05 龍のトキヤと虎のレン

 トキヤの縄張りは広くはないから駆け回るのには向いていないが、森はあるから木登りするには向いている。  広葉樹の森があり、小動物や鳥が多く住んでおり、太い枝が四方へ伸びている。そういった太い枝や幹を伝い、森の中を散策するのは、レンが好きなことのひとつになった。  トキヤの縄張りは心地よい。虎神族にいた頃はどこにいても監視されているようで息苦しさを感じていたから、解放感の違いもあるかもしれない。森の緑が明るいお陰もあるだろうか。小川のせせらぎや小鳥のさえずりは聞こえるが、うるさくないのも良い。  木漏れ日が柔らかな地面に溢れ、ちらちらと揺れる日差しに温もりを感じる頃、レンはトキヤの邸宅を抜け出す。必ず翔には声をかけるようにと言われているから、その日も「出てくるね」とだけ言って出てきた。花街でのバイトは続けていたが、それも昼過ぎから夕刻までの間だ。昼前ならまだ時間はある。  バイトを続けているのは、自分で自由にできる金が欲しいからだ。トキヤにテイルヴェールをプレゼントした時のように、自分の金でなければ意味がない使い方をしたい。先に同様の商売をしていた者たちの邪魔をするつもりはないので高めの価格設定にしていたが、それでもいくらか常連客はついた。  登りやすい太さの桧から、櫟・櫟を通って栂、欅から樫の巨木がゴールだ。虎神族は身軽な者は多いが、レンのように木に登る者は少ない。逆にそのお陰で、樹上ではひとりになる時間を得られていた。  二十メートルを超える樹の天辺付近は、建物の七階ほどの高さになるだろうか。丈夫な木だから、多少上のほうまで上っても枝が折れる心配がないのが良い。  街の賑わいまで見渡せるそこから周囲の景色を堪能すると、虎神族の縄張りのほうも念のために確認する。トキヤの縄張りは虎神族の縄張りに一部接していて、だからレンも初めは逃げ込んで来たのだが、同じように侵入してくる者がいないとも限らない。  何しろ決闘以来、血気盛んなはずの虎神族がおとなしくしているのだから、気にならないほうがどうかしていた。 「……ん?」  視界の端に、何かよぎった気がした。  目をこらすが、ここからでは木々の枝や葉が邪魔をしてよく見えない。音も、木を渡る風のせいで些細な音はかき消されていた。 「……気のせいならいいけど……」  位置がちょうど、虎神族とトキヤの縄張りの境近くだった。だから気になったのかもしれない。  もし破落戸だったとしても、昼間から堂々と姿を現すこともないか。それに、縄張りのことならトキヤのほうが気付くこともあるだろう。結論づけると小さく息を吐く。  何かあってからでは遅いから、気に留めてはおこう。トキヤがいつも家にいるとは限らないのだから。  祭から数日がすぎたある日のこと。  普段通り仕事を終えて帰ってきたトキヤは、我が目を疑った。 「……何故あなたがここにいるんですか」  低い声に気付いたレンがトキヤを振り返り、立ち上がる。おかえりなさいの抱擁は帰宅時の恒例行事だ。それはこんな時でも欠かさない。反射的にレンを抱きしめ返す。 「トキヤ! おかえりにゃー。お疲れ様!」  今お茶淹れるねと、まるで家主のように振る舞うのは、家主と(黙っていれば)瓜二つの青年。 「ハヤト。どうりで今日はこそこそしていたと思ったら……!」 「わー、怒らないで!」 「誰があなたの仕事の始末をしたと思ってるんです?!」  トキヤが眦釣り上げて怒る様は珍しい。レンは他人事なので感心したようにふたりを眺めた。  ふたりとも、よく似ている。双子と言われれば信じてしまうくらいには似ていた。腹違いの兄弟だとハヤトから教えてもらったが、違いを見つけるなら性格の違いによる表情や顔つきの差だろうか。背格好や体系まで似ているのだから、どちらかがどちらかの真似をしていたら、見分けるのは難しそうだ。  そこに翔がやってくる。 「お茶請け持ってきたぞ……あ、トキヤおかえり」 「翔! なぜこの人を家に上げたのですか」 「いつの間にかいたんだよ……あんまり邪険にすると本邸の奥方さまにおまえが怒られかねないし」 「ボクは別に母さまに言ったりはしないけどね」 「まあトキヤも座って。ハヤトも、おまえに話があるそうだよ」  ようやく話に割り込む機会を得て、レンはトキヤを宥める。 「話? 決闘でもする気になりましたか?」 「違う!」  なんでそうなるの、ネタがないでしょ、とハヤトは苦笑する。虎神族の三人との決闘の話は狼神族の商人を経由して龍神族の街まで届いていた。多少の尾鰭はあるものの、少なくとも話を聞いた者はトキヤに喧嘩を売る気にはならないだろうと思われた。  ハヤトは会議の時は街に残る宰相とともに残っていた。宰相補佐の役割を果たしていたのだが、トキヤが帰ってきた時に彼の仕事のいくつかが回されたのは覚えている。できるのに何をやっているのだ、とはいつもトキヤは思っていた。 「ボクもトキヤが戦うところ、観たかったにゃ……カッコ良かった?」  残念そうに言う。純粋に観たかったのだろうと思えた。だからといって今日の夕方間際からの仕事を放り出して行方不明になっていいものではない。  トキヤの父でもある宰相は特に何も言わなかったそうだから、もしかしたら事情を知っているのかもしれない。それでもハヤトの残した仕事の後始末は、何故かいつもトキヤに回ってくるのだから、彼を責めるのは仕方がないと思う。トキヤは宰相補佐ではなく、次期族長補佐(と、薄らと族長の補佐も)だ。  話を振られたレンが「そうだね」と頷く。 「カッコ良かった、よ。ちょっとやりすぎたんじゃないかなとも思うけど……」 「トキヤ、気に入らない相手は徹底的に容赦なく叩き潰すとこあるからにゃ……」 「好き勝手言わないでください。それで、何の用事で来たんですか」  このままでは碌な話にならないと判断し、今度はトキヤが割って入って本題を促す。  ハヤトの向かい、レンの隣に腰を落ち着けると、ハヤトがちらりと視線を寄越した。 「年末に、うちで納会やるのは知ってるよね?」 「ええ。族長にお仕えする文官武官のうち、代々宰相の家で労われるのは役職つきの方たちでしょう? 盛大な宴だと聞いています」 「トキヤも来て欲しいって」 「……私は役職がありませんが?」  次期族長補佐をしてはいるし、時には族長の補佐もするが、正式な役職ではない。見習いと同じ扱いだからだ。ハヤトは宰相補佐だが、彼は宰相の嫡男だから役職のようなものだし、彼の家で行われる宴に彼が出ないはずはないので問題はない。  だからトキヤが宴に招かれること自体が不思議な話だ。仮に義兄弟だからだとしても、義理だ。今までだって呼ばれたことなど一度もない。  それが今年に限って、何故。 「まあ……そうなんだけど」 「?」  ハヤトがまたちらりとトキヤを見る。何かあるのだろうか。首を傾げたトキヤに「実は」とハヤトが事情を語り出す。 「この前のお祭、ボクとトキヤが対の舞を披露したでしょ? 母さま、一応お偉いさんの奥さんだから、めちゃくちゃ良い席で観てたらしくって。それでトキヤを初めてちゃんと観たって」  トキヤはいわば妾の子だし、なるべく目立たないように過ごしてきた。本妻である奥方さまの目につくことがないように。妾の子など不快だろうという配慮あってのことだ。仕事でもなるべく宰相や、ハヤトとはかち合わないようにしている、が、ハヤトは気楽にやってくることが多い。  だからなのか、ハヤトの不始末はトキヤに回ってくることはある。  また、ことあるごとにトキヤに嫌味を言ってくる大人たちの中には、おそらく本妻の親戚と思われる人間もいた。トキヤがどう地味に生きようと思っても、それを邪魔する者はいるとわかってからは、あまり気にしないようにしている。  街に出るのも、買い出しはおおむね翔に任せているし、トキヤが市場に出るのも薬草などを仕入れたり、本を買いに出る時くらいだろうか。  そんな風に私生活では表には出ないように過ごしているものだから、本邸で暮らす奥方さまと縁がないのは当たり前だ。 「それで、祭で私を見たからどうだと?」 「顔のパーツは同じなのにあの子のほうが美人に見えるわ! あの子を近くで見てみたい!」  ハヤトの迫真の演技は、彼の母親がそう言った時の瞬間を真似たものだろう。どんな方なのかは会ったこともないのでわからないが、たまに会う宰相である父とはまったく違うタイプの人なのだなということだけはわかった。 「……自分に正直な女性なのかな……?」  女性の扱いに慣れているレンすら、コメントに困ったようだ。  ハヤトは笑う。 「……というわけで、トキヤをパーティにご招待するにゃ」  ぱりん、と煎餅が小気味よい音を立てて割られる。 「あなたはそれでいいんですか……」 「母さまがいいならいいと思うにゃー。これも親孝行だろうし……」 「ハヤト……」 「あ、トキヤは祭の時のテイルヴェールでお願いね、だって」 「は? あのヴェールですか?」  納会は非公式なのだし、要らないのでは?  疑問も、 「まだ決定じゃないけど、今回は準公式スタイルでやるらしいにゃー」 「……まさか」 「そのまさかにゃ」 「私の尾で他の人を巻き込むのはどうかと思いますよ……」  トキヤが深い溜息を吐き、がくりと首をうなだれさせる。  結局、ハヤトが同じ場にいれば本妻である奥方さまにもお見せするので、あまり大事にはしないでもらいたいと言付けておいた。 「トキヤの尾はうつくしいから……見たくなるのはわかるよ」  ハヤトが帰った後、トキヤは買ってきていた団子をレンと翔と食べている。すりつぶされた枝豆が餡になっているもので、控えめな甘さの餡だけ食べても美味しいし、団子自体が少し固めになっていて食べ応えもあり、こちらも美味しい。  今はプライベートの場だから、トキヤも気を抜いて尾を長く伸ばしていた。 「トキヤの尾は鱗の光沢もだけど、長さと太さのバランスもいいし、なによりヒレが綺麗なんだよな〜」 「そうそう。半透明でつやつやきらきらしてて、宝石みたいだよね。観る角度を変えれば艶も色も違って見える。鱗も合わせて黒真珠やトパーズみたいだ」 「普段はヒレまで見えないからなあ。俺たちは見てるけど」 「……翔の赤い尾も紅玉のようで美しいですし、レンの尾は毛並みも模様の入り方も美しいと思いますよ……」 「そんな褒められ慣れてないみたいな顔、今さらしなくてもいいんだぜ?」 「うるさいです」  つんと澄まし顔をするが、付き合いの長い男は誤魔化せなかった。 「照れてる照れてる」 「翔までなんですか……!」  こういう時は私の味方をするのでは?! と訴えても「かわいいからたまにはいいじゃん」と返される始末。レンなどにやにやと笑い、機嫌良さそうに尻尾が揺れている。  揶揄われてるとはわかっているが、このメンツでは強く怒れない。きっとこのふたりはそれもわかっているに違いなかった。  本邸に招かれたトキヤを「いってらっしゃい」と見送った一刻半後。  レンは目立たない、黒っぽい質素な服をまとってトキヤの家を出た。  宰相家、本邸はトキヤの家からだと徒歩では一時間ほどかかるが、駆竜に騎乗すれば十分程度で着く。レンは走り、二十分ほどで到着した。 「さて……」  表門は当然人がいる。かといって裏門に回ったところで門番はいるから、間の適当なところで塀を乗り越える必要があった。できれば暗い場所が良い。そんな都合の良いところはあるだろうか。  半周もしないうち、どうやら具合の良さそうな場所を見つけると、身軽に塀を越えた。虎神族の身体能力ならではだ。音も立たない。  邸内、ここはどうやら庭の片隅。このまま人目を避け、邸内の――宴の様子を窺う。盛り上がりはひとまず落ち着き、レンの考えが正しいなら、そろそろトキヤはハヤトと本妻に呼び出される頃だろうか。 「……いた」  宴の会場、大広間からは少し離れた木の上に身を潜める。そこから大広間の様子を見守った。虎神族はことさら夜目がきく。まさかこんな形で感謝することになるとは思わなかった。  トキヤは見知らぬ年配の男に捕まっているようだった。愛想の良い笑みを浮かべ、相槌を打っているのが見える。  こんなふうに大勢の龍神族を一度に見るのは初めてだが、トキヤのツノも、他の誰よりうつくしいのではないか。尾にばかり目がいってしまうが、ツノの形、角度、黒っぽい色、ツヤ、黒い耳と相まって、美術品のようではないか。 「……欲目かな……」  トキヤに惚れている自覚は、ある。  彼から離れられないとも、離れたくないとも思っている。仮に――考えたくないことだが――離れ離れになり、もう一生逢うことができないと言われれば、言った相手を殴り飛ばして探しに行くだろう。  そんな相手が、今までに会ったこともない義理の母親と顔を合わせるのだという。  ハヤトとはあの後、数度会ったが、彼の言う母親の姿が事実なら心配はいらない。だからその点はあまり心配していないが。 「……あんまり見せてほしくない、なんて……」  見せるなら自分のいるところで見せてほしい。  贅沢な話だろう。この世で一番うつくしい尾を、男を、自慢したい気持ちと独り占めしたい気持ちが戦っているのだ。 「あ」  トキヤの傍にハヤトが来た。男からトキヤを離すと、場を変えるらしい。その動きを目で追う。会場とは少し離れた部屋に行くようだ。レンも彼らに合わせるように場所を変える。離れへ行くらしい。客をもてなす区画から、居住の区画へ行くようだ。そこに奥方さまがいるのだろう。  その部屋は、一目で調度の類が上等だとわかるような部屋だった。女性の部屋らしく、装飾は花の飾りが多い。  トキヤとハヤトを待ち受けていたのは、どこか彼らに似た容貌の女性だ。ひくりとレンのふかふかした耳が震える。目も良いが、耳もいいのだ。 「お初にお目にかかります。トキヤと申します」 「まあまあ、本当にきれいな子ね。ハヤトより大人びて見えるわ」 「トキヤ、母さまは美形が好きなんだ」 「おまえも、黙っていればトキヤさんとよく似ているのに……」 「親が子どもに言う台詞かにゃ?!」 「単なる事実の指摘よ。まあおまえは愛嬌があってかわいいのは良いところよ」  目の前で繰り広げられる親子劇場に、トキヤは少々戸惑っているような、優しいような表情をしている。 「母さま、本題を忘れてる前に済ませたほうがいいにゃー」 「ああ、そうね、私ったら……」 「トキヤも良いかにゃ?」  ハヤトの問いかけに頷いたのが見えた。 「ええ、構いません。裳裾がめくれますので、お見苦しいところもあるかもしれませんが……」 「大丈夫よ」  奥方が大きく頷くと、トキヤは裾からするりと長い尾を出した。黒龍らしい、黒の、見る角度によって艶色が変化する尾とヒレ。彩るのは、レンが贈ったテイルヴェール。 「まあ……間近で観ても美しい」  奥方さまがうっとりと声を漏らす。  網目は大きく、美しい鱗の輝きを邪魔しない。ヒレにかぶせたところは小粒の黒真珠が小さめの房飾りの根元を飾り、ヴェールの縁は淡い紫の、雫型の石が涙を連ねたように揺れ、尾の付け根から半ばまでグラデーションのように彩る刺繍がまた見事で、見惚れてしまうのも無理はない。  尾が揺れるたび、裾の石に混ざってつけられた小鈴が涼しやかな軽い音を立てるのも良かった。  トキヤに似合うように考え、デザインした。思った通りにできたのは、翔や音也が紹介してくれた職人たちのお陰だ。 「あなたの尾は龍の中でも美しさでは一、二を争うと噂を聞いたことはあったけれど、これほど見事な尾は他にない、というのは頷けるわ」 「恐縮です」 「うつくしい黒龍の尾……あなたはお母様に似たのでしょう」  あの方もそれは美しい尾の方だった、と奥方が過去を懐かしむように呟く。 「母さまはトキヤのお母さまを知ってるのかにゃ?」 「知ってるも何も、私とあの方は又従姉妹よ」 「父さまも又従兄弟だって言ってなかった?!」 「三人ともおじいさまの兄弟違いの又従兄弟ね。それに」  奥方はハヤトとトキヤを交互に見る。 「あなたたちと同じように、私とあの方は顔立ちは似ていたけれど性格の違いが表れて……あの方は淑やかなうつくしさだったわ。私の憧れよ」 「そんな関係だったのですね……」  ハヤトと似ている理由もわかり、ホッとした表情を見せる。尻尾も穏やかに揺れていた。 「本当にきれいだよねえ……」  レンはトキヤの尾が揺れている方に気を取られていたため、この場での話は半分ほどしか聞いていない。  あのきれいな尾を飾れるものを贈れたのは何より嬉しい。トキヤも気に入ってくれているのか、レンと出かける時などはあれを着けてくれるのだ。  普段使いのものは、もう少し簡素なものを贈ってもいいのかもしれないな、などと夢を描く。 「……おっと、そろそろ帰らないとまずいかな」  そろそろ三人の話も終わりそうな雰囲気だ。先に帰ってトキヤを出迎えなければ、ほぼ確実に不審がられてしまう。翔もいないのに出かけたとなっては、何かあったらまずいのではないかということはわかる。  人目につかないのは、と木の上から当たりをつけ、そちらに降りる。身軽な動作で、息ひとつ切れない。  塀の外に出ると、あたりを見回して家の方角を確認する。まだ話しているか、終わったにしてもすぐ帰るかはわからない。駆龍の準備もあるだろうし、来た時よりは急がなくて大丈夫だろう。思いながら駆ける。 「……?」  レンの白黒の耳がひくりと震え、忙しなくあたりの音を拾う。自然の音ではない音がした。  獣ではない。身が軽い者の足音だ。林のほうから。  視線を感じる。つけられているのはすぐにわかった。走る速度を落とし、徐々に歩き、止まる。気配には覚えがあった。 「挨拶もないなんてつれないんじゃない? ランちゃん」  木々のほうへ声をかければ、数秒の沈黙の後に影が現れる。レンと同じ白毛に黒模様の入った、虎だ。尾はレンより太い。彼の名を蘭丸という。 「久しぶりだね」 「……元気にしてたか」 「もちろん。自由に外出できないのは多少不自由だけど、多少ならそんなに目くじらも立てられないしね」  龍神は意外とおおらかだよ、と微笑む。  蘭丸は肩が上下するほど大きな溜息を吐くと、じっとレンを見つめる。真正面から真っ直ぐ相手を見つめるのは、蘭丸のクセかもしれない。心に疚しいところがある虎神なら怒り出すところだ。そのせいでトラブルが絶えない頃もあった。 「ランちゃんがこんなところにいるとは思わなかったよ。商人の用心棒かい?」 「いや。……使いだ」 「ランちゃんを顎で使えるやつがいるなんてね。……誰からだい?」 「真斗だ」 「真斗? なんであいつが」 「俺が知るか。話があるから来いって言ってる」 「来いって……虎神族の街に?」 「いや、あの林の奥に……」 「レン?」  不意に声をかけられ、振り向く。トキヤだ。駆龍に乗っている。そういえば彼より早く屋敷に戻る予定だったのだ。  失敗した、と思ったのは顔に出たかもしれない。 「どうしたんです、こんなところで。それに、そこにいる虎は……」 「ああ……悪い虎じゃない。オレの、昔馴染み。ランちゃん――蘭丸っていうんだ。虎神の街ではよく世話になったんだよ」 「……蘭丸だ」 「私はトキヤです。込み入った話ですか? 外でする話でもないでしょうから、奥にいらっしゃる人も一緒に、うちに来たらどうです」 「えっ」  トキヤの口からそんなことを言われるとは思わなかった。 「あなたね……まだ街には虎神の方たちは少ないんです。こんなところで話し込んで、もし心ない龍に見られたら、あなたが何を言われるかわかりませんよ。それに、うちなら何かあっても、最悪屋敷を壊すくらいで済みますから」 「突然過激なことを言うのは、おまえの持ち芸か何かかい……? でもまあ……どうせ奥にいるのは真斗なんだろ。あいつも来るように、ランちゃんが言ってくれる? 聞こえてるとは思うけど」 「……ああ……わかった。ちょっと待ってろ」  素早い身のこなしで蘭丸が一度林へと入る。  トキヤは騎乗したままだ。 「……あなたはこちらに乗ってください」 「えっ」 「仮に彼らがあなたにもわからないように伏兵をしのばせていた場合、虎神族が走るより駆龍のほうが速いので」 「……たぶん、大丈夫だと思うけど……」  トキヤが警戒する理由はわかるので、ここではおとなしく従ってトキヤの後ろに乗ることにした。彼の尾が、警戒で振れているのが見えたからだ。 「それで、虎神族の次期族長が御自ら何故ここへ?」  応接室。  卓には翔が淹れた茶がそれぞれ並べられた。  トキヤの視線は艶やかな黒髪が美しい黒虎へ注がれている。 「服装を見るに、お忍びでしょう。そちらの族長も、関所を通さずに人の領地に踏み入るなんて、ご自身の息子に不思議なことをさせるものですね」  トキヤの言葉は険と棘が混ざっていた。気持ちはわからないでもないが。  対して真斗は真摯な姿勢。 「父上――族長は関係ない。俺は俺の意志でここに来た」 「何のために来たんだ? まさか、最近縄張り境に見えてた影は、おまえか?」  ふと閃いた疑問を真斗に投げる。そうすれば繋がる気がした。  だが真斗は首を振る。代わりに「俺だ」と言ったのは蘭丸。 「俺は何度も止めとけって止めたんだがな……一度言い出したら自分の意見を絶対ぇ曲げねえ。だから俺が何度か下見に来た」 「ランちゃんだったのか……」  とはいえ、真斗だろうと蘭丸だろうと結果に変わりはない。 「それで……なんのためにここへ? 顔を見に来ただけではないでしょう」  トキヤの言葉には棘がある。とはいえ自分の縄張りに不法侵入されたのだから、警戒と不快は当然だ。  真斗もそれは充分に理解しているのだろう、トキヤの言葉に不快感を示す様子はない。 「レンを……連れ戻しに」 「はぁ?」  これにはレンのほうが大きな声を出した。 「おまえ、オレを連れ帰って何がしたい? あいつらに報復されたところで、オレを助けてくれるようなヤツなんて一匹もいないし……それはおまえもわかってるだろ」  宰相の息子で愛人の子、兄弟の下の子で母親は美人だったという点では、レンとトキヤは同じ境遇だが、環境は大きく異なる。  父も優秀な義理の兄二匹もレンに無関心で、彼らはどちらかといえばレンを一族の恥だと思っているところもある。だから正妻が亡くなったのは愛人の存在に悩まされていたからと、まことしやかに噂され、正妻の親戚たちの当たりが強くなり、実際に憂さ晴らしのようにレンへ危害を与える者たちも現れた。愛人であるレンの母が亡くなったのは、そのすぐ後だ。心労がたたったせいだとも言われた。  仮にレンが反撃をすれば、大きく取り沙汰され、それもレンのせいだと喧伝されるし、同情してくれる者も表立ってはいない。得になることが何もないからだ。  父の正妻が先代族長の姪だということも、レンの立場をアンバランスにしている原因のひとつだった。レンが身内から愛されていないことを知っているから手助けもしないし、誰しも族長や宰相に睨まれたくはない。  真斗は族長の長男だから、その事情を知らないわけがなかった。  だから、蘭丸と真斗は希有な存在だ。それに甘えていたところが、ないとは言えない。真斗は立場があるから、会う時は徹底的に人目を避けたが。  真斗は俯く。 「おまえが言ったんだろう」 「言った? 何を?」 「……ずっと、いてくれると」 「…………」  レンの返答には数秒間があった。いつ言った言葉なのかを思い出しているのだ。  大人になってから言ったことではない、とはすぐわかる。最近の言葉ではない。とするとそれ以前だ。 「おまえ……それはまだ小さい頃の話だろう!?」  お互いまだまだ子虎の時期。出会ったのはたまたまだったが、大人の目を盗み、こっそり遊ぶことがあった。その時に言ったのだと思い出される。成長してからは大人たちからレンへの風当たりが強くなり、会うこともままならなくなった。  レンの見た目はうつくしいから、他の神族が集まるような場に連れて行かれることはある。そんな時に人目を忍んだり、蘭丸を介して手紙をやりとりすることはあった。  花街は格好の場所だった。争いごとは御法度だし、蘭丸が妓楼に顔が利くものだから、一室を借りて語り合うこともあった。  ただ、今になって幼い頃の言葉が言質になるとは思わなかった。 「だが、言ったのは事実だ」 「まあ……それはそうだけど。世界が狭いのもあって、『あの頃は』それが本心だったし……」  仲の良い友人もいなかった。だから依存していたところもあったと思う。真斗にしても、族長の息子という肩書きのせいで様々な虎が寄ってきたし、彼らが必ずしも善良ではなかったせいで、子どもなのにひどく疲弊して見えた。友人面して近付いてくる子どもも、親から言い含められて損得を考えていた者がほとんど。  一族の中で浮いていたという意味ではふたりは同じで、だから気になったとも言える。 「今は? 違うのか?」 「…………」  以前なら誤魔化したかもしれない。この、縋るような目を放ってはおけなかったと思う。  けれど今は、誤魔化したくはない。  ちらりとトキヤを見た。落ち着いてはいるが、何か言いたそうにも見える。茶を飲んで言葉も飲み込んだようだった。  真斗の視線が痛いが、彼の瞳を真っ直ぐ見つめ返す。 「……そうだね、違う」 「…………そうか……」  レンが断言すると、真斗が俯いた。彼の目からぼろりと、大粒の涙が零れる。さすがに焦った。 「えっ、なんで泣くんだ」 「真斗。おまえだってわかってただろ」  蘭丸が手を伸ばし、真斗の頭を乱暴に撫でる。仕方ないなと言わんばかりだったが、撫でる手は雑ではない。 「俺は……おまえが、俺のつがいならいいと、思っていたんだ……」  耳をしょんぼりと伏せ、黒と白の尾を力なく垂れさせる。いかにも哀れな風情に、同情と罪悪感が湧いた。  真斗はぐす、と鼻を鳴らし、眼許をぐいと拭う。溜息を吐き、「俺は」と口を開いたのは蘭丸。 「俺は言ったぞ。おまえらがつがいなら、それこそ大人になるまでの間に決定してるだろ、って」  蘭丸の言葉は正論だ。レンと真斗がつがいでないのは、トキヤと音也がつがいでないのと同じこと。 「つがいなら……離れられないのに」  悔しさが滲む声。その気持ちは、痛いほどわかる。そう思える相手ができたから。 「……それでも俺は、おまえに帰ってきてほしい」 「おまえのそういうところ、心配にはなるけどね。けど、オレが今帰ってもデメリットしかない。ここの生活も悪くないし……」  このままだと平行線のままになりそうだ。どうにか打開策を出せないものか。 「では、こうしたらどうでしょう」  口を挟んだのはトキヤだ。視線が彼へと集まる。 「レンが望む時には、私が彼を連れてあなたのところへ参りましょう、真斗どの」 「おまえが?」  唐突な申し出に、真斗の眉が跳ね上がる。レンも驚かされた。 「ちょっと……どういうつもり?」  レンの問いかけに、トキヤは答えない。話を続けてしまう。 「ただし、逢うのは花街の中に限ります」 「……なるほど? 争う真似はこちらとしても本意ではない」  花街は、どこの神族の街でも中立地区で喧嘩や争いは御法度だ。これは客が必ずしもその神族だけでなく、他の神族も客で来ているせいもある。  観光に来ている客を危ない目に遭わせたとなれば、他神族の非難は免れない。 「私も本意ではありません。神族どうしの争いになっても困りますし……ですから、このあたりが妥当な線だと思います」  真斗が思案げに黙る。仮にも次期族長、教育はみっちりうけているのだから、トキヤの言葉が現実的かどうかも考えているのだろう。 「トキヤ、だったか。おまえには手間ではないのか?」 「この人をすっかり自由にさせてしまうと、私の責任問題になります。それに……」  トキヤの視線と視線が合う。 「……この人を、私の目が届かないところへやりたくないんです」 「おまえさ、わざとだろ」  牀に寝そべっているトキヤに抱きしめられたレンが、見上げて問いかけてくる。  客人たちはあの後しばらくして帰った。泊まっていけばいいとも言ったが、夜に紛れて帰らねばならないと言われれば、引き止める理由はなかった。 「何がですか?」  問い返すと、レンの声に険が混ざる。 「とぼけるな。――真斗だよ。あまり虐めないでくれないか」  あれでも次期族長だ、とレンが訴える。真斗のほうが何か行動を起こした場合、トキヤのほうが立場が弱い。まして今は決闘騒ぎを起こしたほとぼりが冷め切っていない。大人しくしておくに越したことはないのだから。  レンの言い分はわかる。たしかに、それはそうなのだろうが。 「今回あちらはお忍びで領土境を侵犯したわけですし、それを無かったことにするわけですから、私に何を言われても仕方ない部分はあるでしょう。だからあちらも強く出られなかったわけですし」 「そうかもしれないけどね」 「……それに、昔馴染みというだけで、そんなふうにあなたが庇う。……少し、腹立たしい」 「え」 「…………」  言ったきり、トキヤは横を向いた。子供っぽい独占欲だと思ったし、そんな感情を向けてしまった理由もよくわからない。レンのことは大好きで、ずっと一緒にいたいと思う。とっくに友情ではない感情を彼に抱いているのはわかっていたが、こんな感情を抱いてしまうものなのか。  レンが、見たことがない表情をしたのもよくない。  レンに責任の半分くらいを押し付けていることもわかっていながら、気持ちは収まらなかった。独占欲という感情だとは薄々感じている。 「ねえ」 「いたっ」  ぐきりと首の骨が鳴った気がする。レンが彼のほうへトキヤの顔が向くよう、強引に手を回したのだ。  青の瞳にじっと見つめられるのは、今は居心地が悪い。うろうろと視線を彷徨わせた。 「……ちゃんとオレを見て」 「…………」 「見て」 「……はい……」  強い語気に渋々従い、彼の目を見る。 「前にも言ったかもしれないけど。おまえの心は、オレのことに関しては案外狭くて……オレは、そういうところも好きだと思ってる。それにあいつとは昔馴染み、幼馴染っていうのかもしれないけど、それだけだよ」  それじゃダメ?  問いかけられると、いっそう居心地が悪い。 「ダメというか…………彼らは、あなたの幼馴染で、幼い頃からの仲なのでしょう?」 「そうだね」 「…………私の知らないあなたを知っているのが……ずるい……」  最後の一言はほとんど声にならなかったかもしれない。けれど鼻が触れ合うほど間近の距離にいるレンには聞こえたはずだ。  レンは最初ぽかんとした顔をしたが、続いて滲むように笑み崩れた。そうして力強くトキヤを抱きしめてくれる。 「おまえは本当に……、子どもの頃なんて、おまえと出会う前じゃないか」 「苦しいですよ、……それは、わかっています。わかっているんですけど……」  納得ができない。  この難しい、ぐちゃぐちゃとした感情は、どうやったらほぐれるのか。自分でもわからなくて途方に暮れている。 「……気に入らないな」 「え?」 「おまえにとって、今のオレより昔のオレのほうが魅力的だってこと?」  挑発的な言葉に首を横に振る。 「そんなことは言っていません」 「でも、過去のオレのことに気を取られて、今のオレのこと、ちゃんと見てないじゃないか」  怒ったように言われると、途端に弱くなる。 「違います、すみません……過去も全部ひっくるめて、あなたが欲しいだけなんです。私のものでいてほしいんです」  言ってから、また視線を逸らしてしまった。レンのことを好きだと言ってきてはいたものの、こんなことを言っては呆れられたのではないかと不安になる。  けれど、レンはトキヤの予想外だった。 「いたっ」  額同士が勢いよく合わされると、ぶつかってしまって軽い痛みが響く。何事かと思ってレンを見れば、笑みを含んだ表情。 「おまえは、本当に…………心が狭くて、不安になるよ。……だからといって、トキヤの想いの上に胡座をかいてるわけじゃあないんだけど」  おまえに余裕がないせいで、こっちは余裕があるようになってしまうね、と笑われる。 「……どうせ、余裕なんてありません」 「悪いなんて言ってない。そういうところも好きだよって言ってるのさ。そんなに一生懸命オレのこと好きなやつ、可愛くないわけがないだろう?」  好きだよ。  甘い声で囁かれ、くちびるにやさしく口付けられれば、機嫌を曲げたままでいるのは難しい。  悔しいが、惚れた弱みというやつなのかもしれない。 「ン……今日は、後ろから?」  少し意外そうな声音。  普段は顔を見たいから正面からばかりだ。だからレンが望んだ時以外はだいたい前からするのだが。 「ええ、今日は。……たまにはいいでしょう?」  あなたも好きじゃないですか、と言いつつ、衣を手早く剥いでいく。  目の前でふるりと振られた尻尾へ手を添えると、そっとくちびるを触れさせ――舌で舐めた。 「っ!? な、なに!?」 「触れただけですよ」 「あまり、触れないで欲しいんだけど……」 「聞けません」  他の日だったら聞けたに違いない。  けれど今日ばかりは無理だった。  少なからず、真斗や蘭丸の存在が起因していると、トキヤは自分でわかっている。わかっているからといって、理屈で割り切れるものではないのだ。 「触らせて」  ねだるように言いながら、逃げるように振られる尾の根元へ指を滑らせる。びくりとした震えは、あからさまにそこが弱いと教えてくれるようだった。  指の腹で掻き、撫でて、表側はくちびるで食む。髪と同様艶やかな毛並みは、彼の手入れが良いからなのだろう。潤滑油を取ると、尾の根元から後孔へ垂れるように瓶を傾けた。 「……ッ、ぅ……」  息を詰め、シーツを掴んでいる。耳はすっかり寝ていた。虎神族は尾の付け根が弱いとは聞いたことがあったが、レンも例外ではないらしい。  垂らした油で指を濡らす。ゆっくりナカへ入れた。切なげな声も聞こえて、嗜虐心をそそられる。彼に不利益を働くつもりは断じてないが、このまま意地悪を続けたらどうなるのかという好奇心はあった。 「ね……声、聞かせてください」 「ヤダ、ぁ……っ」  尾と孔の間をすりすりと撫でるだけでびくつく体は愛おしい。腰だけではなく、尾まで震えている。指を入れたナカも、同じようにびくついていた。  ナカを強引にほぐすと、レンの痴態にあてられて熱を持った自身を宛がう。掴んだ腰を高く上げさせ、ナカへと含ませていく。 「あ、っぁ……ッ」  嫌がるように、けれど悶え、強すぎる快楽から逃げているようにも、よがっているようにも見えるレンの体が、びくびくと震えて強張る。ナカも相応に圧がかかるが、気付いて前、性器に触れれば、しとどに濡れている。  だらだらと溢れ垂れる蜜液は、吐き出したわけではなさそうだ。 「……ッゃ、さわる、な……っ」  力の弱い抵抗。  出さずに達したのだろう。 「……ダメです、触らせてほしい」 「っ、あ、ぁあ……っ、やだぁ……!」  尾に触れていたから力が抜けているのだろう、逃げられないレンの腰を掴んで一息に奥まで犯す。高い声が上がり、肌も触れているが、構わず律動とともに性器が擦れるように包む。  蕩けるような声と苛むナカの感覚に、トキヤも少しずつ追い詰まる。 「レン……ッ」 「あ、アッ、も、イく……!」  レンの腰が高く上がり、トキヤに擦り付けるように動いたかと思うと体を弛緩させる。トキヤはさらに奥を突くと、そこで熱を吐き出した。  ナカから自身を抜くとレンの隣に寝そべり、まだ呼吸整わない体を抱き寄せる。 「は、……いたっ」  胸にがりりとした痛みを感じて慌てて下を向けば、恨みがましい目をしたレンが、トキヤの胸元に爪を立てていた。 「…………」  なんと言ったものか逡巡していると、今度は頬をつねられる。 「……時々、おまえは龍神じゃなくて虎神なんじゃないかって思うよ……」  はあ、と息を吐いて呼吸を整え終わると、ようやく頬から手を離してくれる。 「龍神、ですよ?」  ツノもあるし耳の形や尾も龍神のものだ。両親も龍神だし、間違いない。 「知ってるよ。……でもあのやり方は……」  無意識ならもっとタチが悪いのではないか。などとぶつぶつ呟く声が聞こえる。どうやらトキヤの返答は求められていないようなので、手はレンを抱き、撫でておく。  髪を梳く手は優しく、頭の形に沿うようにするのが好きで、ただ撫でるだけなら耳も撫でて良い。抱きしめる手は体に回すだけでもいいし、強く抱きしめられるのも好き。  一緒にいる間に、肌を重ねる間に覚えたことを実践していると、考えるのに飽きたらしいレンが抱きしめてくれる。  トキヤとしては、レンがあんなに昂るならまた尾への愛撫を施したいところだが、しばらくは警戒されるだろうし、今度こそ引っ掻かれかねない。忘れた頃にまた触れよう、と懲りないことを考える。 「……おまえとするのは気持ちいいんだけどね」  顔を少し離したレンが、ちらりと上目に見てくる。 「気持ちよすぎて困るから、あまり尾とか……触らないでくれない?」 「……気持ちよすぎて、何が困るんですか?」 「そりゃ……いろいろ……」 「気持ちよくなってほしいから触ってますし、気持ちいいならそのまま感じてくれたほうが嬉しいんですが」 「だから……なんていうかな……、……オレが、オレじゃなくなるみたいな……自分で自分が制御できないのは、少し……こわいから」 「私はどんなあなたも見たいので、怖がらなくて大丈夫ですよ?」 「……制御できてない自分を見て、おまえが呆れたり冷めたりするんじゃないかって言ってるんだ」  それがイヤなんだよ、と怒り口調で言われ、肩まで噛まれる。 「いた、……もう。嫌いになんてならないと言っているでしょう。杞憂ですよ」 「どうだか……」 「そういうことは、私があなたのそういう状態を見て、萎えたことが一度でもあってから言ってください。今までだってなかったでしょう?」 「そうだけど」 「でしょう? なので大丈夫です。安心してよがり狂ってください」 「よが……おまえね、もっと言い方ってものがあるだろう」 「いたっ!」  がり、と先ほどより強く掻かれた。血は出ないだろうが、痛いものは痛い。  そんなに恥ずかしがることはないのに。  思うが、これは受け手側特有の悩みなのだろうか。だとしたらトキヤにはまったくわからないことだ。 「何度でも好きですと伝えますから。まずは試してみましょう」 「……こういうことには押しの強さを発揮するよね……」 「イヤでしたか?」 「急に引かないでくれるかな? ……今度ね」  今日はもう疲れたから寝る、と宣言されれば、薄めの上掛けをふたりの上にかける。少し肌寒くなってきたが、レンを抱きしめていると暖かい。だから上掛けを厚くする必要はあまりなかった。もう少し冷え込んできたら替えよう。  そんなことを考えながら、ゆっくりと眠りの淵に落ちた。
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