ランチデート

 最初に彼を見た時、うつくしさに目を奪われたが、次に本能が警鐘を鳴らした。 「その男に関わってはならない」と。  彼のみならず、誰とも関わる気は無かったから本能の心配は杞憂で終わるはずだったのだ。 「何故こんなことに……」  深い溜息とともに疲労が濃く滲んだ呟きが漏れる。  誰とも深く関わるつもりはなかった学園生活、よりにもよりに本能がアラートを発した相手である神宮寺レンは、事あるごとに構いに来る。構いに、とは小さな表現で、性格には揶揄いに来るのだ。  やめてくださいと真剣に言ったところで止むことはなく、それなら逃げるのが一番だろうが、何故自分が彼から逃げねばならないのかわからない。 「大変だなあトキヤ」  労う言葉を掛けてくれるのは同じくクラスメイトの来栖翔。 「レンももう少し加減を覚えりゃいいけど。……あいつもトキヤとは仲間だな」 「仲間?」  眉を跳ね上がらせると、翔は屈託無く笑う。 「そ。友達いない仲間。だから距離感が掴めてないんだろうと思うぜ」 「…………」  色々と突っ込みたいところはあった。あったが、逡巡している間にタイミングを逃し、翔は彼を呼びに来た友人に誘われてその場を去ってしまった。 「お互い人間関係の勉強をしてるって思えばいいじゃん?」  去り際に気軽に言ってくれたが、それがラクにできていたら苦労はしない。  いま一ノ瀬トキヤが出来ることは、肺の奥から深い溜息を吐き出すことだった。  あの男は本当に厄介だ。視界に入れないようにしているのに、気付いたら視界に入っているし、入っていればついつい見てしまう。華やかな、天性のスター気質。得ようと思って得られるものではない。整った容貌とともに、生まれ持ったもの、才能のひとつだ。  羨ましいと、一言で片付けるには腹が立つ程度には捻くれた感情を抱いている。  持っている武器は多いほうがいい世界で、彼はたまたま生まれ落ちた時からデフォルト装備が多かっただけ。  多くはないトキヤは、自分の努力で得てきた。得たものは価値があるはずだ。歌だって、努力で得たもののうちのひとつ。譜面を見れば完璧にだって歌える。 「…………」  それなのに、足りないものがあるという。決定的に、致命的に足りないもの。……技術では補えないもの。  彼は、それをさえ手に入れているのに。 「やあ、イッチー」 「…………」  苛立ちかけた時、トキヤを苛立たせる相手が目の前にいた。  どうしてここに。  わざわざ人気のない図書館を選んだのに。  だがレンはトキヤの内心などお構いなしだ。 「ちょうど良かった。一緒に来てくれないか」 「は? どこへ……」 「緊急事態でね。イッチーに頼むのが一番だって思って」 「一体なんなんです?」  腕を掴まれ、連れて行かれる先はどこなのか。レンはすぐには教えてくれない。校内だろうと思っていたのに、裏口から抜け出した時には驚かされた。 「どこへ行くつもりなんですか!」 「いいから。時間がない」  一体どこへ。  言葉の割にレンが焦っている様子は感じられない。何があるというのか。思っているとタクシーの後部座席に押し込められる。 「ちょっと……!」 「乗ってしまえばすぐだよ」  そう遠いところへ行くわけじゃない、けれど徒歩だと時間がかかるから。  ……まったく答えになっていない。  車内はお喋りするにはBGMが静かすぎたし、運転手も余計な詮索はしてこない。10分ちょっとの道のり、たいして長く乗らなかったことだけが幸いだった。 「はい、到着」  タクシー代も奢りだと言われて車から降りれば、目の前の建物は民家、を改装したフレンチのレストランらしい。 「さ、入って入って」 「あの」 「予約してあるんだ」 「は?」  意味がわからないまま店内に入らされると、すぐにやってきた店員にレンは百点満点の愛想笑いを浮かべる。 「予約していた神宮寺です」 「承っております。こちらです」  店内は一階にキッチンとキッチンが見えるカウンター席が四つ、四人掛けのテーブル席がひとつとふたり掛けの席がふたつ。あとは二階らしく、店員に案内されて上の階へと上がる。  広い窓から差し込む陽が明るい部屋だ。  ふたり掛けのテーブルがみっつ、四人掛けがふたつ。どのテーブルも清潔なクロスが敷かれている。内装も清潔で、壁に本日のオススメなどが書かれたボードがあった。白と茶を基調にした店内にアクセントの鉢植え。落ち着く内装だ。  案内されたのは、窓際のテーブルだった。戸惑いながらも席に着く。戸惑いはあったが、ここに来てようやくなんとなく事情が掴めてきた。理由まではともかくとして。 (……ただの嫌がらせの線も否定できませんが)  運ばれてきた水を一口飲む。ちらりとレンを窺った。 「そういえばイッチー、嫌いな食べ物なんてあるのかい?」 「ありません」 「良かった」  ほっとしたような表情をする。 (強引に連れてきておいて……)  ずいぶんとかわいらしい。??とは言わずにおいた。あまりに彼とは掛け離れた言葉だったからだ。 「そういえば、メニューは……?」 「コースを頼んであるからね、すぐ持ってきてくれるよ」  コースなら最初はサラダだろうか。  思っていると、ライトグレーのシャツにソムリエエプロンを着用した給仕が料理を運んでくる。長野産の、温野菜のサラダだ。ドレッシングは自家製が二種類、レモンベースと和風。トキヤはレモンを選んだ。  芽キャベツ、玉ねぎ、ニンジン、コゴミやワラビ、旬の山菜も使われている。  蒸し器で蒸されたという旬の野菜は甘みがあり、トキヤが選んだドレッシングはさっぱりしていて後口が良い。素直に美味しいと思えた。  ゆっくりと咀嚼し、飲み込む。ちらりとレンを窺えば、優雅とも言える所作で箸を口許に運ぶ。 (フレンチなのに箸とは面白いですね……)  ナイフとフォークを使うような格式張った店ではないということだな、と、その意味でも肩の力が抜ける。  それにしても。 「あの……レン」 「なんだい?」 「どうして私をここに?」 「料理を全部食べてくれたら話すよ」 「……料理を?」 「そう。その件は食べ終えてから話すよ」  それまでは違う話をしよう。  にこやかにレンは言う。だが、何を話すことが? (親しくなるつもりはないのに……)  内心でひそりと溜息を吐くトキヤのことなど知らぬかのようにレンは話を振ってくる。 「そういえば、イッチーは生まれ育ちが福岡だよね?」  どこからそんな話を仕入れたのか。 「……育ちは、途中からは関東です。家の都合で」 「あぁ……お兄さん、HAYATOの仕事が増えれば、必然的にそうなるか。東京のほうが仕事が多いだろうし……」 「えぇ、まあ」  しれっとした顔で頷く。嘘をついているつもりはない。 「福岡って、何が有名なんだい?」 「有名?」 「場所とか、食べ物」  サラダが片付いたタイミングを見計らったかのように、続いての食事が運ばれてくる。これも野菜が主体だ。 「そうですね、メジャーな食べ物といえば明太子、辛子明太子、……通りもんやひよこ、ややマイナーかもしれませんが鶏卵素麺や丸ぼうろなども美味しいですよ」  鶏卵素麺は好みが分かれるが。  野菜の味は濃くて美味しい。旬のものだから、というのもあるだろうが、いい野菜を使っているのだろう。メインはレンが肉、トキヤには魚料理だった。スズキを香草と一緒に蒸し焼きにしたもの。香りが良く、身もふっくらしていて甘い。  ふと視線を感じて正面のレンをちらりと見る。 「……何です?」 「……いや、」  ふ、とレンは優しい表情をする。 「美味しそうに食べてくれるなあって思って。……イッチーを連れて来て正解だったよ」 「……どういう意味ですか」 「一緒に食事を食べるなら、美味しそうに食べてくれる人と一緒のほうが食事が美味しく感じられるってこと」 「……そうですか?」 「少なくともオレはね」  にこりと笑むレンの皿は、普段よりずっとペースが遅く感じられた。どうして、と思った次の瞬間に、答えはわかった。合わせてくれているのだ。コース料理だから。  レンの所作のうつくしさは、食事の場で遺憾無く発揮されるということにトキヤは改めて気付かされた。  大きな音は立てないし、垂らさない。ぎこちなさもない。身に染み付いているものなのだろう。  ??あまり見ると怪しまれる。  自分の料理を口に運び、咀嚼する。トータルとして、レンの食べ方は品がいい。三男坊とはいえ日本を代表する財閥の御曹司は伊達ではないということか。  そういえば彼のルーズなファッションも粗野や下品という言葉からは遠い。――女性への対応も浮ついて軽いとは思っているけれど、男子たちへの対応と温度差がありすぎるようには見受けられないし、貫き通せるならそれはそれですごいのか。  いや、食事ひとつで見解を改めるなんて、餌付けか。 「ふふ……」  レンがくすくすと笑う。何事か。 「そんなに見られたら穴が開いちゃうよ」 「……見てません」  言い訳の最低部類だ。けれど咄嗟にはそんな言葉しか出てこない。 「そう? ならいいけど」  ちっとも気を悪くした様子も、気にする様子もない。こちらのことなど気にも留めないのか。  卑屈なことを思いかけたが、すぐに「違う」と結論が出る。  彼は『神宮寺レン』だ。幼い頃からテレビに出たり、今もモデルをしたりしている。とびっきりの容姿、スタイル、華やかな雰囲気。すれ違えば誰もが振り返るだろうし、その場に彼がいればおのずと衆目を集める。  つまり彼のほうは『見られることに慣れている』とも言えるのではないか。そうでなければいちいち視線を気にして、繊細な人間なら人嫌いか引きこもりになりかねない。  だから誰かが彼を見ることに対し、いちいち頓着しないのだろう。  それもなんだか腹の立つ話ではある。だが深く考えたら負けだ。  デザートは季節のソルベで、この時はメロンだった。メロン自体を食べるよりさっぱりして美味しく感じられた。 「――それで」 「うん?」  食後のコーヒーを飲みながら、改めて口を開く。 「私をここに連れてきた理由は、なんですか?」  食事ができる終わったのだ、話してもらえるのだろう。  どうやらレンは約束を忘れていなかった。にこりとうつくしく微笑むと「それはね、」と教えてくれる。 「ひとつは、本来ここへオレと来るはずだったレディの都合が悪くなったから。もうひとつは、イッチーを誘ってみたかったからだ」 「……代理で穴埋めですか?」 「オレはイッチーとも食事してみたかったからね、一石二鳥だと思ってる」 「…………」  ただの身代わりで誰でもいいからなどという理由なら単純に怒ることもできたが、なかなか複雑な心境だ。かといって嬉しいわけではない、断じて違う。そんなわけがあるものか。秋毫も思わない。 「だから今日は付き合ってくれてありがとう」 「……強引に連れてきたのはあなたでしょう」 「そうだね。でも途中で帰ったりしなかったのは嬉しかったよ?」 「……食事に罪はありませんから」 「おや、じゃあ気に入ってくれた?」 「美味しかった、とは思います」 「良かった」  ホッとした表情。  どこか子供っぽい。  普段は大人っぽく、カッコ良く、セクシーな面を全面に出している癖に、何故いまそんな顔を。  そして、どうして心臓は忙しなくなっているのだ。コーヒーのせいだろうか? きっとそうだ。きっとこのコーヒーが美味しいから。  けれど後から思い返してみることに、この日のコーヒーが味はちっとも思い出せないのだった。  それが何故なのかは、さらに後日にならないとわからないことだったし、わかるようになってからはあまり思い出したくないことになった。――恥ずかしくて。
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