16 龍のトキヤと虎のレン

 猫族の街に滞在して二度目の夜が明けた。  朝は宿の朝食か、外で食べるかを選べるのだが、この日は宿の朝食にした。それが思いがけないほど量が多く、朝から湯豆腐・だし巻き卵・漬物・焼き魚・蒸した野菜・肉豆腐・三種類の味噌汁・筍ごはん・大根とおあげの炊いたもの・金時豆の甘煮・ソーセージ・ベーコンはもちろん、ステーキやパスタ・とりどりの具を含めた粥・パンなどが選べたのだ。おそらく種族・神族の違いを考慮しているのだろうが、朝食からまったく豪勢だ。 「この宿にして良かったな……」  いただきますの後、自分で選んだ料理を一口食べて、翔が幸せそうな顔をする。 「全面的に同意するよ。種類は多いし、何より美味しいし……」 「私は粥の具の種類が多いのが嬉しいです」  多めに盛った粥の周りに、様々な具材を並べたトキヤが機嫌良くにこにことしている。家ではさすがにここまでの種類をねだることはないから、贅沢な気分を味わっているのだろう。  家での料理はほぼ翔任せだから、翔の慰労も兼ねられているのが良い。たまには他人の料理だけで過ごすのも良いものだ。とはいえ、これは翔のほうが美味しいな、と思う料理がないわけではないのだけれど。 「今日もプールでしたか?」 「そうだなぁ……まだ遊んでないプールもあるし……海は海で違う遊びも出来るけど、レンはどうしたい?」 「オレ?」  なんで? と思わず首を傾げてしまった。 「だって、おまえ基本的に水が苦手だろ? 海はまたプールと違う水だし……浜で遊ぶ遊びもあるけど、どうせなら海で遊ぶほうがいいし」 「うーん……まあ、でも、ものは試しっていうよね。案ずるより産むが易しとも言うし」 「お? じゃあ行ってみるか。プールのほうが良いってなっても、海とプールは仕切りなく続いてるし、海が思ってたのと違うってなったら昨日もらったフリーパスもあるから、そっちに移動してもいいからな」 「わかったよ。じゃあごはん食べたら水着で集合だね」 「おー、昨日とは違うヤツ穿いてくからな」 「あっじゃあオレもそうする。トキヤもねっ」  せっかく水着を三枚も買ったのだ。すべての水着に機会をやらねばと思ってしまう。  まだ休暇は始まったばかりだというのに、レンは自分が浮かれ気味なのを自覚していた。そうして愛しい龍はといえば、そんなレンを優しく見つめてこくりと頷いてくれる。 「わかりました。お昼はまた、中の屋台にしますか?」 「そうだね、食べてない神族の料理のほうが多いし……美味しかったし……プールと海に行く間は、それでいいんじゃないかな」 「賛成! 互いに好きなもの持って来て一緒に食べるのは良かった。あれだけで色々食えるもんな」 「ではそうしましょう。貴重品を持ってくることを忘れないでくださいね」  はーい。翔と元気よく返事をして、食事をすることに専念した。  また夕刻までプールを楽しんだ後、日が暮れるまで散策をした。  昨日はナイトプールがあったためゆっくり見ることができなかったから、ある意味この時間が初めて街を楽しむ機会かもしれない。  土産物屋だけで一区画あり、その他はやはり飲食店も多い。それ以外に、龍神族の街では見ない『スーパーマーケット』なる店は興味深かった。その店舗だけで様々な食材やアイテムが買えるのだ。便利なシステムだと思う。観光客向けというよりは、どちらかといえば地元の人間向けなのかもしれない。  それからオムライスや卵料理が美味しいという店で食事をして、宿に戻った。 「……ちょっと待って」  レンが部屋に足を踏み入れようとしたトキヤに待ったをかける。 「どうしました?」 「なんだか……おかしい気がする」 「おかしい? ……ふむ……」  レンの指摘にトキヤはその場から動かず、部屋の様子をぐるりと見て確かめる。 「……荷物の位置が少し変わっていますね。それに、まだ使っていなくて奥にしまっていた服が旅行鞄の口から見えています」 「誰かがオレたちの荷物に触ったってことだよね」 「そうなりますね。ルームサービスでは、よほど客が荷物を広げているわけではない限り、触れないでしょうし……」  宿の部屋はふたりにしては余裕がある広さだ。土足で入り、左右にスペースが分かれている。右が畳や敷物の敷かれた寛ぐスペース、左が脚が低めの広い榻。突き当たりは沓を脱いで二段上がれば、広縁だ。正面に海が見渡せる広い窓、それから座り心地の良いひとり掛けのソファが向かい合わせでひとつ、間に小さなテーブルがひとつ。  それらは特に違和感はない。あるのは荷だけ。 「トキヤ、荷物を確かめようよ。物盗りだったら、何を盗られたか把握しないと……」 「そうですね。貴重品はすべて身につけていましたから、大丈夫として……、いや……」  何か呟いたトキヤの言葉は聞こえなかった。  互いに荷物をひとつひとつ取り出して、抜けがないか確認した。レンのほうには、なくなっているものはなさそうだ。 「トキヤ、そっちは……」 「…………」  最後まで問いかけられなかったのは、トキヤが眉をくっきりと寄せて厳しい表情をしていたからだ。こんな表情、ハヤトや音也にだってしたことがない。 「トキヤ……?」 「……ああ、すみません。……完全に私の落ち度です」 「何かなくなっていたんだね? 何がなくなってたんだい?」 「…………環です」 「環? って」  まさか、とトキヤを見る。――この上なく苦々しい顔だ。 「あなたの耳環、指環と一緒に揃いで作った、あの環です」 「なっ……」 「環の意味としては私たちにしか意味はありませんが、アクセサリーとして見るなら、たしかにあれは高価なものですからね。橙のようなスピネルと紫のアメシストは、そこまで高価な石ではありませんが……見る人が見れば鹿族の上級細工師が作ったとわかるでしょうし……わからなくても細工が美しいのは一目瞭然ですから」  淡々と話しているようで、まったくそうではないことは目を見ればわかる。  正直怖い。 「じゃあ、オレはひとまず翔の様子見てくるから、トキヤは宿の人に事情を話してきて。絶対力になってくれるはずだから」 「ええ。お願いします」  理性的であればあるだけ恐ろしいな、と思いつつ、レンは部屋を出ると隣の部屋の扉を叩いた。  宿から自警団へと連絡が行き、現場検証とその日の自分たちの行動をすべて伝え終わると、宿の者が用意してくれた同じグレードの別の部屋で休んだ。  宿は高級宿の部類に入る。だから犯罪が起きた時の対応は素早く、犯人捜しにも協力的だ。宿の評判にも関わるからに違いないが、客室に第三者が侵入したことで、近日中にすべての客室で鍵の入れ替えが行われることになったらしい。たしかに、一部屋開けられたのなら、他のどの部屋が開けられても不思議ではない。  部屋を移されても鍵が入れ替わるまでは同じといえば同じだが、今回はトキヤが術を施した。妖魔を封じる時に使う、結界のようなものらしい。  荷物のほうはもう大丈夫だとしても、奪われた環は取り戻さねばならない。  これは今日も触れるどころではないな、と内心で嘆息し、しがみつくように抱きついてくるトキヤを抱きしめ返す。たまにこうやってトキヤのほうから何かを求めるように抱きしめられるのを抱き返すのは好きだった。けれど、こんな気持ちでいるトキヤを甘やかすのは、少し苦しい。  はやく見つかるといい。思いながら、トキヤの背を撫でた。  翌日は、トキヤは「ふたりで遊んできていいですよ」と言ってくれたが、さすがにしょんぼりとしたトキヤを残して遊ぶのは気が引ける。とはいえ、一緒にいても気を遣われていると思うだろうから、ひとまずレンは翔と出かけることにした。 「そういえば、おまえの環は大丈夫だったのか?」 「うん。オレは持ち歩いてたからね。トキヤは……たまたま、持って出るのを忘れちゃったみたいだから……」 「ああ……運が悪かったな……」 「そうなんだよねぇ……もちろん一番悪いのは盗んだやつなんだけど」 「俺らも手助けできたらいいんだけどな」  現状、宿が依頼をした自警団が、周辺の聞き込みやなんやかんやをやってくれている。地元に詳しい彼らなら、不審者のあぶり出し方も心得てくれているだろう。  基本的にレンや翔がやれることはない、のだが。 「……ここにいる間に見つけたいな、せめて環だけでも」  犯人を見つければ自ずと見つかるものかもしれないが、すでに環がすでに処分――売却されている可能性も、なくはない。自警団の者たちの能力を疑っているわけではないが、猫族の街から外に持ち出されてしまえば、取り戻すにも時間がかかってしまう。  繁華街を歩きつつ、レンと翔は自然と露店のアクセサリー屋に視線を遣る。ああいうところで売られていれば、買い直してもいいが入手先はどんな手を使っても吐かさなければならない。そんな気持ちにさせられるのは、トキヤの落ち込みが激しかったからだ。 「……普段失敗しないヤツが失敗すると、あんなにも凹むんだね」 「俺が記憶にある限り、あそこまでの凹みは初めて見るぞ」 「そうなの?」 「ああ。だから龍生で一番凹んでるかもしれねー」  付き合いの長い翔が言うのだから、きっとそうなのだろう。  こればかりはレンが傍にいるだけでは回復しないに違いない。それならせめて、トキヤにできることをしたかった。 「…………ひとまず人通りの多い道を歩いて、お昼食べたら路地のほうも見てみたいんだけど……」 「もちろんいいぜ。ガイドブックにはあんまり路地には入るなって書いてあったけど……」 「オレは慣れてるからね。いざとなったらオレに任せてよ、おチビちゃん」 「俺だってやられるばかりじゃねーよ。……頼もしいけど、おまえが怪我するとたぶんトキヤが怖いから、気を付けてくれよな」 「……そうだね」  レンに対して、というわけではなく、レンを傷付けた者たちに対して、という意味なのは伝わってきた。ただでさえ今は手負いのようなもの、それに追い打ちをかければどうなるか――考えたくはない。殺しだけは勘弁してほしいものだ。 「……いい天気だな」  晴れてはいるが、日差しは庇で遮られているところが多い。人も多いが、大混雑というほどではないため、歩きにくいということもない。じっくりと表通りを見て回ったが、それらしい環は見当たらなかった。落胆する気持ちは否めない。 「……いま気付いたんだけどさ」  広い大通りをあちらこちらと歩き回り、さすがに腹が減ったと手近な店に入って息を吐く。翔が口を開いたのでレンは彼を見た。 「なんだい?」 「おまえらの環って、那月と砂月が作ったんだよな」 「うん」  繊細で華奢なデザインなのに、どこか力強さも感じる。細工物としては一級品だとすぐにわかる。惹きつけられる何かが、あのアクセサリーにはあった。それがレンとトキヤにだけ強く感じられるものらしいとは、納品された環を見た翔の言葉でわかったのだけれど。  那月と砂月を紹介してくれた翔には、とても感謝している。 「で、おまえらから聞いた話から察するに、おまえらはあのふたりに気に入られてるから……たぶん那月も張り切っただろうし……大丈夫だと思うけど」 「? 何の話?」 「砂月の細工なら那月も手を入れてるだろ?」 「ああ……そう言っていたね」  細工ができた、と知らせを受けて受け取りに行った時、那月は「気合いが入ったさっちゃんを見て、僕も気合いが入っちゃいました」と言っていた。具体的に気合いが入った箇所については聞けなかったが、二匹ともが全力で作ってくれたことはわかっている。  見せてもらっていたデザイン画通り、いやそれ以上に目を惹きつける環だ。特別な装いと言わなくても、見る人にはわかるだろう。  その片割れは、今レンの耳と指を飾っている。 「那月が不思議な力があるって話は聞いたか?」 「本人からは聞いてないけど……鹿族の、宿で食事してる時に他の鹿から聞いたよ。具体的には知らないけれど」 「そっか。……まあ詳しいことは話せないけど、もしかしたら、案外早く見つかるかも――」 「そちらの二匹連れの方!」 「……ん?」  明らかにこちらに向けてかけられた声に、声がしたほうを二匹で振り返る。 「こちらにいらっしゃったのですね」 「あれ……おまえは」 「この前の、ナイトプールの時の……」  二匹の席へやってきたのは、ナイトプールの催しに招待してくれた、たしかセシルという猫だ。  彼は人懐こい笑顔で傍までやってくる。 「セシルです、こんにちは。覚えていてくださっていたのですね」 「あの時はとても楽しかったよ。オレはレン」 「いい催しに招待してくれてありがとな。すげー楽しかったぜ。俺は翔」 「レンと翔、ですね。こちらこそ、参加してくださってありがとうございました! 楽しんで頂けたなら、何よりです」  ぺこりと頭を下げてにこにこと微笑んでいる。あの夜の礼を言うためだけに、わざわざ声を掛けたとは思えなかった。 「何かあったのかい?」  回りくどい話の聞き方もあるだろうが、直球で訊いたほうがいい。判断して問いかける。途端、セシルの表情が翳った。声がひそめられる。 「その……宿で、盗難に遭ったと聞きました」 「ああ……うん。連れのがね」  今はいないんだけど、とトキヤの不在を濁す。  セシルは細かなことは気にせず、それより憤っているようだった。 「この街で盗難が起こるなんて、まして観光客を狙うなんて、許されません。観光客に対しての犯罪は、一族同士に対しての犯罪より罪が重いのです」 「それだけ観光地だっていうことを大切にしてるってことか?」 「はい。猫族の領土は特にこれといった特産品があるわけではありません。魚介類も温泉も、他の神族や種族の街にもあります。工芸品も珍しいものはありません。そんな中、猫族の街を選んでもらう決め手として、整備した観光地と、その場所の治安の良さを挙げようと決めて、今までなんとかやってこれたのですが……」  悔しげに語るセシルの顔をじっと見ていたレンが口を開く。 「……じゃあ、犯人は猫族じゃない可能性があるね?」 「えっ?」  翔とセシルの瞳がレンに向けられる。 「オレも翔も、どこに行くのがいいかって選んだ時、最終的な決め手はやっぱり、治安の良さだったよ。いろんな神族や種族が訪れるなら、治安がいいにこしたことはないからね、安心して遊べるから。猫族のその努力は、ガイド誌にだって書かれてることだ。だから……」 「……余所の神族か種族が、この街の評判を落とすためにわざわざ?」 「あり得なくはないかなって。最近、どこかの種族や神族と険悪になったとか、モメたとか、そういうのはない?」  レンが問いかけると、セシルは思案げな顔をする。 「そうですね……他族とモメたり、険悪になったということはありませんが……」 「気になるところはある?」 「ええ。……ですが、今はそれは後回しです。あなたたちに必要なのは、もうひとりの方が奪われたものを取り返すこと。そうでしょう?」  気を取り直したようにセシルが言う。たしかにその通りなので、翔と頷き合った。正直、犯人が誰かなどということより、盗られた物が返されなければ誰が犯人であろうと意味がない。  二匹で揃いの環。  そのことに意味があるのだから。 「何か心当たりがあるからオレたちに声を掛けてくれた、ってところだと思ってるんだけど、どう?」 「当たっています。ですがその前に、あなたたちは占いを信じますか?」 「占い?」  唐突な言葉に、首を傾げる。 「信じてないってこともないけど……」 「俺は小さい頃、近所に当たるって評判の占い師のじっちゃんがいたのを見てたから、割と信じてる」 「信じない、ということはないのですね? では、ワタシの言葉も信じてもらえるでしょうか」 「セシルは占いもするのか」 「多才だね。どんなことを占って、どんな結果が出たんだい?」 「ありがとうございます。急ぎ必要なのは、盗られた物の在処だと思ったので……」  セシルが懐から取り出したのは、円筒形の木の筒。捻ると蓋が取れ、中から出てきたのは平竹ひごだ。何本あるのかわからないが、ざらざらと出てきた。  よく見ると、先端のほうにそれぞれ幾何学模様のようなガラが描かれている。模様があるのは片面だけのようだ。 「これは?」 「占いの道具です。まず、お二方が一本ずつ引いてください」  模様のほうを隠すように持ったセシルに竹ひごを向けられると、レンと翔は一本ずつ引いた。 「次にこれを……」  残った竹ひごたちをまとめると、一本ずつを縦にテーブルへ落として行った。合計五本の竹ひごが、バラバラにテーブルに広がる。 「ふむ……」  セシルが思案げに竹ひごたちを見る。 「あなたたちが引いた模様を見せてもらえますか?」 「はい」 「これだけど」  レンの引いたものは月のようなマークが、翔の引いたものには星のようなマークが黒で描かれている。  セシルは竹ひごをレンと翔から受け取ると、頷いた。そうしてまた胸元から何かを取り出す。今度は地図だ。 「今ワタシたちがいるのがこのお店です。アナタたちの宿はここ、プールはここ。目的のものの手がかりは、この店から二筋向こうの通りを左、次の筋を右、さらに三筋向こうを左に行った奥の雑貨屋にあります」  セシルが言った場所を地図で追いながら確認する。なるほど、ここか。  立ち上がりかけたレンと翔をまだセシルが制した。 「待ってください、今ではダメです」 「え?」 「夜、二十時を回って月が見えた頃に行くといいです。品物が逃げる気配はありませんし、その時間でないと手がかりが出てこないのです」 「……どういう理屈だい? いや、占いだから理屈じゃないのか」 「ワタシの言葉を信じるも信じないも、アナタたち次第。行く時は、必ずもう一匹の方と、レンとが一緒に行ったほうがいいでしょう」 「……わかった。そうする」 「夜までは時間もあります。ひとつ戻った筋を左へ少し行ったところに、衣料品を扱う大きな店があります。そちらへ行かれるのもいいのでは?」  そう言い残すと、セシルは手を振って去って行った。  残されたレンと翔は顔を見合わせる。 「俺は信じるけど、おまえと……トキヤがどうかな」 「トキヤは占いとか信じないタイプかい?」 「積極的には信じないかな。でもまあ今回はさすがに、手がかりもなさすぎるし……信じてみるのもひとつの手段だと思うぜ」 「そうなんだよね……もちろん捜索してる自警団のことも信じたいのは山々なんだけど。オレたちがここにいる間に見つけたいし」 「できることはやっとくか」 「そうだね。それでトキヤも納得してくれる……といいな」  ひとまず衣料品の店に行こう、と会計を済ませて店を出た。 「道はこちらで合っているのですね?」 「うん……合ってる……」  衣料品の買い物を楽しんだ後で宿に戻ると、出かけた時よりはマシな顔になったトキヤが迎えてくれた。たまには宿の夕食を楽しもうと、レストラン階へ移動、好きなものを頼むことにした。  出かけていた間の出来事などを互いに報告し合う。トキヤのほうは、進展はないようだ。 「占いですか」 「そう、占い。トキヤは信じる?」 「占う内容によると思いますが……」 「じゃあまったく信じないわけじゃないんだね」  実は、とセシルと会った時のことを詳しく話していく。  話が進むにつれトキヤの眉間の皺が深くなっていくのはどういうことだろう。ちらちらと翔を窺うが、彼も困惑した様子だった。 「……なるほど。では時間通りにその場所へ行ってみましょう」 「いいのかい?」 「疑えばキリがありませんが、他に手がかりらしいものもない。万が一にも情報が偽りで何かの罠でも、この三人ならなんとかなるでしょう」  レンと翔の力量は信じているようだ。 「セシルさんが言ったのが、環の在処ではなく手がかりという点と、行くだけで何もしなくていいのか、という点は気になりますが……それこそ行けばわかるのでしょうね。少し小細工が必要かもしれませんが、まぁ慎重になるに越したことはないでしょうし」  後半のほうはほとんど呟きで、よく聞き取れなかった。けれど話を結論付けたらしいトキヤが枝豆のポタージュにスプーンを入れる。  物騒なことにならなければいい。その時はこちらの三人ではなく、相手がどんな目に遭うかわからないから。トキヤの能力は疑う余地もないので、ぼんやりとそんなことを思いながらレンはタンドリーチキンを噛み切った。  というのが一時間前のことで、現在時刻はあと五分ほどで指定時間になろうとしている。  指定された雑貨屋は、通りの突き当たりにあった。  こんなところまで観光客が来るのか疑問はあるが、看板は出ている。他の店はとうに看板をしまっているのに、あの店は開いているようだ。 「時間ですね」  トキヤが呟くと、迷わず店へと向かう。そうして躊躇わず、木のドアを開けた。 「……これは」  店内は、どうやら修羅場だった。  カウンターの向こうの店員と、こちら側にいる客が何やら言い争っている。 「で・す・か・ら! そんな物騒なシロモノ、ウチの店では扱わないと言ってるんです!」 「何でも取り扱ってる店だろう?!」 「一部例外商品もあります!! とにかく、話を聞いただけでヤバいとわかるような物を当店で扱うわけには――あ、いらっしゃいませ」  ようやくトキヤやレンに気付いたらしい糸目の店員が、愛想の良い笑顔を向けてくる。言い争っていた体格のいい客は舌打ちをして「また来るぞ」と言い捨てて出て行こうとした――ところを、トキヤが男の手首を掴む。 「なんだァてめえ」 「……占いをまるまる信じたわけではありませんでしたが……たしかに手がかりがありましたね」 「何をぶつくさ言ってやがる……ったたたた! 手を離せ!! ったたたたたたた!!」  トキヤが手首を掴んだ手に力を込めたらしい。この時点でレンと翔はトキヤから一歩引いた。 「あなたがこの店に持ち込もうとした品物のこと、詳しく話を聞かせてもらおうではありませんか」 「はあ? なんで見ず知らずのやつに」 「いま知り合ったでしょう? それだけでは不足ですか?」 「いたたたたたたた充分ですぅ!」  また力を込められたらしい。男の顔が醜く歪む。  傍から見ている分にはコメディなのだが、掴まれているあの男はそれどころではないだろう。――レンには既視感がある。多分あの決闘の時だ。トキヤは悪くないのに、どうも男のほうが憐れに思える。  傲岸不遜にトキヤが頷く。 「よろしい。では品物の在処まで案内しなさい。場合によっては買い取ることも考えなくもないです」 「わ、わかった! わかったから手を離せ!」 「は?」  ドスの効いた声に男が一瞬震える。 「離してください!!」 「いいでしょう。言っておきますが、おかしな真似をするそぶりでも見せたら……今の倍以上は痛いことをしますからね」  アッサリと手を離す。店員はこうしたことに慣れっこなのか、動じる気配はなかった。  そうして、ついて来いと言ったいかつい男の後をついて店を出、通りのさらに細い道を歩いていく。 「……あまり良くない気配がするね」 「見られてるな……」  街灯はまばらにしかない薄暗がりの中、レンの夜目はきいていた。確たる姿が見えないのは、相手が様々な物陰に隠れているせいかもしれない。  トキヤは構わず進む。  男が逃げられない間合いを保ち、後をついている。あれはそんじょそこらの破落戸程度なら、伸してしまえる自信があるからだ。  十五分ほど歩かされただろうか。  男が不意に立ち止まり、民家のドアを指差した。この街でよく見る、一般的な二階建ての家だ。  トキヤが冷たくその先を見つめてから、男に視線を戻す。 「あなたが開けなさい」 「ええっ?!」 「できませんか? ……まあいいでしょう」  ふ、と息を吐いて見えない何かを払ったような仕草をした後、トキヤは特に躊躇わずドアを開けた。  男がニヤリとイヤな感じで笑った気がしたが、次の瞬間に凍りついたのは男のほうだ。 「なっ……」  家の中は間取りらしいものはなく、ただ広間のような空間と頑丈そうな机と椅子、もしかしたら奥に部屋があるかもしれないドアがあった。  その空間、床の上には何人かの男たちが転がって――這いつくばっている。そうして、絶句した男もまた、床の上に這いつくばった。  レンと翔が驚いたのはわずかの間で、すぐにトキヤが術を使ったのだとわかった。男たちの周りを見れば剣やナイフが落ちていて、何をしようとしていたかは明白だ。 「尾行されていたことは知っていました。ですからおそらく荒事になるだろうという予測もあったので、先手を取らせてもらいましたよ」  男たちを冷ややかに睥睨するトキヤが、足音も立てず室内に入る。中を見回すと、奥で潰れている太った狐族の男の傍に立つ。 「質問をしましょう。答える・答えないはあなたの自由ですが、私は虫の居所がここ数十年で一番か二番に悪い。そのことを念頭においてください」 「破落戸の脅し並にタチが悪いな……」 「実力があるところと有言実行するところは、それよりタチが悪いと思うよ……」  トキヤに聞こえないようにひそひそと話しながら、レンと翔も室内へ入った。万が一の場合、破落戸たちを抑えるつもりだ。 「鹿族の作った環、耳環と指輪。ここにありますね?」 「へっ、何のことだか……」 「虫の居所が悪いと。私はそう言いました」  答える・答えないは自由とも言っていたような記憶がレンにも翔にもあるが、そこは黙っておく。  男たちはいっそう術の圧を受けたらしい。憐れで惨めな呻き声が地べたを這う。 「もう一度同じことを聞きましょう。答えがないようでしたら、次は空中散歩でもしてもらいましょうか。それとも、命綱のない状態で高所から落ちるほうがお好みですか? 大丈夫です、殺しはしませんよ。さすがに問題になりますし、問題にならないようにしても揉み消すのは大変ですからね」  大変でないなら揉み消すことも厭わない言い方をする。よほど腹に据えかねているらしい。今までにトキヤを怒らせたことはないが、絶対に逆鱗に触れることはないようにしよう。翔と目配せし合う。  男たちは縮み上がっているように見えた。悲鳴もないのは重力のせいだろうけれど。 「鹿族の作った環、耳環と指輪。ここにありますね?」  先ほどと一言一句違わぬ言葉で訊けば、ある、あります、と男たちが力のない声で全力で頷く。 「よろしい。ここにありますか?」  全員が大人しく頷く。だんだん力なくなっているように見えるのだが、大丈夫なのだろうか。トキヤが術の加減を誤るとは思わないが、怒りで冷静さを欠いている可能性もなくはない。レンと翔は注意深くトキヤを見つめる。  そうしてどこにあるかを聞き取ったトキヤは、術はそのままにして男たちが白状した場所を漁る。部屋の奥にある上等な机、その引き出しから箱を取り出した。どうやら鍵付きだ。鹿族の作った宝飾品の価値を充分理解しているらしい。 「鍵は別のところに保存しているようですね。そうでしょうそうでしょう、私でもそうします」 「鍵、探すか?」 「それとも教えてもらう?」 「不要です」  手のひらに置いた20センチ四方ほど、高さ15センチほどの箱が、見る間にぐにゃりと歪み――蓋が開く。わざわざ男たちに見えるように歪ませたあたり、脅しをトドメのようにきかせている。  レンもなんとなく翔と身を寄せ合った。 「……ああ、ちゃんとある。どうやら本物のようですね。……これで偽物でも掴ませようものなら、あなたたちの身は保証しませんでしたが」  感心感心、と他人事のようにいうが、男たち、彼ら自身のためにも、素直になってくれてよかったと思う。 「……そろそろでしょうか」 「? 何がだ?」  トキヤの呟きを翔が拾う。 「通信猫に、お願いしていたんです。宿のね」 「ああ……郵便用の?」  それが何故いま話に出たのか。問いかけると、トキヤが頷いた。 「私たちが同じところに十五分以上留まることがあれば、すぐに自警団へ『宿の客の身に何かあった』と連絡して下さいと」 「……小細工って、それ?」  たしか宿を出る時にそんなことを言っていた気がする。問えばトキヤは頷いた。 「ええ。打てる手は打っておくに越したことはありませんから」  取り越し苦労なら、それはそれで良いのだとトキヤは言う。たしかに、どういう展開になるかわからなかった以上、誰かの手が入るほうがいいこともあるだろう。主に、トキヤがやりすぎないためにも。 「まあ……これでも充分、やりすぎだと思うけど……」 「だな……」  遠くから聞こえる足音に、男たちは心から安堵したかもしれない。少なくとも身の安全が保証されたのだから。 「せいぜいしっかり罰を受けるのですね」  冷たくトキヤが言い放つと、ドアが大きく開かれた。 「無事で良かったです!」  翌日、市場の食堂でとっていた昼食の席にやってきたセシルが席の空いた場所にちょこんと座り、笑顔で言う。 「話は自警団の団長から聞きました」 「どうりで耳が早い。あなたの占いのお陰で、無事に環を取り戻すことができました。ありがとうございます」 「いいえ。本当はワタシが行けたら良かったのですが、ワタシが直接関わると、歪んでしまいますから……」 「歪むって?」 「占いの結果通りにならないのです。ですから、ワタシではダメでした」  お手数をおかけしてスミマセン、としょんぼりした様子で頭を下げてくれる。トキヤは「いえ」と首を振る。 「私の物ですから、私が見つけられてよかった。貴重な情報をありがとうございました、セシルさん。……長、とお呼びしたほうが良かったでしょうか?」  セシルの耳と尻尾がぴん! と立ち上がる。 「知っていたのですか!?」 「えっ、セシルって猫族の長なのか?」 「品があるなとは思ってたけど……」 「その……騙してしまっていたようで、スミマセン……」  再びしょぼ、と項垂れたセシルの背を、翔がバシ、と叩く。 「騙してたわけじゃねーだろ、ただ黙ってただけだ」 「そうそう。それにトキヤだって、実行犯に制裁を加えられたからスッキリしてるはずだよ」  そうだよね、と念押しのようにトキヤを見ると、微苦笑される。 「まあ……その通りですが。このふたりの言う通りでもあります。あまり気に病まないでください」 「今回捕まった彼らは、色々な窃盗に関わってきたのですが、決め手がなくて……その手助けをしてもらったようなものでもあります。歯痒い思いをしていたので、ワタシや、自警団一同感謝しているところなのです。ですから、このご恩に報いるため、ワタシたちはお礼をしなくてはなりません」  セシルは懐からカードを取り出した。見た目は黒く、白のラインで猫の絵が描かれている。ちょっとかわいい。 「これは……?」 「この村でのみ使える、魔法のカードです。宿泊費、飲食代、遊興費、お土産代、何もかもを大幅に割引サービスします!」 「ええ?」 「本当は無料サービスにしたいところですが、無料にしてしまうと使ってくれないのではないかと思ったので……」 「……正しいですね」  トキヤが笑う。  レンや翔にしても同様だ。無料になれば、かえってカードをしまい込んで使わずに過ごしてしまうだろう。 「有効期限はアナタたちが滞在する期間に設定してあります。その間、ゼヒたくさん使ってください」  では失礼します、と言って手を振り、セシルは行ってしまった。  三人はもらったカードをしげしげと見つめる。 「……カード自体も思い出にはなりそうだね」 「このデザインかわいいよな。お土産で猫の絵がついた何か、あるかな。藍にもお土産にしたい」 「音也は食べ物のほうが喜びそうですね……ハヤトは一風変わった玩具かそのあたりでしょうか」 「カミュはやっぱりお菓子がいいかな……たくさん要ると思う?」  銘々、食後は思い思いの相手に土産を見繕い、食べ物などは帰り際に買おうと話がまとまった。 「帰るのは明後日だよね?」 「ええ……思いがけないことで滞在期間を延ばしましたから」  休みを多めに申請していてよかった、とトキヤが言う。結果として、その通りだ。 「明後日まで、楽しみましょう? ひとまず、今日と明日はどうするんです?」 「山側のほうに、遊園地があるって聞いたよ。そっちにも行ってみたい」 「スリルたっぷりのアトラクションがあるって話だよな。こっちも楽しみにしてたんだ」 「では、道案内はあなたたちに任せましょう。よろしくお願いしますね」 「おう! 任せとけ」 「楽しもうね」  中断していた食事の続きをとりながら、今日と明日は遊園地で、遊園地にはどんなアトラクションがあるのか、そんな話をしながら穏やかに過ごした。
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たのしいなつやすみ編でした。
ところで「破落戸」は「ならずもの」と読みます