08 龍のトキヤと虎のレン

 その日、トキヤの邸宅へ押しかけていたのは、ハヤトだった。  休日の午前中、賑やかに「トキヤ――! いるかにゃ――?!」とそれはもうひとりなのに賑やかにやってきた。  トキヤとしては頭が痛くなる人間ツートップの片割れだが、レンがハヤトを気に入っているため、強く出られない時もある。強く出る時もある。 「それで、朝っぱらから何なんですか。レンはまだ寝ているので静かにしてください」 「こわ。ボクのほうがおにーちゃんなのに……」 「兄と敬われるようなことをしてから言ってください」  それで? と用件を急かされると、ハヤトは出された緑茶を一口啜る。 「あのね。近々、父さまの誕生日じゃない?」 「……ああ……そうだったかもしれませんね」  トキヤとその父・龍神族の宰相は、親子関係が希薄だ。トキヤが本邸の奥方さまやハヤトを憚っていたせいが多大だが、最近はふたりとも交流がある。あまり気にしなくても良いのだろうな、とは思っていた。 「それで、トキヤはどうするの?」 「どうする? とは?」 「誕生日プレゼント。父さまに、何かあげるでしょ。一応、トキヤとかぶらないものを選ぼうって思ったんだにゃ」 「……誕生日プレゼント……」  鸚鵡返しに呟いたトキヤに、ハヤトは何かを感じ取った。 「……まさか、しないつもりかにゃ……?」 「特に祝われたこともありませんし……そういうものだと思っていましたが……」 「…………それは完全に父さまが悪いにゃ……」  はあ、と大きな溜息をハヤトが吐く。 「いえ、別に私は祝われたいわけではありませんでしたし」 「これはさすがに母さまに告げ口案件にゃ。トキヤも……あと、レンくんも一緒に来るにゃ!」  かろうじて顔を洗って服を着替えたらしいレンが入ってきたことに気付いたらしい。寝起きのレンはとんだとばっちりだ。  んん、とまだ寝ぼけた声でハヤトを見る。 「……おはよ。どこに行くって……?」 「ボクんち! ごはんもご馳走するにゃ!」 「それは豪気だねえ」  手土産を用意しなくちゃね、要らないにゃ、などとやり取りをしていく間にもレンの頭は覚醒していったようだ。 (ここまで来ると……断りにくいですね……)  参りましたね、と大して参った様子もなく、賑やかな龍を見た。  数日後。  トキヤはいつも通り登庁し、いつも通りに次期族長補佐らしく、音也が書類仕事をする見張りや宰相から回ってきた書類の処理などの仕事をしていた。  特に厄介だったのは宰相から回ってきた仕事だったが、関係各部署への聴取とそれ以外で関わった人間の聴取、聴取結果を踏まえた推測の検証などを行い、なんとかまとめられた。  昼食を食べてから、その日だけでなく前日までの数日でまとめた書類を、宰相の執務室へ持っていく。最近はハヤトの不在を気にせずに済んでいるので、そこは気楽だった。 「失礼します」  応答を受けてから入室する。ハヤトもいて、彼は机で書類と格闘しているようだった。 「こちら、持って参りました。処理した分の書類です」 「ご苦労」  いつも宰相が寄越すのは短い一言。何か言いたげなハヤトの視線に気付いたのはトキヤだが、いつものことではあるので、気にはしていない。  だが、今日は。  執務室を出る前に、立ち止まって振り返る。緊張したのはほんの少しだ。 「……宰相さま」 「どうした?」 「…………誕生日、おめでとうございます。――父上」 「その後はもう、大変だったにゃ……父さまは書棚に頭をぶつけて書棚を壊すし、巻き散らかされた書物や書類は重要なものが多いから下手に踏めないし、だから倒れて気絶した父さまを運び出せないし、書類の扱いに長けた副宰相さまはお休みだったからボクとトキヤでなんとか片付けなきゃいけなかったし……」  もっともらしい風に言っているが、あの後ハヤトは頭をぶつけて倒れた父を見て爆笑したのだ。 「まさか、あんなことになるなんて思わなかったんです」  はぁ、とトキヤが溜息を吐く。悪いことをしたわけではないが、悪いことをした気分になってしまう。 「トキヤは悪くないにゃ」  そもそもの原因は父である宰相だ、とハヤトは笑う。今まで父親らしいことをしてこなかった自覚はあるだろう、だからというわけではないが、トキヤも父親に対する態度というのがわからないまま、宰相に対する態度で応対してきた。他人行儀というよりは、ほぼ他人への接し方だ。  それをトキヤのほうから崩したのだから、驚きと衝撃はどれほどか。――大騒ぎになるほどとは思わなかったのだが。 「オレもその場に居合わせたかったな……さぞかし賑やかだっただろうね」  実のところ宰相が棚に頭をぶつけた音が大きすぎて、あちらこちらから龍がやってきたので、賑やかを通り越していた気はする。  とはいえ龍神族は基本的に大声を出さない神族だから、虎神とはまた少し違う賑やかさだったのだけれど。 「トキヤも、宰相さまを父さん、とか呼んだことなかったんだろ?」  翔が、持って来た桃まんの籠を卓に置く。早速と手を伸ばしたのはハヤトだ。翔の作るものが美味しいと覚えてしまったらしい。 「そうですね。機会がありませんでしたから」 「そこは父さまが全面的に悪いところにゃ。プライベートでトキヤと会うことなんて、なかったんでしょ?」  トキヤはこくりと頷く。記憶にない幼子の頃ならあったのかもしれないが、成長してからは一度もない。関心がないのだろうとも思っていた。 「そんなわけないにゃ。母さまによると、父さまはトキヤの母さまにそれはもうメロメロだったらしいし」 「メロメロ……」  父の顔を思い浮かべる。――まったく似つかわしくない。トキヤが知る父は宰相の顔でしかなかった。  ハヤトは「だから」と言葉を繋げる。 「かわいい息子のトキヤに初めて『父上』なんて呼ばれて驚いたっていうのはわかるけど」  リアクションが派手すぎるんだにゃ、と苦笑する。その点に関してはまったくの同意見だ。 「でも多分、父さまはボクとトキヤだったら、トキヤのほうが好きというか……気になってるとは思うから。ボクは一緒に住んでる分、レア度が低いしね。また『父上』って呼んであげるといいにゃ」  最近、ハヤトとハヤトの母――奥方さまと会っているという話は、宰相にも伝わっているだろう。その意味でも気になっているはずだ。 「ただし今度は書類がないところでね」  とハヤトが笑うので、つられてトキヤも笑ったし、レンも翔も笑った。
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