夕食を一緒に

 レンがトキヤの部屋を訪れるのは、頻度も含めて珍しいことではなくなっていた。だから、というわけではないだろうが、トキヤから合鍵をもらってしばらく経つ。  その日のトキヤの帰りは「夜になります」とは言われていたが、具体的な時間までは聞いていなかった。レンも十六時まで仕事があり、所用を済ませてトキヤの部屋の前に立ったのは、二十時前だった。 「…………」  手の中の合鍵に視線を落とす。  鍵は、キーホルダーがついていた。トキヤが描いたチーターがデザインされた、お気に入りのキーホルダー。自分の家のキーホルダーには車の鍵とペンギンのキーホルダーをつけていて、チーターは買ったまま保管していたものを下ろしたのだ。  同時に発売されたキーホルダーは全三種。もうひとつのクマのキーホルダーはまだしまっている。  まだまだ寒い季節、ドアの前で突っ立っていても仕方がない。拳を一度握ると、思い切って鍵でドアを開けた。 「お邪魔します……おや」  玄関先に揃えられた革靴。リビングは電気が点いているようだ。ということは、トキヤが帰宅している。  玄関の鍵を閉めると、足音を立てないようにしつつリビングの様子を窺う。漏れ聞こえる音楽には、聞き覚えがあった。 「…………」  いま邪魔をしていいか少し迷い、SNSでメッセージを送ることにした。  ――玄関のドアのほう、見て。  すぐにピロンと軽い音が鳴り、トキヤがスマートフォンに手を伸ばす。メッセージを見て首を傾げたのは、完全に怪訝に思ったからに違いない。けれどリモコンでテレビの画像を一時停止すると、すぐにこちらを振り返ってくれて――目が合った。 「レン!」 「やっと気付いてくれたね。お疲れさま」 「あなたも、お疲れさまです。いつからいたのですか?」 「つい今さっき来たところ。テレビに夢中になっているみたいだったから、どうしようかなって思ってね」 「普通に声をかけてくれてよかったのですが……」 「集中してたら邪魔したくないだろう? ねえ、イッチーはもう何か食べた?」 「食事ですか? いえ……あなたが来るような雰囲気だったので、待っていましたが」  食べられるものも用意してありますよ、と脱いだレンのコートをハンガーにかけながら言う。 「デリでも買ってきたんだ。一緒に食べよう? ちゃんとイッチーが好きそうなものも買ったから」 「なるほど? では温められるものは温めましょう。それから、お湯を沸かしてスープも。ポタージュ系が良いならミルクを温めますが」 「イッチーと同じものでいいよ」 「デリに合わせるならコンソメでしょうか……また色々買ってきましたね……」  レンがテーブルの上に、ビニール袋の中の物を広げていく。白身魚のカルパッチョ、トマトをまるごとひとつ使ったサラダ、ポパイ、ほうれん草とタマネギ・鶏肉のキッシュ、ベビーリーフのサラダ、縦切りにしたピーマンを器にしたミニピザ、タコのトマトソース和え、鮭とアスパラガスのペペロンチーノ風炒め物、鯖のピリ辛蒲焼きなどなど。  いつも本当に不思議でならない、という顔をトキヤがするが、その顔を見るのは楽しいと思っている。これですべてカラにしてしまうと、二度見られるのだ。  トキヤをかわいいなあと思う瞬間のひとつだ。  沸いた湯でインスタントスープを作り、トキヤが温めてくれたデリをテーブルに並べる。普段ならダイニングテーブルだが、今はリビングのテーブルに並べた。ラグマットに座ってだらだらと宅飲みをするような雰囲気で食べるのを、レンは気に入っている。 「……ん、なかなか美味しいね。どうしたの? イッチー」  なんだか変な顔をしている、とポパイを食べながら出来合いの料理たちを見ているトキヤに首を傾げる。 「いえ……あなたにしては、肉っ気が薄いのではないかと思って……」 「ああ、なるほど。……まあでも、そんな日もあるさ」 「そうですか?」 「キッシュにお肉が入ってるし、ミニピザもあるしね。少し遅い時間だし……これくらいならイッチーだって食べてくれるし」 「え?」 「なんでもない。それよりこっちの鮭とアスパラの、食べてみた? クセになりそうだよ」  誤魔化しつつ、トキヤの皿に一切れ乗せる。肉ではないから拒否されないだろうとは思ったのだ。 「……まったく。一応、ひと通り、買ってきてもらったものは食べるつもりはありますよ」  せっかくですからね、と言ってスープに口をつける。  その顔をじっと見つめてしまった。 「……うん。たくさん食べてね」  嬉しい、と言ったら何か反論されるかもしれないが、やはり嬉しいと思うものだ。買ってきたレンがどういうつもりで品を選んだのか、考えてくれたのかもしれない。  愛しい人の、素直じゃないところも愛しい。 「……オレ、やっぱりイッチーのこと、大好きだな……」 「は!? 今そんな話しましたか!?」  トキヤが普段絶対しないような顔でレンを見る。 「いや、してないけど。してないから言っちゃダメってことは、ないだろう?」 「そうですが……」 「オレはイッチーのこと好きだけど。イッチーは?」 「えっ……」  何を言わせるのだ、と言わんばかりの表情は無視して、にこにこと機嫌の良い笑顔のままをキープする。  何か言ってくれれば良いし、何も返されなくてもいい。  トキヤが黙っていても、顔は真っ赤になっていて、答えは明白だから。  トキヤは箸を置くとレンをじっと見つめる。 「…………好きです。……誰よりも」  小さな声だったとしても言ってくれたものだから、レンは驚き――エアコンのせいではなく顔が熱くなるのを自覚した。
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