09 龍のトキヤと虎のレン

「ブランドものも良いとは思うんですが、ピンとこないんですよね」  食後のお茶の時間、トキヤがぽつりと漏らす。  何の話かといえば、リングの話だ。  耳や角、指にレンと揃いで着ける、装飾環の話。  このところ休日になるたびトキヤとレンはふたりでデザインの本や店に足を運んで様々なリングを見たが、どれもいまいち響かない。 「正直オレも、トキヤに似合う物と思って見ると、ピンとこないかな」  これは、まだ時期ではないということだろうか。決まる時は見た瞬間に決まる者もいると聞くと、ここまで悩んでいるのは時期尚早なのではないかと思える。  レンは、自分用に作られたぴりぴりと辛いクッキーをつまむ。 「しばらく先延ばしにしたほうがいいかもしれませんね……」  一刻も早く、と思っているのは、レンよりトキヤのほうだと自覚がある。独占欲がトキヤのほうが強いのだろう。  そこへ、翔が茶のおかわりを持って来た。 「また悩んでるのか?」 「ええまあ……なかなかこれといったデザインに出会わなくて……」 「じゃあ作っちまえよ」 「え」 「テイルヴェール作った時みたいにさ、オリジナルのデザインで。細工ものは鹿族が得意だろ? 有給まだあるんだし、行ってくればいいじゃねーか」 「オリジナルのデザイン……」  なるほど、それなら好みに合ったものになる。 「さすがおチビ、よく気が付くね」 「チビと気が付くのは関係ねーだろ。鹿族なら紹介できるやついるし、手紙書いてやるから、行ってくればいい」  幸い鹿族の土地は龍神族の街からそう離れてはいない。眷属である上、関係も良好だし鹿族は温厚だ。紹介する細工師のデザインが好みと離れても、他の細工師を紹介してくれるなど力になってくれるだろうと翔は言う。  このアイデアはとても良いと思えた。トキヤとレンは紹介状を頼むと、旅装を整える準備を早速始めた。  数日後、有給申請が通ったので、トキヤはレンを伴って鹿族の土地を訪れていた。  鹿族は神族ではないため、様々な能力――たとえば術――は劣るものの、昔から手先が器用で細工物や宝飾・布地の加工得意としている。どこの神族でも鹿族の細工となれば重用されていたし、重用されているからこそ鹿族の中では研鑽が積まれ、細工の腕が優れているほど敬愛を贈られた。  翔が紹介してくれた細工師は、細工師の中でもトップランクに入る、とは後から知ったことだ。 「あなたたちが翔ちゃんの紹介してくれた龍の方ですね?」  小さな工房でトキヤとレンを迎えてくれたのは、レンよりまだ背が高い鹿だった。ふわふわの金の髪と細縁の眼鏡が、彼の穏やかそうな性情を表しているかのよう。 「はい。手紙は届いていたようですね」 「ええ、一昨日届きました。翔ちゃんは元気ですか?」 「とても元気です。いつも私たちの世話を焼いてくれています」  世間話を戸口でするのも、と工房の奥の部屋へ案内されて茶を頂く。美味しい、と思わず呟くと、彼はにこにこと笑顔だ。 「よかった。あ、ご挨拶するのが遅れました。僕は那月です。翔ちゃんとは学校で一緒で、小さい頃はご近所さんでした」 「お話は時々聞いていました。私はトキヤです。形ばかり、翔の主人ということになっています」  実際のところ、彼に助けられてばかりです、と笑う。 「オレはレン。以前、テイルヴェールの制作でお世話になった虎だよ。実際に会えて御礼が言えて、よかった。あの時はとても素敵なヴェールをありがとう」  レンが御礼を言うと、那月は「ふふっ」と楽しげに笑む。 「あれは、僕も少しお手伝いはしましたが……制作したのは、ほとんど僕じゃないんです」 「え? じゃあ、誰が……」  翔からは鹿族の知り合い、としか聞いていないが、他にも知り合いがいたのか。疑問に思っていると、客間の扉が大きく開かれる。 「那月、絹糸の仕入れたやつ、八番の箱に……」  入ってきたのは、那月によく似た青年だった。トキヤとレンに気付くと、ふたりのほうをじっと見る。 「さっちゃん、おかえりなさい。このふたりは翔ちゃんのお友達とご主人さまですよ」 「ああ、あのチビの……手紙が来てたヤツか」  那月と顔はよく似ているのに、どうも顔つきが鋭い。それが見分けるポイントになりそうだなとトキヤはぼんやり思った。出されていた茶菓子にレンが手を伸ばして囓る。上機嫌でさくさくと食べているから、気に入ったのだろう。 「さっちゃんが作ったテイルヴェールをとても気に入ってくれて、リングもお願いしたいんですって。素敵ですよね」 「俺は別に受けるとは……」  断りの雰囲気を感じたが、彼の目がふとこちらを――レンを見た。それから驚いたように目を見開く。 「……おまえ、それ食えるのか」  レンがおまえ、と呼ばれたことに多少むっとしたが、今は口を挟むタイミングではない。レンは気にした様子もなく頷いた。 「食べたけど……これ、美味しいね」 「…………」  信じられないものを見た顔をした那月のそっくりさんの前で、レンは不思議そうに首を傾げた。  そっくりさんは深く息を吐くと、那月に向き直る。 「気が変わった。そいつらの細工、俺が作る」  それからトキヤとレンのほうを向いた。 「俺は砂月。那月とは双子だ。紙を持ってくるから待ってろ」  そそくさと部屋から出て行く砂月の後ろ姿を見て、那月はにこにこと嬉しそうに微笑んでいる。 「さっちゃんがあんなにやる気を出してくれるのは珍しいんですよ。僕も精一杯サポートしますね」  広いテーブルの上を那月が片付けてくれる合間、レンがこそりとトキヤに耳打ちする。 「トキヤは、このお菓子食べないほうがいいよ」 「えっ?」 「オレ以外の神族には美味しくないかもしれない」  クッキーなのに挽肉と胡瓜の漬物、タバスコの味がする。言われて、二重の意味で目眩がするかと思った。 「トキヤは角に、レンは耳に、あとは二匹とも指に、だな? 指はどの指だ?」  砂月の質問は速く、無駄がない。  大きく広げられた紙に、注文事項が書き加えられていく。 「私は薬指か中指がいいと思っています」 「そうだね、オレもどちらかがいいと思ってる……けど、どっちがいいかはふたりとも決めかねてるんだ」 「ふん……デザイン次第でどちらもアリだが……先にそっちから訊くか。どういうデザイン・雰囲気がいいっていうのはあるのか」 「ダマスク柄やアラベスク柄がいいと思っています」 「トキヤは角も耳も黒っぽいから、白っぽい色の素材がいいなって思ってるよ」 「逆にこの人の耳は白地なので、黒っぽい……濃い紫も良いと思っています」  砂月はふたりの意見を丁寧な文字で書き記していく。  こうして見ると、ずいぶんぼんやりした要望だなと思えた。  こんな内容でも大丈夫だろうか。 「ダマスクやアラベスクならどの装飾環にも反映できる。だからどの指でも問題ねえ。あえて選ぶなら、日常生活に邪魔にならない薬指が一般的だ」 「では、それでお願いしましょうか」 「うん。邪魔になってしまったら、せっかくお揃いなのに勿体ないからね」  砂月の勧めに頷く。  続いて素材や石の希望などにも詳しく訊かれていき、ある程度の部分はお任せでお願いすることにした。 「ずっと話っぱなし、頭を使いっぱなしで疲れたでしょう? ふたりの宿も手配しておきましたから、ゆっくり休んでおくといいですよ」  区切りがついたと思われるところで、那月が声を掛けてくれる。窓の外を見てみれば、夕暮れ色だ。  宿は那月と砂月の家兼工房から近く、仰々しくないところが落ち着けそうな雰囲気の宿だった。食事も出してくれるらしい。  また明日来て下さいね、と告げられて手を振って別れる。砂月は見送りに来なかったが、早速材料やデザインなどを考えてくれているらしかった。 「あの双子の鹿にねえ……」  宿で店の人と世間話をしていると、感心した声と表情をもらった。どうやらあの二匹は鹿族の中でも腕利きの細工師で、けれど気難しさも族内でもトップクラスだとか。  気難しいのは砂月のほうだろうなと思いつつ頷いた。 「砂月は細工師としての腕はトップクラス、特に繊細なデザインが得意。那月のほうは滅多に制作に関わらないが、那月とは違った雰囲気の作品を作って……不思議な力があるのではないかと言われている、か」  宿の人間と話して得られた情報をまとめると、そんなところだった。付け加えるなら、料理以外の家事をするのが那月、料理だけは砂月がするということか。 「那月の不思議な力って、なんだろうね?」 「術の類いだろうとは思いますが……私の重力の術のように、型にはまらないものかもしれませんね」 「でも術だとしても装飾品に使う術だろう? 体に影響はないものなのかは、気になるかな」 「鹿族のアクセサリーを着けて災いが起こったという話は聞きませんから、体に影響があってもマイナスのことではないでしょう」 「そっか。……それならいいな。何かあってからじゃ、たまらない」  レンがほっとした様子に、この虎は自分のことを考えてくれたのだな、と愛しい気持ちが湧いた。  翌日。  宿の女将の話から察して、なんとなく昼を食べてから双子の鹿の元を訪れた。 「いらっしゃい。ちょうどさっちゃんも起きて、支度が終わったところです」  昨日と同じ客間に通されると、少ししてから砂月が那月とやってきた。那月は茶器を揃えた盆を手に、砂月は大きな紙を手に。 「ひと通りデザインを考えたんだが」 「もう?!」  驚きすぎてひっくり返るかと思った。  昨日二匹の元を去ったのは夕方だった。あれからデザインを練ってくれていたということか。  それにしても速い。  驚いていると、那月が香りの良いお茶をそっと出してくれる。 「さっちゃんは、調子がいいと半日でデザインを仕上げてしまうんです。昨日はとても調子が良かったみたいですね」 「ひとまず、たたき台と思ってくれて良い。ここから付け足したいもの、削りたいものがあれば、さらに改良する」  そう言って広げてくれた紙には、耳飾りが二種、指輪が二種のデザインが記されている。  どちらも注文通り蔦の葉や花が繊細にデザインされ、特に耳飾りのほうは、細い糸のような金属で蔦の葉の文様が描かれている。文様はどうやら二匹で別々の柄だ。トキヤのほうは色が鮮やかなオレンジ、レンは夕闇色のような紫が中央に配置され、アクセントになっていた。  指環のほうは耳のほうと文様が入れ替わっていて、レンの耳飾りとトキヤの指環がお揃いの模様、トキヤの耳飾りとレンの指環がお揃いの文様になっていた。 「すごい……こんな繊細なデザイン、初めて見ました」 「これを作れるっていうんだから、技術の高さが窺えるよ。鹿族の中でもトップクラスって聞いたけど、頷けるね」 「ええ、特にこの縁を用いずにデザインをして……あなたの耳環のほうは、ピアスでしょうか。石を邪魔せず、けれど模様がわかるデザインが素晴らしい」 「それならトキヤの、角の美しさを隠さないデザインも素敵だよ。銀っていうのも良いし、オレの耳飾りより大きめの柄だし、指環とお揃いの柄で、お揃いってわかるけど角にも指にも合ってる」 「……おまえら、はしゃぐのは構わないが、何か注文はねえのか」  横から砂月が口を出せば、トキヤとレンは腕を組んで考える。 「トキヤ、何かある?」 「いえ、私は……ああ、そうですね。石はいくらかかっても構わないので、良いものを選んでください。他の……この、銀の部分の素材も、惜しまなくていいです」 「まあ粒は小さいものを使うから、そうそう高価にはならないが……万一大きな石から削り出す場合でも構わないってことか。銀のほうはとっておきの素材があるから、それを使う」 「はい」 「ねえ砂月、この細工の銀って、どうやって加工するんだい? それとも加工してあるものを使うのかい?」 「ああ? それは秘密だ、ほいほい教えられるもんじゃない」  砂月と話しているレンを見つつ、トキヤは那月の淹れてくれた紅茶を飲む。落ち着く味だ。 「さっちゃんが、あんなに楽しそうにしている姿を見るのは久しぶりです」  那月がトキヤに話しかける。 「そうなんですか?」 「ええ、最近少し制作に行き詰まっていたみたいで……けれど、ふたりのお陰できっともう大丈夫です」  ありがとうございます、と言われると、なんだか面映ゆい。 「それはこちらの台詞です。とても素敵なものをデザインしてくれて……できあがるのが楽しみになりました」 「ふふっ。ちょっと時間がかかってしまうかもしれませんが、待っていて下さいね」 「はい。よろしくお願いします」  トキヤも笑顔を浮かべ、できあがりを見る時はいつになるかと楽しみにした。
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