神族の中でも、龍神族は尾が長く美しい者が多い。だが、龍にもよるが、他の神族のように普段から尾をすっかり服の外に晒すことはあまりない。正装や礼装・盛装の際はその限りではないが、いつもは袴の履き口あるいは中衣などに巻きつけたり、中衣の下で浮かせたりしている。外で見せても先の方だけだ。たいていは家族の前や寛いでいる時だけに見せている。
特別に外で見せる場合は、装飾をつけていることが多い。尾への装飾は礼装・盛装用に作られたものの他、想う相手から贈られた装飾品が主になる。だから装飾を見れば既婚・決まった相手がいるかどうかもわかるようなデザインの傾向もあった。
――という話を大雑把に音也や翔から聞いていたレンは、今とても悩んでいる。
龍神族で数十年に一度の祭があり、それにトキヤも参加する。なんでも彼の、血が半分繋がった兄と舞を披露するらしい。そのせいでここしばらくは稽古もあり、帰りが遅かった。
せっかくだし、何か飾りを贈りたい。
決闘の日以来トキヤの世話になっているが、世話になるばかりは性に合わない。翔の手伝いもしているし、たまに翔と街中に出て買い物がてら様々な店を覗きもするが、役に立っているという実感が薄い。
祭礼衣装はきらびやかなものを纏うという。その衣装に霞んでもいいし、龍神族の祭には参加できない自分の代わりに、ささやかでも自分の代わりに何か贈りたいと考えていた。
贈るなら、尾やヒレを飾るものがいい。彼の美しい尾やヒレを飾れたら、嬉しいと思う。そこまではすぐに思いついた。けれどその先の案が浮かばない。
レースや宝玉、房飾りなどを用いて尾にヴェールのように纏わせるだとか。
玉を連ねて、錦糸を編んだものと提げるのはどうかとか。
いっそ尾ではなく角や耳を飾るもののほうが、などと考えすぎ、わからなくなってきたのがここ数日のレンだった。
「そんなに真剣に悩むことかぁ?」
相談相手になってくれているうちのひとり、翔はやや呆れ顔だ。
「そりゃあ……他にお礼を返せる機会がないし」
「まあそれで日中に稼ぎに行ってるのを黙ってるのはいいけどさ」
「何で稼いでるの?」
遊びに来ていた音也が問いかける。レンは翔が淹れてくれた白茶を一口飲んだ。茶請けは唐辛子がまぶされた煎餅だ。
「花街で髪結い・化粧・出店の手伝いなんかをね。おチビも一緒だから、言いつけは守ってることになると思うけど」
「できる限りトキヤが動向を監視する、だっけ? 翔ならトキヤの身内だし、間違いはないと思う」
誰かに何か言われても、俺が味方になるよ、と言ってくれるのは心強い。他神族に嫁いだり、婿入りした先の実家というわけでもないから、なかなか友人も作れないと思っていたが、とりあえずこのふたりがいてくれるのはありがたかった。
もう少しあちこち出歩きたい気持ちはあるが、それはもっとほとぼりが冷めた頃にするべきなのだろう。
「それで、手伝いで貯めたお金で装飾品を買いたいって……実物は見たの?」
「それらしいお店には、おチビが色々案内してくれたし、花街の妓女やお客さんたちがね。教えてくれたりしたから、見せてもらったりもしたんだけど……なかなかピンとこなくて」
いざ探すと難しいね、と溜息を吐き、またお茶を一口飲む。お茶は龍神族の街で暮らすようになり、トキヤがよく飲んでいることもあって口にする機会も増えたが、茶葉によって味が違うのが興味深い。
ぱりん、と煎餅も歯で割ると、もぐもぐと咀嚼する。ぴりりと辛い味が気に入っていた。トキヤはあまりこういった刺激のある菓子を好まないが、レンが好むのを知って、よく買ってきてくれるようになった。
腕を組んだ翔が、ちらりとレンを見る。
「いっそ作っちまうのもアリじゃねえ?」
「作る?」
「全部を作るのは無理でも、装飾のデザインだけ考えて、職人に依頼するとかさ。今ならまだ一年あるから、ギリギリ間に合うだろうし」
「オリジナルってこと? カッコイイ!」
音也が手を叩き、いいアイデアだと褒める。レンも感心して頷いた。
「自分でデザインか……それは思いつかなかったな」
「腕のいい職人なら、材料が揃えられれば他の神族にも依頼できるだろうし……」
「俺、蛇族なら知ってる。細工が得意なんだ」
「俺も鹿族なら知り合いがいる。玉の飾りや加工が得意だったはず。他にも、そいつらの伝手を頼って腕のいい職人を紹介してもらえると思う」
「……じゃあ……」
お願いしようか。
思い立ったが吉日とばかり、ふたりは知り合いへ連絡を取り、レンは大きな紙にどんなデザインを思い描いているのかを形にし始めた。
レンが、自分にはナイショで何かしている、ということにトキヤは気付いていた。
花街で髪結いや露店・出店の手伝いをして働いている話は、花街に行く同僚や上役からそれとなく聞いていた。家の中でジッとしているのは性に合わないタイプだろうとは思っていたし、翔がついているのなら対外的にも大丈夫だろうと、特に何も言わないでいた。帰ればちゃんと出迎えてくれていたから、口うるさくする必要もないとも考えていたのだ。
祭まで半年を切り、様々な準備や手続き、舞の練習が佳境に入ってきたことも含め、ゆっくりとふたりの時間をなかなか取れないでいたことは気がかりな事案のひとつ。
音也はそんな中で次期族長だというのに、たまに姿を消しては翔やレンを構っていると聞いた。何度か怒りが爆発しそうになったが、完全に私情であることを誰より自分がわかっていたので、なるべく堪えるようにしていた。
レンが笑っていられるなら、いいか。そう思って諦めるようにしている。ただし、音也自身がやらねばならない仕事だけは、きっちりと残してある。
「いよいよですね……」
本格的な祭自体は明日から始まるが、その前日、今日は宵祭りだ。
祭は五日かけて行われ、前夜祭である宵祭りを零日として、本祭は五日目まで、六日目の夜を後夜祭としている。
宵祭りでは祭を行うにあたっての神事、聖なる泉で聖なる鏡を浸して磨きあげることが行われる。また、泉の外では祭壇が設けられ、神器だと伝えられている楽器での演奏が行われる。演奏にはトキヤも参加した。
一日目のメインは着飾った妓女や舞手が街中を練り歩く。この街を龍神族の中心地と定めた時、多くの女性龍神が土地を見定めに訪れた故事に由来するらしい。派手に着飾った女性たちを眺めるのも、その両側で踊り、楽器を吹き鳴らす舞手や楽師の舞踊演奏も趣向が凝らされ、見ていて飽きないものになっていた。
二日目は露店・屋台での賑わいが中心になり、三日目が奉納舞が行われる。トキヤの練習の成果が出るのはこの日だ。
数人の舞手により、交代で夕方から四日目の朝まで、一晩中舞われる踊りは、聖なる泉が湧き出た時の故事を表現していると伝えられていた。そうして、舞手に選ばれるのは栄誉なことだというのが、龍神族での常識だった。
「トキヤ」
舞の衣装に着替えるために調えられた簡易的な室に、音也がひょっこりと顔を出す。
「音也。……あなたも支度があるのでは?」
練習をたまに抜け出していた音也だったが、次期族長の彼も、この祭では重要な役割を果たす。奉納舞での主役は彼だ。もっとも、踊りが難しいのはトキヤのほうだったりするのだが。
咎められると、音也は頬を掻く。
「支度は、俺はすぐに済むから。それより、いま大丈夫?」
「これから着替えるところですが……なんです?」
音也は扉の背後を振り返ると、誰かを手招きしたようだった。装飾を凝らした外套をかぶった背の高い人物が、するりと室へ入ってくる。
「……レン。どうして、ここに」
他神族は入れないはずだ。わずかに狼狽えると、音也が口を挟んだ。
「俺が色々誤魔化したんだ。って言っても、あんまり長い時間は無理だから……」
「わかってるよ。ありがとう、音也」
ちょっとの間だけ出ておくねと言い、音也は扉の外に出て行った。何を言ったものか。悩んでいると、レンが包みを差し出してくる。
「これ。……受け取って欲しい」
「……? 開けても?」
差し出された包みは、重くもないが軽くもない。柔らかいもののようで、布地か何かだろうか。
「もちろん」
レンが頷いてから、トキヤは包みを丁寧に開けた。中の物を大きな卓に広げる。
「これは……」
「……尾のね。飾りを、贈りたくて」
広げた形が楕円をしているのは、尾にかぶせた時の装飾のバランスを考えてのことだろう。形としてはオーソドックスだ。けれど装飾は凝っている。
レースは全体的に細い銀糸、ヒレの部分や縁取りに房飾りや小さな紺の玉を連ねた飾り。小さな鈴も何箇所かに付けられていた。動けば涼やかな音色が響くだろう。
本体部分のレースへも小さな玉・宝石を散りばめてきらきらと輝く。メインである装飾の刺繍は、濃淡のある紫の唐草と、大輪に咲き誇る橙の花。――レンの、髪色に似た。
意味は。深読みしても、いいのだろうか。いや、そもそもレンは意味を知っているのだろうか。
「オレは、遠くから見るか、街のほうにしかいられないからね。だから、代わりだよ」
「あなた……意味はわかっているのですか」
「え?」
きょと、としたレンの顔に悟る。これは意味をわかっていない。
トキヤがこの飾りを尾に纏えば、たいていの者はその意味を推し量るだろう。なにしろ、トキヤが虎神族のレンと暮らしていることも、うつくしいから目立つレンの容姿も、知っている者が多いから。
扉が開き、ひょっこりと音也が顔を出す。
「ねえ、そろそろ……」
「あ……じゃあ、行くよ。それ、使ってくれたら嬉しい」
「え、ええ。もちろん。使わせてもらいます」
またね、と手をひらひらさせて出て行ったレンを見送っても、しばらくトキヤは動けなかった。
「翔、なんでレンに言わなかったの? 尾の飾りに自分と相手の色を入れるのは、付き合ってる証だって」
「デザインできた時のあいつのめちゃくちゃ嬉しそうな顔見て、言えるか? それに音也だって言わなかったじゃねーか」
「……言えないよね……」
「だろ……?」
レンが尾の飾りの真実を知るのは、もう少し後のことだった。