き去りに、龍斗はやくざ者達とにらみ合いをはじめた九桐の元へと駆け出した。






「お坊、助太刀する」
 一触即発の空気の中、龍斗は三人の中に入り込む。
 明らかに迷惑顔のやくざ者達とは対照的に、九桐の方はのんきなもので、
「うん? いいのか、龍斗。あれくらい俺一人でも十分やれるぞ?」
 相変わらずのんびりとした様子で顎を捻る。
 やくざ者達は完全に見下されていると感じたらしい。
 今だ穂先の袋さえとらぬその自若な様に、やくざ者達の怒りは見る間に急上昇。
 先ほどまで絡んでいた娘を打遣ってこちらを向く。
 それまで地面に転がっていた手代が、慌てて腰の抜けた娘を抱きかかえ離れてゆく姿が目の端をよぎる。
 龍斗は、これで彼らが巻き込まなくてすむとほっと息を零した。
 その耳に、鯉口を切る音が届く。
「龍斗」




 ――――静かな九桐の声が、合図だった。




 龍斗はこちらに向かって跳躍してくるやくざ者を避け続ける。
 相手はやはり、こういった荒事に手慣れているらしい。
 抜いた匕首を腰にぴったりと据え、体ごと吶喊してくるやくざ者の狙いは精確で、龍斗は向こうで浪人を相手にしている九桐を心配する余裕もない。
 しかも、龍斗達の周囲には物見高い人々のおかげで囲いが出来てしまっている。
 いつなんどき、狙いをはずれた匕首が野次馬の土手っ腹を抉るとも限らない。
 龍斗は紙一重で避け続けながら、巧みにやくざ者の方向をずらし、野次馬に向かってゆかぬよう誘導する。
 正直、技を使えば一撃で仕留める自信があるのだがこんな人混みで使えば大騒動になることは必至だ。
 公儀隠密がこれ以上目立つなど言語道断であろう。
 野次馬達はそんな龍斗の苦労も知らず、やれとっとと張り倒しちまえだの、やれ向こうから来るぞいいや後ろだ危ない離れろ、など好き勝手言ってくれている。
 散れと怒鳴りつけても江戸っ子の好奇心は尽きることを知らず、壁はさらに分厚くなって行く。
 これ以上避け続けるだけでは埒があかない。ふん縛ってでも動きを止めなければと何度か手を伸ばすが、その度巧みにかわされて、伸ばした手は空を切る。
(――――ッの! 大人しゅうせぇやッ!)
 焦る気持ちが隙をうむ。
 何度目かのやりとりの後、やくざ者の足は勢い止まらず大きく外へとずれた。
 その先に――――先ほど逃げ出した手代と娘がいる。
「! 避けェッ!」
 叫び、やくざ者に向かって手を延ばす。が、半歩たりずその手は空を切る。やくざ者の足は止まらない。ぎらり凶悪に光る匕首が立ちすくんだ手代の腹をえぐる。




 ――――ことは、なかった。




「九角!?」
 いつの間にか手代の前に立った九角が、向かってきたやくざ者の横っ面を鞘ごと抜いた脇差しで張り倒していた。
 へしゃげた鼻から血が火花のように飛び散る。
 倒れ臥したやくざ者は顔面を押さえ、その場でひくひくと痙攣した。
「あ、あの、何で……?」
 まさかの人物の登場に龍斗は声を失いその場に立ち尽くす。
 九角は、龍斗の視線を受け、どこか決まり悪そうにそっぽを向いた。
 周囲の野次馬共も乱入者の鮮やかな手際にざわついている。
 有象無象の声が波となって龍斗達を取り囲む中、ふと聞き慣れた声と一緒に肩を叩かれた。
「龍斗、若。これ以上は役人が来る」
 ある意味騒動の中心のくせに、九桐は冷静に退却を促す。
 ふと相手をしていた浪人はどうしたのだろうと九桐の肩越しに向こうを見れば、ゴボウ侍はあっけなく伸びていた。
「……尚雲の言うとおりだな」
 そばだてた耳に、聞いた覚えのある――おそらく御厨と与助であろう――声が聞こえる。
 龍斗達はぜひ礼をと取りすがる手代達を躱し、その場から逃げ出した。






「いやぁ、あの浪人なかなかやるものだ」



 一人晴れやかな顔をして九桐は先ほどの戦果を語って見せた。
 新陰流に似ていたが、おそらくそれの傍流だろうだとか、浪人の体調さえ万全ならもっと楽しめたろうだとか嬉々として、時には身振り手振りも交えて話す九桐に、龍斗は首を捻り、
「……もしかしてお坊、あの浪人とやり合いたくてつっこんでったんか?」
 問えば、元気な声で応と返ってくる。
 いかにも九桐らしいと言えばらしい答えに、龍斗は眩む目を押さえた。



「そう言う龍斗と若は、どうして飛び込んできたんだ?」
 逆に質問され、そう言えばと龍斗は九角の方を向く。
 龍斗は絡まれているお嬢様風の娘とその手代らしき男を助けるためだが、九角は九桐のような仕合好きではないし、龍斗のように江戸の人間を助ける義理はないはずだ。
 さっきから黙りを続ける九角だったが、九桐と龍斗の視線に重い口を開く。
「体が勝手に動いただけだ。人が死ぬのを黙ってみているだけというのは、後々目覚めが悪いからな」
 ある意味九角らしい理由に、龍斗はそうか、と頬を緩めた。
 九桐も若らしいと笑う。
 やはり九角天戒は龍斗が思っていたとおりの善人だ。
 その事実が嬉しくて、龍斗の口元は自然とつり上がる。
 そんな龍斗を、九角は先ほどからじっと、何かもの言いたげに見つめてくる。
 龍斗はその視線に首を捻ってどうしたのかと問う。
 九角は少し躊躇いがちに視線を外しながら、口を開いた。
「――――龍斗は、先ほど目の前で敵に助けを求められれば、それが鬼道衆俺達であろうと助けると言ったな」
 正確には、"敵が鬼道衆九角達だったら助ける"と言ったのだが、完全に間違いというわけでもないので龍斗はその通りだと頷いた。
 その答えに、なぜか九角の顔が歪む。
 どこか半信半疑といった様子だった。
「俺達はお前にとって敵なのだろう?」
「……せやな」
 沈む声に、龍斗も若干躊躇いながら応える。



 九角が幕府崩壊を狙う鬼道衆の長である限り、龍斗が幕府を護る龍閃組の一員である限り。
 二人は永遠に、"敵"のままだ。
「だったらなぜ助けようなどと思う。捨て置こうとは思わないのか」
 九角の疑問ももっともだろう。
 二人は所詮、殺るか殺られるかの間柄だ。
 油断しているところをぐさりとやられるかも知れない。
 いや、もしかしたら助けを求めざるを得ないような窮地すら、龍斗を陥れるための罠かも知れないのだ。
 だが――――。 




「悪い人間ちゃうって、知っとるからな」




 そうだ。知らぬ人間ならともかく、相手は鬼道衆だ。
 何もかもすべて知っているわけではない。
 そのうちに隠した悲しみ、憎しみ、痛み、恨み、すべてを知っているわけではない。
 だが一端は知っている。
 それで十分ではないだろうか。
 それだけで、九角達を助ける理由になるのではないか。
 正直に、心の儘に言えば九角はきょとんと目を向いた後、肩を震わせ豪快に笑い出した。
「まったく――――とんだお人好しだな、お前は」 
「俺とは別の意味で長生きできない性格だよ、龍斗は」
 九桐も禿頭をぺしぺし叩きながら笑う。
 なぜ笑われているのか分からない龍斗は一人、首を捻った。
 ひとしきり笑った後、九角は目尻に浮かんだ涙を拭い拭い、
「そうだな――――俺も、きっと助けを求めたのがお前達なら、手を貸したろう」
「九角……」
 九角からの歩み寄りの言葉に、感動のためか龍斗の胸はジンと熱くなる。
 だが――――。



「だが、それも柳生を討ち果たすまでだ。柳生を斃したその後は――――再び俺達はお前達幕府に牙剥く存在となろう」



 頑なな、"鬼道衆の長"としての拒絶。
 揺るぎない視線の強さに九角の思いの深さを見て、龍斗はただ頷くことくらいしかできなかった。
「分かっとる――――分かっとる。この一件が終わったら、また好きなだけ暴れたらええ。俺らは、それを止めるだけや」
 龍閃組として、幕府に属するものとして。龍斗は全力で鬼道衆と戦うと決意する。
 九角の隣でじっと二人の会話を聞いていた九桐が、禿頭をぴしゃり叩きながら呟く。



「龍斗も鬼道衆になればよいのになぁ。そうすれば、俺達と争わずにすむぞ?」



 なにより幕府の腐敗をその目で何度も見てきたはずだと九桐は誘う。
 甘い誘いに、しかし龍斗は否と答えた。
 確かに政に疎い龍斗にも、今の幕府がどこかおかしいことは分かる。
 上のものは私腹を肥やし、何の罪もない民が巻き込まれ不幸となって行く様を見たことも一度や二度ではない。



 ――――もうお葉のような悲しい人を見たくも、生み出したくもない。



 だがいくら幕府の不当性を説かれようとも、龍斗は鬼道衆につくことは出来ぬ。
 龍閃組には仲間達がいる。
 上方から出てきて寄る辺のなかった龍斗を拾い上げてくれた時諏佐への恩も返し切れていないうちから彼らを裏切るなど出来るはずもない。
 なにより、家茂公や円空阿闍梨のような人がまだいるうちは幕府も完全にだめというわけではないだろう。
「――――やから、俺はお前らとは一緒に行けへん」
 龍斗の答えに、九角はしばしの沈黙の後そうか、と寂しげに呟いた。
「そうか。俺達の道は、交わることはないのだな」
「っ、そんなこと!」
 そんなはずはない。これからわかり合うことだって出来ると説く前に、九角は踵を返した。 
「行くぞ、尚雲。一刻も早く柳生を見つけ出さねばならん」
 背を向け歩み出す九角と九桐。
 龍斗はただその背を見つめ、立ち尽くすしかできない。
 秋の夕暮れの中、伸びる陰が離れてゆく。
 それがそのまま、龍斗と九角らの心の距離を表しているかのような気がして、龍斗は痛む胸をそっと押さえた。

あとがき

お互いがお互いに頑なに"信じるもの"のために生きているからこそのすれ違い。
あと鳥羽 亮のような剣戟が書きたかったのですが、いずれもさっぱり力量不足のため書き表せず。
要精進。
あとジャブ程度に龍斗×お葉を入れてみました。
意外に好きかもしれん、このカプ。

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