03 龍のトキヤと虎のレン

 ――前回までのあらすじ――  レンの悪口を本人の目の前で言うモブに腹を立てたトキヤは、彼らを尻尾で全力殴打し、決闘を行うことになるのだった。 「俺のことあれこれ言うけどさあ、トキヤも相当じゃん」  音也に呆れられるのは、たぶん産まれてからこの先も、この一度きりだ。 「まあ、俺は楽しそうだからいいけど。見せ物みたいになるのはいいの?」 「大勢の前でぐうの音も出ないほど叩きのめせば、少なくとも彼らは懲りるでしょう。……それより龍神族のお歴々に付け入る隙を与えてしまったのではないかと思うと、そちらのほうを失念していましたので、後で対処を考えます」  ただでさえ若いトキヤが族長や次期族長の近くにいることを疎ましく思う古龍は多い。彼らに対し、無用な批判材料を与えてしまうのはよろしくなかったかもしれない。今となっては遅いが。  けれど音也は手を振る。 「あ、それなら大丈夫」 「? 大丈夫?」 「さっき、様子が気になったからトキヤのこと嫌ってるじーさんたちの部屋に寄ったけど、トキヤの株、上がってたよ。虎神相手に真正面から決闘するなんて見所がある、って」 「……いつからうちの重鎮たちは脳筋に……」 「あはは! 虎神相手だからだよ。長年蟠りあるのは、お互いわかってるし……でもお陰でお咎めなしだから、いいんじゃない?」 「結果を見ればそうですが……」 「ねえ」  部屋の隅に置かれた足の短い牀から体を起こしたレンが声をかけてきた。ふたりでそちらを向く。 「なんですか?」 「どうしたの?」  虎神族のレンが龍神族側の部屋にいるのは、レンが今回の中心点だからだ。虎神のレンのために虎神と決闘するのだから、レンが虎神のほうにいては、身の安全が確保できない――というのが建前になっている。  そのレンは、トキヤと音也を交互に見る。どうして戸惑っているのが自分だけなのか、理解できないようだ。 「いや……なぜ、当たり前みたいにトキヤが勝つ前提なんだい? 相手は三人同時なんだよ?」  レンを迫害してきた相手だから、レンは相手のことをよく知っている。  卑怯な手を使うことは充分考えられるし、規定の抜け道も突いてくるかもしれない。あの男たちが卑劣なのはレンが一番知っているから、どんな対策を練っても足りることはない。なのにどうしてこんなにのんびりとしているのか。  レンの問いは、言われてみれば至極真っ当なものかもしれない。 「…………」 「…………」  トキヤと音也が顔を見合わせる。それからトキヤは何かに感心したように頷いた。 「私が負けるという発想がありませんでしたね……」 「嘘でしょ……」  レンの頬がひくりと引きつる。トキヤは、本当にそんなことを考えたこともなかった顔で言ってしまった自覚はある。  フォローが足りないと感じたのは音也のようだった。 「レン、大丈夫。トキヤが自分から喧嘩を売ることは今までなかったけど、売られた喧嘩で負けたことは一度もないよ! 学生の時なんて、四対一でも勝ったでしょ」 「数だけでいえば六対一ですね。ですがあれは相手の力量が下すぎました」 「四対一の時は術技も格闘もトップ10に入る先輩たちだったじゃないか。澄ましてて生意気ー、とか難癖つけられて」 「澄ましていたわけではなく、こういう顔なんですが……あの頃には同級生や下級生で私に喧嘩を売ってくる人たちはいなかったので、かえって新鮮でしたね。そういうわけで、レン」 「うん?」  突然話を振られて、レンが首を傾げる。話について来れているのかはわからない。 「安心して見ていてくださいね。私は絶対に勝ちますから」 「あ……うん……」  安心させるように微笑みを向けたが、レンはどこか引いた様子があった。後で聞いたところ、「妖魔の類でもあんなきれいで怖い笑みを浮かべない」と言ったらしい。  他神族同士で行われる決闘は、色々と決まりごとがある。どちらかに有利な事象が起きないようにするためだ。審判に当事者たち以外の神族が複数当てられるのもそのひとつ。観客席に囲いをつけているのもそのひとつ。  決闘で使われるのは、各自が得意な得物ひとつ。刀、剣、槍、斧、短刀、暗器、なんでもいいし術を使ってもいい。武器に対して術が有利かと言えば、必ずしもそうでもない。術者の力量次第では集中や術の発動の速さ・具合に左右され、武器に劣る場合も多い。  選んだ得物は事前に登録され、登録した以外の得物は使うことができない。仮にこっそり持ち込んで使用すれば反則で、反則によって相手が死んだ場合は反則した側も処刑される。  虎神族の三人は、それぞれ大爪・槍・術を登録したと、開始前に公表された。大爪は手に装着して振るう、三本爪の武器だ。引っかけて抉り、相手に大怪我を負わせることに特化している。傷の治りが遅く、一撃をまともに食らえば重傷になり、助からないことも多い。  対して、トキヤは術だ。  術は、神族であれば誰でもおおむね二種類の術が使える。相反する術同士を使えるのは稀だが(たとえば土と水)、だいたい五行の中から相性が良いものを学校で学び、伸ばしていく。  神族として相性がいい属性もある。龍神なら水だし、虎神なら火や土だ。  虎神の術士は自身の持つ、第一の術に決めたらしい。  第一の術は、自身と最も相性が良い術のこと。力が強ければ四でも五でも使えるらしいが、普通は一か、せいぜい二までだ。  決闘で使える術は、自分が使える術の中からひとつだけだと決められている。だから得意とする術・第一の術を使うのは当たり前だし――おそらく、トキヤが術を使うことと龍神族であることを考えた結果、トキヤが水の術を使うだろうと見越し、虎神族としても得意である土の術を登録しただろう。  互いが登録した武器や術は、直前に互いへ知らされる。得物の変更はできないから、後は始まるまでのわずかな時間が戦略の練りどころになる。  レンと音也は、観客席の中でも見晴らしがいい席を陣取った。会議に参加している神族なら誰でも見られるし、龍と虎の水面下での仲の悪さは知られているから、多くの者たちが見物に来るだろう。それを見越して早い時間から席にいた。  ふたりの話題はやはりトキヤのことだ。 「トキヤはね、剣でも刀でも槍でも、なんでも使えるんだ」 「なんでも?」 「なんでも。曲刀とか、苦無も使えるよ。武器なら得意なのは刀かな……俺は剣や棍なんだけど。術よりはまだトキヤとまともに戦えるし、勝つこともあるんだ」  見物席の一角に陣取った音也と、虎神族に戻るほうが危ういから彼らの傍にいるレンは、ひそひそとした声を交わす。目の前には、まだ無人の決闘場。刻限はもうすぐだ。 「だから、トキヤは術のほうが得意なんだよね。まあだいたい龍神族って、術のほうが得意だと思われがちだから、それはそうなんだけど。あいつは術を選んだけど、何番を選んだと思う?」 「それは……まだ発表が」  音也は悪戯な笑みと片目を瞑って見せると、決闘場の二階席に近い位置に今掲げられたトキヤ側の得物を指差した。  術――第三。 「三?!」  一番の得意な術を使うのではないのか。狼狽えるレンに、音也は呑気に声をかける。 「二でもいいんじゃないかって、俺は思うんだけどね。一だって、絶対勝てるし。三は俺も一回か二回くらいしか使われたことないけど……よっぽどトキヤの逆鱗に触れたんだね」  楽しみだなあ、と笑う音也の顔を、レンは信じられない気持ちで見つめる。少しして表情を和らげ、深く息を吐いた。  逆鱗に触れたなら、それこそ第一の術を使うのではないか。だが虎神の相手が第一の術で土を使ってくるのは間違いない。不利を承知なら、回避として第二の術を使っても良さそうだ、という理屈はわかる。  だが、第三とは。  どうなるのかまったくわからない、と思っているのは自分だけのようだとレンは音也を見て思う。音也はトキヤが負けるなどとは微塵も思っていないようだ。学生時代からの付き合いのようだし、互いの力量はわかっているから信頼しているのだろうけれど。  その信頼が、羨ましい。  自分とトキヤは、まだそこまでではない、と思う。いま、彼の勝敗や怪我を心配しているから。 「……トキヤのこと、信頼してるんだね?」 「まあ……そうかな。トキヤってさ、俺と歳が近いんだ。だから学校では、よくトキヤを見習えって師々たちに言われてた。あいつの下級生なら、たぶん誰でも言われたと思う。上級生だって言われたかも。それくらい、あいつはなんでもできてたんだけど……そうなるために、めちゃくちゃ努力してるって、知ったし、わかったから」 「努力?」 「うん。あいつはそういうの、表に出すの嫌いみたいなんだけどね……あ、始まる」  どん、どぉん、と、腹に響くような太鼓の音。まず審判五名が場内に入り、四隅と壁側中央、互いの得物を掲示した下に立つ。それから太鼓の音は小刻みに忙しくなったかと思うと、どぉん、どぉん、数度の大音の後、東西の扉が開かれた。西からはトキヤ、東からは虎神の三人。  場内は教室四つ分四方ほどの広さがあり、坂や木や石など、障害になるものは取り払われている。  トキヤは無表情に男たちを睥睨しているが、三人の虎神は人数の多寡で己たちの有利を確信しているのか、ニヤニヤと笑っていた。トキヤの尾に殴打されたことを忘れているのか、単にあれは不意討ちだからまともに喰らったのだと思っているのか。  同族ではあるが、醜いと思うし、恥ずかしいとも思う。虎神族でレンと同じような気持ちになってくれるとすれば次期族長だが、彼は彼で立場があるから、レンと同じようには思えても、発言は許されないだろう。  四人とも、似たような服を着ている。礼装とは違い、袖の短い武官の略装。ズボンは脚絆で裾をまとめ、動きやすさを優先したものだ。鎧などという大袈裟なものは纏っていないが、三人の虎神は胸当ては装着している。死なせてはいけないのだから、装備が簡略化されるのは当然かもしれない。  対してトキヤは。胸当てすら装着していない。「勝ちますから」と力強く断言されてはいるが、それでも油断しすぎなのではないか。心配せずにはいられない。 「ねえ……ほんとに大丈夫なんだよね?」 「大丈夫。相手はトキヤの髪の先だって斬れないよ」  トキヤと付き合いの長い音也の言葉をせめて保証にする。それでもレンの心臓はどくどくと強く早く脈打った。  開始の合図は、打ち鳴らされる鉦鼓だ。  先手を取ったのは虎神の大爪使いと槍使い。槍使いが先陣を切り、避けたところを大爪が払う作戦のようだったが、トキヤはどちらも柳のようにするりと躱した。  躱したところへ襲いかかったのは、術士の術による地面の陥没。トキヤの足下が崩れたところで、同時に左右から剣と槍が迫り来る。 「トキヤ……!」  何故避けない。彼なら避けられるはずのタイミングだ。その間合いでは何も躱すことができない。  咄嗟に立ち上がりかけたのを、音也の手が阻む。 「来るよ」  見て、と反対側の手で場内を指され、促されるまま見れば―― 「……えっ」  場内がざわつく。  皆、何が起こったのかわからないようで、皆が戸惑った顔、声をしていた。隣同士で顔を見合わせ、決闘場を見る。  場内では虎神族の術士が作った大きな窪みの上にトキヤが立ち、三人の男たちは地に這いつくばっていた。 「一体……何が……」  陥没ができて男たちの凶刃が迫った時、トキヤが右手を水平に払ったのは見た。その次の瞬間には、男たちが地面と仲良くしている。そうして、トキヤは陥没に落ちていない。浮いているように見える。  何が起きた? 「規定では」  トキヤの冷えた声が響く。 「決闘での殺しは御法度。……つまり、殺さないなら何をしても構わないということです。私が何を言っているのかわかりますね? あなたたちも私にそうしようと思っていたみたいですから、当然わかりますね。ああ、返事もできませんよね。すみません。時間が勿体ないので、有言実行させてもらいます」  水平にした手を少しずつ下へ下ろしていく。男たちが脚をばたつかせた。苦しげに蠢いているが、何が起こっているのか、傍からはまったくわからない。観客の誰もわからなかったろう――音也以外は。 「……思い出しましたが、爪と槍を使ったあなたたち。レンの腹を抉り脚に怪我を負わせたのはあなたたちですね?」  気配と尾に見覚えがある、とトキヤは指摘する。  首だけは動くのか、ふたりは蒼白な顔を上げたが、トキヤは冷ややかに見下ろす。視線だけで氷漬けにできそうだ。 「同族をよくも嬲り、怪我をさせたものですね? その後も何度か怪我を負わせたでしょう? あの、うつくしい体に……」  ゆるさない。トキヤが酷薄に呟いた言葉が聞こえたのは、何故かレンだけだった。  下げた腕を、今度は肘を曲げて指先を天へ向ける。トキヤの動きに合わせるように、ふたりの体は見上げても小さいほどの高さまで持ち上がった。楼閣や塔の七階分ほどの高さだろうか。驚きと、感嘆の声があちこちから上がる。 「私のレンに危害を加えるのなら、容赦はしません」  それからトキヤはフッと腕の力を抜き、手を下ろした。途端、男たちの体は地面へと投げ出され、野太い悲鳴が響く。見物席からも悲鳴めいた声が上がった。そしてそのまま―― 「トキヤ!」  レンの声と、トキヤがまた腕を横へ払ったのは同時。  地面との激突を紙一重で免れた男たちの体は、数秒の静止の後、乱暴に地面へと投げ出される。地面に軽く激突した彼らが、気を失っているのは明らかだ。  トキヤが一歩二歩、足を踏み出す。もうひとり残っていた、術士のほうへと向かっているのだ。気付いた見物人が息を呑む。 「全員、生きていますね」  事実を言っているだけなのに、楽しげにも、酷薄にも聞こえた。聞いた者を凍えさせるような声音。ゾッとする。  トキヤは男まで二歩手前まで近付くと、足を止める。潰れた蟇蛙のように憐れな男へ、優しげな声音をかけた。 「……続けましょうか」  男へ笑みかけるトキヤは、どんな魔物より凄絶な美しさがあった。 「やっぱりインパクト大! だよね、あの術。みんなぽかんってしてた」  さすがに子供の頃より精度上がってるね、下手すると曲芸だけど、と嬉々として音也が笑う。  あの後、術士の男を気絶させない程度に弄んだが、堪え性がないのか十分程度で気を失ってしまい、規定に基づきトキヤの勝利で終了した。  終わりがけには、慣れた見物人たちも盛り上がりを見せていたので残念そうではあった。違ったのは虎神族だけだったろう。  決闘を終え、着替えと湯浴みを済ませて一息ついたトキヤのところに、レンと音也がやってきた。途端に賑やかになる。 「お疲れ様、トキヤ」  まず労いの言葉をくれるレンに手を伸ばすと、ぎゅうと抱きしめた。少しばかり彼のほうが背が高いが、首から肩のラインのあたりに頭を預けると安定するので、これはこれで気に入っている。 「はぁ……」  深々と息を吐き出すと、抱きしめる腕に力を込めた。これだけで癒される気がする。あの程度でそう疲れるわけはないが、怒りのまま一息に潰してしまわないようにすることだけは気を付けていた。  見物人の反応で、その努力は実を結んだようだとわかったので良いのだが。 「何してんのトキヤ」  音也の平坦なツッコミにも構わず、レンの首許に甘えるような仕草をする。 「頑張ったので栄養を補給しているんです。そういうあなたは、何故ここにいるんですか? 邪魔するつもりならぶっ飛ばしますが」 「うわっ、そういうこと言う……? せめてこっち見て言ってよ。俺だってカッコ良かったって言いたかったし、一応おっさんたちの決定を伝えにきたんだけど」 「…………」  決定を、と言われると、ちらりと音也を見る。体勢を変える気がなさそうなトキヤの様子に、音也は溜息を吐いた。 「……ひとつ目が、良くやった。ふたつ目が、良くやったから今回の件は不問に付す。三つ目が白虎――レンだね――は、虎神族に戻しても何があるかわからないし、同じことが起こるかもしれない。決闘は何度観ても楽しいものだけど神族間で戦争を起こしたいわけじゃないからトキヤの家で面倒を見て、トキヤが動向を監視する条件で、龍神族の領内にいて構わない。それでもなるべくトキヤの縄張りの中にいるようにすること。四つ目が、今後レンに絡んで何か虎神族と面倒事が起こるなら、全部トキヤが始末をつけること。その際の手段は自分で考えること。以上!」  よどみなく伝達をくれた音也の顔を、まじまじと見つめる。 「……それだけですか?」 「そうみたい。あ、おっさんたちはこれから宴会開くから、俺たちは明日も休息日だって」  思っていた沙汰よりずいぶんラク、というよりトキヤへの不利益が少ない。決闘前、音也が重鎮たちの様子を教えてくれたが、本当に誇張のない話だったのかもしれない。  とはいえ、何故、龍神族と虎神族の仲があまり良くないのか、トキヤは本当の原因を知らないのだが。快哉を叫ぶほどの、どんな蟠りがあったというのだ。そのうち、そのあたりを探ってみてもいいかもしれない。 「……虎神族のほうは大丈夫なんですか? 私が訊くのも何ですが、大荒れでしょう?」 「そっちは族長のおっさんがなんとかするって。でも、トキヤのあの術を見た後なら、あっちもまた決闘を申し込んできたりはしないだろうし……他で絡むことも減るんじゃないかな」 「それならいいですが……」  トキヤ自身に降りかかる火の粉なら、いくらでも自分で払うつもりがある。払えるとも思っている。戦闘になっても一部隊程度なら三の術でどうにでもなるし、一の術でも充分だ。  レンのことも守る。  決して弱いとも思っていないし、守られるだけの存在ではないとも思っているが、それはそれとして守りたいと思う。 「じゃ、俺は行くね」 「花街ですか?」 「訊くだけ野暮ってやつ。まったねー!」  問題を起こさないでくださいよ、とは今だけは言えず、苦笑して見送る。 「……一気に静かになりましたね」  ずっと立ったままレンを抱きしめていたので、音也が出て行ったのを機に、場所を移動して榻に座り、自分の膝に横向きでレンを座らせる。顔が見られるし接していられるし、この体勢は気に入っていた。  トキヤに放されないことは察しているのか、レンはおとなしくしていた。 「レン、食事はとりましたか?」 「食べたよ。豚肉の塊を煮込んだやつ、おチビが作ったほうが味が好みだった」 「翔が聞けば喜びます。お茶は飲みますか?」 「飲ませる気、ある?」  この体勢で、と笑われるが、ないわけではないのだ。これでも一応。 「ねえ」 「はい」 「あの……決闘の、あれ。あれって、術なのかい?」  どうやらずっと疑問を抱いていたらしい。こちらを見る青に、トキヤはこくりと頷いた。 「術ですよ。武器は持っていなかったでしょう?」 「まあ……そうだね。手を払ったり、腕を上げたり下げたりしてただけだ。でもどうしていきなりあいつらが這いつくばったり、宙に浮いたり、トキヤが陥没に落ちなかったりしたのか、わからないんだけど……」 「そうですね……あれは五行には属さない術だと思いますし」  レンの疑問も当然か、と頷く。レンは間近でかわいらしく小首を傾げた。 「五行に属さない? そんな術があるのかい?」 「あまり知られていないだけで、ありますよ。中には術だと思われていないものもあるかもしれませんね」 「……で、なんだったんだい?」 「平たく言えば、重力です」 「重力?!」  男たちが這いつくばったのは重い重力を上からかけたからだ。立ったまま受けるには耐えられずに這いつくばった。浮き上がったのは重力を軽くした上で、下から持ち上げたから。  トキヤが浮いて見えたのも、重力を軽くしていたからだ。 「戦う機会があれば有用だろうと思って技を磨いてきたのですが、読みは当たっていましたね。当初は小石しか浮き上がらせられなかったんですが」 「……きみ、なかなか怖い男だったんだね……」  来るかどうかもわからない機会のために、使えるかどうかもわからない術を磨くなんて。何か強い想いでもなければできないのではないか。  言われると、そういうものなのだろうか、と不思議な気持ちにもなる。 「私には才能がありませんから。持っているものを最大限に磨いて武器にするしかないんです。……最初にあなたを救えたのも、今も。そのお陰だと思っています」 「……そう、言われると咎めにくいんだけど」 「私が何かしましたか?」  問うと、レンは視線に険を籠もらせた。 「ほんとはあいつらを秒殺できたのに、しなかっただろう?」 「…………」  咄嗟に誤魔化せなかった。 「それは……ほら、あまり一方的だと、神族間の関係がさらに悪化しかねませんし?」 「あれだけ叩きのめしておいて、それを言う?」 「いえ、まあ、そうですけど……見せ場がゼロより、寸分ほどでもあったほうがマシでしょう?」 「……違うな」 「え?」  レンの澄んだ青に、じっと見つめられる。見透かされている気がした。居心地が悪い。 「腹いせと、見せしめだろう?」 「……まったくそうではない、とは言えません」  レンに対するあの男たちの態度に腹が立っていたのは事実だし、レンのこのうつくしい体を損ねた連中だと気付けばはらわたが煮えくりかえるような衝動も沸いた。  決闘でなければ八つ裂きにしていたかもしれず、決闘で良かったとあの連中には思い知ってもらいたい。以後、虎神族での立場も微妙になるだろうが、それも自業自得だ。それすら忘れてまた何か仕掛けてくるようであれば、また痛い目を見せてやるだけのこと。 「…………ちょっと自惚れて言うけどさ。おまえ、オレのこと好きすぎじゃない?」 「えっ? ……そんなふうに言われてしまうほど……?」 「……そうだね……」  レンの表情はどこか憐れみすら纏って見える。トキヤは焦った。 「いえ、たしかに決闘中『私のレン』などとあなたの意志を確認せず言ってしまいましたし案外しっくりきてしまったのでできればこのままでいて欲しいとも思いますし、さらにできればこのままずっと抱きしめていたいですし、もしあなたが虎神族の領内から出られなくなるというのであれば滅ぼすのもやぶさかではなかったですし、そうならなかったのは幸いでしょうけれどこのまま私のところにいてほしいとも思っていますが、そう言われるほどでもないのでは?」  早口で捲し立ててしまった。レンにはいっそう哀れみに満ち溢れた視線をもらってしまう。 「……別の誰かが今のきみと同じことを言った時の、おまえの反応が気になるところだよ」 「んんっ」  頬を両側から軽く引かれる。レンは笑っているから、そう悪い反応ではないのだろう。この人は笑っているほうがうつくしさが増す。憂いや曇りは払ってしまいたいと思う理由のひとつだ。  柔らかく垂れた目尻のラインに口付ける。レンの手が、頬を撫でてくれた。反対側へくちびるを押し当てられる。角を撫でられるのは、少しくすぐったい。 「音也が……」 「うん?」 「音也が、言うんです」 「あの子が? なんて?」 「……つがいなら、トキヤとが良い、と」 「…………だいぶ遅いんじゃないかな?」  現在に至るまでにつがいらしい想いが互いにないのであれば、トキヤと音也がつがいである可能性は低いだろう。学生時代はとうに過ぎているのだから、誰にでもわかることだ。  トキヤも「ええ」と頷いた。 「それもあるんですが、私は違うことを考えました」 「違うこと?」  どんな? と問われ、レンの瞳を見つめる。 「あなたが私のつがいなら良いのに、と」 「…………そう……」 「…………」  トキヤは何度か瞬きしてレンを見た。彼の白黒の大きな耳は、ぺたりと平たくなっている。尾も忙しなく揺れていた。今まで散々と、裸体や痴態を見せてトキヤを煽っておきながら、どうして『つがい』には頬を染めるだとか、うぶな反応をしてくれるのだ。  指先で、そっとレンの頬を撫でる。ちら、と揺れたのは彼の白黒の耳だ。そのはにかみが意味することは、レンも、同じように想ってくれているということだろうか。そうであるなら、この上なく嬉しいことなのだけれど。  言葉で問うのは容易いが、否定されてしまうのはイヤだ。だから問いの代わりに抱きしめた。 「……レン」 「なんだい?」 「……抱いていいですか」 「いいよ」  承諾を得れば膝裏を掬い、背を支えて抱え上げる。最初の頃こそ抵抗はされたが、最近ではすっかり慣れてくれたようだ。  牀へ移動すると、そっと下ろし、目許へ口付ける。ふかふかとした耳へ指を伸ばせば、ぱたぱたと震わせられて嫌がられる。構わず外側の短い毛の艶やかさや内側の皮膚の滑らかさに触れれば、溜息にも似た息混じりの、小さな声が漏らされる。  その声すら欲しいとくちびるへ口付け、舌を滑らせる。細帯を解き、腰巻を剥いで下衣も乱す。上衣の袷を開き、舌で舐めるように手のひらで肌を撫でた。  出会った時、負っていた大きな怪我の痕は、かなり薄れている。食事に混ぜた薬や特製軟膏のお陰だ。いつかは完全に消えてしまうかもしれないが、今はまだ痛々しさを残している。  あの男たちがどういうつもりでレンを虐げていたのかなどどうでもいい。ただ事実として、レンを傷付けた。体だけではなく、心も。あの程度の痛みで済んだことを感謝して欲しい。彼らはせいぜい内臓のいくつかを壊したくらいだ。どうせそれも正しい治療をされれば治る。 「……トキヤ」 「っ、はい」  くちびるが離れた時に名を呼ばれ、顔をあげる。目尻がいつもより垂れて甘い表情になっているのはそそるが、少し苦しげだ。 「何か他のこと考えてただろう」 「それは……」 「抱きしめてくれるのはいいけど、苦しい」 「!」  慌てて腕の力を抜く。レンがほっと表情を緩めた。 「細腕だし、見た目ではそんなに力なさそうなのに、案外力強いよね……」 「すみません……」 「トキヤに抱きしめられるのは好きだけど。今は、オレに集中して。……妬けちゃうから」 「……妬くんですか?」 「目の前にいるオレ以外に気を取られたのなら、当然だろう?」  まったく、と苦笑されつつ頭を撫でられてしまった。  年下扱いされている気がするが、今は甘んじて受けておく。 「……あの」 「ん?」 「私は、あなたが好きで……、あなたがどういう気持ちで私に体を許してくれたのか、わからないですけれど、たぶん最初から好きなんです。大怪我を負って、気を失っていたあなたを保護した、あの時から、ずっと。あなたが触れていいと言ってくれた時、どんなに嬉しかったか……。だから、あなたが虎神に戻っている時、また怪我を負わないか心配もしましたし、本当は帰らせたくなかった。傍にいてほしいし、傍にいたいと、ずっと、思っていました。……とても不謹慎ですが、それが叶って……すごく嬉しいんです」 「……うん」 「ですが、……あなたが、私のことをどう思っているのか、わからなくて。怪我を負うたびに来ていたでしょう? 医院としてうちは適当だろうとは思いましたが……体を許してくれるほどには、一夜を共にしてくれるくらいには、気も許してくれていると思っていましたが。決闘、なんて、ほんとは……重いかとも……むぐ」  まだ言葉を紡ごうとしたが、レンにくちびるを塞がれてしまった。啄むように口付けされて、なんとなくそのまま黙ってしまう。 「……レン?」 「まだわからない? さっきだって、別に否定はしなかっただろ」 「さっき」  鸚鵡返しに呟いてしまったが、どのことだろう。もしかして、つがいの話か。そういえば、「うん」とは返されたが、あれは相槌というだけではなく、同意の意味なのか。  今度は自分からくちびるを触れ合わせる。見上げたレンは、怒ったような照れたような顔をしている。 「きみの心は案外狭くて……その狭い心いっぱいにオレのことを考えてくれてるの、嬉しいよ。でも、自分ばかりと思わないことだね」  子どもにするような頭の撫でられ方。嫌ではない。  レンのなだらかな隆起を描く腹筋を撫でる。 「……怪我がなくて、よかったよ」  頬を包むように触れられ、首筋から撫でられる。そうしてトキヤの帯も解かれた。  レンと繋がる時は、いつもぐずぐずになって溶け合って混ざり合うような錯覚に陥る時がある。今も。  汗ばんだレンの肌を手のひらで腹から胸を撫でる。 「ン……」  撫でているだけなのに、心地よさそうな息を漏らしてくれた。つい、もっと触れたくなってしまう。  突き上げてしまいたいのは我慢したが、腰を揺らすのは許されたい。 「っは、……ァ、……ねえ……もうすこし、ゆっくり……」 「ゆっくりしたいのは、やまやまなんですが……」 「ただでさえ、まだ……っ、陽が、あるのに……」 「了承してくれたのは、あなたでしょう?」 「……そうだけど」  責任を押し付けるのか、という恨みがましい視線。トキヤはレンと額をすり合わせた。 「うれしくて。……あなたと、一緒にいられる、理由のようなものをもらえた、ような……だから」 「……今さら、そんなかわいいことを言われるとは思わなかったな……」  くく、とレンが笑う。 「かわいくてもかわいくなくても構いませんが、……続けますからね」 「……たまには後ろからがいいな」  肌に触れようとして、レンからの要望。トキヤを躊躇わせるには充分だった。 「それは……」 「おまえがオレの顔見るのが好きなのは知ってるけどね」  額をすり合わせたまま、上目で見つめられる。 「オレの背中は、キライ?」 「…………っ、ズルい……!」  そんな風に訊かれたら、答えはひとつしかない。  トキヤの顔で察したレンが、ころりと転がり背を向ける。 「はい。……後ろから聞こえるトキヤの興奮した息も好きだよ」 「っ、またそういうことを……揶揄わないでください!」 「オレに揶揄われてるくらいがかわいいと思うよ」 トキヤはレンの背を抱きしめると、前に回した手で肌をまさぐる。腰を浮かしてくれれば手を動かしやすい。 「きれいですね……」  肌の滑らかさも、薄ら浮く肩甲骨も、背骨も、肩のラインも。この人を象る何もかもがうつくしい。いつもそう思っているが、いつも笑われてしまう。 「おまえがそんな風だから……オレも少しはオレで良かったと思えるよ」  そうでなければ助けられたかわからないね、とまで言われてしまう。  そんなことはないと言いたかったが、一度助けたとしてもその次以降があるかはわからないとは思う。まして、こんなことをするような仲にはならなかったかもしれない。 「っ、ン……」 「外見には、内面の美しさも反映されるんですよ」 「そう……?」 「あなたはどちらもうつくしいというわけですね」 「……照れるね。トキヤの、手は……触り方は、オレへの気持ち、わかりやすいよ」  好きなんだなって。  途切れ途切れに言う人が、愛しくないわけがない。伝わっているのは恥ずかしさもあるが、後ろ暗いところはないし、偽るつもりもない。  想いが伝わっているのなら、嬉しいとも思う。 「っぁ、あ……ッ」  根元から撫でた指は、今度は手のひらで先端を包み、ゆるりと擦る。背中に口付けを降らせ、胸元へと片手を滑らせる。  くぐもった声はよろしくないが、快楽を与えられているのだとは、肌の震えや触れている熱の高まりでわかる。 「は、……ッん、……きもち、いい……」  恍惚とした声に返事をするように、背中へ口付け、吸い上げて赤い痕を散らす。  手のひらは根元から、くびれたところを中心に刺激した。熱が昂ぶっていくのが伝わる。伝わる熱で、トキヤも興奮した。  視線をちらりと上げれば、格子窓の外はまだ明るく、陽が差し込んでいる。鳥のさえずりさえ聞こえてきそうだ。明るいうちから行為に及ぶことは、今までもなかったことではないが、ここは自邸の自室ではない。それもまた興奮の種火になっている気がした。 「ぁあ、ッあ、も、ぉ……ッ」 「気持ちいいなら、イッて……」  囁くと、レンの体がびくびくと震え、 「ァ、ッあ、ぁア……ッ!」  手のひらに精が吐き出される。荒く息を吐き、呼吸を整えようとしているレンをよそに、彼の内股から手を上へと這わせた。 「もぉ、少し、待とうとか……」 「はやく、欲しくて……」 「いつも、それを言うけど……許されると、思う?」 「……許されませんか?」 「……もう少しだけ、待って」 「はい」  レンが落ち着くまでの間、肌に触れたり抱きしめるのは許されているので、腰を抱きしめ、背骨をくちびるで辿る。徐々にレンの呼吸が、整ってきたのが体の動きでわかる。  だが、トキヤが動いていいのはレンから許しをもらってから。そうでないと後で機嫌を取るのが大変だ。――待てない時は待てないのだが。  レンの手が、後ろ手にトキヤを撫でてくれる。これは動いていい合図。  濡れた指でレンの後ろを探ると、窄まりに少しずつ指を含ませる。会議に来てからは一度しかしていないし、その前となると久しぶりと言える。多少なりと慎重になりたかったが、トキヤは興奮している自覚があった。早くと、気が急いている。レンに負担を強いたいわけではないのだけれど。 「ね、……もう、挿れていいよ」  あちらこちらと肌に触れていたトキヤを煽るのも、レンだ。 「ですが」 「オレのために、頑張ってくれたんだろう? ゴホービ、って言ったらおかしいかな……」  気持ちとしてはそういうのだよ、と言ってくれる。 「……少しは、堪えようと思ったのに……」 「うん?」 「いいえ。ここではあまり思い切りできませんから。帰ったら、たっぷり頂きます」 「こわいなあ……」 「火をつけたのは、あなたです」  指を抜くと、昂った熱を濡れさせた孔へ宛てがう。片手は腰骨のあたりを掴み、気持ちだけは性急にならないようにとナカへ挿入していく。 「っん、……っ」  最初だけはいつもキツそうにするが、慣れてくれば別の色が浮かぶと知っている。  そうなると淫らで、いくらでも貪りたくなるのだが。 「うぁ……ッ」  不意打ちのように奥へ、あるいは浅くに引くと、レンの声が引き攣り高くなる。その声が好きで何度か意地悪をしてしまう。後で詰られることもしばしばあるが、嫌ではないようだとわかっているので、懲りるつもりはない。  レンの腰が高く上がり、抽挿は深くなる。 「っは、ぁあアッ……ア、アッ」 「く、ッ……力、抜いて……っ」 「できな、ぃ……っ」  柔らかなクッションをぎゅっと抱きしめ、ふるふると頭を振る。ちらりとトキヤを振り返る目には涙が溜まっていて、どうしようもなく劣情をそそられた。 「では、そのまま……」 「え、……あ、アッ?!」  ぐ、と深くを穿ち、そのまま奥を虐める。  刺激が強いと抗議して、上体を逃がそうとするが、よがっているようにしか見えないから逆効果だ。腰を掴み、逃さずナカを犯す。 「……っ、ぅ……レン……」 「ゃ、もお……イッて、……ッ」  泣きが入った声。肩甲骨に吸い付き、また赤を散らせば、達するための動きに変えた。なかなか構えなかったレンの熱は、動くたびに擦れるように、手のひらに包む。  抽挿は長くはない。 「く、っ……レン……ッ」 「トキヤ、オレ、も……」  腰を打ち付けるように突き上げれば、甘い嬌声を上げたレンが白濁を吐いた感触。続けてナカに締め付けを喰らい、 「っあ、……ぅ……」  トキヤも欲を吐き出した。  荒い呼吸を整える前に抜いてしまうと、レンの膝を楽にしてやり、抱きしめた。  本当にずっと、一緒にいられたら。  強く願い、レンを抱きしめる腕を強くした。
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