小さなグラスをくゆらせ俺は歌う。
「けーだかーきは勝利の意志、しーめせ、あまねく宇宙に……」
「おい、今日は金持って来てんだろうな?酔い潰れる前に金を出してくんな、お前さんはもう信用ならねえ」
さっきから店主がやかましい。ポケットからなけなしの小銭を掴み出し、カウンターに放る。
「冗談きついぜ。足んねえよ、少尉どの」
店主は大げさに肩をすくめ、ため息をついたが俺はそんなものに構いはせず、歌を続けた。
「……りーそう、つらぬーくーあーい、……神のー加護はー我等と共に……」
「国歌なんか歌ってんじゃねぇよ、若造。うるせえぞ」
「あ?」
「あ?じゃねえ、時化た面しやがって辛気くせえ野郎だ。てめえみたいなのがいると酒が不味くなる」
「なら店を替えな。ここはお前の店じゃ無い」
「ふざけるな、」
絡んできた大男がこめかみに青筋を立てて胸ぐらを掴んできたので、俺はすかさず男の醜いツラに唾を飛ばし、
挑発した。
「てめえ!ぶっつぶしてやる!」
「はっ、やれるもんならやってみやがれ!ウドの大木が!」
「止めろ、馬鹿ども!また店ん中壊す気か!」
客の悲鳴、店主の怒鳴り声、椅子が倒れガラスの割れる音に俺の心は僅かに昂揚する。
死んでいた俺の体に血液が巡るのを感じる。
「止せ!警察を呼ぶぞ!」
数分もしないうちに相手の拳が俺のみぞおちにめり込み、俺は腹の中のものを全て床にぶちまけ、不様に倒れた。
大男を中心に酒臭い嘲笑が俺に浴びせられる。
「おい見ろよ、こいつ、達者なのは口だけじゃねえか!」
ああ、酒、酒。
お前だけが現実から俺を引き離し俺を苦しみから救ってくれる。
そしてお前だけが俺を奈落の底へと引きずり込んでゆく。
俺の望む世界へと誘ってくれる――――
「気が済んだか…もう止めておけ、こいつぁ口先だけのクズ野郎だが、こう見えて士官様だ」
床に転がったままの俺を放ったまま、店主が大男をなだめ、ようやく騒動はおさまった。
「チッ、折角の気分が台無しだ!二度と来るか、こんな店!」
大男は腹いせに俺を蹴飛ばし、店を後にする。
「はぁ、やれやれ。……なぁ、少尉どの。もう御免だぜ、こんなことはよぉ。来るなとは言わん、だがほれ、いつもの
連れに付いてきてもらってくれ。でないとまた警察の世話になっちまうだろ」
「……ガーレ、フューゼローン、誇りーある、はがねの国家―……」
俺は親爺の忠告を無視したまま汚い天井を見上げ、国歌を歌った。
何の迷いもなく喜び勇んで国歌を歌い、国の為に勉学にも勤しみ、そして多くの若者と同様軍人への道を目指した。
士官学校の超過密な訓練過程も歯を食いしばり耐え、そして多くの技能を身に付け、悪くない成績で卒業した。
軍服の袖に初めて手を通したときの感触と高揚感と誇らしさは忘れ得ないものだ。
だが今、その記憶はまるで別世界の出来事のようにしか思えない。
「なあ、聞いてんのか?お前さんよ、すっかり頭がイカレちまったのか」
親爺の言葉にいちいち反応するのも億劫で、黙ったままのろのろと起き上がると、俺は軍服の内ポケットを探った。
裸のままの、くしゃくしゃの紙幣が触れる。
長いこと洗っておらず、当然プレスもしていない俺の薄汚い軍服をあの、馬鹿みたいに真っ直ぐだった頃の俺が
見たら腰を抜かすだろう。
「へっ」
そんな真正直な過去の自分を嘲笑い、俺は数枚の紙幣を確かめもせずカウンターに叩き付けた。
「悪かったな、イカレたクズでよ」
「騒動は迷惑だ、と言ってるだけだ」
「はん」
俺はふらふらと外へ出た。帰りたくない。まだ酒に酔っていたい。だが面倒くさい。
なにもかもが面倒だ。店を探すのも、酒を飲むのも、息をするのさえ面倒だ。
俺は路地の片隅に腰を下ろし、青白く光るイスカンダルを眺めた。
あの星にお住まいの、お美しい女王様は俺等の存在なんか知りもしないのだろうと思いながら。