「…………」
一ノ瀬トキヤは、厳しい視線を落としていた。仇敵に出会ったかのような、とても目線の先のものを許してはおけないと、言葉にしていない感情が傍目にも見えるような厳しさだ。
実際、許してはおけない。
このままにしていいものではない。
トキヤが一ノ瀬トキヤである以上、到底受け容れがたい、それほどのものだ。怒りとも憎しみともつかない炎が、トキヤの胸の内を焼く。
だから、決めた。
必ず責任は取らせるのだと。
神宮寺レンは、このところ浮かれていた。
浮かれている自分のことはなるべく抑えているつもりでいたが、傍目には機嫌よく映っているようで、
「なんかおまえ機嫌良さそうだな」
「あれ、レン、何かいいことあった?」
「ニヤつくな、浮つくのがうつる」
などと言われる。
そんなことを言うのは仲間だけだから、きっと親しい人間にしかわからないものなのだろう。
何をそんなにご機嫌でいるかといえば、バッグに入れたノートだ。もちろん、ただのノートであるはずがない。鍵付きの、A5サイズのノート。
ノートに記載されているのは、日記だ。レンひとりのものではない。トキヤと共用の――いわゆる、『交換日記』というシロモノだった。
何故トキヤと交換日記をしているのかといえば、トキヤと恋人になったからだ。恋人同士なら、互いを深く知り合うために交換日記をする。世の中の真理――いや、単にレンがやりたがったのだ、今までにしたことがなかったから。
世間の大半の男子はやったことがないだろうが、小学生の頃、クラスメイトの女の子たちがとても楽しそうに秘密の共有をしていて、それが羨ましかった記憶が残っていた。
自分も、誰かと秘密を共有したい。
それなら、恋人になったトキヤが最適に違いなかった。
幸い、トキヤは最初こそ面食らった顔をしていたが、快く応じてくれた。突拍子もないアイデアや希望を、頭ごなしに拒否や否定をしないのがトキヤのいいところだ。
トキヤの生真面目さを表したような文字も好きだから、眺めているだけでも飽きないのに、その文字列は自分のためだけに綴られているのだ。読んでいてこれほど至福の時間もない。
必然的に長くなった返信をしたためたノートを、今日渡すのが楽しみだ。また、返ってくることを考えるのは楽しい。
「じゃあお疲れ!」
「気を付けてね」
今日仕事が一緒だったのは音也だった。彼はこれから別の収録があるとかで颯爽と自転車で走り去る。背中を見送ると、レンは駐車場に停めていた愛車に乗り込んで、音也とは別の方向へ走り出す。
ちらりと車内の時計に目を走らせる。待ち合わせ時間まで一時間。渋滞を避ければ、待ち合わせには充分に間に合う。
「イッチーより早く着けるかな……」
待つのは苦ではないが、待たせるのは申し訳ないから早めに着いておきたい。それに、待つ時間も嫌いではない。相手とこれから過ごす時間を考えて待つのは、それなりの楽しみだ。特に、相手がトキヤだから。
浮かれているせいか、車は早めに待ち合わせ場所へ到着した。駅のそばにある公園。SNSで連絡すれば、トキヤの到着もそろそろらしい。幸い駐車禁止区間ではないから、このまま車で待たせてもらう。
今日は、トキヤの部屋に呼ばれている。食事も彼が作ってくれているらしい。忙しさはレンと変わらないだろうに、自炊をしているのは本当にマメだ。
こつこつ。助手席側のドアがノックされ、すぐに振り向けば、トキヤが窓からこちらを覗き込んでいる。ロックを解除すると、滑り込むように乗り込んできた。
「お疲れさま」
「あなたも。お疲れさまです。お待たせしました」
「そんなに待ってないよ。じゃあ、行こうか」
トキヤがシートベルトを装着したのを確認すると、車をゆっくりと走らせる。
「今日のメニューは?」
「豚汁、きんぴらごぼう、サラダと……ご飯は玄米です」
「このまえイッチーが作ったきんぴらごぼう、こんにゃくが入ってて美味しかったな」
「今日も入れています。レンコンも入ってますよ」
野菜がメインなのは相変わらずだが、食べ応え部分も考えてくれているのか、レンの好みも多少なりと反映してくれているのだろうか、些細なことだが嬉しい。
今度トキヤが作って美味しかったものをリクエストしたら、また作ってくれるだろうか。些細な楽しみを見つけて喜んでいると、トキヤの家まではあっという間だった。
食事を終えた後、トキヤの淹れるコーヒーで一息つくのが「いつもの流れ」になりつつある。コーヒーを淹れるのは好きだったし、レンも喜んでくれる。お陰でよけいに好きなことのひとつになりそうだ。
「……ずいぶんたくさん書いてくれたんですね?」
「あ、読むならオレがいない時にして」
目の前で読まれるのは、レンでも気恥ずかしいのだろうか。慌てた様子でめくったページを大きな手のひらで隠してくる。
「いいじゃないですか」
「良くない。イッチーなら情緒を大事にしてくれると思ってるんだけど?」
「……わかりました」
くすりと笑うと、ノートを閉じてテーブルに伏せておく。代わりにマグカップを手に取り、コーヒーを一口飲んだ。
「……そういえば」
同じようにコーヒーを飲んだレンが、ふとトキヤの顔を見る。ちらりとレンを見た。
「イッチー、日記に『最近悩んでいることがあるから、レンに付き合ってもらいたいことがあります』って書いてあったけど……」
何に悩んでいるんだい、と訊かれる。
レンなら、きっと訊いてくれるだろうと思っていた。
「ええ……そのことなんですが。場所がここでは適切ではないので。コーヒーを飲んでからで構わないので、ついてきてもらえますか」
「かまわないけど……どこに?」
「すぐわかります」
微笑むと、レンはなんとなく誤魔化されてくれたらしく、頷いた。
良心がかすかでも痛まないわけではなかったが、仕方のないことだ。トキヤにとっては正当な理由があってのことなのだから。
「……で?」
見下ろしたレンは、不可解な顔をしていた。
場所は寝室で、トキヤに押し倒されたのだから、この後のことくらいは察してくれている、はずだ。ただ、状況なり経緯がわからないというところだろうか。
「イッチーにしては性急だね?」
「ええ。食後の休息は充分にとりましたし」
「……? ん、」
顔を寄せて口付ける。口付けの間もまばたきひとつしたくないくらい、こんな間近でもうつくしさが揺らがない男だ。舌でするりとくちびるをなぞれば、薄らと開いてくれる。くちびるの裏も舐め、レンのかたちを味わう。
レンの頬、首筋。前開きのシャツのボタンは片手で外してしまう。鎖骨から胸。指や手のひらで味わうレンの身体も、うつくしいし美味しい。食事のようだが、食事と違うのはいくら食べても身につかないところと――足りることを知らないところだ。
時間が許すなら、許す限りずっと触れていたいとも思ってしまう。
慣れた手つきで潤滑剤のボトルを開け、濡らした手で下腹から下生え、根元から性器を先端まで撫でると、また根元、双実と、さらに下りて窄まりを指先で撫でる。
ひくりひくりと震えた肌が愛おしく、シーツに皺を刻む指先すらトキヤの琴線に触れる。
「ぁ……ッん、っ」
久方ぶりのそこは、多少硬くなっている。
口付けを解くと、レンの膝を割って間に入り、身体に触れやすくした。
「……ン……」
起伏がある、形の良い胸の先。肌の色が異なるそこへくちびるを寄せると啄むように口付け、くちびるにするように舐める。まだ平らなそこは、舐め、舌先でくすぐっているうちに少しずつしこりを帯びた。
「は、……溜まってた、ってこと?」
悩みについての質問の続きか、レンが投げかけた言葉に、トキヤは小首を傾げる。
「少し、違います。いえ……結論は同じですが」
「? どういうこと?」
怪訝そうな目許にくちびるでそっと触れる。優しげに見える笑みを選んで見せた。
「付き合ってくれるんでしょう? わかりますよ」
「……不穏だなあ」
「あなたのマイナスになるようなことはしないつもりです」
「信じるよ。……ずいぶん好きみたいだから、オレの体」
「…………」
そんなに言われるほどだろうか。気を取り直し、芯を持った乳首にキスをし、指で肌を撫で、窄まったところに触れた。刺激を与えるたびに震える肌が愛おしい。
レンがくすぐったがりだとは知っていたが、それが感じやすいということには思い至らなかった。気が付いたのは、体を繋げるようになって四度目になったあたりだ。
触れて、反応が返ってくるのは嬉しい。それが良いものなら、なおさら。レンの体に夢中になるのは、それが要因のひとつだった。
「ッあ、ぁあア……ッ!」
しがみつく力がぐっと強まり、びくりと体を震えさせたレンの動きが止まる。荒い呼吸、染まった目許、強まった後、弛緩した腕。快感を伝える反応に、トキヤの心もいくらか満たされる。
手の中で吐き出された白濁をシーツに擦り付けると、レンの腰を両手で掴む。抜かれると思ったのか、レンが力を抜こうとしているのが伝わった。
けれど、そうではない。
「……、……え、あ、アッ?!」
声が高く跳ねたのは、トキヤがさらにレンの深くを穿ったからだ。
「な、ンで……っ」
「まだ足りませんし……付き合ってくれるんでしょう?」
「え?」
欲に満ちた声に、レンが怯んだのが伝わった。せいぜい甘く、優しく耳許で囁く。
「約束。……反故にする、なんて、言いませんよね?」
「それ、は、っあ、ん……!」
達したばかりの体、ナカはビクつき、トキヤの熱を苛む。うつった熱で、またトキヤも熱くなった。
腰を掴み、引き寄せて腿に乗せてしまえば、ちょっとやそっとでは逃げられない。興奮を気持ち同様に押し付け抽挿すれば、浮いたレンの脚が宙を蹴った。
ナカをかき回すたびにくちゅくちゅと淫らな音がたち、レンはそれもむずがるように嫌がる。
「イ、ッチー……っ」
「聞きません」
自分勝手としか言えない返しに、動きを激しくする。浮いたレンの背、腰が跳ねるのもいい刺激になり、興奮を増させた。
「あ、ッあ……ッん、ゃ、アア……!」
反り立つレンの性器をゆるく手のひらで包むと、動くたびに擦れるようにしてやる。怯えたようにかたく強張った体が、続けているうちに緩んでいくのがわかった。
かつて、レンは「本当にイヤなら、殴ったり暴れたりして逃げる」と言っていた。一方で、レンがトキヤの顔や体を気に入っていることを知っている。
そればかりではなく、セックスだって好きなことも知っていた。
「トキヤ……ッ、もぉ……」
言葉だけではなく、手の中の性器も限界を訴えているのがわかる。我慢させるつもりはない。泣きが入ったレンの顔を見下ろすと、乾いた自分のくちびるをぺろりと舐める。
「……イッて、レン」
私も、と、自分とレンが達するための動きを強める。レンが狂ったように腰をよがらせ、甘く高い嬌声を上げるのを見下ろした。
「ああ、ァ、ッぁあ……ッ!」
「……ふ、……っう、……」
びくりと体を跳ねさせ、精を吐き出す。締め付けを受けたままナカを何度か擦ると、トキヤも達した。レンの力が抜けている間にいくらか冷めた熱を抜き、隣に寝転がるとレンを抱きしめようと腕を伸ばす。抗いはなかった。
呼吸を何度か整えようとしつつ、長い前髪を掻き上げて額や鼻筋、頬や口許にキスをした。
「……ぅ……」
レンがもぞもぞと体を動かすと、トキヤの首許あたりに頭を預けてくる。いつもの目線と逆になるこの体勢はトキヤの好むものでもあった。しっかり抱き寄せると、頭や背を撫でた。
「……やけに」
「はい?」
「……情熱的だったけれど。何かあったのかい?」
声が少し掠れているのは、鳴かせすぎたせいか。手を伸ばすと枕元に転がっていたペットボトルを探し、レンに渡す。ストローが刺さっているタイプだから、寝転がっていても飲みやすいはず。
レンが疑問に思うのも当たり前か。立て続けに何度もするのは、たしかに記憶にはない。
「付き合ってくれると言ったでしょう?」
「言った、けど。何に、とは聞いてないよ」
ここで誤魔化すことはいくらでもできた。けれど、きっとレンはそれを見抜くし、そんなしこりを残せば後々にまで響くかもしれない。だとするなら、今ここで言ってしまったほうがいいだろう。今日の一回だけでは済まないだろうから。
見上げてくるレンの額に口付けると、雲のない空のような澄み渡る青を見つめ返した。
「……は?」
思わず間抜けた声が、レンのくちびるから漏れた。
今、一体この男はなんと言ったのか。
「ですから。……あなたに付き合っていると、厳しく自制はしていますが、あなたが私の皿に色々と盛るでしょう? 自然と食べ過ぎてしまって……体重が増えたので。あなたに責任を取ってもらうことにしたんです」
「……残せば良かったんじゃない?」
「あなたが勧めてくれるのに、勿体ないことはできません」
何より美味しかったので、と拗ねたように言うが、むしろそちらのほうが理由の割合としては大きな気がする。
「……一緒に食事しないほうがいい?」
「どうしてそうなるんですか。私の皿に盛るのを止めるか減らすか……できないのであれば、今日のように付き合ってください」
「えっ……」
今日のように、とは、いま先ほどまでの激しいセックスのことをいうのだろうか。
たまに、なら、歓迎しないわけでもないのだが。
「……どのくらい?」
一晩の回数とも頻度とも取れるように問うと、トキヤは至極真面目な表情で少しの間、思案を巡らせていた。
「そうですね……明日の朝、体重を量ってみて……どれくらい減っているかによるでしょうか」
「えっ」
「場合によっては、数日付き合ってもらうことになるでしょうね」
「そ、んな……」
「なんでも付き合う、と言ってくれましたよね?」
笑顔はまるで悪魔だ。こんな時に、そんなきれいな笑み方をしないでほしい。拒否できない。もちろん、自分が言い出したことでもあるからなおさらだ。
間近でのきれいな圧に、体を抱きしめてくれる腕。逃げることもできず、レンはただ頷くしかできなかった。
それでも懲りずにトキヤの皿に食事を盛ってしまうのだが、別に激しい夜が癖になったわけではなく、美味しい食事を食べるトキヤがやっぱりかわいいからだと自分に言い訳をした。