「あとどれくらいで着くんだい?」
小川の流れる森の中、岩に広げられた昼食に目を輝かせつつ、レンが問いかけてくる。
「夜には着くでしょう。日中の暑いうちは駆龍も体力を使ってしまいますから……今は少し休ませてやりたいですしね。日が少し落ちるまでは、私たちも駆龍も休み時間です」
その駆龍は、一度荷を下ろしてやると小川の浅いところですっかり身を浸して涼んでいる。
「そうだね、一番暑い時間帯はあの子たちも暑いよね……」
紐のついた布を木の枝へくくりつけ、大きな日陰を作る。昼間は太陽がほとんど真上で木陰が小さいから、こうやって広い木陰を作るのが外での休息時間ではよくある。
周囲は森だから大きな木々の枝葉でだいぶ影は出来ているが、気分というやつだ。
「暑さ・寒さに強くて丈夫でも、体調を崩してはいけませんし。薬は色々持っていますが、専門医ではありませんしね。ああレン、駆龍に食事をあげてください」
「わかった」
トキヤの駆龍は果物を好む。レンタルした他二頭は、それぞれ野菜と肉を好むようだった。もちろん好むものだけではない。神族以上に食べる駆龍だが、彼らの食事は栄養バランスの考えられた専用フードがあり、好む食事だけでは足りない満足感を与えられる。栄養が凝縮されているのだ。フードに加えて果物や野菜や肉を与えるようにしている。
「トキヤ、昼食はこっちだ」
「では、この岩に広げましょう。ちょうど平たくて卓のようですし」
レンが駆龍に食事を与えているのを横目に、トキヤと翔は早朝から作った弁当を大きな岩の上に布を敷き、広げた。
数種類の具を変えたおにぎり、サンドイッチを中心に、ウインナーや卵焼き、唐揚げ、炒め物、肉を焼いたものやお茶。器はコンパクトに、後で捨てられるもので包み、お茶は飲み物を携帯するのに便利だから細身の水筒をそれぞれが一本ずつ持っている。
駆龍に餌をあげ終えたらしいレンが、小川を覗き込んでいる。かと思うと、尻尾がピンと跳ねた。何かを見つけたらしい。
「……おチビ、お昼にもう一品足していいかい?」
「え? そりゃ構わないけど、いったい何……おわあっ?!」
翔の顔にびたんと貼り付いたのは、小魚が一尾。
「なっ、なんだよ?!」
「ん……ちょっと小さかったか。もう一尾いくよ」
「あ!? おっ?!」
レンが跳ね上げた魚を、今度は危うげなくキャッチする。そしてもう一匹。
「……手で獲ったのか」
「まぁね。巧いだろう?」
「器用だな……」
翔がこの場で調理するなら塩焼き一択だろう。トキヤは細いが真っ直ぐでしっかりした枝を三本拾うと、形を整えて翔へ渡す。それからよく乾いた枝をいくつも集め、石も集めた。簡易の竃状のものを作るのだ。
「以前も私と狩人の仕事の時に獲ってましたね。どうやって獲ったんです?」
「こう……魚の影を見つけたら、パッと……」
手を素早く振り抜く仕草をする。川の中から掻き出したようなイメージだろうか。熊が鮭を獲るのと同じ要領だろうが、器用なことをする。
「ひとりで暮らしてた時に身につけたのさ。まあ……虎神を出てからは、使う機会もなかなかないけど」
「いざという時助かるな。いざって時がないほうがいいけど」
翔が笑いながらトキヤが集めた枝や小石を組み上げ、簡単な焚き火をする。器用に組んだ枝の上に、枝を刺した魚を三尾並べた。火加減はもちろん、翔の担当だ。
「じゃ、食べようぜ」
「いただきます」
「いただきます」
「いただきます!」
「お弁当、楽しみにしてたんだよ」
本当にうきうきとした顔でレンが言い、さっそく昆布のおにぎりに手を伸ばす。
どれもこれも大ぶりのおにぎりは、主にレンと翔のためにトキヤが握ったものだ。代わりにサンドイッチは翔が作ってくれたので、トキヤはサンドイッチに手を伸ばした。
葉物の野菜にチーズや生ハムなどが惜しみなく入れられ、たっぷり塗られたバターとの相性がとても良い。レンはツナわさびマヨネーズと葉唐辛子のおにぎりが気に入ったらしく、とてもいい笑顔で食べている。
程よく焼けた魚は、臭みもなく塩のおかげもあり、身は甘い。これなら内臓ごと食べてしまえる。
「翔もレンも、食べ終わったら少し日陰で昼寝をしても構いませんよ。休憩は取りますが、まだしばらく駆龍に乗りますし」
せっかく遠出をするのだからと、目的地に行くまでに少し遠回りしているせいもあるし急ぐわけでもない。楽しさ優先でもあるから、と付け足す。
「駆龍は休ませてあげたいけど、オレは大丈夫だよ」
「俺も。休みを小刻みに取りつつ進むのもアリじゃね?」
「なるほど、それもいいですね。駆龍もまだまだ元気そうですし……」
食事を終えた駆龍たちは、冷たい小川に身を浸したり、彼ら用に作った日陰で休んだりしているが、へばっている様子はない。おやつ代わりにもなる彼らの好物も充分持って来ているし、機嫌も良さそうだ。
体力は飛龍には負けるかもしれないが、少し無理をさせればもっと先まで走れただろう。トキヤ一匹ならそうしたかもしれない。けれど、この旅にはレンも翔もいる。翔は里帰りの時くらいしか駆龍には乗らないだろうし、レンは一匹で駆龍に乗ったことなどないから、無理はさせられない。安全第一、余裕をもって目的地まで行く。
行くだけが目的ではないのだから。
「……では、食休みしたら行きましょう。今はお弁当を残さないことが、最大のミッションですよ」
「オレがいて、残ると思う?」
「心強いですね」
「そー言うと思って、トキヤとたくさん作ったんだぜ!」
翔と顔を見合わせ、ふふふと笑う。レンは驚いた顔をした後、嬉しそうに笑み崩れた。
初めての三匹旅。浮かれるのは仕方がなかった。
結局、目的地へ到着したのは日が暮れて――夕食にほどよい時間となった頃だった。
ひとまず予約していた宿でチェックインし、荷物を置いてしまうと、貴重品を持って改めて集合した。ちなみに部屋は翔は別にした。これは彼のために必須と言っていい。
「観光は明日するとして……晩飯はどうする?」
「あなたたちがチェックしていないとは思っていませんよ」
休暇を過ごす場所を決めたのはレンと翔だ。それはもう、観光用の雑誌や情報をたくさん集め、服だって新調したのだから気合いが入っている。なお、行きと帰りはほぼ移動のため、新調した服は明日以降着ることにしているらしい。トキヤもレンと翔にそれぞれ見繕ってもらった衣服を持って来ていた。
翔とレンは顔を見合わせ、にこりと笑む。
「ま、トーゼンだな。レン、どっちに行く?」
「今日は一応移動で疲れてるから、宿に近いところにしないかい? ほら、あの定食屋みたいな……」
「ああ、地元のヤツがオススメっていう……じゃあ、そっちにしよう」
すんなりと決まると、ふたりに案内される形で店へと連れて行かれる。
道々、あたりを見回すのは楽しい。それはここが神族・種族が違う街だからかもしれないし、休暇で浮かれているせいもあるかもしれない。
地元の種族が勧めるだけのことはある店で食事と酒をほどほどに楽しむと、三匹はまた宿へと戻った。
三匹がやって来たのは、バカンスを過ごすリゾート地として人気がある猫族の街だ。その中でも海沿いの一帯は観光地として特化しており、様々な施設が訪れる神族・種族たちを楽しませる。ちなみに山側は温泉地として知られていた。
中でも浜辺から繋がった広大なプール施設は特に人気があり、子どもは勿論、成神老神も楽しめるともっぱらの評判だった。
三匹も、朝食を食べた後に早速と支度を調えて巨大プール施設へと向かう。宿からは徒歩五分のところにある。逆に考えると、どうやらプールが近い場所に宿を取ったらしい。
「それにしても……猫族は虎神族の眷属でしょう? 虎神族は水が苦手だと聞いていますが、猫族は平気なのですか?」
「いや、むしろ猫族のほうが水は苦手じゃないかな」
レンが首を傾げる。
「水は苦手だけど、肉の他に魚介類が好きなんだよね。だから漁業はもともと盛んだけど、海に出るのは他の種族や神族を雇ったりしてる場合が多いみたい。もちろん冷たい水が苦手なだけで、温泉は好きっていうヤツも多いよ」
「雨も好きじゃないからどこでも軒先に長い庇があるもんな」
ガイドブックで仕入れた情報だけど、と注釈がつく。
長い庇は日除けかと思ったが、雨除けとは思い至らなかった。
「なんで濡れるのがイヤなんだ?」
翔の素朴な問いに、レンが眉尻を下げる。
「毛並みがね……整えるのが大変だし……」
「同じ毛並みでも、狼神族とかは大丈夫なんだろ?」
「そうだね、彼らはあんまり気にしないって聞いたことあるよ。毛質の違いもあるかな?」
「……虎神も猫も、繊細なんだな……」
「龍は毛がないもんねえ……」
「水気は基本的に好きだからな。俺も好きだし」
「それにしては、よくこの場所をバカンスに選びましたね?」
トキヤの疑問に、レンが言葉に詰まった顔をする。
「それは……その……」
横から口を挟んだのは翔だ。
「レンも風呂は好きになったみたいだからな。温水プールもあるし、何より、トキヤの裸を明るいところで健全に見たいって……」
「おチビ!!」
翔の口を今までに見たことがない速さで塞ぎ、話を強引に中断させたレンが、
「なんでもない、本当に何でもないから」
と誤魔化してくるが、聞き捨てならない言葉を聞いたような気がする。だが、ここで突っ込むのは野暮というものだろう。――気付いたことは口に出してしまったが。
「……それで水着を選ぶのが楽しそうだったわけですね……」
「何でもないったら!」
「そういうことにしておきましょう」
笑っている間に到着した。
ゲートをくぐって、受付はレンと翔がしてくれる。一日フリーパスをそれぞれ購入し、手首に外れにくいバンドを装着。財布がなくてもバンドに内蔵されている金属に会計情報が記されるため、帰り際にまとめて清算出来るのが良い。会計はもちろんトキヤ持ちである。
水着は、三匹とも青が基調だが、色合いが異なる。抜けるような青空の色はレン。白とグレー、オレンジのラインがポイントだ。翔は水色、トキヤは夜を思わせるような濃紺。白い肌がよく映える。
水着や肌の上に羽織る上着は自前だが、三匹とも色違いのお揃いだ。撥水が良く、すぐに乾くので不快感がないのがありがたい。もっとも、いざとなれば術で水気を飛ばすこともできるが。
「最初はどこから回るんですか?」
「明日も明後日もあるからな。まずは近いところからだな」
「お昼は施設の中に屋台村みたいなところがあるんだ。夜は市場の中に美味しい酒菜を出してくれる店があるから、そこに行くつもり」
「すっかりツアーガイドみたいですね……」
感心しながら、連れられるがままに最初のプールへ連れられていく。
幅広いプールは水深が低い。浅い浜辺のような造りだ。けれどよく見れば、奥から手前へと波が寄せているよう。子どもが多いが、だからといって大人がいないわけではない。
「レンにはいきなり海に行くよりは、こういうプールで慣れていくのがいいだろうって思うんだ」
「浅瀬で遊ぶ感覚でしょうか。いいですね。もっと深いプールなら浮き輪の貸し出しもしているみたいですし……ああ、ボールの貸し出しもしていますね。ああいうものを使って遊ぶのも楽しそうです」
「まずは試してみないとね」
水が届かない場所には榻もいくつかと、ビーチチェアなども置いてある。いきなり疲れるほど全力で遊ばないとは思うが、様々な趣向がそれぞれのプールに凝らされているのだなと窺わせた。
お子様用プールで体慣らしをした後は、健康増進も兼ねたプールへと移動する。ここは温水プールで、猫族の領土の中でも山のほうにある源泉から湯を引いた、温泉プールでもある。
温泉の圧力や浮力などを活用した遊泳プールやアトラクションのようなプールもあり、かなり広い敷地が取られているにも関わらず盛況だ。
「あったかい……! 気持ちいいね! お風呂みたいだ」
レンにも好評だった。
「温泉の湯を使っているそうですから、効能も期待出来ますね。この、水力に反して泳ぐプールも……なかなか楽しいです」
「流れるプールに浮き輪で浮いてるのも楽しいよ」
「レン、あっちにウォータースライダーがあるぞ。ちょっと行ってみようぜ。浮き輪は持ったままでいいからさ」
やや興奮している翔に引っ張られて行ってしまったレンを見送ると、トキヤは一度休憩しようとクッションの効いた榻に座る。まだ疲労は感じないが、楽しさは感じていた。普段体験しないようなことを体験しているからだろう。
榻のある場所からも、翔がレンを連れていったウォータースライダーは見える。高さはそんなになく、真っ直ぐと多少深さのあるプールへ落ちる仕組みらしい。しっかり浮き輪に捕まっていれば、溺れることもないはずだ。
翔が楽しげな声を上げてレンと一緒に滑り落ちてくる。レンの声が聞こえなかったのは、もしかしたら緊張しているせいか。
直線のスライダーだから、すぐにどぼんとプールへ落ちる。大きな浮き輪を抱いていたレンは、と目をこらすと、なんとか沈まずに済んだようだ。翔が水面から顔を出すと、ふたりで楽しげに笑っている。手振りで何か話していたが、どうやらもう一度滑るようだ。気に入ったらしい。
「……仲間に入れてもらいましょうか」
ずいぶん楽しそうだ。せっかくのバカンス、普段の自分の印象とはかけ離れた、楽しいことをしてもいいはず。それにトキヤだって予定を聞いた時には子どものように胸が躍ったのだ。
「楽しそうですね。私も仲間に入れてください」
「おー! おまえもこれ、滑ってみろよ。一回やると病みつきになるし……この奥には、もっとすごいスライダーだってあるんだぜ?」
それまでの腕慣らしだ、と翔が笑う。目が輝いていて、珍しく興奮しているのがわかる。
「本当かい? それは楽しみだ」
「レンは浮き輪を放すなよ。ひっくり返ったら水を飲むだろうから」
「わかった」
素直に頷いて浮き輪を持ち直しているのは、子どものようでかわいらしい。
この後二回スライダーを楽しんだが、トキヤも大いに楽しんだ。
「は〜、昼飯も色々選べて楽しいな」
「いろんな神族や種族が観光に来るということですから、それぞれに合った味付けや料理を出しているのでしょうけれど……膨大でしたね」
屋台のあるエリアがまずちょっとした学校のグラウンドほども広かったし、エリアマップを見てもあらゆる神族の料理が食べられるのではないかと驚いた。
「龍神族の街でも食べられないものを食べられるっていうのがいいね」
「レンは何にした?」
「俺は狼神族と獅子族の肉料理と、熊神族の魚料理……あと象神族の野菜料理をちょっとだけ」
野菜も食べないとトキヤが怒るからね、と一応の理由もくれる。皿を見ると、どの料理もスパイシーそうだ。レンの好みに合いそうなのは間違いない。ただここはセルフサービスのため、よくこんなに皿を持っていられたなという感想は仕方ない。
「翔は?」
「俺は鳥神族の肉料理と、猿神族の丼。トキヤは……さすが、バランスがいいな」
「せっかくですから、猫族の魚料理、豹族の肉料理、馬神族の野菜料理にしました。どれも美味しそうで、本当に迷いますね……」
食事エリアも充分な広さとテーブルの大きさがある。レンがトキヤの倍ほどの皿を持って来ても大丈夫だった。
頂きますと手を合わせてからそれぞれの料理に箸を付ける。
半ばほど食べると、各自の料理を味見がてらの回し食い。行儀は悪いが、様々な料理を食べられるのは、やはり楽しかった。
「魚料理は龍神族のもいいけど、熊神と猫族が良かったなぁ、俺としては熊神のほうが好みだけど」
「そうですね。私も象神の野菜は良かったです。鳥神の唐揚げも良かったですね」
「豹族の肉料理は初めて食べたけど、お肉が柔らかかったな……」
それぞれの感想を口にしつつ、食休みを取り、次に回るプールの算段をした。
「楽しんでいらっしゃいますか?」
三者三様に榻へ寝そべっていると、見知らぬ者に頭側から顔を覗き込まれた。
「……誰です?」
彼の頭に猫耳がついていることを確認し、体を起こす。
褐色の肌に黒の耳、細身の尾はよく似合っていた。
「私はセシル。猫族の者です。ここを訪れた者が笑顔でいられることを喜びとしています」
「押し売りか?」
「違います!」
きっぱりと断言したセシルと名乗った若者は、どこからともなく手紙を取り出した。少し厚みがある。
「これをどうぞ」
「? なんだい? これ」
「これはなんと! 招待状です!」
「招待状?」
三人ともが首を傾げる。
「そうです! これはナイトプールで行われる催し物への招待状です!」
「ナイトプール? 夜も営業しているのですか?」
「毎日ではありません。一週間ごとに夜も営業して、楽しんでもらっています」
「ああ……ガイド誌に書いてあったような」
「それがたまたま今日なんだ? 何をやるんだい?」
「ノン! それは内緒です。この招待状――手首に巻くバンドですが、これはナイトプールと催し物の入場券を兼ねています。これひとつで四人まで入れるので、あなたたちは全員入れます」
今度は三人が顔を見合わせた。
「どうする?」
「どう考えても怪しいぞ」
「まあいきなり声を掛けられた時点でアレですが……夜に予定はありませんし」
このふたりにはワクワクすることがたくさんあるのも良いだろうと思えたし、何があっても三人でなら切り抜けられるだろう。それなら、旅の思い出に色を添えるような出来事があってもいいのではないか。
「わかりました。その招待状、受け取りましょう」
「ありがとうございます! 開始は二十時からなので、十分前くらいには来て頂けると助かります」
集合場所はプールの入口横にある待ち合わせ兼休憩所で、水着に着替えておくことが条件になるらしい。
「二十時なら、晩ご飯を食べて少しゆっくりしてから来られるかな」
「散歩して腹ごなししたらちょうどいいかもしれねーな」
「一度、十六時くらいにはプールを出ましょうね。水の中で遊ぶのは、普通に遊ぶよりも疲れますから。休憩しないと疲れが残ります」
一度宿に戻って休憩するのもいいし、夕飯前に軽くお茶をしてもいい。初日なのだから、焦る必要はなかった。
「ナイトプールで何をするかもわからないしね。楽しみだ」
「催し物ってなんだろうなあ」
「楽しみですね」
「なんだろうね、ドキドキするよ」
機嫌の良い愛しい虎を眺めながら、トキヤはなんだか優しい気持ちになった。
「ようこそいらっしゃいました。我らがビーチリゾート・ナイトプールのパーティー、是非楽しんでください! 今夜は大好評の、ホラー&ミステリーナイト・迷宮編です!」
「ちょっと待て、聞いてないぞ」
小声で突っ込んだのは翔だ。
「まあ……催し物としか聞いていませんからね……」
「案外少人数だね。二十組くらいかな……?」
セシルと名乗った青年の注意事項を聞けば、プールで開催されるのはどうやら、お化け屋敷だとか肝試しだとか、そういう類いのものらしい。わざわざプールで行う理由は、プールを使う場面もあるからだとか。
「ホラーナイト専用区画で行います。ですから、ナイトプールの一般のお客様のことは気にせず、充分に楽しめると思います」
そのための招待状ですから、と人懐こい笑顔をみせてくれた。
それから説明は諸注意になり、仮に驚いたり条件反射であっても術は使わないこと、使った場合は退場となることを教えられる。
「途中途中で指令書や問題を置いています。制限時間内で無事に迷路を抜け出せることと、指令書・問題の消化率で勝敗が決まります。参加した皆様に漏れなく記念品のプレゼントもありますが、それとは別に、トップから五番目のお客様までには豪華景品も用意しています。楽しんでくださいね!」
セシルの説明に、トキヤは指を口許に当てて頷く。隣で翔とレンも同じ顔をしていた。
「なるほど……ホラー要素があるため、早く抜け出したい気持ちはあるものの、ミステリー要素として設問に対する解答をしなければならないことで抜け出しにくくして……」
「おまけに迷宮だから、正しい道順かも手探りで……」
「チームワークが鍵になりそうだね」
こくりと三匹ともが頷く。
チームワークなら問題ないはずだ。身体能力も、知恵も問題ない。
楽しくなりそうだ。思っていると、各チームの入場ゲートへ案内された。
「さすがに疲れたぁ……」
宿で翔と分かれた部屋、ふかふかの牀に埋もれるようにレンがばたりと倒れ込む。
ホラー&ミステリーナイトとやらは、内容が盛り沢山だった。基本的にはミステリーだが、そちらに集中しようとするとホラー要素が襲いかかってくる。驚いているうちに見落とす手がかりもあったりして、まったく油断ならないアトラクションだった。その分楽しかったのも事実だし、手がかりを求めて暗いプールに潜るのはドキドキしたものだ。
結果は二位だった。さすがに本気を出しすぎるのもいかがなものかと迷いが一位を阻んだ結果だ。
商品は滞在中の施設利用フリーパスチケットと、街の店ならどこでも使える商品券(兼お食事券)だ。二日分くらいはこの券で賄えそうだし、土産を買ってもいいだろう。
大の字で伸びているレンの頭をよしよしと撫でる。
あんなに密度が濃かったのに、イベント自体は二時間で終わった。それからまたお腹が空いたという二匹と遅くまで開いている屋台を巡り、現在は日付けが変わるちょっと前。あの広いリゾート施設の中でどれほど歩き、走り、泳がされたのかはわからないが、疲れるわけだ。
「シャワーは起きてからにするといいですよ。目も覚めるでしょうし」
「んんー」
転がって横向きになったレンが、じっと見上げてくる。何か言いたげだ。レンの長い前髪をかきあげるように頭を撫で、露わになった額に口付け、言葉を促した。
「どうしました?」
「……おまえに触りたいのに……」
悔しげに言うのは、さすがにそこまでの気力体力は尽きているということだろう。壁走りもしたし、まだ慣れないのに強制的に泳がされもしたし、そもそも日中はずっとプールで遊んでいたのだから、体力も尽きるわけだ。
「明日もありますよ」
「……おまえは触りたくないの?」
「何故そうなるんです? 触りたいですが、今夜は無体にしかなりませんからね」
だからしません、というと恨めしそうに見上げられた。
「なんでおまえは体力残ってるの……」
「ペース配分していましたから……?」
「…………オレが子どもみたいじゃないか……」
「楽しかったんでしょう? 私だって考えていた通りのペース配分にはなりませんでしたよ」
ころんとレンの隣に寝転ぶと、レンを抱き寄せる。
「明日はプールはお休みして、周囲の散策やお土産の下見をしようって決めたでしょう? 明日は体力にも余裕があるでしょうから……ね?」
明後日はまたプールか海に行く予定だが、今日よりはずっとラクだろう。また催しに参加することもないだろうから。
抱きしめてあやしているうち、レンも少し納得してくれたらしい。こくりと頷いてくれた。
「それに三日もシないのはそうそうありませんでしたからね……私が欲求不満でないと思わないことです」
「ふは。……えっち」
「触られたいくせに何を言うんですか」
「……まあ、そうだけど」
腕の中に閉じ込めてしまいたいと思いつつ、抱きしめたレンのこめかみに口付ける。
「お互い疲れていては半端になってしまうでしょう? 明日シましょうね」
「……予告されるのも、なんだかアレだけど……わかったよ」
ようやくレンからも腕を回してくれて、隙間もないほどくっつく。互いの体温が、空調が効いた中では心地よい。
「おやすみなさい、レン」
「おやすみ、トキヤ」
目を閉じると、すぐに眠りの波が押し寄せた。